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空色レモネード  作者: トウコ
第二章 カレーぶっかけ事件(中辛)
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4.風邪っぴきと誘蛾灯

 実を言うとあの河川敷で、僕はもう一つ、確かな予感を抱いていた。

 もちろんこれも良い方の予感ではない。


 そしてそれは、案の定的中してしまったのだった。




◇  ◇




「だーかーら言ったんだ! 部活は休めって」


「……はい」


「自分の体調管理ぐらいしっかりしろよな。基本中の基本だろ」


「……すみません。反省してます」


 放課後、グラウンドで運動部が練習に励む声を背景に、僕は保健室の硬いベッドの上でダイキに説教されていた。

 僕は風邪を引いた。

 暖かい季節になってきたとはいえ、日が暮れてから川でずぶ濡れになっていれば風邪を引くのは至極当然の結果だ。

 体調の悪さをおして部活に出た僕は、走り込みの最中に校庭で派手にぶっ倒れた。激しい運動に熱を帯びた頭がついていけず、気付いたらぐるりと視界が反転していたのだ。

 保健室で有無を言わさず測らされた体温は、低体温気味の僕にとっては微熱を超える熱さで、呆れたダイキに強制的にベッドに押し込められた次第だ。


 バツの悪さに、僕は布団の端で顔を隠しながら説教を聞いた。ダイキは大きな溜息を吐いてはみ出た僕の髪をグシャグシャと乱した。


「ほんと、馬鹿は風邪を引かないっていうのにな。あれ、嘘だよな」


「……はは」


 僕は笑って濁したが、僕よりずぶ濡れだったダイキがこんなにもピンピンしていることに腹が立った。絶対口に出したりはしないが、もしそれを言ったらダイキはきっと「俺とお前じゃ鍛え方が違うからな」と鼻で笑うだろう。


「今日はもうこのまま帰れ。ひとりで帰れるか? それとも迎え呼ぶか?」


「……いや、少し休んだら自分で帰るよ」


「そうか、じゃあ荷物とってきてやるから寝てろ」


「……うん、悪い。ありがと」


 ダイキの背中を見送ってから、僕は布団に潜り込んで目を閉じた。




 日が暮れて、カラスの鳴き声も遠ざかる中、僕はぼんやりとした頭で帰路についた。

 いつもより重く感じるペダルをゆっくり漕ぎながら、田んぼ道をのろのろと進む。

 眠ったことで少し気分は良くなったが、熱は上がった気がした。頬に当たる風がひんやりとしていて気持ちいい。

 しばらく澄んだ空気を堪能しながら砂利道を抜け、大通りに出る。車通りの多い交差点を渡り狭い路地に入って行くと、右手側に数日前ミチアキと出会った公園が見えてきた。公園の中心にそびえ立つ電灯がちょうど明かりを灯したところだった。


 早く帰って寝なければならないのに、僕は何かに魅かれるように公園に入った。入口で自転車を停め、自転車泥棒に遭わないように二回鍵を確認してから歩き出す。

 定位置のブランコに腰掛けて、緩く漕いだ。

 いつもはダイキが隣にいて、どうでもいいことを言い合っては笑っているけれど、今日は僕ひとりだ。そう自覚した途端、周りの風景が色を失った。


「……帰ろう」


 声に出して呟いて、己の足に行動を促す。

 たった五分の寄り道だった。一体自分が何をしたかったのか、よく分からない。

 モヤモヤした気持ちを抱えながら公園を後にしようとした時、僕はハッとして振り返った。電灯の光がかろうじて届いているジャングルジムの一番上に、見覚えのあるシルエットが佇んでいたのだ。

 不自然に立ち止まった僕の気配を感じ取った人影が、こちらを見下ろしてきた。


「……誰?」


 暗がりでは、僕が誰なのかは分からなかったらしい。やや硬い声が、探るように尋ねた。


「え、と……」


 こういう時に、僕はまったく機転が利かない。

 戸惑いながら正直に自分の名前を名乗ると、声の主はそれを数回反芻した後、ジャングルジムからひょいと舞い降りて来た。


「やあ、カズくん! 久しぶりだね。二日ぶり? 三日ぶりかな? まあ何でもいいや、元気にしてた?」


 相変わらず頭の上で結ばれた髪の毛が、彼女の動きに合わせて飛び跳ねる。


「……元気そうに見える?」


「んー、まったく? どしたの、道に迷った子犬みたいな顔してるよ。ミチアキの元気を分けてあげようか? この辺切り取ってあげようか? あ、それとも、もしかしてこうしてる間にミチアキがカズくんの元気を吸い取っちゃってるのかなあ? そうだったらごめんね。あとで返してあげるから」


 聞いてもないのにミチアキは矢継ぎ早に言葉を投げて寄越した。圧倒された僕は、眩暈を覚えて一歩後ずさる。本当にミチアキに気力を吸い取られているのではないかと疑いたくなった。


