はじまり
「お初にお目にかかります。ソフィー・ローレンスと申します。本日は陛下の妃となるべく――――」
「長い。私をいつまで煩わせる気だ」
ソール王国の若き王、アレキサンダー・オースティンは、王座の前に跪いた令嬢に冷たい目を向けた。
「貴様の役割は私との間に子をもうけることだけだ。このような会話は不要だ」
そう吐き捨てるように言うと、すぐさま椅子から立ち上がり、部屋の外へと出ていく。
勢いよく扉が閉められた音が、彼の心を――――ソフィーを拒絶する意志の強さをはっきりと示していた。
◇◆◇◆◇
ソフィーはこのソール王国の隣国、ルーナ王国の侯爵令嬢である。この度、彼女はルーナ王国とソール王国の絆を深めるため、ソール王国の王妃となることになったのだ。
怪物の血をひき、逆らう者は呪い殺すか喰い殺してしまうというソール王国国王アレキサンダーの妻になろうという令嬢はひとりもおらず、妃選びが難航する中での決定であった。
『私はあんな怪物の妻にはなりたくない!』『どんなに歳が離れた男とでも結婚する覚悟はあるわ。でも、人ですらない方に娶られるなんて、耐えられない!』
拒絶する令嬢達ばかりの中でソフィーだけが妃となることを受け入れた。
それは、彼女が変わり者であるからでもあり、彼女がさして彼女の家にとって大事な存在ではなかったからでもあった。
そのようなわけで、彼女は今こうしてアレキサンダー王と初めて顔を合わせたところなのだが、アレキサンダーはソフィーに冷たい言葉を投げかけた後、もう謁見の間を出ていってしまった。
部屋にぽつりと取り残されたソフィーは、しばし呆気にとられた表情で、アレキサンダーが消えた扉の方を眺めていた。
(王妃様、お可哀想に)
部屋の隅で控えていたメイドのアリスは、つい同情の眼差しを向けた。
これから王妃ソフィーの世話を任される者とはいえども、一介のメイドに過ぎないアリスには、政治や外交のことはよく分からない。
しかし、目の前にいる令嬢がその政治の犠牲となって、あの冷酷な怪物王の妃とならねばならないことを、心から気の毒に思った。
ソフィーはいまだぴくりとも動かず、扉の方を眺めていた。可哀想に、よほどの恐怖と衝撃で動くこともできないのだろう。
そう思ったアリスは、沈鬱な面持ちでソフィーに近づき、声をかけた。
「王妃陛下。ここは冷えます。私と一緒に、王妃陛下のお部屋へ参りましょう」
白い絹糸のような髪に思わず見惚れながら、アリスは優しい声で言った。
ソフィーは動かない。かわりに、何かをぼそりと呟いた。
「えっ…………なんでしょう?」
アリスはその顔に耳を近づけた。
純白の髪の合間に、ルビーのように赤く透き通った瞳が見え、思わず息を飲む。
と、その時、彼女の唇が再び動いた。
「可愛い……なんて可愛らしいお方なのでしょう、陛下は……」
ソフィーは微笑みながら、愛しそうに頬を染め、そう言葉を紡いだ。
「か……可愛い!?」
まさか、あの怪物王アレキサンダーを「可愛い」と言ったのか。
唖然とするアリスの様子に気づきもせず、ソフィーは幸せそうに微笑んでいるばかりだった。