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空色レモネード  作者: トウコ
第一章 自転車泥棒とワルツを
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2.謎の少女は突然に

 状況が掴めず、しばらく呆けていた僕の意識を、「あ、俺の自転車!」というダイキの声が現実に引き戻した。

 そうだ、自転車泥棒はどうなった。

 僕が無理やり身体を起こすと、僕の横にちょこんと膝をついて座っていた女の子が大きな目をぐるりと動かして僕の顔を覗き込んできた。


「あ、生きてた」


「いや、あの……」


 突然のことに僕が口籠っていると、彼女は「んー?」と大げさに首を傾げてみせた。

 その仕草を不覚にも少し可愛らしいと思ってしまったけれど、そんな感情吹き飛ぶくらい怖い存在を視認してしまい、僕の顔は引き攣った。


「……おい、自転車泥棒」


 彼女の背後には、般若のような顔をしたダイキ。

「もう逃がさないぞ!」と怒鳴りながら、ダイキは女の子の首根っこを掴んで乱暴に地面に引き倒した。

 どうやらこの子がダイキの自転車を盗んだ張本人らしい。僕は目の前の状況に驚いて、何か言おうと口を開いたけれど、情けないことに一つも言葉が出てこなかった。

 後ろから引っ張られて仰向けに倒れた女の子の上にダイキは跨り、右手を固く握りしめる。


「何で俺の自転車盗んだんだ! 十秒以内に吐け! でないと――」


 十年来の付き合いである僕は、彼の性格を本人以上によく分かっている。

 ダイキはとても素直な人間だ。

 ダイキの素直さは、言い換えれば自身の感情に対して非常に正直であるということだ。


「っ、ばか……!」


 まずい、相手は女の子だ。

 ダイキが握った拳を振り上げるのを見て、僕は咄嗟にダイキを止めるために立ち上がろうとした。


「やめろ、ダイ――いっ、つ!」


 地面についた左手に全体重をかけたその時、手首に鈍い痛みが走り僕は大きく顔を顰めた。

 間抜けな声を上げながら、前方へつんのめるようにして再び地面に沈み込む。反射的に右手で手首を庇うようにすると、指先が触れた箇所に腫れと熱を感じた。


――しまった、捻ったか?


 チカチカと目の裏で明滅した痛みを無理やり追い払って顔を上げると、何故か僕は両者の視線を一身に浴びていた。しかもダイキはまだ右手を振り上げたままだ。

 異様な光景だった。

 まるで舞台の上でスポットライトを浴びていた役者たちが、劇の佳境に差し掛かったところで突然動きを止めて観客席の僕を凝視してくるかのような――


「大丈夫か、カズ」


 ダイキの声が僕の意識を現実に引き戻した。


「……あ、うん、大丈夫……」


 それよりダイキ、その手を一旦降ろそうか。そして、その子の上からどこうか。客観的に見たら今の僕ら、警察に捕まっても文句言えないよ。

 僕がそう宥めると、ダイキは眉間に皺を寄せて逡巡した後、スッと拳をおろした。


「……ああ、もう、なんか一気に冷めたわ」


 脱力したダイキは、少女の隣にドサリと腰を降ろし大袈裟に息を吐いた。

 ダイキは頭に血が昇るのが早い分、熱が冷めるのも早い。取り敢えず婦女暴行事件の加害者にならずに済んだことに、僕は心底安堵した。

 緊張が緩むと、忘れようと押し込んだ痛みが再び舞い戻ってきた。指先で患部を無意識に撫でながら、明日からの生活に出る影響について考えていると、


「それ、見せて」


 四つん這いで近づいてきた女の子が僕の左手首を指さした。


「……それより、君は一体なんなの?」


「そうだよ、お前さ、「いいから見せて」


 ダイキの言葉を遮り、女の子は有無を言わせず僕の手を取る。

 彼女の手は冷たく、熱を持った箇所に触られると気持ちが良かった。彼女は一通り触診しただけでパッと手を離してしまい、僕は少し名残惜しさを感じた。


「うん、大丈夫。多分ただの打撲だね。湿布持ってるからあげるよ、ちょっと待ってて」


 スカートの裾を払いながら彼女が小走りで向かった先は、ダイキの自転車だった。

 その後ろ姿を呆けながら眺めていると、我が物顔でかごに入れた自分の荷物を漁り、小ぶりなポーチを取り出して戻って来た。


「ほらこれ貼って」


 ポーチから湿布を一枚取り出し、僕に差し出す。

 チラリと見えたポーチの中には、絆創膏や消毒液、ガーゼ等がぎっしりと詰まっていた。さながら救急箱のようだ。


「……どうも」


 素直にありがとうとは言えず、僕はぶっきらぼうにそう返した。

 取り敢えずもらったものは使おうと、湿布を手首に巻きつけるようにして貼る。じんわりと冷たさが広がっていく感覚になんだか全てがどうでも良くなりそうだったけれど、それでも目の前の得体の知れない女の子にはいくつか聞かなければならないことがある。


「……それで、」


 しかし意を決して口を開いた僕より、ダイキの方が一歩早かった。


「んで、率直に聞くけど、お前誰だよ? その制服、K高校のだよな? 何年だ? それからさっきも聞いたけど、なんで俺の自転車盗んだ? 答えによってはお前、俺に一発殴られたあとに窃盗で警察行きだからな」


