第3話
「くちゅん!」
ギルドを出てしばらくして、リリルは小さなくしゃみをした。
「うう……風邪かなぁ…最近あまり眠れてないし、気をつけないと。」
薬を納品して手に入れたお金を持ってリリルは食べ物を買いに行く。夕暮れ頃になるとほんの少し安くなるのだ。トマトだけは新鮮な物を食べたいので学校の帰りに買って帰るのだが、トマトだけではとても生きていけない。
夕食と明日のお昼ごはんの分の食べ物を買ったリリルは帰路を急ぐ。近所にはおまけしてくれるお店があるのでとても助かっている。
リリルはふと高級そうな食料品店の前に立ち止まる。そして店頭に並んでいるある商品に目線が釘付けになる。20センチくらいの高さの赤い液体の入ったビン、商品の名前は[濃縮トマトジュース]トマトの絞り汁を煮詰めて作った飲み物らしい。
「ダメダメ、あれを買っちゃったらお金がなくなっちゃう!」
大好物のトマトがんなふうに飲み物になっていて、とても美味しそうに見える。
一度は飲んでみたいと思っているが、とても高価なのでいつも素通りだ。
早くランクを上げてがっぽり稼げるようになって、あのジュースをたくさん買うのが今のリリルの夢だ。
「はぁ、もっと頑張らないと!」
食べ物を買ってすっかり少なくなってしまったお金を見る。Fランクが稼げるお金はたかがしれている。あれを沢山買うにはまだまだ道のりは長そうだ。
リリルは頭をふって邪念を振り払い家への道を急ぐ。
「ただいま。」
お店のドアを開け、光る魔道具のスイッチを押す。すると薄暗かった部屋がほんの少し明るくなる。ようやく開店することができたものの、もう太陽は沈んでしまい、あたりもだんだん薄暗くなってきていた。
「えっと、今日の注文は……」
リリルはお店の入り口近くにかけている巣箱を開けて中の紙を取り出す。学校に行くようになってから、お昼にお店を開けられないので薬が必要な人には紙にその症状と欲しい薬を書いてもらって後で配りに行くようにしている。
「食堂のおばちゃんは手荒れのお薬……酒屋のおじさんには二日酔いの薬……。」
手早く棚から薬を取り出して革袋に入れる。ほとんどは近所の人に注文された物なので配るのにそれほど時間はかからない。
一通り薬を注文先に配り終えるとお店の周りはすっかり暗くなってしまっていた。お店に戻ってリリルは夕食の準備を始める。夕食と言っても帰りに買ったパンとチーズにお肉屋さんにもらったお肉、今日買ってきたトマトと少しの野菜という質素なものだ。料理が作れない訳ではないが、これから明日納品する薬を作ったり、魔法学校の宿題をやらなければいけない。
リリルは味気ない食事をさっさと済ませ、大きな釜のある部屋へ行く。お店は開けてはいるが、暗くなってしまうとお客さんが来ることはほとんどない。
「えっと、水色の回復薬の作り方は……。」
釜の近くに置いてある分厚い大きな本を開く、その中にはびっしりと薬の作り方が書かれていた。
「水色水色……あった!」
リリルは水色回復薬の製法が書かれてあるページにたどり着いた。
「えっと、材料は……マンドラゴラ……マンドラゴラ!?」
材料一覧を見たとたん、リリルは目を丸くする。
「どうしよう、マンドラゴラなんてないよ!」
材料にはいつも仕入れに行っている薬草屋さんには売っていないマンドラゴラが含まれていた。マンドラゴラは大根の根っこに手と足がついて、お化けのような顔がある植物だ。
町の外の森に行けばマンドラゴラはめずらしい材料ではないものの、急に大きな声を出して叫ぶので街中のお店には置けないのだ。
「やっぱり……外に出ないとダメなのかな……」
本を見ながら不安そうに言った。町の外に行くために必須な冒険者ギルドのカードは持っているが、外に出れば魔物に会うかもしれない。そしてリリルは魔物と戦った事がなかった。
「はぁ……やっぱり早まったかな……でもせっかくミーナさんが見つけてくれた依頼だし……」
一人ため息をつく、でも今回の依頼をこなせれば今よりもう少しお金が手に入る。もしかするとランクを上げる事もできるかもしれない。
「う~ん、それに、これから外に出なきゃ仕事にならない事もあるよね……」
外に出るにしても、どんな魔物が出るかわからないしマンドラゴラがどこに生えているかもわからない。だが、これからギルドの依頼を受けるならこんな事はよくあるかもしれない。
