第2話
ミーナがリリルと出会ったのはほんの数ヶ月前の事だった。その日、ミーナはいつものようにギルドの受付の仕事をしていた。
「はぁ……、今日もむさいおっさんの対応ばっかり、やんなっちゃうわ。」
交代の時間になってミーナは愚痴をこぼす、今日もギルドの中は人で賑わっていたが、これから交代する同僚の前にある長い列を見てげんなりする。
列にはミーナが言ったとおり、筋肉質の中年が並んでいた。
薬や薬草の納品などで女性との対応もあるし、若い冒険者も沢山いるが、中堅のランクになると厳ついオッサンが多くなるのも事実、それに期限のない簡単な依頼を受ける時は受付を介さず結果だけを証拠品と共に持ってくる場合が多いのだ。だから受付に並ぶのは依頼が終わった者の他に、ある程度難しい依頼を受けようとする中堅所の人間が多い。
いつもと変わらないギルドを見回していると、ミーナの目に見かけない物が映った。真っ黒なローブに大きな三角帽子を被った小さな子だ。入り口の方でおっかなびっくり受付の方を伺っているようだ。
いかにも魔法使いといった姿をしていたけど杖を持っていない。ちょっとおかしいな、と思いながらもいつも通り、前の時間帯を担当している同僚と交代する。
交代して、冒険者への依頼の斡旋や結果の確認をいつもどおりやっていたミーナだったが、冒険者の対応をしている最中も視界の隅っこで何かを伺っているように揺れる黒の三角帽子が気になって仕方なかった。
そしてミーナはとうとう席を立ってその三角帽子に話しかける事にした。無論自分の列は同僚に押し付けてから。
「ねえ、冒険者ギルドに何か用事があるの?」
「わわっ、あの、すいません!」
話しかけられた事にびっくりしたのか、その子はかわいい声でそう言った。そして大きな帽子のつばを少し上げて上目使いで私の顔を見る。
私はその顔を見てしばし言葉を失った。
吸い込まれそうなマリンブルーの大きな瞳。しみ一つない真っ白な肌、整った小さな顔、帽子からほんの少し覗く銀色の絹糸のような髪、黒い帽子とローブで隠れていたけど、彼女が物凄く綺麗な女の子なのがわかった。
「……」
「あの……ギルドに登録したいんですが……。」
少し恥ずかしそうにその子は言った。肌が白いからほんの少し頬が赤くなったのがよくわかる。
「……」
「あの…」
「ああ、登録ね、新規でいいの?」
「はい!」
少し彼女に見とれて返事が遅れてしまった。
私は彼女を手近な椅子に座らせると登録の書類を持ってきた。
「はい、これが登録の書類、ここに必要事項を記入して、文字は書ける?」
「はい、大丈夫です!」
登録の手続きに緊張しているのか、緊張気味に答える。そしてしばらく少女が使う羽ペンの音が響く。名前はリリルと言うらしい。
「リリル・アナトリス……へぇ、薬の納品を希望してるのね。」
書き終わった紙を見てミーナは珍しい、と思った。薬を作るには知識と経験がどうしても必要だからだ。でも、この子にそんなものがあるとは思えなかった。
「はい、北地区で薬屋さんをやってるんですが……最近上手くいかなくて……」
ほんの少し目線を下て少し寂しそうにするそんな仕草もミーナはかわいいと思ってしまった。
ダメダメ、私はギルドの職員、私はギルドの職員……。
小さな体をぎゅっと抱きしめて頭をなでなでしたくなる衝動を何とか抑える。
「そうねぇ、薬を納品するにはそれ相応の品質の物を作れないといけないから……。リリルちゃん、今日は何か持って来てるの?」
「はい、赤色の回復薬を持って来ています!」
そう言って彼女は緊張気味に持っていた皮製の袋から一個の瓶を取り出す。ミーナはそれを手に取って見る。色は澄んだ透明な赤、沈殿物もない上等な回復薬だということが一目でわかった。
