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空色レモネード  作者: トウコ
第一章 自転車泥棒とワルツを
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1.それは満月の夜に

 例えば僕が小説の主人公だったとして、僕という人物のことを紹介する文章を書こうとしたとき、きっと作者は大いに頭を抱えるだろう。

 なんだってこんな、平々凡々とした人間を主人公にしてしまったのだろうと、遅々として進まない筆に苛立つに違いない。もしかしたら、あまりにも特徴を捉えられなくて、僕を主人公にすること、それどころか、物語の登場人物にすることすらやめてしまうかもしれない。


 僕は、それほどに何の取り柄もない人生を送ってきた。


 人生を送ってきた――そうは言っても、記憶に残っているのはせいぜい小学生になった頃からだ。それから現在、高校二年生までの約十年で、一体僕は自分の人生の何を語れるというのか。

 生まれた時から数えても、たったの十六年。振り返ってみても、特段語るべきことなど見当たらない。

 きっと、その時々で、色々と心動かされることはあったのだろう。けれど、感情とはその一瞬を彩るサイリウムに過ぎない。時が経てば色褪せたただの棒切れが残るだけで、そこにあった色を正確に思い出すことは非常に困難だ。


 つまり僕が何を言いたいのかというと、僕が小説の主人公だったとしたら、語るに値する出来事が、今、現在進行形で起きている出来事以外にはないということだ。




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 これは、僕の人生において特筆すべき事項だ。赤丸で囲む箇所であり、下手するとテストに出題される範囲かもしれない。

 しかも、自転車泥棒に遭ったという単純に災難な出来事ではない。

 自転車泥棒に()()()()()()()

 極めて非日常的で、特異な出来事だった。




◇  ◇




 時刻は午後八時過ぎ。


 サッカー部に所属する僕と親友のダイキは、いつもと同じ時間に部活動を終えて下校し、通学路の途中にある小さな公園で道草を食っていた。

 新学期が始まって一ヵ月。緊張感漂う桜の季節が散り去って、ようやく新たな教室に居場所を見つけた五月の夜だ。


 帰宅途中、閉店間際のスーパーでお菓子を買って公園で一息をつくのが、部活終わりの僕らの日課になっていた。

 僕の隣で、転落防止バー付きの子供用ブランコ――何故かそこが定位置になっている――に巨体を収めているダイキは、僕と違う味の棒付きアイスを咥えながら、緩慢な動きで地面を蹴っている。


「今日の練習はハードだったなあ」


 口ではそう言いながらも、それほど疲れた様子を見せない。

 それに比べて今日の僕は、酷く疲労を感じていて、そうだね、と返すだけで精一杯だった。


「今度の練習試合に向けて、気合入ってたもんなあ、先輩たち」


「……いくら頑張ったところで、うちみたいな弱小チームが簡単に勝てるわけがないのにな」


「お前はほんと後ろ向きだよなあ、カズ。もっと良い方向に考えろよ。新入部員、結構できそうなのが入ってきてるみたいだぞ。育てれば来年には県大会上位も夢じゃない」


 夢が県大会上位という辺りが僕らの弱小ぶりを語っているとは、口には出さなかった。

 ダイキとは、小学生の時からの腐れ縁だ。同じサッカークラブに入ったのがきっかけで、知り合った。

 ダイキは当時から運動神経が良く活発な性格で、クラブ一番の選手として早いうちからグラウンドを駆け回っていた。一方の僕は、いつも白線の外側から声援を送るだけの万年補欠選手だ。

