中編 -犬のお巡りさん-
三千人を収容する六波羅市の人間用五番シェルターから、藤原幸喜君、七歳が行方不明になる事案が発生しました。母親が目を離したすきに外部へ連れ去られたものと思われます。
二月ほど前から、付近では人食い鬼の目撃証言が多数寄せられており、早めの避難を呼び掛けていた最中の出来事でした。
市警は即日対策本部を立ち上げ、あらゆる可能性を考慮し幸喜君捜索を行うと表明。人魔捜査官を通じて魔族側の警察に協力を要請しましたが、相互不干渉の原理原則に則り却下されました。
現時点で犯人からの要求は確認されていません。
オーク二匹と共に二階へ落ちる。男の子は避けるように魔力線を伸ばした、崩落に巻き込まれてはいないはず。
さあ仕切り直しといきたいところだけど、もうもうと立ち込める粉塵に二匹の姿を見失ってしまった。
逃げた? ……ううん、いる。粉塵が邪魔をするけど、微かに魔力の反応がある。おそらく相手も気付いてる。そんな気配。
二匹は二歩近づいて、一歩下がる。間合いを調整している。互いの位置が見えているのか?
囲まれないようにこっちも位置取りを調整する。
嫌な感じだ。じわじわと袋小路に追い込まれているような、得体のしれない危機感に包まれる。
「やるじゃねえかお巡り。てめえ淫魔か? 流派はどこだよ。ええ?」
「内燃系はまあまあ、対して外燃系は素早く強い。隠遁で上の階に潜んで気付かせなかったのは見事だが、その割には魔力感知は低いみたいだな。
宝治流か、N.S.Sあたりだろ?」
「外れだボケ。そういうお前らは、大方ガンバツ流だろ」
「へっへ。オーガの嗜みってやつさぁ」
クソ外道に悪用されて開祖が泣いてんぞ。
「お巡りよお、どうしたよ。こねえのかあ? おらこいよ雑魚。口ほどにもねえな」
うっせーボケ。なんでか今日は調子が悪いんだよ。防護服を着て組手をさせられてるような動きにくさがある。
新月でもないのに、どうしちまったんだ?
ジリジリと下がりながら不調の原因を考えようとすると……背中に壁の感触。
壁際に追い込まれた。
「止まったな。……いくぞ!」
魔力が弾け、粉塵を押し退ける。三人が詰める空間から、球状に埃が弾き飛ばされて、さながら闘技場の様相。
「ガンバツ流、ウーゴ! ぶち殺すぜ!」
「同じくガンバツ流、ドゲル。犯す前に死ぬんじゃねえぞ」
二匹は名乗る。魔道家のそれはつまり、生きては返さないという意思表示であり。
「しゃおらああああああ!」
打ち出される剛腕、一撃が必殺。その乱打。
削岩機の如き拳打が一拍の切れ目すらなく浴びせられる。
敵ながら称賛に値するコンビネーション。魔力を込めた両腕が軋む。
「おらおらおらあ! もっぺん床壊して逃げてみるかあ!」
「魔力の薄まった細腕で耐えられる自信があればな!」
床の破壊に魔力を回せば、防御が薄くなるのは自明の理。一瞬のスキさえあれば。だがそんなものを与える気はないらしい。
防御の上からお構いなしに叩き込まれる。ガードごと圧殺する気だ。
指が折れる。白い骨が皮膚を突き破る。背負った壁がミシミシと音を立てる。
くっそ、応援はまだか。遅すぎるぞ。……なんて、ほんのちょっとの甘えが出たのが悪かった。
拳を開いて掌底気味に打たれた一手を、漫然と腕で受けてしまう。
ゾッ、と。体温が急激に下がったのがわかる。
奴は腕を引かない。代わりに私の腕を掴んだ。
「捕まえたあ!」
グンッっと一歩前に足を踏み込まれ、腕の力と体重に抑え込まれた!