「なかなかいい回復薬ね、これなら納品しても問題なさそうよ。」
「本当ですか、やったぁ!」
彼女は本当に嬉しそうに笑った、口から覗く小さな八重歯がとてもかわいらしい。花が咲くような笑顔を見せてくれたリリルちゃんを見て、なんだか心が温かくなった。
それから私はリリルちゃんにギルドでの注意事項を教えた。その時間は自分との戦いだった。真剣な顔で私の話しを聞き、時折メモを取る彼女を見ていると、えらいえらいと褒めて頭を撫でてあげたくなってしまうのだ。でも、私は町を支える冒険者ギルドの職員、そんな欲望に負ける訳にはいかなかった。
「以上で注意事項の説明を終わります、何か質問はある?」
リリルちゃんは頭をふるふると横に振る。
「じゃあ今からギルドカードを作るから、こっちに来てもらえる?」
私はリリルちゃんを顔写真が取れる魔道具が置いてある場所に連れて行く。
「あの、ギルドカードなら薬師ギルドのカードを持ってるんですが……」
そう言ってリリルちゃんは木の板で出来ている安っぽい薬師ギルドのカードを取り出す。
「そっか、薬屋さんをやってるんだもんね、ちょっと貸してくれる?」
「はい!」
リリルは懐から大事そうに薄い木の板でできたカードを渡した。
「冒険者ギルドのカードと薬師ギルドのカードは別物なんだけど、自分の身分を証明するって面だと冒険者ギルドのカードが一番便利なの。冒険者ギルドのカードで薬師ギルドのカードの役割を持たせる事も出来るのよ。」
「そうなんですか、知らなかったです!」
「あと、冒険者ギルドのカードは特殊で、顔の写真を登録しないといけないのよ。それで、写真を撮る時はその大きな帽子を取ってもらうわよ。」
「はい!」
ミーナの言葉に元気いっぱいに答える。ミーナがそう言ったのは、ギルドカードの写真は基本的に顔がわかるものでなければいけないからだ。ランクにもよるが、冒険者は町の外に出て魔物を倒したり、危険な場所で貴重な物を集めたりする死と隣合わせの職業だ。彼らがもし町の外で死んでしまった時、持っているギルドカードが死亡認定などの重要な証拠になったりする。
だから写真など、出来る限り本人を証明できる物が要求される。もちろん、薬師ギルドにも、リリルの持っていた安っぽいカードではなくしっかりとした証明書もあるが、リリルのお店程度には今の安っぽいカードで十分だった。
「ねえ、リリルちゃんはいつもそんなに大きな帽子を被ってるの?」
「はい、太陽の光に長く当たってしまうと肌がすごく赤くなってしまうので……、でも、お部屋の中なら大丈夫です!」
「そっか……はい、この椅子に座ってちょうだい、あと、帽子は取っておいてね。」
私がそう言うとリリルちゃんは素直に帽子をとった。そして後ろで纏めてあった髪をほどく。すると絹糸のような艶やかな髪が零れ、それと同時に帽子で影になっていてあまり目立たなかった大きなアクアマリンのような青色の瞳と整った顔がはっきりと見えるようになった。今は建物の中で外のように明るくはないけど、それでも透き通るような白い肌と、光かがやくような髪に息をのんだ。
(姿だけ見ると、どこかのお姫様みたいね……)
一瞬そんなことを思ったミーナだったが、気を取り直して仕事に戻る。
「リリルちゃん、写真撮ります。」
「は、はい、お願いします!」
相変わらず緊張気味のリリルちゃんを尻目に、魔道具のボタンを押す。
魔道具は一瞬光を発してすぐに一枚の紙を吐き出した。
「はい、おしまい。」
リリルちゃんはぽかんとしていたが、すぐに髪をまとめて、置いてあった帽子をかぶる。
(ああっ、もったいない!)
