第26章・悶える鳥その14
「花を摘むひと」をお読みくださっている全てのかたがたへ。
更新が遅れて本当にごめんなさい。思うように書くことができない日々が続いています。今回も少しずつ少しずつ書きました。でも大切に書きました。私は書くことをやめません。どうかご容赦いただければ幸いです。ありがとうございます。 樹歩
ココはあれから一度も現れなかった。夢にも、もちろん現実にも私の前に姿を見せることはなかった。
私はしばらくの間、またあの少女が私に会いに来ると思って待っていた。待っていた、という言い方はおかしいかもしれない。もしまた会ったとしても、私は彼女の質問に対する返事も説明さえもできない。何一つ彼女を理解させるものを持ち合わせていない。だから待っていたというよりはびくびくしていた、と言う方が正しいのかもしれない。
毎日ただぼんやりとする時間を流す。食事、洗濯などの最低限の生活らしい行為はするものの、あとは時間という空虚を漂うだけ。頭の中のスクリーンに繰り返すのは那智との蜜月、彼がいなくなった後の孤独、夜行列車でたどり着いた見知らぬ遠い町・・・そして、那智に家族がいるという事実、さらに私を彼自身の中から失くしてしまっているという事実。
「アナタハボクヲシッテイルンデスカ?」
あの時に那智の眼。本当に私をわからなかった。まるで道を尋ねるみたいに。無邪気でありのままに遊んでる迷子の子供のように。どこまでも果てのない瞳で。そこには私とこの部屋で過ごした那智はいなかった。優しく見つめて私の髪を撫でてくれた彼はどこにもいなかった。
行かない方がよかったのかもしれない。テレビのニュースで彼の名前を見た時、よく考えれば那智が田舎へ帰ったことは一目瞭然だった。私との縁を離れて。そのままにしておいた方がよかったのかもしれない。だけどおそらく私はそうしなかっただろう。できなかっただろう。どうしても自分の眼で確かめなければ。那智の口からその言葉を聞かなければ。
そう思うとなんだか自分が行き場のないかごの鳥のような気持ちになった。とてもそう感じた。かごの鳥になんかなったことないけど。結局私が行きつく所はあの白い壁で遠い眼をした那智に会うことだったのだ・・・。どんなにつらいことがそこにあっても。
これから自分がどうしたらいいのかもわからなかった。本当はのんびりとせずに仕事を探した方が賢明だったかもしれない。身体を動かすことだけ集中していれば余計なことは考えずに済む。そうやって日々繰り返していけばだんだんと忘れられることもある。時間の唯一のいい所はそれが誰にでも平等に流れる所だと私は思う。どんなに悲しい物事も確実に薄れさせる。それが時間の一番の効能だと信じてる。でもどうしてもそれをしようと思わなかった。した方がいいとは思った。でもしようとは思わなかった。どこへ行っても何をしていても、この苦しみが一刻とも私からなくなることはないと思った。逃げられない、絶対に。それだけが確信として私の中に腰を据えていた。
ふとバナナをくれた人のことを思い出した。あの夜行列車の中で会った風変わりな人。旅慣れた感じの人だった。私はきっと他人から見ても「事情があるんです」と言わんばかりの顔をしていたのだろう。あの時は本当に自分と那智以外のことを考える余裕もなくて、ただ彼を親切だけど変な人だとしか思わなかったけど、今思えば本当に優しい人だった。本当に親切な人だった。ただ一緒の車両に乗り合わせただけなのに。それに、これも今思ったことだけど、もしかしたら彼が一緒の車両に乗っていたから私は女一人でぼんやりと夜行列車に乗っていても何事もなかったのかもしれない。酷いことが起きる可能性だってあったのかもしれない。あの人は明らかにさりげなく私のことを気にかけていてくれていた。声をかけてくるタイミングだって今思うと絶妙だった。
「そうだ。」
私は忘れていた。すっかり忘れていた。あのバナナの人がくれたメモを。確か電話番号が書いてあったはずだ。そうだ、あの町が故郷だと言っていた。
「確かここに・・・。」
私はあの時持っていったバッグを手に取った。帰って来てから放っておいたバッグはうっすらと埃がたまっていた。確かここについてるポケットに入れたはずだった。
果たしてそのメモはあった。あの時はちらと視線だけは落としたが全く目に入ってなかった。よく見るとそれは鉛筆で書いてあって、ずっと小さく折ったままでいたので折り目に書いてある数字が薄れてしまい、その部分は読みにくくなっていた。紙全体が色褪せてぼやけていた。それは私を少なからず落胆させた。でもだからと言って私は何で落胆したのだろう?彼に電話することなどないのに。あの「親切」はあの時だけの親切だったはずだ。それ以上もそれ以下もないだろう。顔色の悪い、今にも線路に飛び込みそうにしている女がいたからちょっと気になって気にかけてくれたのだ。
それでも私は落胆していた。おそらく・・・「自分以外の誰かが自分を気にしてくれている」という行為を私は思い出して、それがあっという間に自分の前を通り過ぎ、さらにそのことに気づかなかったことに傷ついているのだ。でもそれに気づいたところでやはり私にはどうすることもできない。ただこうして見知らぬ人のかつての温かみを眺めるしか。