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空色レモネード  作者: トウコ
番外編 夏休みの思い出
16/17

2.初体験の連続

 入り口でチケットを見せてゲートを潜り抜け、ようやく僕らはスタート地点に立った。

 ゲートの内側では、同じタイミングで入場した他の客たちが立ち止まり、園内マップを片手に行き先を思案している。

 事前に下調べはしているが、僕は彼らに倣って貰ったばかりのマップを広げた。

 都会のテーマパークには及ばないが、ローカル遊園地にしては乗り物のラインナップは意外と充実している。定番の観覧車やジェットコースター、メリーゴーランド以外にも、ガンシューティングゲームや、水上ボートもある。

 アトラクションの他には、キャラクターたちによるショーやパレード、園内を巡って謎解きをするゲームなどが行われている。敷地内にはピクニックや運動を楽しめる公園も併設されていて、小さな子ども連れの家族も一日楽しめるようになっているみたいだ。


「じゃあ、どこから――」


 言いかけた僕の手から、ミチアキがマップを取り上げた。


「そんなの決まってるでしょ!」


 ミチアキは遠くに見える巨大なアトラクションをビシッと指さす。


「一番最初はあれ!」


 指の先を辿ると、複雑に交錯したレールの一番高いところから、今まさにトロッコが滑り落ちようとしているところだった。じりじりと少しずつ車体が傾き、限界まで前輪が進んだところで一気に走り出す。遠くからでも絶叫がよく聞こえた。


「……あれ?」


「そう、あれ! 絶対あれから乗るの!」


 トロッコは軽々しく天地をひっくり返しながら、猛スピードでレールの上を走り抜けていく。ミチアキの手から取り戻したマップの説明書きによれば、県内随一の高低差とスピードを誇るジェットコースターであり、更に途中のトンネル内では暗闇の中、水飛沫がかかるのが特徴的だという。


「…………」


「早く行こう! 人気だからたくさん並んでるかも!」


 そう促されても、僕の足はなかなかその場から動こうとはしなかった。


「カズくん? どうしたの? 行かないの?」


 一向に歩き出そうとしない僕に、ミチアキは首を傾げる。が、すぐに合点がいったというように、ニヤリと笑った。


「もしかして――カズくん、絶叫系苦手なの? そうなんでしょ?」


「……そんなことない」


 僕は目を泳がせながら咄嗟に嘘を吐く。


「ウソ」


 そして秒で看破される。


「絶対乗りたくないって顔してるもん。まったく、お子様だなあ、カズくんは。どーしても嫌だっていうなら、ミチアキはメリーゴーランドでもいいけど? 本物のお子様たちと一緒にお馬さんに乗る?」


 ミチアキは見透かしたような目で僕を覗き込んだ。

 まさかこんな究極の選択を迫られることになるとは想定外だ。

 満野は遊園地に行くのが初めてだと言っていた。だから、当日は心理的なハードルが低いアトラクションをおススメしようと思っていたのだ。それにもし満野がジェットコースターに乗りたいと言い出しても、絶叫系が得意なダイキと二人で乗って貰えばいいと、数時間前まではそう悠長に構えていた。

 つまり僕は、自分がジェットコースターに乗る可能性を一切考慮していなかったのだ。


「――さて、どうする? カズくん」


 ミチアキは楽しそうに、僕の返事を待つ。

 正直、高いのも、暗いのも、速いのも好きじゃない。

 どうしてわざわざ怖い思いをしてまで、あんなスピードで高所から突き落とされないといけないのか、理解に苦しむ。

 だけど、せっかく一緒に遊びに来たのに、最初から別行動というのもどうなのだろう。

 僕が断ったら、「じゃあ一人で乗ってくる」と言い出しかねない。ミチアキなら絶対にそう言うはずだ。


「……分かった。行こう」


 意を決してそう言うと、ミチアキは、


「よっ、カズくん男前! そう来なくっちゃ!」


 と、テンション高めにはしゃぎながら、乗り場に向かって走り出した。




◇  ◇




 乗り場の前には、数十人の客が列を作って待っていた。

 表示されている待ち時間は約三十分。さすがは一番人気のアトラクションだ。

 最後尾に並んで、順番が来るのを待つ。心の準備をする時間があることが救いのような気もしたし、地獄のような気もした。

 数人前に並んでいる、身長制限ギリギリぐらいの子どもたちが、今か今かとじれったそうに首を伸ばしている。僕は一生順番がこないでくれ、と願った。

 だがその願いも虚しく、とうとうその時はやってきた。

 空になったトロッコが目の前に停車する。通路の柵が自動で開き、自分の番を待ちわびていた子どもたちが、大はしゃぎでトロッコに乗車していく。

 ミチアキに促され、僕も恐る恐る席に座った。途端、爽やかな笑顔を浮かべたスタッフの手によって、容赦なくがっちりとベルトを締められる。この時点で既に、気が遠くなりそうだった。