 ダイキは女の子を僕との間に挟む位置に座り、彼女が逃げ出さないようにしてから矢継ぎ早に問い詰めた。ガタイのいいダイキに凄まれ、怯えてしまわないだろうか――なんて僕の懸念はあっさりと杞憂に終わった。

 その子はあっけらかんとした笑顔でこう言ったのだ。


「そんなに知りたいならしょうがないあ。耳をかっぽじってよーく聞いてね!」


「……はい?」


 彼女はスッと立ち上がると、ミュージカル女優のように大袈裟な身振り手振りを交えながら大きな声で自己紹介し始めた。


「えっとまず、なんだっけ、名前? そう、名前ね! ミチアキっていうの。あ、男の子みたいだって思った? 失礼ね、れっきとした女子高生なんだから! ピッチピチの十六歳! 皆々様よろしく! ミチアキ十六歳です!」


 鼓膜が破れるかと思った。それから、自分の頭もおかしくなったかと思った。

 目の前の自称十六歳は恭しく一礼してみせたが、その姿は六歳児のお遊戯のように滑稽だ。


「……もしかしてヤバい奴に関わっちまったかな、俺ら」


「……僕も今、まったく同じことを思ってる」


 耳打ちしてくるダイキに僕はそっと頷いて同意した。

 頭のネジを何本か置き忘れてきたかのような喋り方をする女の子――名前をミチアキというらしい――は、何が面白いのか僕らを見下ろしてひとりニヤニヤしている。

 何か聞けと肩を押してくるダイキに負けて、僕はなるべく優しく切り出した。


「えっと……君はK高校の生徒なんだよね?」


「そうかなー、どうかなー」


「十六ってことは一年生? それとも二年生なのかな」


「うふふ、ナ・イ・ショ」


「おい、ふざけんな」


 煽るような言い方に、ダイキの怒りが再燃する。


「落ち着けダイキ……それで、何で人の自転車を勝手に使ったの」


「あ、それはね――」


 のらりくらりと質問を(かわ)していたミチアキは、スッと目を細めて夜空を見上げた。


「――人のものを盗んでみたかったから、かな」


「っ、てめぇ……!」


 目を血走らせて再び殴りかかろうとするダイキに、ミチアキはパッと表情を明るくさせた。


「やだなあもう、冗談に決まってるじゃん! 公園で遊んでたら急に川を見たくなったからちょーっと借りただけ! ほんとに、すぐ返そうと思ってたんだよー?」


 手のひらをパタパタと振りながら、ミチアキは屈託なく笑う。


「はあ? だから何なんだ? 人のもの勝手に盗んどいてその態度かよ。舐めてんの、お前」


「えー、ミチアキもしかして怒られてる? あはは、怖いなあ。短気は損気だよ。そんな怖い顔してたら、せっかくの男前が台無し!」


 反省の色を全く見せない自転車泥棒ことミチアキ。

 言動こそ低レベルなものの、見た目はクラスメイトの女子たちとそれほど変わりがない。

 特徴的なのは、長い前髪を大雑把に頭上で結んでいることだ。結び方が雑すぎて、髪の毛がお互い別の方角を目指しすぎている。そして、夜風に晒されている主張の激しいつるりとした額。

 しかし、それらに目を瞑れば顔立ちはむしろ整っている方だ。化粧っ気は全くないが、瑞々しい肌に大きな目が印象的だ。

 制服は程よく着崩され、膝より短いスカートからスラリとした足が伸びている。

 総合的評価としては、中の上ぐらいだろうか。


 そんなミチアキに「男前」と言われて、脳の作りが単純なダイキはグラッと来たらしい。見るからに先程までの勢いは萎み、非難する言葉を探しあぐねているようだった。

 もし自転車泥棒がミチアキみたいな華奢な女の子じゃなかったら、容赦なく問い詰めて絞り上げ、最終的に警察に突き出すくらいはするだろうに。


「自転車は後でちゃんと返すからさ、せっかくだし皆で遊ぼうよ!」


「その前に一言俺に謝れよ。な? そのぐらいの常識はあるだろ? そしたらそれでチャラにしてやるから」


 随分と物腰柔らかくなったダイキに、僕はほとほと呆れた。


「オッケー! ミチアキと遊んでくれたらね!」


「うわっ!」


 唐突にミチアキに腕を掴まれ、ダイキは抵抗する間もなく川に引きずり込まれた。

 水が思ったより冷たかったのか、奇声をあげながらミチアキを責める。が、その声がどことなく楽しそうな響きを含んでいるのを、僕は聞き逃さなかった。

 左手首がジンジンと痛む。僕は川べりに腰をおろしたまま、川の中で走り回る二人を眺めた。

 最初こそああでもないこうでもないと言い争っていたが、次第にただの水遊びになっていった。ダイキは自転車を盗んだ仕返しとばかりにミチアキに水を掛け、ミチアキはきゃあきゃあと叫びながら逃げ回っていた。

 何故僕は今、青春の一幕みたいな光景を見せつけられているんだろう。

 またしても僕は、舞台上の彼らを観客席から見つめている錯覚に陥った。


「……はあ」


 僕は大きな溜息を吐いて、草の上に寝転んだ。 

 夜空を見上げてふと気づく。



 そうか、今夜は満月か――





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