第13章・悶える鳥その1
私はその時、会社の昼休みで一人のそのそとコンビニで買ってきたおにぎりを食べていた。那智と出会ったあのコンビニだ。那智がいなくなってから私はしばらくあの店にいかなかった。思い出してつらかったから。でも実際、便利に使える店をずっと避けて生活するのは続かない。結局私は諦めてまた店を利用するようになっていった。どうせどこにいても何をしていても、那智が私の頭から離れることなどないのだ。一時も。
ぼんやりとおにぎりを一口ずつ口の中へ放り込む行為を繰り返していた私は、見ることもなくテレビの画面を眺めていた。ちょうど正午前のニュースをやっているところだった。私以外の職員は外の暖かい空気の中を泳ぐように出かけていた。
薄暗いオフィスは閑散としていて、でもそれも私には関知を要しないことだった。
「秋田県の○○町で、小学校の校舎の補修工事中に足場が崩れ、作業に当たっていた数名が落下、二人が意識不明の重体、一人が腰の骨などを折る重傷・・・・」とアナウンサーが言ったか言わないかで映し出された画面。
「狩野谷 那智」
瞬間、手が止まる。眼の前に唐突に差し出された愛おしい名前の文字に全てが止まる。無意識にもう一度確かめようとする。
と、その瞬間、もうその画面ではない。それはこちらの都合などもともと無視しているので、手のひらを滑り落ちる砂よりも容赦なく私の手から遠くへ過ぎ去ってゆく。私は一人その場に残される。時間が止まったまま。思考も止まったまま。あの日。那智がいなくなったあの日のように。
と同時に私はほかの番組でそのニュースがやっていないかリモコンでチャンネルを探す。何度も何度も同じボタンを押し、くるくると画面が切り替わるのを息もしないで見つめる。外では正午を知らせるチャイムが聞こえる。
私は同僚が戻ってくるのを待って「すぐに実家に帰る事情ができた」と言って早退した。そしてそのままネットカフェに行き、ニュースを丹念に調べた。テレビで見た報道はすぐに見つかり、那智の名前も確かにあった。秋田、建築工事、狩野谷・・・。同姓同名なんてありえない。私は事故のあった工事現場の住所を小学校から調べ、メモにとり、続いてその住所から地図を確認し、そこへ行くまでの交通手段を調べた。何度も何度もメモにとり、必要なものは印刷して、画面と照らし合わせ確認した。那智は重体で意識不明だと書いてあった。運ばれた病院はわからなかったが、工事現場の小学校から近い病院がいくつかあったのでその一覧も印刷した。
そこまでできると私はそのパソコンで退職届を作った。その足で会社へ戻り退職届を出した。上司はびっくりして礼儀として事情を訊きたがったが、職場でいつもどちらかといえば暗い顔していた、いてもいなくても大して支障のない女性職員が一人いなくなるのを、止める必要もなかったようだ。退職届は受理され、色々手続きが必要な書類はあとで自宅へ郵送してもらうことになった。訝しい顔をしている同僚に「お世話になりました」と頭を下げ、自分の私物だけを紙袋に詰め、私はどんどんと職場を後にした。
時計を見ると夕方の5時前だった。空はうっすらと紅くなり始めていた。私はそのまま駅に向かい夜行列車の時間を調べた。自宅へ戻り、小さなボストンバッグを取り出し荷物を詰め始める。冷蔵庫の中を見てすぐに腐りそうなものを新聞にまとめてビニール袋にいれ、隣の部屋に暮らす新婚夫婦の所へ行き、小さな封筒(中にはささやかながらお礼が入っている)を差出し燃えるゴミの日に出してもらうようにお願いする。そして私は駅に向かう。途中の銀行で預金通帳を確認し、当面困らないだけの現金を下ろす。すでに茜色の空は蒼暗くなり小さく星の光が見える。