後編 -悪党が泣くな-
人界と魔界が重なり幾星霜。たった一つの濁った大地を舞台にした果てない闘争の末、両世界の住人はやっと、一つの落としどころに着地した。
昼夜逆転の支配権と相互不干渉。
昼の間は人間が、夜の間は魔族が、世界の支配者として君臨する。昼は人間の法律があり、夜は魔族の道理が法となる。
昼の世界と夜の世界は互いに干渉しない。踏み込まない。昼と夜は隔絶された『異邦』なのだ。
昼間に魔族を殺しても罪には問われない。『昼間に魔族はいない』から。
夜間に人間を殺しても罪には問われない。『夜間に人間はいない』から。
中絶と同じだ。生まれてもいない人間を殺しても罪には問われない。理屈としてはそういうこと。
存在しないはずの『異邦人』には何をしてもいい。理屈としてはそういうこと。
だから夜の間、人間は強固なシェルターに籠っているのだし、昼の間、命がけで魔族は人間に擬態して生活している。
だから、本来なら、夜の世界が人間を売り買いしたって問題はないはずなのだ。
だから。彼らの怒りは、至極まっとうな反応だと言えた。
クソ! クソ! クソッタレが!
あのメス犬! 穴っぽこのクソまんこの分際で俺の腕をズタボロにしやがって!
ちくしょう痛え血が止まらねえ! あいつの魔力の残りカスが傷口にこびり付いてるせいで再生が始まらねえんだ!
くそくそくそ。ありえねえよありえねえだろ。人間を攫って売ってたまに食って楽な仕事だったじゃねえか。夜の世界じゃ人間は『いないもの』として扱われるんじゃねえのか。いくら攫って犯して殺して食っても罪にならないそうじゃなかったのかよそうだったろ今までは! 不干渉だろうが昼と夜は! 人間と魔族は! 守れよ決まりぐらい守れ。俺がなにしたってんだよなにも悪いことしてねえだろう。ぶち殺す。ただじゃ殺さねえぞ。殺してくださいって懇願するまで責め抜いてから放置してやる。目玉くり抜いてできた穴に突っ込むのが好きなド変態を呼んでやる。豚の糞を食わせてやる。殴って殴って殴ってから殴って殴って殴って殴ってやる! 切って潰して焼いて溶かして炙って削って叩いて絞めて腐らせてから酒にして飲んでやる! よ~しよし。警察のボケどもの包囲網からは大分離れた。あとは廃墟の影に紛れてアジトまで一直線だ。震えろメス犬! テメエの人生は今日で終わりだ!
「悪そうなこと考えてる臭いがするなあ」
臭う。私の魔力の残り香の臭いと、豚のゲロに似た外道の臭いが混ぜ合った悪臭。
楽な追跡だ。欠伸が出そう。臭いを辿って路地を駆ければ、ほーらいた。目当ての外道オーガ。
視界に入れると急に臭いが濃くなった気がして、
「悪そうなこと考えてる臭いがするなあ」
「……メス犬ゥ」
なんだクソ外道。
「あんたには二つの選択肢がある。大人しく私にボコられて捕まるか、抵抗して私にぶっ殺されるか。
個人的には断然後者をお勧め。ていうか抵抗しろ」
「ざけんじゃねえ! 俺がなにしたってんだ! 人間を拉致って、それがなんだってんだ! 悪いことなんざなにもしちゃいねえ! 今は夜だぞわかってんのか? 善良な一市民を殺したとなりゃあ、うちの長老が黙っちゃいねえぞ!」
「魔族会議のこと? それを言うなら穏健派は『相互不干渉を破ったお前が悪い』、とか言うと思うけど。けどさ、そっちは問題ないんだよね。私たちは、ちゃんと法令に則って職務を遂行してる」
「ああ? 法令ってなんだよ? 無いものを食っちゃあいけませんってか?」
「なにって、決まってんじゃん」
「不法侵入」
「………………あ?」
「あのビルさ、あんたのもの? 違うっしょ? 許可取った? あんなでもさ、ちゃんといるからね。土地所有者」
「……うそだろおい」
「ホントホント。あそこさ、中型魔族用のマンションなんだって。持ち主はサキュバスのおばあさん。今はちょ~っと管理が疎かになってるけど。
住居侵入罪、公務執行妨害、あと駐禁ね。あの道路、駐停車禁止だから。相互不干渉なんて謳っててもさ、法律とかは、昼も夜もそう変わらないのって面白いと思わない?」
オーガは愕然とした表情で呻く。
「そんな、そんなんで、おま、ありえねえだろ、ここまでするかよ」
血まみれの腕を主張されてもね。
自業自得。以上。
「まーぶっちゃけ別件逮捕ってやつよ。人間の誘拐、人身売買じゃ、ぶち込むことはできないから。あんたの言う通り、人間を食べたってお咎めなしなのが夜の世界だ。
けどね、天が許してもヒトは許さない。
本当はあんたらの組織と、取引相手、両方いっぺんに挙げようと思ってたんだけど……あー、諸般の事情で、クソオーガを先に片付けることにしました。顧客名簿と帳簿さえあれば、あとはどうとでもなるし。そんなわけだから、ごめんね」
舌を出して謝罪すると、オーガはもう、見る間に頭へ血が上った様子。血管が浮き出てる。
「さ~て。命乞いでもしてみる?」
「ざけんなメス犬が! 糞穴にしょんべん引っかけて犯すぞコラア!」
「あっそう。しないのね。じゃあ」
ニヤリと笑みが零れた。
「どんだけやせ我慢できるか試してやるよ」
一瞬で踏み込み押し倒す。マウントポジションの格好。殴る側と殴られる側が明白な体勢。
一発。牙が折れた。
「うごっ!」
二発。鼻が潰れた。
「かへ!」
三発四発五発。顔の原型がご臨終。
「ごっまっ!」
六七八九十! オラオラまだまだいくぞー!