いろいろ考え、結局リリルはこの問題を棚上げにして、いつも売っている薬を作り始める。
「えっと、腰がいたいって言ってたおばちゃんにぬり薬と……近くの子がよく怪我をするから……」
リリルの家はその日も夜遅くまで明かりがついていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「はぁ…」
次の日、魔法学校に登校したリリルは帽子を被ったまま自分の机に突っ伏して大きなため息をついた。
「どうしたの、リリルちゃん、そんなに大きなため息ついて。」
「あっ、ミアちゃん、お仕事でちょっと……」
リリルに話しかけたのは、後ろの席に座っているミアという女の子だ。魔法学校の生徒は魔力を持つ貴族の子供が多いが、彼女はリリルと同じ平民出身の魔力持ちで、入学した日からリリルとは何かと仲良くやっている。
ほんの少しウェーブがかった薄い茶色の髪をしていて、たれ目で茶色の瞳を持った優しそうな雰囲気の女の子だ。
「お仕事で、何かあったの?」
ミアは久しぶりに見る元気のないリリルに心配そうに声をかけた。
「うん…あのね、ギルドで薬の依頼を受けたんだけど……作る材料が手に入らなくて……町の外に出ないといけないかなって……」
リリルは昨日あった事を話す。
「町の外って!リリルちゃん、危ないよ!」
「うん…だけど…これからギルドのお仕事を受けるならやっぱり必要なことかなって……」
「そうかもしれないけど……一人で行くなんて絶対やめてよ?」
「うっ…わかってるよ、ミアちゃん!」
本当に心配そうに話すミアを見て、リリルは後ろめたさから目を逸らしてしまう。その雰囲気を察したのかミアは真剣な顔をする。
「一人で行くなんて、絶対ダメだよ!」
「でも…冒険者なんて雇えないし……」
「リリルちゃん、冒険者じゃなくてもいいんじゃない?」
「……そっか!大人の人についてきてもらえばいいんだ!」
「そうだよ、来てくれそうな人はいる?」
「えっと、近所の酒屋のおじさんに鍛冶屋さんの親方……」
知り合いの大人の人を指折り数えるリリル、喧嘩の仲裁で生傷が絶えない酒屋のおじさん、やけどをよくしている鍛冶屋の親方、思い浮かぶのはどれもよく薬を届ける人ばかりだ。名前を挙げているうちに、途中で間違いに気づいてまた机に突っ伏す。普通に考えて仕事で忙しい酒屋のおじさんや鍛冶屋の親方がついて来てくれるはずがないのだ。
「だ~め~だ~!」
「うるさいぞ、薬屋の娘!」
「ごめんなさい!」
前の席の男の子から怒られ、リリルはびくりと身体を震わせて声のする方へ謝った。
「まったく、これだから平民は…。」
男の子は不機嫌そうに言う。きらりと光るプラチナブロンドの髪に、幼さを残しつつも精悍な顔つき、着ているものは見るからに上質で一目で庶民でないことがわかる。
学校に通い始めて数ヶ月が経ち、学校に通っている人の人となりが分かり始めたリリルはふと思いつく、確か前の席の子は騎士科の科目も取っていたはず。
「あっ…あの!」
「何だ、平民」
「うぅ…何でもないです……。」
ひと睨みされてリリルは言おうとした言葉を飲み込んだ。元気なく椅子に座り込んだリリルにミアは優しく声をかける。
「リリルちゃん、元気出して、私も何とかしてくれそうな人、探してみるよ。」
「うん…ありがとう、ミアちゃん!」
結局その日の授業は手につかず、先生にボーっとしている所を怒られてしまうのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「はぁ……」
家に帰ったリリルは一人大きなため息をついた。今日で何回目のため息かわからない。結局いい方法は思いつかなかったし同じクラスで剣術を習っている騎士科の学生は貴族出身の人ばかりで話しかけられなかった。
「やっぱり一人で行くしか……」
あのあと、ギルドで色々話を聞いたところ、町を出て近くの森までは木の棒で倒せるような魔物しかいないそうだ。ミアにはああ言われてしまってが、弱い魔物しかいないなら自分だけでも何とかなるかもしれない。それに、忙しそうに働いている大人の人にわざわざ来てもらう訳にはいかない。
「明日、お店はお休みにして外に行ってみよう。」
そう決心してリリルは仕事を手早く済ませ、早めに床についた。
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