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空色レモネード  作者: トウコ
第二章 カレーぶっかけ事件(中辛)
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6.光と影

 季節はあっという間に梅雨になった。

 僕は梅雨空に負けず劣らず、ジメジメとした湿っぽさを全身に纏っていて、一日に一回は辛気臭い顔をしているとダイキに指摘された。

 鬱屈とした気持ちは、僕から思考力も体力も奪い去ってしまったようで、中間テストの成績は散々、部活動でもミスが続いて顧問から叱責される始末だった。

 開いてしまった過去の傷。その痛みに、僕は頭を抱えて過ごしていた。


 そして僕は、今まさに()()()()頭を抱えてテーブルに突っ伏していた。


「……一体、どういう状況なんだ……」


 とある部活帰りの夜。

 連日の雨が珍しく途切れ、薄雲で覆われた夜空の下、何故か僕らはファミレスのテーブル席にいた。

 僕ら――そう、僕とダイキと、そしてミチアキである。


 事の発端はいつもの公園前で起きた。

 ダイキとどうでもいい話に花を咲かせながら、夜道をのろのろと自転車で走行していた時のことである。

 大通りの交差点を通過し、路地の右手側に公園が見えてきたところで、僕たちの前に人影が飛び出してきた。それが、ミチアキだったのだ。

 ミチアキは公園に放置されていたボールを勝手に拝借して遊んでいたらしく、園外に転がったボールを追いかけて僕らの前に飛び出してきた。

 急ブレーキをかけた僕は、瞬間、「轢いた」と思って心臓が止まった。けれど僕の車輪の前で蹲る人の姿を見て、違う意味で驚いたのだった。

 ボールを抱きかかえるようにしゃがみこんだミチアキは、しばらくそのままの姿勢で固まっていた。


「……おい、大丈夫か?」


 心配になったダイキが声を掛けたが、一向に動く気配がない。もしや打ちどころが悪かったのだろうかと不安に駆られたところで、盛大に鳴ったのはミチアキの腹だった。

 ミチアキは弾かれたように顔をあげると唐突に、


「お腹すいた! ご飯食べに行こう!」


 と言い放ったのだ。

 その後は口を挟む隙もなく、ミチアキに引っ張られるまま大通りにある二十四時間営業のファミレスに連れられ、あれよあれよという間に僕はミチアキを向かいにして席に座っていた。

 ミチアキは席に着くなり上機嫌でメニューを捲り、早々に注文を確定してから手洗い場へと消えていった。


「……マジで変わってるよなあ。あいつ」


 隣で居心地悪そうに何度も足を組み替えていたダイキが、ようやく肩の力を抜いて話し掛けてきた。


「お前、知り合いなんだっけ?」


 僕はテーブルに突っ伏したまま「……全然知り合いじゃない」と呻いた。実のところそこはまだ謎のままだが、今のところ思い当たる節がないので否定しておく。


「カズ、お前あれ以来あいつに会ったか?」


「……一回だけね、公園で」


 そういえば僕は、二回目にミチアキに出会ったことをダイキに話さなかった。


「え、お前そんなこと一言も言ってなかったじゃん?」


 意外にもダイキは話に食いついてきた。僕は上体を起こし、言い訳がましくならないように何でもない風を装う。


「ほら……テストとかあって、忙しかったからさ」


「いやいや、そういう問題か? 抜けがけはずるいぞ」


「抜けがけ……? ダイキはあれと仲良くなりたいのか?」


 本気で不思議がる僕を、ダイキは本気で不思議がった。


「可愛い子とは仲良くしとくのが得だろ? 前から思ってたけど、お前恋愛事に疎すぎやしないか?」


「ほっといてくれ。僕はそういう面倒事が苦手なんだ」


「その割には俺の知らないところで二人で会ってんだろ? ちゃっかりしてるよなあ。羨ましいなあ」


「だからそれは、偶然出会っただけなんだって……それにあの子がお前の自転車盗もうとしたの、もう忘れたのか?」


 顔を顰める僕の肩に手を回したダイキは、僕の耳元で小さく「顔だけなら完全に俺好みだからな」と言って親指を立てた。

 確かにミチアキは世間一般的に可愛いと評価される部類に入る。ただし、黙っていればの話だ。


「……ダイキ、趣味悪いな。やめとけよ、あんな変な子」


「そんなこと言って、お前だってちょっと気になってんだろ? あいつのこと」


 にやけた顔で小脇を突いてくるダイキの手を、僕はメニュー表で叩いた。


「馬鹿言うなよ。さっきから言ってるだろ、僕は興味ない」


 呼び出しボタンを押して、有無を言わせず話を打ち切る。何に苛立っているのか、自分でもよく分からなかった。


「……ふーん? まあ、それならそれでいいけど、さ」


 ダイキは言葉とは裏腹に、含みのある視線を僕に投げかけてくる。僕は気付かないふりをして、注文を取りに来た店員に向き直った。

 店員が厨房に戻るのと同じくしてミチアキが戻って来た。ダイキとのやり取りがあったせいか僕は無性に緊張して、対面するミチアキの顔がまともに見られない。

 俯いてお冷ばかり飲む僕の隣で、ダイキがミチアキに質問を浴びせた。


「で、そろそろ教えてくれない? お前、うちの学校の何年の誰なの?」


「やだ」


「教えてくれないなら、明日片っ端から調べるぞ? いいのか? なあ、俺にだけでもいいからさ、こっそり教えてくれよ」


「調べたいなら、勝手に調べれば? どうせダイキくんには分からないと思うけど」


「そう言うなよ。ヒントだけでも、な?」


 腕組みをしてそっぽを向くミチアキに、ダイキはヘラヘラと締まらない笑みを浮かべながら言い寄る。


「……ナンパかよ」


 陳腐なやり取りに呆れた僕がボソッと呟くと、ミチアキが鼻で笑った。


「こんな可愛い子がいるのに、ナンパもしてくれないカズくんはどうなのよお。それともあれ? カズくんはダイキくんが引っ掛けた女の子のお財布役なの? ここはカズくんの奢りってことでオッケー?」