壁に挟まれ動けない。防御に使えるのは片腕一本、これでは左右の打突を捌けない。
拳が迫る。顔面を潰す軌道。問題ない。受けられる。
だから、そう。代わりに腹へ拳がめり込むのは、仕方のないことで……
「…………っっっ!」
声にならない。内臓がまとめて爆ぜたような、致死の予感に背筋が震えた。ドロリと黒く濁った血が零れる。
オーガは嬌声を上げる。股間が盛り上がっている。女を殴って興奮するとは、ほとほとこいつらには外道の血が流れているらしい。
「よ~し。まだ死んでねえな? アジトに持って帰って遊んでやるぜ」
「すぐ使い潰すんじゃねえぞ。おい、聞いてるか? その野暮ったい帽子を取れ。ツラ拝んでやる」
帽子? そんなの自分で脱がせろよ、こっちはもう、指一本動かすのも億劫なんだぞ。あれか? ストリップが趣味なのか? 今からレイプされるのを自覚させたいわけだ。恥ずかしい悔しい殺せってか。はっはっは。喜べ処女だぞ。
ああ、やっぱこいつらクソだな。――悪いクソ眼鏡、面倒かける。後は頼んだ……
…………あ。
「くっくっ……」
「あ?」
「笑ってんぞこいつ」
「あはっは……私は、あんま頭いいほうじゃねーんだけど……これは流石に、自分でも呆れるわ」
重い腕を持ち上げ、震える指先でニット帽を掴む。
帽子から――耳が解放された。
「あ? ――て、てめえまさか――」
私を拘束する腕に、そっと指を添える。魔力線を、オーガの巌のような腕に伸ばす。
――小気味良い破裂音とともに、骨肉がバラバラに裂かれて舞い踊る。
「名乗られたからには名乗り返すのが魔道家の礼儀だ。それが例え、クソ外道の人食いだろうとな」
戦闘態勢へ移行する。そんな当たり前のことすら忘れていたなんて。
私は中指を突き立てる。すっかり再生した中指を。
「人魔捜査官、四方城楓。人狼だ」
お前らクソ外道の天敵だ。
「てめえ、マジでお巡りだったのか?」
オーガは腕を押えて驚愕の表情。いや、あれは憤怒か? オーガの感情表現はわかりづらいな。いつも怒ったような顔してるから。
というかなんだ、警察だって信じてなかったのね。敵対組織のカチコミあたりと誤解してたのかな。
「それでなんだ? ああ! 可愛いお耳を見せれば、俺達がビビると思ったか!」
「あー、見た目はモフモフのケモ耳だけどさ。これって、厳密には耳じゃないんだ。
これはアンテナ。魔力を感知して、受信する。繊細でね、ちょっとのことで調子が悪くなるのが玉に瑕。たとえばそう、帽子を被ってる時とか」
ピコピコ。とケモ耳を動かしてみせる。
「おかしいと思ったんだ。蹴り殺すつもりだったのに生きてるし、部屋の外の様子は全然わからないし、
あまつさえ三流オーガにボッコボコに殴られるしでさ。
だから……」
魔力を弾く。パン、と澄んだ破裂音。部屋の中の粉塵を、まとめて全部押し退けた。
小細工はいらない。相手よりも早く動き、相手よりも力強く、真正面から――殴り飛ばす!
「こっからが本番だ。歯ぁ食いしばれ」
指食いオーガを瓦礫の山までぶっ飛ばし、私は犬歯を覗かせた。
「うっし。まあこんなもんで許してやろう」
腰に手を当てて胸を張る。半殺しにした窓際オーガのケツを、最後に一回だけ蹴り上げて、私は清々しい気分を味わっていた。
そこへのんびりとした足取りで現れたのは、我が右腕にして相棒の。
「おっせーぞクソ眼鏡。どこで油売ってやがった」
「少年の保護と上司への弁明。後者が八割だな」
「……怒ってた?」
「耳が馬鹿になるかと思った」
ああ、作戦本部長って地声がデカイから。怒鳴り声も相当だよな。
「ビルの封鎖ぐらいはするが、後はお前達だけで始末をつけろ、と。そういう話に収まった」
「あのチョビ髭、部下の独断専行で責任逃れする魂胆だな」
まあ、悪いのは私たちなんだし文句はない。
「その血はなんだ?」
「ん? 返り血」
「違う。口元のやつだ」
「あー……」
帽子の一件を説明すると、クソ眼鏡はものっそい蔑んだ目でこっちを見る。ハンカチを差し出しながら、
「そうか。よく分かった」
「な、なにが?」
「よく分かったと言っている」
だからなにがだよ。あ、ハンカチ凄い。お日様の匂いがする。
「ま、まあアレだ。もう一匹、メインディッシュが残ってっからさ、そっちを片付けようぜ」
こいつは前菜。クソ野郎に変わりはないが、まだましなクソ野郎だ。
メイン料理が伸びている瓦礫の山を見る。
「……あれ?」
いない。男の子の指を食い千切った方のオーガが消えている。
「逃げた?」
「周囲は完全に封鎖されている。不可能だ」
オーガに手錠をはめて、クソ眼鏡は部屋の入口を見る。
「血が続いているな。建物内部に潜伏でもしたか。追うぞ]
オーガを窓から投棄した私たちは、点々と続く血痕を追って二つ隣の部屋へ。
その部屋の隅には、ひっくり返された木の板と、階下まで続く縦穴がぽっかりと。見れば天井にも穴が開いている。
クソ眼鏡はライターに火を付け、穴の中に放る。一階に落ちたライターは、床に当たることなく更にその地下深くにまで落ちていった。
「秘密の地下通路とは、中々にいい趣味をしている」
「そういうとこワクワクしちゃうのは、クソ眼鏡も男の子だよな」
「否定はせんがな。どうする?」
どうするってお前、決まってんだろ。
「追いかけてって、生まれたこと後悔させてやる」
「そうか。ならばこれを持っていけ」
と携帯無線機を渡された。
「地上に出たら連絡しろ。迎えに行ってやる」
「了解」
「帽子は――」
「しねえよ! じゃあな!」
嫌味か!
私はニット帽を放り投げて、穴の中に飛び込んだ。
こちとら犬のお巡りさんだ、逃げられるだなんて思うなよ。ワンワン。




