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空色レモネード  作者: トウコ
第一章 自転車泥棒とワルツを
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3.夜の宴は幻のように

 河川敷の周りは既に消灯した住宅ばかりが立ち並び、物音一つしない。

 聞こえるのは、すぐそこから響くミチアキの楽しげな声と、水を弾く音だけ。


「ねえ! カズくんも一緒に遊ぼうよ!」


 教えた覚えもないのに、ミチアキが僕の名前を呼ぶ。

 驚いた僕は慌てて身体を起こしたが、まるで彼氏のようなさり気無さでミチアキの隣に立っているダイキを見て、察した。


「ねえってば!」


 返事をしない僕に痺れを切らしたミチアキは、バシャバシャと音を立てながら川から這い上がってきた。


「あーそーぼーおーよー! カズくーん!」


 ミチアキは僕の右手をとって、引っ張り起こそうと奮闘し始めた。意識して腰を重くした僕は、ミチアキの腕力くらいじゃ立ち上がりはしない。

 しばらく唸りながら僕を引っ張り続けていたミチアキは、一旦力を緩めた。

 諦めたのかと思ったが、そうじゃなかった。


「ダイキくん、手伝って」


「了解」


「おい、ダイキ! お前!」


 一も二もなく差し出されたミチアキの片手をとるダイキに、僕は思わず大声で突っ込んだ。

 これだけ騒いでおいて、今更近所迷惑も何もない。僕はありったけの力を込めて抵抗を図った。


「カズくん! 何が嫌なの! 何でミチアキと遊んでくれないの!」


「嫌とかそういうことじゃなくて…!」


「重いぞカズ! 無駄な抵抗はやめろ」


「ダイキお前ほんと何なんだよ! この単細胞! 脳筋バカ!」


「うう、ダイキくんもっと引っ張って!」


「二対一とか卑怯だ!」


「フレーフレー! ミチアキ! 頑張れ! ミチアキ!」


 終いに、ミチアキは自分で自分を応援し始める。

 もう何が何だか分からない。

 傍から見れば酷く滑稽な絵面だが、僕らは至って真剣だった。

 ダイキがミチアキの手を、ミチアキが僕の手を引き、僕はしゃがんだ姿勢のままズルズルと踝丈の草をなぎ倒しながら引きずられる。

 綱引きのように本格的に腰を落とし始めたミチアキを見て、僕はついに抵抗することを諦めた。

 どうせダイキが加勢した時から、僕の負けは確定している。


「分かった、分かったから引っ張るのやめてくれ……」


 降参して立ち上がったのがいけなかった。

 急に僕一人分の重さがなくなったせいで、全力で僕を引っ張っていたダイキとミチアキは踏みとどまれず、余計身体を傾ける。


「「「あ」」」


 三人の声が綺麗に重なった直後。


――ボチャン。


 暗闇の中、一際大きな水の音が響いた。

 見た目より大分浅い川底目掛けて、僕ら三人は思いっきり身体を突っ込んだ。

 ミチアキが最後までしっかり手を握っていてくれたせいで、僕まで道連れだ。


「……い、てて……」


 水面を揺らした大きな波紋が収まる頃、僕の下で誰かが呻いた――ミチアキだ。

 僕はハッとして勢いよく身体を起こした。水にさらわれて際どい位置にまで捲れたスカートの裾が視界の端に引っかかり、心臓が跳ねた。


「だ、大丈夫……?」


 極力濡れた身体を意識しないようにしながら、僕はミチアキを引っ張り起こした。


「えへへ、ありがと」


 それから、僕とミチアキ二人分の体重を抱えて川底に沈んだダイキに手を差し伸べる。


「ダイキも大丈夫か? 怪我はない?」


 部活の時は、試合中よく転ぶ僕にいつもダイキが手を差し伸べてくれる。今回は珍しく立場が逆転した。

 ダイキは共犯めいた笑みを浮かべて、僕の手をとった。


「カズ、お前もずぶ濡れだなあ」