「けぺっ、や、ぶっ、ごえ、たった、ぶちゅ、たちゅ、おごっ――」
「あははははははははははははははははは!」
聞こえない聞こえない! はっきり言わないと聞こえないぞ!
タコ殴り。私は思うままにオーガの顔を殴りつけ、もう殴る場所がなくなるくらいグッチャグチャに叩いて潰す。
オーガはみっともなく涙を流して命乞いの素振り。
情けないなおい。男の子の爪の垢を煎じて飲ませたい。流し込みたい。
こいつらがそうであったように、私にとっても、この光景は見慣れたものだ。毅然とあれば、あるいは隙もできたかもしれないのに。
「ワオーーーーーーーーーーーーーン!」
あー。いーい気分。この時のためにお巡りやってるとこあるよ。
気持ちよく遠吠えしてスッキリした私は、いくらか優しい手つきで、犯罪者の鎮圧を再開した。
速報です。先日から行方不明になっていた藤原幸喜君が無事保護されました。命に別状はないとのことです。
――それでは全国のお天気を見てみましょう。気象予報士の大賀さん、お願いします。
オーガのタタキを二つ作った翌日の朝。
「やってくれたなお前たち」
所長室に入室すると、開口一番、ヅラ所長から静かな怒声を浴びせられた。
「命令違反、独断専行、器物破損に容疑者への過剰な暴力」
「やり過ぎですか?」
「過ぎの過ぎだ。やり過ぎ過ぎだ」
やっべえ、怒り心頭で所長がバグってる。謝っとこう。
「すんません。楽しかったです」
「そうかそうか。それは結構。では気持ちよく辞表を書いてもらえるな?」
あー。やっぱそうなるか。
「私だけでもなんとかなんねーっすか?」
「逆だ大馬鹿者。お前だけは何が何でも辞めてもらう」
「その口ぶりですと、自分にはまだ望みがありそうに聞こえますが」
とクソ眼鏡。
「お前は、まあそうだな。考えてやらんこともない」
「えー! ずっこい! 私がアウトならクソ眼鏡もアウトでしょーよ!」
「だまらっしゃい! 問題児と優等生が同列に扱われると思うな。宣言するぞ、俺は普段の素行を鑑みて沙汰を下すに抵抗はない。相当数の減免嘆願書も届いている事だしな」
「嘆願書? クソ眼鏡に? うっそだー!」
なんでなんで? こいつってば意地悪だし、偉そうだし、顔は正直なとこドストライクだけど、特別色男ってツラでもなし。
気は利くけど普段は案外抜けてるとこあって、非番の日なんて公園で日向ぼっこするような朴念仁だぞ。
あれか? お日様の匂いがするのがいいのか? わかるけども! それ以上に欠点が致命傷だろうが!
