一
横断歩道を若い夫婦が子供をそれぞれ抱っこして渡っている。
何か楽しいことがあったのか、笑いながら。
信号待ちの車の中、博一はその家族を目だけで追った。
何の感慨も浮かばず、夕暮れの長い初夏の風が開けた窓からただ博一の前髪を揺らすだけだ。
信号が青に変わり、ゆっくりとアクセルを踏み込む。
明日は休みなのでコンビニへ立ち寄り飲み物を買い込んだ。
精算を済ませ、店から出ようとすると博一と同じ年頃の男女が手をつないで行く手を阻む。
二対一とか数が多い方が優勢でもないのに一人という引け目を感じ、博一が道を譲った。
つないだ手を離すことはない、と諦めたのだ。
車に乗り込んで少し息を吐く。
自宅に戻ると両親がリビングでテレビを観ながら笑っている。
母親が博一の帰宅に気づき、夕飯の支度をするべくテレビから目線を外さないまま立ち上がった。
博一は買ってきた飲み物を冷蔵庫に仕舞い、洗面所へ向かう。
手を石鹸で念入りに洗う。
たっぷり三分は泡で両手をこする。
やっと水で石鹸を洗い流しタオルで手を拭きながらふと鏡にうつる自分と目が合った。
気難しそうな鋭い目線が自分でもうんざりする。
母親の用意してくれた夕飯を腹一杯食べて、博一は自室に引き上げた。
隣の弟の部屋からは何やら話し声が聞こえる。
最近できた同じ大学の彼女と電話でもしているのだろう、嬉しそうな雰囲気が伝わってきた。
博一はマットレスに身を投げ出し天井をしばらく見つめる。
「……風呂でもはいるか……」
独り言を呟き、起き上がった。
湯船に浸かりながらぼうっと立ち昇る湯気を眺める。
痩せた長い手足、脇腹に手を這わせると肋骨が皮膚のすぐ下にでこぼことあった。
今日も疲れた。
明日は休みだから、やりかけのゲームを進めよう。
朝はゆっくり寝て、夕方からバイクで流してもいい。
両手で湯をすくい上げ顔を洗う。
日々の楽しみはある。
友達はいないが弟とたまに外出するし、面白い映画やアニメ、ゲームにバイクがある。
貯金も密かな楽しみだ。
仕事もバイトだが、家が自営業なので最後には後を継げばいい。
両親も期待はしていないだろうが、博一の現状に内心ではそう思っているに違いない。
24歳の博一は焦ってはいない。
時々、不調に陥る心身に何もかもどうでもよくなるけれど、それは自分の仕様なのだから、付き合うしかないのだ。
風呂上がり、自室でタブレットを使い動画を観る。
どこかの国のミサイル動画や、ゲームの実況動画、関連性のない無作為なラインナップで2時間があっという間に潰れた。
次はゲーム機を起動させる。
死にゲーなので集中力をなるべく高め、没頭できる。
なんとか目星をつけていた所までたどり着き、長い瞬きを終えると時計が午前4時を指していた。
そこからぐったりと眠って、起きると昼過ぎだった。
澱んだ部屋の空気を追い出そうと窓を開ける。
空がだいぶ青い。
梅雨はすっかり明けたようだ。
ノロノロと風呂場へ行き、サッとシャワーを浴びる。
濡れた頭を拭きながら冷蔵庫の中を物色するが、すぐに食べられそうな物はなかった。
野菜室からキュウリを一本取り、流しで洗いそのままかじる。
キュウリをかじりながらリビングへ移動し、窓からせまい庭を見るともなしに眺める。
母親が随分前に飽きた寄せ植えの残骸が、庭の隅に放置されていた。
「ひろくん」
声がして博一が振り向くと弟が真後ろに立っていた。
「っだよ!びっくりしたぁ!」