「――カズくん、大丈夫?」


 隣のミチアキが小声で尋ねてくるが、今更もう引き返せない。僕は前だけを見ながら何とか頷いてみせた。

 両手を振るスタッフに見送られ、ゆっくりと車輪が動き出す。白い光に満ちた出口に向かって、気味が悪いほどゆっくりとレールの上を進む。

 もう止められない。

 僕はごくりと唾を飲み込んで、目を瞑った。



 その後のことはあまり記憶がない。



 覚えているのは、隣から聞こえたミチアキの楽しそうな叫び声だけだ。自分も同じように叫んでいたのかどうかさえ覚えていない。トンネル内で水飛沫がかかったことも、戻ってきて濡れたシャツを見るまでは気付かなかった。


「ほら、カズくん。降りるよー」


 軽く放心状態に陥っているうちに、トロッコは元の乗り場に戻り、シートベルトも外されていた。他の席の乗客たちは満足そうな顔をしてさっさとトロッコを降りていく。僕は覚束ない足取りで、どうにか出口に向かって歩いた。

 外に出て強烈な日光を浴びた途端、縦横無尽にシェイクされた胃の中から何かがせり上がってきそうになる。


「……うう」


 僕は思わず口を押え、出口のすぐ横に設置されたベンチに倒れ込むように座った。

 僕の後をのんびりと着いてきたミチアキは、呆れたように言った。


「ほんとに絶叫系が苦手なんだねえ、カズくん。ずっと目瞑って、手摺に掴まって、下向いて我慢してたでしょ? それより大声出して叫んでた方がよっぽど楽だし楽しいのに。もったいないなあ、景色もすっごく綺麗だったのに。ねえ、もっかい乗ろっか?」


「……絶対嫌だ」


「あはは、冗談だよ」


 隣に腰をおろしたミチアキは、園内マップを広げだした。

 僕はいまだ不安定で定まらない視界から逃れるように目を閉じる。それでも、夏の強い日差しは瞼越しに突き刺さる。腕で目元を覆ってようやく、眩しさが遠ざかった。

 ミチアキが上機嫌で鼻歌を歌い始めた。どこかで聴いたことがあるような、懐かしいメロディ。サビの部分なのか、同じところばかりを繰り返している。そのメロディに集中していると、段々と気分が落ち着いてきた。

 そのまましばらく、ベンチに背中を預けながら周囲の音に耳を澄ませた。

 往来を行き交う人々の笑い声、足音。

 そこかしこのスピーカーから流れる、陽気な音楽。

 頭上から定期的に降って来る悲鳴。

 今更ながら、ここが遊園地だということを実感する。

 夏休み、友達と遊園地に遊びに行くという非日常。

 今まさにその非日常を、体験している。そのことに、何だか僕は少しくすぐったい気持ちになった。

 目元を覆っていた腕を外し、隣のミチアキに目をやる。ミチアキは中途半端なところで鼻歌をやめた。


「お? 復活?」


「……何とか」


「じゃあ次、どこに行きたいかカズくん決めてよ。一番はミチアキに譲って貰ったからね、次はカズくんの番」


 ミチアキはマップを僕に寄越すと、ベンチから立ち上がった。


「飲み物買ってくるから、その間に決めておいてね!」


 それだけ言うと、返事も聞かずにミチアキは人混みに消える。

 僕は皺くちゃになったマップを畳み直しながら、次の行き先について考えを巡らせた。

 この遊園地にある絶叫系のアトラクションは、あのジェットコースターだけ。後はもう、どの乗り物を選択しても大丈夫だ。ここから一番近いところには、水上アトラクションがある。この暑さなら多少濡れてもすぐに乾くだろうし、次はここを提案してみようか。

 既に乾いたシャツを見下ろしながら、ふと過った不安。


「……二回目は、流石に無いよな……?」


 さっきは冗談だと言っていたが、ミチアキの気分はいとも簡単に変わる。忘れた頃になって、無邪気におかわりを要求してくる可能性はゼロではない。それだけは何としてでも避けなくては。もう一度あのジェットコースターに乗るのは死んでも御免だ。


 遠くで一際大きな音楽が鳴り響き始めた。時間的にキャラクターによるパレードが始まったようだ。そちらに人が流れているのか、目の前の通りを歩く人の数がいつの間にかまばらになっている。

 ミチアキはまだ帰って来ない。自販機なんてどこにでもありそうなのに、一体どこまで行っているのだろう。

 道に迷っているのだろうか。もしかして、誰かに絡まれているのだろうか。

 僕は少々心配になって、閑散とした通りにミチアキの姿を探した。だが、どこにもそれらしき影は見当たらない。

 ミチアキを探しに行こうか――再び手元のマップに目を落としたその時。


「――ねえ、お兄さん、ひとり?」


 頭上から知らない声がした。

 驚いて顔を上げると、女の人が一人、目の前に立っていた。全く見覚えのない顔だ。

 その人は、パステルカラーのワンピースに薄いニットのカーディガンを羽織っていた。肩より長い艶のある髪が、微かに吹いた風に靡いている。

 学生のようにも見えるが、服装と化粧の魔法で実年齢は不明だ。そもそも僕は、女の人の年齢を推測する能力が著しく低い。目の前の人が年上なのか年下なのか判別もつかなかったが、多分、問題はそこではない。