 今日の練習でも今週末の練習試合のメンバー発表があったが、やはり僕は選ばれなかった。もはや期待もしていないから、残念とさえ思わない。

 僕はどうしたって、白線の内側に踏み入れることができる人間ではないのだ。




 他愛のない話をした後、しばらく無言でブランコを漕いだ。

 ダイキとは会話のない時間が続いても怖くない。ハズレと書かれたアイスの棒を口に突っ込んだまま、僕はぼんやりと公園内を見渡した。

 昼間は子どもたちの声で賑わうのだろうが、この時間帯はしんと静まり返っている。

 公園の中心に立つ電灯の弱々しい光源に、チラチラと虫が寄っては遠ざかる。ギギッと、ブランコの軋む音だけが、僕らを取り巻く。他に人影はない。


 何となく、青春の一幕とはこういうものなのだろうか、という考えがよぎった。が、僕は即座に頭を振って否定した。

 隣に座るのが同じ年頃の女子なら絵にもなるだろうが、窮屈そうに子供用ブランコを漕ぐダイキとでは、三文芝居の一場面にしかならない。


 いや、違うか。


 はたと思い至って、僕はブランコの上で居住まいを正し夜空を見上げた。


――もしかしたら逆なのか。


 今僕の座る場所にいるのが僕じゃなかったら、そこから何かが起きるのか。


「…………」


 瞬間、空気が温度を下げた感覚に襲われた。

 変なことを考えてしまった。公園を包み込む暗闇が、僕の内側も侵し始めたのかもしれない。


「……ダイキ、そろそろ帰ろう」


 そう言いながら公園の入り口に目を向けて、僕は石膏像のように固まってしまった。

 そこに停めておいた僕らの自転車の近くに、人影が一つ。

 遠いのと暗いのでよく見えないが、人影は二台のうちの一台――あれはどっちの自転車だろうか――のハンドルを握り、スタンドを蹴り上げている。


「え、あれ、自転車盗まれている、のか……?」


 僕はダイキの漕いでいたブランコの鎖を咄嗟に掴み、入り口方向を指差して小声で叫んだ。「ああ?」とブランコを急停止させたダイキは、目を眇めて僕の指差す先を見た。


「やっべ、あれ俺のチャリじゃん!」


 両目視力一・五の男は、現状の把握をするやいなやブランコから飛び降り柵を乗り越え、入り口に向かって走り出した。その後を一拍遅れて追いかけながら、そういえばダイキはよく自転車の鍵を掛け忘れることを思い出した。

 案の定、自転車泥棒は鍵の掛かっていないダイキの自転車に狙いを定めていたようだ。


「おい待て! 俺の自転車返せ!」


 自転車泥棒は怒鳴りながら迫り来るダイキに気付いた途端、素早く方向転換をして自転車に跨った。そして、そのまま颯爽と公園を出て行ってしまった。


「おいおいマジかよ! 追いかけるぞ、カズ!」


 ダイキは叫びながら自分の荷物を投げて寄越した。


「う、うん」


 僕は自分の荷物と受け取ったダイキの鞄を前かごに押し込み、急いで鍵を開けて自転車に乗った。

 後ろにダイキが乗るのかと思ったが、ダイキは既に自転車泥棒の後を追いかけて走っている。部活で鍛えているとはいえ、果たして自力で自転車に追いつけるのだろうか。

 僕はめいっぱいの力でペダルを踏み込む。さすが文明の利器、すぐにダイキのもとまで辿り着いた。

 しかし自転車泥棒はそのまた先の先を走っている。住宅街の狭い道路を抜け、河川敷に向かってスピードを緩めずに進んでいく。

 外灯の少ない暗い道路を抜け、川沿いの道に出ると、月明かりが前方の自転車泥棒の姿を照らし出した。


「あれ、うちの、学校の、制服、か?」


 隣を並走するダイキが、途切れた息とともに僕にそう問いかけてくる。


「あ、ほんとだ」


 僕はかごに押し込まれた二人分の荷物が滑り落ちないか気にしながら、残り半分の意識を大分距離が縮まってきた自転車泥棒に向けた。

 まず、髪が長いように見えるので、犯人の性別は多分女だ。

 そして、夜風に揺れるブレザーとスカート。

 この辺の学校でセーラーではなくブレザーを採用しているのは、確かうちの学校だけだったはず。女装癖のある変質者とかでなければ、逃走中の犯人はうちの学校の女子生徒ということになる。


――だけど、一体、誰が何のために?


 前方を走る自転車泥棒がちょうど橋に差し掛かった時だった。

 僕は視界の左端から何か黒い物体が飛び出してきたのを捉えた。意識を遠方の自転車泥棒に集中していたせいで、咄嗟に自分の足元の状況を把握する余裕がない。

 僕は無意識にハンドルを右に切った。

 まるでスローモーションのように自分と自転車が傾いていくのを感じながら、飛び出してきたのは暗闇に目を光らせた黒猫だったことを理解した。

 声を上げる暇もなく、僕は右隣を走っていたダイキを巻き込み、自転車ごと河川敷を転げ落ちた。身体のあちこちを地面にぶつけ、何回転かしながら、僕らは川に落ちる一歩手前でようやく停止した。


「――いっ、てぇ……」


 しばらく静寂が続いた後、頭上でダイキの呻き声が聞こえた。僕は目だけ動かしてその声の出処を確認する。

 僕よりも川に近いところで、ダイキは頭を摩りながら身体を起こしていた。大した怪我はなさそうだ。皺になった制服に草の切れ端をたくさんくっつけながら、ダイキは僕の方へ寄ってきて、僕の上に倒れたままだった自転車を引き上げてくれた。


「大丈夫か? カズ」


「……何とか」


 そう答えはしたが、正直身体のいたるところが痛む。

 上体を起こすのが億劫で、僕は寝転んだまま空を見上げた――はずだった。



「おーい、生きてる? 死んでる?」



 何故か視界いっぱいに広がったのは夜空の星々ではなく、




「――――――誰?」



 見知らぬ女の子の顔だった。





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