 メニュー表に手を伸ばし追加で注文しようとするミチアキを慌てて制止し、僕はまた出てきた溜息をこっそり排出する。反論してやりたいはずなのに、何の言葉も出てこない。モヤモヤとした感情だけが腹に溜まって気分が悪い。


「それにしても――えっとなんだっけ? 名前」


「ミチアキ」


「そうそう、ミチアキ。お前、何でよくあの公園に出没すんの? しかも夜に」


「何言ってるの、昼間は学校行ってるもん、遊ぶなら夜しかないじゃん」


「お前、あの辺に住んでんの? 俺ら去年からよくあの公園に行ってるけど、それまで一度も出会ったことないよな?」


「すれ違ってるけど気付いてなかったんじゃないの」


 ミチアキは若干鬱陶しそうな表情で、頬杖をついた。


「そんなはずないと思うけどなあ……カズ、お前はなんか訊くことないのか?」


「え、何、いきなり」


 不意に話を振られて僕は動揺した。スッとミチアキの目線が僕に移る。訊きたいことはたくさんあるけれど、果たしてこの空気のなか何を言えというのか。


「……えっと、その」


 僕が言い淀んでいるうちに、店員が料理を運んできた。一瞬ミチアキが嘆息したような気がしたが、すぐに配膳する店員の影に隠れてしまった。

 ごゆっくりどうぞと言いながら去っていく店員を見送り、さっそくダイキが焼肉定食に箸をつける。

 それほど食欲のわかない僕は、ミチアキの頼んだドリアの湯気が揺らめくのを何とはなしに眺めた。そしてその湯気の奥、ミチアキが能面のような顔をしているのにしばらく経ってから気が付いた。


 明るく無邪気な表情から一転、ミチアキは背筋も凍るような冷たい目で僕を凝視していた。隣のダイキは食事に夢中で、その異変に全く気付く気配がない。

 BGMの有線放送も、も店内のざわめきもどこか遠くに鳴り響いていて、僕は僕とミチアキだけが違う世界線に取り残されたかのような感覚に陥った。

 ミチアキはじっと僕だけを見つめながら、はっきりと、こう言ったのだ。


「――わたし、カレー大嫌いなのよね」


 ミチアキが見ていたのは僕――ではなく、僕が頼んだカレーだったようだ。つられて僕もカレーに視線を落とす。と、同時にそのカレーが皿ごと視界から消えた。


「――え」


 何かを考える暇もなかった。咄嗟に身の危険を察知した本能によって、僕は目を瞑って身構える。直後、熱いものが首から下にかけて降りかかり、僕は息を詰めた。


「おい! 何やってんだミチアキ!」


 ダイキの声に弾かれて、遠くに感じていた周囲の音が一気に耳元に押し寄せてくる。まるで僕らの周りに張っていた結界が解けたかのように、人の喋り声、皿のぶつかる音、入口のベルが鳴る音が混ざり合って僕を現実へと引き戻した。

 恐る恐る見た僕の白いカッターシャツは、胸元を中心にベッタリと茶色いものが付着している。重力に逆らえなかった赤や緑の固形物はソファの上に散乱し、ダイキの方にまで転がっていた。ご飯とルーが別の盛り付けだったことが不幸中の幸いだったと思うしかない。


「……あっつ」


 そんな言葉しか口から出てこなかった。ドリアほどではないがまだ湯気が立っていたカレーは、シャツ越しでも相当の熱を感じる。すぐに拭かないと。そう頭では分かっているのに、身体が動かない。

 ダイキがおしぼりでカレーを落とそうと懸命に拭ってくれているが、そのおしぼりもすぐに茶色に染まる。近くを通りかかった店員に、ダイキが追加のおしぼりを頼んだ。

 立ち尽くしたままだったミチアキは、店員が去った後ようやく空になったカレーの皿を置いた。そして、懐から取り出したくしゃくしゃの千円札をテーブルに投げつけると、「帰る」と低い声で言って店を出ていった。

 出入り口のベルがカランと鳴る。そちらに目もくれずこだまする、店員たちの「ありがとうございましたー」という声が虚しく響いた。


「大丈夫か? カズ」


 追加のおしぼりを全部使っても、シャツの汚れは取れなかった。その頃には目の前に並んだ料理もすっかり冷め切っていて、鮮やかさを失っていた。


「それにしても、あの女なに考えてやがるんだ……」


 突然のミチアキの奇行に圧倒されたのか、ダイキはソファの背もたれにぐったりと背中を預けた。周囲の人間は、全くこちらの出来事に無関心で、和やかに歓談する声がそこかしこに溢れている。空気が沈殿した僕らの席と、周囲との温度差で、僕は胸の奥から冷えていく感覚に襲われた。


――わたし、カレー大嫌いなのよね。


 そう言って僕にカレーを投げつけた時、ミチアキが自分自身を「ミチアキ」と呼ばなかったことに、僕はチクリと違和感を覚えた。

 あの時のミチアキは、一瞬「ミチアキ」という仮面が剥がれたように見えた。

 そして、剥がれた仮面の奥に覗いた、僕を射るように睨みつけるその目に、僕は以前にも出会ったことがある。

 それほど遠い昔の話ではない。

 つい、この前。

 つい、一ヵ月――いや、二ヶ月前。



 桜が散る、中庭の片隅で。





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