「……こんなところで何してるの?」


 僕は回転の鈍い頭から零れ落ちた、他愛のない質問を投げた。


「んー、別に、何も?」


「じゃあ、何でここにいるの?」


「んー、何でだろうね?」


 はぐらかされる。


「……何の答えにもなってないんだけど」


 苛立ちを隠さず、僕は低く呻いた。


「ふふ、だって答える気がないもの」


「何それ、馬鹿にしてるの」


「カズくんは、意外とせっかちだねえ。そんなんじゃ、女の子に嫌われちゃうよ」


「……余計なお世話だ」


 ケラケラと喉を鳴らして笑いながら、ミチアキは器用にくるりと一回転して見せた。


「だってさ、そんな質問なんか、どうでもいいと思わない? 誰がどこで何をしているかってことに、いちいち理由なんか求めてたら疲れちゃうじゃん! ミチアキはここにいる、ここにいるのはミチアキ、もうそれだけでいいと思わない? それ以上の何かって、必要なの?」


「…………」


 いきなりの小難しい話に、熱を帯びた僕の頭はまったくついていけなくて押し黙る。


「あ、だんまりはずるいぞ!」


 ミチアキはほんの少し背の高い僕に向かって手を伸ばし、指先で両頬を引っ張った。


「ほら、笑って! 笑ってれば、世の中なんとかなるから! カズくんは笑顔でいた方がかっこいいよ」


「……いひゃい」


 頬を無理やり抓られたまま、僕は間の抜けた声で抗議する。それを可笑しそうに眺めた後、ミチアキは僕の耳元に吸い寄せられるように顔を近づけ、囁いた。


「それに、カズくんが訊きたいことって、そんなつまらないことじゃないでしょう?」


 一瞬にして総毛立った。

 いきなり核心を突かれて、僕の心臓は跳ね上がる。

 ミチアキから顔を逸らしたかったが、彼女の両手が僕の頬を挟んだまま離さない。


――君は、僕のことを知っているの?


 僕が訊きたいのはただそれだけだということを、ミチアキは確信している。しかし、僕はこの問い掛けに対する答えを彼女の口から聞くのを、心底恐ろしく感じている。

 口が渇いて、喉がひりついて、僕は声が出せなくなった。何だか視界もうっすらぼやけて、汗が吹き出て、息が苦しい。


「――ズくん、カズくん? 大丈夫? 死にそうな顔してるよ」


 気付くと、ミチアキが僕の目を心配そうに覗き込んでいた。僕は浅く息をしながら、どうにか頷き返した。


「それにしてもカズくんのほっぺ、熱くない?」


 ミチアキは訝しがりながら、小さな手でペタペタと僕の頬や額に触れだす。

 ひんやりとした手が、僕の身体に触れる度にその熱を吸収して温度を上げていく。最終的に、僕の首筋に辿り着いた彼女の手は、生ぬるくなってしまっていた。


「うーん、カズくん、もしかして熱ある?」


「……まあ、風邪引いた、というか」


「もしかして、こないだ川で遊んだから?」


「……別に、関係ないよ」


 川遊びが原因だったと認めることはミチアキを責めることになりそうで、僕はぶっきらぼうに否定した。すると、ミチアキはさっきまでの無邪気な笑い方とは別の、含みのある笑みを口元に湛えた。


「……カズくんは、嘘が下手ね。ミチアキとは大違い」


 その表情がミチアキを相応の年齢まで引き戻し、僕はドキリとさせられる。さっきから、僕は彼女に翻弄されてばかりだ。


「残念ながら、さすがに冷えピタは持ってないのです。ミチアキもまだまだ万能じゃないなあ。今度はちゃんと用意しておくね!」


 ミチアキは僕の頭に手を伸ばし、髪の毛を雑に撫でる。人に触れられるのが苦手な僕だけど、不思議とミチアキには嫌悪感を抱かなかった。


「あ。そういえば、手首の怪我はもう治ったの?」


 思い出したようにミチアキが聞いてきた。


「ああ、うん、もう大丈夫……それで、あの、「そう、それはよかった。じゃあ、はい」


 あの時湿布をくれたお礼を言おうとすると、ミチアキはにっこりと笑って片手を差し出してきた。しかしその行動が理解できず、僕は固まる。


「……えっと?」


「湿布代」


 返して。


 ズイッと更に手を突き出され、僕は思わずまた後ずさる。


 言われた言葉の意味が理解できない――いや、単語そのものの意味は分かるのだけれど、何故それを言われたのか分からない。

 混乱しながらも慌てて鞄から財布を出そうとする僕を見て、ミチアキは盛大に噴き出した。


「あはは、冗談に決まってるじゃん!」


「……はあ?」


「カズくんってチョロいねえ」


 なんて言いながら、ミチアキは突き出した手をひらひらと振って八重歯を見せる。


――からかわれた。


 それを理解した途端、馬鹿正直に財布を取ろうと鞄に差し入れた手の存在が無性に恥ずかしくなって、一気に身体が熱くなる。


「やだあ、顔赤くなってるよ。カズくんったら可愛いんだから、もう」


 僕の頬を指先でつつこうとしてくるミチアキの手を、振り払った。


「……ふざけんなよ。そんな冗談言ってからかって、何が楽しんだよ」


「いいじゃん、減るもんじゃないんだし?」


「答えになってない……!」


「そうね。だって、答える意味、ないもの」


 また始まった。ミチアキは、僕の言葉のどれ一つにも真面目に答えてはくれない。

 ミチアキは再度スカートを翻しながら一回転してみせると、まだ火照った僕の顔を上目遣いで見上げた。


「カズくんさ、ちょっと物事に意味を求めすぎじゃあない?」


「……なんだよ、どういう意味だよ、それ」


 ミチアキはしたり顔で言った。



「……ふふ、ほらね。そういうとこってこと」






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