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花を摘むひと  作者: 樹歩
12/28

第12章・追憶その12

 3年も一緒にいると、男女の仲もすっかり慣れ合いになってくる。まして私と那智は多分普通の(本当は“普通”なんてどこにもないんだけど)恋人の付き合いよりずいぶん閉鎖的だったし、それぞれに住むところがあったとはいえ半同棲のような感じだったからなおさらだ。

 その頃になるともう私は彼に結婚を期待しなくなっていた。何か事情があって那智は私と結婚することはできないのだ、そう思っていた。だけどそのことを私は那智に詰め寄ることはなかった。最初は「できない」だったのが、いつか「しない」になっていた。那智は、結婚できるようになれば結婚する気でいるのだ。3年経っても私たちはこんなに仲も良くて喧嘩もない。私を抱くたびに彼は言った。「心澪、好きだよ。きみがいるだけでいいんだ。」その言葉だけで私は満たされた。身体の隅々まで洗われるようだった。

 

 最後に那智に逢った晩も彼は私の知ってる今まで通りの那智だった。私は那智の部屋で夕飯を作り彼を待っていた。彼が帰り、一緒に夕飯を食べ、お風呂に交代で入って、ひとつの布団で抱き合った。ただその夜のセックスはいつもよりもスローだった。彼は何度も何度も私に口づけをし、髪を撫で、首に鼻をつけた。「好きだよ。好きだよ。」と何度もつぶやいた。ひとつの行為から次の行為に移るまでに時間をかけていた。今思えば、彼は私の身体を彼なりに自分に刻み込もうとしていたのかもしれない。とても慈しみのあるセックスだった。私はその丁寧な愛撫に文字通り身も心も昇天していたと思う。あまりに幸せで、だから私は何も疑うことがなかった。

 朝になり、私は那智に声をかけた。いつもそうしているように。彼を起こしてから自分も起きる。洗面を済ませ、昨日の残りのご飯(少し多めに炊く)をおにぎりにしておく。那智の朝ご飯だ。彼はもともと朝食は食べない習慣が付いていたが私が用意しておいた時は食べる。それから自分も着替えて簡単に化粧をし出社する。

 でもその日、会社へ持っていく予定になってたものを自宅に置き忘れたことに気づいた私は、一旦自宅へ戻ってから出社することにした。

「那智、おはよう。私一度帰らないといけない。」

「う・・ん?そうなの・・・?」

那智はまだ半分寝ていた。

「もう起きないと。」

「・・・・俺、今日休みなんだ・・・。」

「え?休み?平日なのに?」

「・・・現場自体が今日は作業やらないんだって・・・。」

「ふうん。」

この3年そんなことは一度もなかったが、まあそういうこともあるんだなと、私は特別気に留めることもなかった。そしてそそくさと着替えをして、小さく彼の頬にキスをして静かに靴をはき、玄関を閉めて鍵をかけた。


 彼の部屋は2階。私はいつも下に降りると彼の部屋の窓を見上げた。その癖はもうすっかり身についたものだった。彼もそれを知っていて、いつも私が帰ると窓を開けて見送ってくれた。照れくさいのか、彼は私のように手を振ることはなかったし声をかけてくれることもなかったけど、必ずほほ笑みを私にくれるのだった。

 私はその日本当は急いでいたけれど、やっぱり立ち止まって彼の部屋を見上げた。すると寝ていると思っていた那智の顔がそこにあった。

「行ってくるね。お休み。」

私はそう言っていつものように手を振った。彼も多分、いつものように小さくうなずいてほほ笑んでいたと思う。そしてそれが那智と私の蜜月の終わりだった。その日の夕方、仕事を終えた私が夕食の食材を持って彼のアパートへ行った時、そこには何もなかった。そして那智もいなくなった。


 私が現実を受け入れるまでどれくらいかかったのか、それも今となってはわからないが、私はそれまでと同じように会社へ行き、つまらない雑用をし、誰とも付き合うことなく仕事が終わればさっさと自分のアパートへ帰った。那智がいなくなった最初の頃は毎日彼のアパートまで行っていたが、そのうち誰かがその部屋を借りることになったようなのでさすがに気まずくて行くのをやめた。私の生活から那智という存在だけがすっぽりとぬけただけだった。でもそれは私を喪失のどん底へ突き落としていた。聞いた話で、愛する人を失ったショックがあまりに大きくて許容範囲を超えると、精神的に病んでしまったり現実を逃避するようなことがあるらしいが、私もある意味そうだったのかもしれない。那智がいた、という現実から逃れようと私は極力彼のことを思い出さないように努めた。でもその一方で、ふと気がつくと彼を歩いた商店街をふらふらとさまよい歩いたりしていた。


 次に那智が私の前に現れたのは、どこにでもある平日のオフィスの昼休み。彼はテレビの中に唐突にその存在を私に知らせてきた。



 


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