そもそもこいつが優等生だあ? 騙されてるぞ所長。私にGOサインを出したのはクソ眼鏡だかんな。
「お前はもう黙れ! そして辞表を書いてこい!」
「はいはいそうですか! お世話になりました! あとヅラがずれてますよ!」
サッと頭に手を伸ばす所長を尻目に、私は大股で所長室を後にした。
伸び放題に伸び散らかした髪が、吹き付ける風に巻かれて鬱陶しい。バッサリ切ってしまいたいけど、ママとの約束があるからどうにもできない。第一今は、髪なんかに構っている暇はないのだ。
「あー。どうすっかなー」
署の屋上でほねっこかみかみ(魔族用五百円)を齧りながら、私は頭を抱えてしまう。
無職。恐ろしい二文字だ。地球上で最凶の二文字だと思う。
資格なし。中学卒業と同時に人魔捜査官になったから教養もない。頼みの綱は十七歳という若さだけ。
風俗なんて嫌だし、実家に帰るなんてもっと嫌だ。どうにかして食い扶持を稼がないと、クソオーガの後輩になっちまうぞ。
裏の世界でアウトロー生活。最悪だ。ちょっと面白そうとか思ってしまうあたり最悪。
どうするか。……どうしよう。
「どうする気だ?」
「……うるせークソ眼鏡には関係ねーだろ」
のっそりやってきた相棒(解消予定)。
愛想が悪い? しったこっちゃない。もう他人になる相手だ。
明後日の方を向いていると、クソ眼鏡は言った。
「名簿の中身は確認したか?」
「ああ、流し見程度だけど」
「ならば帳簿も?」
「あー……仕入れ先の話か」
そもそもがおかしな話だ。
男の子は夜をやり過ごすためにシェルターへ避難していた。大勢の人間が避難しているシェルターへ。
そんなところにオーガが忍び込めるか? 誰にも気付かれず連れ出せるのか?
不可能だ。内部の手引きがなければ、不可能なんだ。
「人間が人間を売り払う。反吐が出るぜ。ましてやそれを、遊ぶ金欲しさに実の母親がやるだなんてな」
帳簿にははっきりと書いてあった。男の子の母親に金を払ったと。繁華街で遊ぶために金が必要だと。
目を離したすきに? 馬鹿言ってんじゃねえ、テメエが外に連れ出したんだ。人食い鬼に我が子を売り払ったクソ外道、それが――
「事件発覚時、母親は泣いていたそうだ」
「そうかい。自分のために泣いちゃいけない、子供にそんな素敵な教育をする母親だ。きっと大切な人のための涙なんだろ」
泣くなよ。悪党が泣くな。人間らしい反応なんてするな。
ああ、本当に反吐が出る。
「はっ、まあ私には関係ないさ。新しい相棒と精々がんばりな」
「辞めるのか?」
「それしかねーだろボケ」
と吐き捨てるとクソ眼鏡は、
「そうか。では自分も辞表を出そう」
なんてことを言いだした。
「なんでだよ。残っていいって言ってたじゃんか。残れよ」
「相棒だろう? お前が辞めるなら自分も辞める。それがスジだ」
「……言っても聞かねえんだろうなあ」
私以上に頑固だもん。変に実直だし。子供を見捨てることができないくらいに。
あー面倒臭いやつ。
私はクソ眼鏡に顔を向ける。
「実は結構前から、吸血鬼のお嬢さんに、ボディーガードにならないかって打診されてる。
吸血鬼は人狼を従えるものよ、とか言ってさ。もう一人ぐらいなら、たぶんねじ込める」
「遠慮しておこう。自分はオクタヴィア嬢に嫌われている」
んなことないと思うけど。今回だって、お前が頭下げたから取引の情報提供してくれたんだろうし。
「他に仕事のアテがあんのか?」
「民間に人魔探偵という仕事がある。公人と私人との違いはあるが、今とやっていることはそう変わらん。国家資格を取る手間を度外視するなら、スムーズに移行できるはずだ。伝手もある」
「そんなのがあるのか? いいじゃねーか、面白そうだ。一枚かませろよ」
犬だけに。
私は拳を突き出す。クソ眼鏡も、一瞬だけ嫌そうな顔をして、それでも合わせてきた。
「今後ともよろしく。クソ眼鏡」
「天城小次郎だ。いい加減、相棒の名前くらい覚えろ」
そう言ってクソ眼鏡は、物凄く嫌そうな顔で私を睥睨した。
昼の世界と夜の世界を跨いで行われる犯罪。伸ばせば届く位置にありながら、相互不干渉という仮初の約定、その歪みに目を付けた犯罪は年々増加の一途をたどっていた。
罪ではない。罰を科せられない。しかし許せない、許してはいけない。
けれど人間は魔族に踏み込めず、魔族は人間に踏み込めない。
その不条理を糾弾する者。昼夜反転する警察機構の情報連絡を担うとされる者。
魔族随一の戦闘種族である人狼のポテンシャルと、唯我独尊の通信空手を駆使する美少女刑事。
昼と夜を行き来し、人と魔を等しく裁く者。それこそが。
(元)人魔捜査官、四方城楓!
お疲れ様でした。
感想、罵倒、なんでもお待ちしています。