 その人は薄ピンクに色づいた唇を持ち上げて、綺麗に微笑んだ。


「こんなとこで、何してんの?」


「……え」


 状況が理解できない僕は、みっともないぐらい狼狽えた。無意識に手元のマップを握り締める。


「ねえ、お兄さんさ、よかったらわたしと遊ばない?」


「……あ、えっと」


「退屈してたんだよね、ひとりで。だから一緒に遊んでくれる人、探してたんだ。ね、いいでしょ?」


 その人は僕の隣に遠慮なく座ると、これまた遠慮なく僕の腕を取った。光沢のある爪を乗せた細くて白い指が、僕の腕に絡みつく。


「――――」


「わたしと、楽しいこと、しようよ――ね?」


 擦り付けるように身体を寄せながら、その人は上目遣いに僕を見た。潤んだ瞳が、僕を捉えて離さない。息がかかるほどぴったりと密着されて暑いはずなのに、鳥肌が立った。

 頭が真っ白になった僕は、何も言えないまま硬直してしまった。その人は余裕の笑みを浮かべる。


「ヤダ、そんなに怯えた顔しないでよ。大丈夫、楽しいことしかしないから。怖いことなんて、何もないよ」


「……あ、の」


 喉がカラカラに乾いて、声が出ない。口をパクパクさせるだけで、何も言葉が出てこない。

 一体全体、どういう状況なんだこれは。

 頭の中は大混乱するばかりで、一つも解決策を提示してはくれない。「ほら、行こう?」と強引に腕を引っ張られるまま腰を浮かせた時だった。



「――ちょっとお、うちのカズくんに何の用?」



 聞き慣れた、少し間延びしたような声。その声がした途端、強ばっていた身体から力が抜けていくのを感じた。

 いつの間にか、ベンチの前にミチアキが仁王立ちしていた。今日は結んでいないが、頭のてっぺんで無造作に結ばれて飛び跳ねる髪の幻影が、一瞬見えた気がした。


「なあんだ。彼女いるなら早くそう言ってよね。時間無駄にしたわ」


 その人は光の速さで僕に対する興味を捨て、醒めた顔でそう吐き捨てた。その変わり身の早さに驚くよりも先に、その人はさっさとベンチから立ち去って行く。

 呆然としていると、ミチアキはその後ろ姿に向かって手で追い払うような仕草をしてから僕に向かって眉を吊り上げた。


「こら、カズくん! なに勝手にナンパされてんの? ミチアキというものがありながら、他の女に目移りなんてサイテー。もしここにいるのがアキちゃんだったら、もう二度とカズくんと口利かないって言うレベル」


「……あれ、ナンパだったのか」


「はあ? 何だと思ってたの?」


「……いや、何か、急だったからよく分からなくて」


 ミチアキはこれ見よがしに大袈裟な溜息を吐いて、僕の隣に腰をおろした。


「カズくんさあ、あんまりぼんやりしてたら駄目だよ? そんなんじゃいつかアキちゃんに愛想つかされちゃうよ? どうせさっきも、気を抜いてぼーっとしてたんでしょ?」


「……ぼーっとしてたわけじゃない」


「じゃあ、何してたの?」


「……考え事、とか」


「何考えてたの?」


「…………」


 黙ってやり過ごそうかと思ったが、ミチアキの視線がそれを許さない。観念して、僕は素直に白状した。


「……帰って来るのが遅いから、道に迷ってないかとか、誰かに絡まれてないかとか、迎えに行った方がいいかな、とか……」


 ミチアキは芝居がかった仕草で額に手を当てて、やれやれといった風に首を振った。


「人の心配して自分が絡まれるなんて目も当てられないよ、カズくん……」


「……五月蠅いな」


 得体の知れない敗北感に、僕はそっぽを向く。隣から、ケラケラと笑い声がした。


「うりゃっ!」


「うわっ、冷た……」


 ミチアキ側に向いた頬に、変な掛け声とともに何かが押し付けられた。その冷たさに、反射的に身を竦める。


「はい、レモネード」


 受け取ったペットボトルは、既に表面に汗をかいている。ポタポタとシャツの上に滴り落ちる水滴に慌てる僕を横目に、ミチアキは悠々と自分の分のキャップを開ける。


「んー! 酸っぱい! 美味しい!」


 喉を鳴らして一気に半分ほど飲んだあと、ミチアキは元気いっぱいに感想を述べた。それからペットボトルをベンチの上に置くと、僕の方を向いて「じゃ、次はどこに行こうか?」と尋ねる。

 ナンパに怒っていたかと思えば、急にレモネードを飲み始めて、ケロッとした顔で次の行き先を訊いてくる。

 ミチアキの自由気ままな振る舞いに、僕はすっかり気が抜けてしまった。今になってようやく、自分が無意識に緊張していたことに気付かされた。

 僕は滑る手で何度かキャップを回す。

 ようやく開いたペットボトルに口をつけて、一口、二口、冷たいレモネードを飲んだ。


 酸っぱくて、少し甘い、爽やかな味がした。







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