大きな帽子と真っ黒のローブに隠されるリリルちゃんの髪や瞳に内心そう思ってしまう、もちろん声には出さない…。
「ギルドカードが出来るまでちょっと待ってね。」
「はい!」
少しは気を許してくれたのか、元気な返事が返ってくる。私はほんの少しうれしい気持ちになった。
それから私はギルドカードができるまで、リリルちゃんとお話をした。
どうしてこんなに若い女の子がギルドに来てわざわざお仕事をするのか気になったので聞いてみると、なるほど、なかなか複雑な事情をもっているようだった。
最初は緊張気味に話す彼女も、会話を交わすうちに明るい笑顔を見せてくれるようになった。話してみると、歳相応の無邪気さを持った普通の女の子なのがわかった。今までの事情をなんでもなかったように話してはくれるけど、きっと大変だったに違いない。
他愛のない話をしていると、ちりんちりんとベルが鳴った、ギルドカードが出来たようだ。
「完成したみたいね、行くわよ。」
私はリリルちゃんを受付の方へ促す。
「こら、ミーナ、仕事ほっぽりだしてどこ行ってたの!」
受付で冒険者の対応を忙しそうにしている同僚に怒られる。
「ごめんごめん、もうちょっとで帰って来るから。」
「ちょっと!」
呼び止める同僚の声を背中に、私は出来たばかりの白色のギルドカードといくつかの薬の依頼を持って、待っているリリルちゃんのところに行く。
「はい、Fランクのギルドカードよ、これから頑張りなさい。」
「はい、ありがとうございます、あの……。」
「ミーナよ、ミーナ・バレンシア、ミーナでいいわ。」
「はい、ミーナさん、ありがとうございます!」
勢いよく頭を下げたリリルちゃんの頭から大きな帽子がはらりと落ちる。
「わわっ!」
帽子が落ちた事に慌てる彼女を尻目に、私は落ちた帽子を拾って彼女に渡してあげる。
「はい、気をつけなさいよ。」
「はい、ありがとうございます、ミーナさん。」
両手で帽子をぎゅっとかぶり直して、たれ目気味の目じりをもっと下げて嬉しそうに言う。そしてリリルちゃんは初めての依頼を選んで帰っていった。
リリルちゃんはその日からよく夕方ごろにギルドに顔を出すようになった。そして私がいる日はいつも私の列に並んでくれる。厳ついオッサンの対応ばかりしていた私にとって彼女に会えるのはいい仕事の息抜きで、三角の大きな帽子が自分の列に並ぶのを見ると仕事をする元気が出る。
最近では仕事以外でもほんの少しお話する機会が増えたように思う。魔法学校での話、お店での仕事や、他愛のないことを話した。時々自分にもこんなかわいい年下の妹がいたらなと思ってしまう。
「そうよ、いないなら妹にしてしまえばいいんじゃない!」
ほんの少し前に唐突に思いついた逆転の発想、それから私はあの子に「ミーナお姉ちゃん!」と呼ばれることを目標に日々頑張っているのだ。
「……そう、あなたも頑張ってるのね、仕事以外で……」
一通りミーナの話を聞いた同僚が呆れ顔で言った。実際、リリルがギルドに来るようになってミーナは席を空けがちになっていた。その分仕事が彼女にいくのだからミーナにはちゃんと仕事をしてもらいたい。
「それに、まだまだあるのよ!」
「ハァ……またリリルちゃんの話?」
もう自慢話はいいといわんばかりの同僚にミーナは少し真剣な顔をして言う。
「最近、王都の薬剤師もびっくりな高品質の回復薬がこのあたりに出回ってるって噂があるわよね?」
「はあ?それもあの子の仕業だって言うの?」
「確証はないんだけど……あの子が薬を持ってくるようになってしばらくしてから、冒険者から薬の作り手を聞かれることが増えたのも確かね。」
薬などの納品は冒険者の必需品で、ギルドの在庫に関わることは、冒険者の士気や生死に関わる重要な事だ。だからギルドでは必要な量の薬を確保するため、常に依頼を出し、多くのギルド員に依頼している。一方で、そうしてまとまった数を大量に確保しているため、普通は誰が作った薬かは受け取った冒険者もギルドもほとんど掌握していない。そして、ランクの低い者が作った薬などはなおさら分らなかった。
通常、Fランクの作った薬は粗悪品扱いが普通なので、ギルドが簡単に効果があるかを確認するだけ、というの場合が多い。その一方で、Fランクの薬は格安になっており、冒険者もそれを承知で余裕がない時はFランクの作った薬を使うことがある。粗悪品前提で買った薬がもし異常なほど高品質な物だったら気になるのは当たり前だろう。
「へえ、あの子がねぇ……」
同僚はほんの少し真剣な目つきになった。最近はあまり仕事をしてくれないが、ミーナは同僚からは一応は信頼されているのだ。
「そう、って訳だから私がしっかり面倒見ないとね!」
「はぁ……」
「私」という所を強調して言ったミーナを見て同僚はため息をつく。まだしばらくはミーナの仕事のしわ寄せが回ってきそうだと思うのだった。