「これでカズくんも仲間だね! やったね!」


 底抜けに明るい声でミチアキが言いながら、僕の張り付いたカッターシャツに意味もなく水を掛けてくる。

 それに便乗したダイキが今度は僕の顔面目掛けて冷水を叩きつけてきた。辛うじて濡れずに済んでいた顔と頭が容赦なくびしょ濡れにされる。


「……やってくれたな……」


 長めの前髪がピッタリと額に張り付いて、非常に不快だ。


「おう、カズ。水も滴るいい男だなあ」


「カズくんかっこいい!」


 愉快そうにダイキが目を細めるのとほぼ同じぐらいのタイミングで、ダイキにお見舞いしてやる。油断したのか、ダイキも僕と同じように顔面で水を受け止める羽目になった。


「お前、くっそ、何か口に入ったぞ!」


「目には目を、歯には歯を、だ」


「ちょっと、二人だけで楽しまないで! ミチアキもまぜて!」


 ミチアキは仲間外れにされたと思ったのか、頬を膨らませて僕とダイキの間に割り込んできた。

 そのミチアキに、また水しぶきを飛ばすダイキ。

 それを華麗に避けて、全部僕に浴びせては笑うミチアキ――


 気付けば僕は、さっきまで眺めているだけだった舞台に、強引に引きずり込まれていた。

 満月と言う名のスポットライトに照らされながら。




「ところで、カズくん。一つ聞いてもいい?」


 初夏の匂いが近づいているとはいえ、夜風はまだ冷たい。

 濡れた身体が寒さを訴え始めた頃、ミチアキは水滴の滴る腕時計に目を落としながら僕に尋ねた。


「……何?」


「ねえ、カズくんはさ――」


 しかしミチアキの言葉は、不自然にそこで途切れた。

 彼女は何かを思案する顔で、数秒間僕を凝視してきた。

 その表情は、先程までの無邪気な仕草がまるで演技だったかと思うぐらいに、十六歳、年相応の表情だった。

 彼女はやがてゆるく首を振り、


「やっぱりやーめた。また今度言うね! じゃあまたね、カズくん、ダイキくん!」


 と言うやいなや、僕らの返事も待たずに大きく両手を振って、河川敷を駆け上がっていった。

 途中、ダイキの自転車から自分の荷物を持っていくのもちゃんと忘れずに。


 あまりに突然のことに、その後ろ姿を呆然と見送った僕らは、完全にミチアキが見えなくなったところで顔を見合わせた。

 一気に夢から醒めたような気分だった。


「一体何だったんだ? あいつ」


「……さあ。随分頭がおかしい子だったなと思うけど、どこの誰なんだろう」


 だが、その頭がおかしい子と年甲斐もなく水遊びをしてのは、紛れもなく僕らなのだ。遅れてやってきた羞恥心と闘っていると、シャツの裾を絞りながらダイキが妙なことを口走った。


「あれ? お前、あいつと知り合いじゃないのか?」


「……え、何で?」


「いや、だってあいつ、お前の名前知ってたぞ」


「……待って、それはダイキが教えたんじゃないの?」


 ダイキは無言で首を横に振る。

 僕は全身に鳥肌が立って、腕を抱えた。




◇  ◇




 自転車泥棒に出逢った。


 僕史上、最もへんてこで奇妙な出来事は、どうやらそこで括弧閉じ、というわけにはいかないようだ。

 突如現れて嵐の如く去っていった、彼女は一体何者なのか?

 何故僕の名前を知っていたのか?

 そして、一体何を言おうとしたのか?


 残されたのは、解明出来ない謎ばかりだ。


「ねえ、カズくんはさ――」


 その言葉の続きを、今の僕は全く想像出来ない。

 しかし、一つだけ妙に確かな予感があった。


 その言葉の続きが、きっと僕にとって優しい言葉ではないという予感だ。


 夜風が僕の身体から熱を奪っていく。


 僕は一つ、大きなくしゃみをした。





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