殺戮者たちの夕餉
「――随分、濡れているな」
『鬼』の第一声はそれだった。彼は、驚くほど静かな声で話す。その割に、声にしっかりとした芯があるから、彼の言ったことを聞き逃したことはない。
「あ、ええ。傘は生徒に貸したので、ここまで来るときにちょっと雨にあたりまして」
「……エトを呼ぶ。それが乾くまで、あいつに着替えを貸してもらえ」
「あ、いいですよ。お構いなく」
「気にするな。そのままでは風邪も引こう――」
抑揚のない声でそう言うと、『鬼』は立ち上がって居間を後にした。
「…………」
他人の居間で独りぼっちのときほど落ち着かないことはない。
居間の端に陣取り、大人しく座っていると、キッチンの方から足音が聞こえ、意外な人物が顔を出した。
「――あら、カナキ君じゃな~い」
「セニアさん……」
両方の手に皿を抱えたセニアは、僕を見ると顔に喜色を浮かべた。
「お疲れ様です。今日はセニアさんもいらしてたんですね」
「偶然ねぇ。お肉が余っちゃって、腐らせるくらいならここで食べてもらおうと思ったの。エトちゃんは食べ盛りだしねー。あ、カナキ君も食べて行ってよ」
「……なるほど」
皿の上に盛り付けられた肉料理の数々を見て、僕は納得する。
どの皿も食欲をそそるような物ばかりで――この料理に 何の肉が使われているかなど、気に留める人はいないだろう。
そう、彼女の素性を知る僕を除いては。
「……ちなみに、これは何の肉ですか?」
「何よー。流石の私も、マティアスさんに死体の肉を食べさせたりなんかしないわ。今日の肉は、鮮度に拘ってるの。――私が今試作してる脳を沸騰させる魔法、これの実験で殺した“人”の肉だから、肉に損傷はないし、死後硬直が始まる前にバラしてるから、柔らかーいわよ♪」
やっぱりか。
「あの……セニアさん。何度も言ってると思うんですけど、僕はそっち系には興味ないですから」
「何よつれないわねー。食わず嫌いは人生の損よ?」
「人肉を食わず嫌いで怒られるって僕、初めての経験ですよ」
「一度試してみなさいよ。やみつきになるわよ?」
「それはそれで駄目な気がするんで遠慮しておきます」
なによなによ、とぷりぷり怒るセニアを無視し、廊下からやってきた二人に手を挙げる。
『鬼』――マティアスと、その娘であるエトだ。
「カナキ先生、セニア先生。こんばんは」
「こんばんは」「あら、こんばんはー」
「……カナキ、これで良いか」
マティアスから着替えを受け取ると、そこには学園の体操服が入っていた。
サイズはちょうど良さそうだが……。
「あの、これって……」
「あ、やっぱり小さかったですか?」
エトが首を傾げたので、そうではないと首を振る。
「そうじゃないんだけど、これ、学園の体操服だよね?」
「はい、私のです」
うん、だよね。
「あのー……、流石に女性のエト君の服を、男の僕が着るのはどうかと思うなぁ。エト君だって、嫌だろ?」
「そ、そんな! カナキ先生なら全然大丈夫です! むしろどうか着てください!」
「うん、エト君はたまにおかしくなるよね」
勢いよく迫ってきたエトを手で制し、もういいや、と僕は体操服のジャージに着替える。この世界でもジャージがあったことは、僕の喜びの一つだ。
「……ああ、もうあの服、洗濯出来ないよぉ……」
そんなに嫌がるなら貸さなきゃよかったじゃん。
エトの独り言が聞こえて若干のショックを覚えつつ、僕は「そうだ」と、マティアスに目を向けた。
「……なんだ」
「ここに来た用事を思い出しました。今日配られた手配書を見せてほしいんですよ」
手配書は、毎週のように新刊が配られるが、表向きはそんな裏世界とは関係を持たないことになっている僕は、マティアスの家に来た時くらいじゃないと、お目にかかることが出来ない。
「そこの棚の上に入っている。一番上の積んであるのが今日発行された物だ」
「ありがとうございます」
食事を始めた三人の邪魔にならないように、部屋の端に座って手配書をひらく。
手配書は大体、一番最初のページに今が旬とでも言うか、世間を騒がしている手配者が載っているのだが……。
「あ」
「どうひまひた?」
から揚げを美味しそうに頬張っていたエトが問う。
「僕、一番最初に載ってる。ちょっと派手に動きすぎたかなぁ」
どうやら僕は、今が旬らしい。
『イレイサー』レートB+ 備考:ここ最近、中都市シール市で起こっている連続魔法師失踪事件を起こしている、犯人と思われる人物。
「てかイレイサーって……消しゴムかよ」
「? でも、それ私もさっき見たけど、顔も載ってないじゃない。B+レートなんてロクに警戒もされないだろうし、大丈夫なんじゃない?」
「まあ、その為に今までチマチマした隠蔽工作とか、重要人物とかは狙わないようにしていましたからね。それでも、遂に僕も手配書に載ってしまいましたか……」
「むしろ、一年半くらいコソコソ誘拐とかしていて、よく今まで手配書載らなかったわね。私はそういう面倒くさいこと苦手だから、純粋に尊敬するわ」
「まあ、セニアさんはそうでしょうねぇ」
僕は、手配書の二ページ目にあった名前に目を通す。
『屍術姫』アリス・レゾンテートル レートS 備考:元準一級魔法師
そこには、見慣れない童顔の少女の顔が貼ってあった。
「前から思ってましたけど、これセニアさんなんですよね? 何年前の写真ですか、これ」
「うふふ、カナキ君。流石にその質問は私も怒るわよ?」
セニアさんの殺気に、向かいに座っていたエトは竦みあがった。
「冗談ですよ。これが、セニアさんの本体、てことですか?」
「ええ。今使ってるこの身体は死体、屍術で操ってるの。まあ、魔法で完全に生命活動を行っているから、生きているも同然なんだけど」
なんでも、セニアさんのみが使える固有魔法――『完全なる骸』は、損傷の少ない死体の生命活動を蘇らせ、もう一人の自分のように、自由自在に動かせるらしい。それは、もう一種の憑依魔法みたいなもので、いかに強力な『看破』を受けても、絶対に分からないらしい。
「いつか、セニアさんじゃなく、アリスさんの方にもお会いしたいものですね」
「うふふ。私はこう見えても臆病者だから、本当の私と会うとなると、かなり難しいわよ? まあ、そのときが来るのを私も期待しているわ?」
「――食事中だ。少し喋り過ぎだ、セニア」
そこで、ロボットのように黙々と食べていたマティアスが、厳かな雰囲気で言った。
見た瞬間に分かるだろうが、この人ももちろん堅気ではない。
僕は、手配書の最後の方にある、レートC以下の雑魚、その次の五年以上発見されていない重鎮の手配者たちが載る欄を見る。
『無音の鬼人』マティアス・? レートSS+
これだけでも、十分に驚きだが、その先に書いてあった備考欄が、驚きを更に大きくさせる。
備考:魔力を持たない。
「化け物だよなぁ……」
相手がどんな魔法師だろうと体一つ、生身で、超常現象を引き起こす魔法師を次々と暗殺するのが彼なのだ。だから、鬼。マティアスには一時期体術を教えてもらっていたが、彼の動きは正に人間の動きではなかった。
「マティアスさん、最近、仕事はないんですか?」
「最近は平和だ。私などが暇な方が、世界は良い方向に回る」
打ったら響くような調子で、マティアスが答えた。
彼は僕やセニアのように、殺戮を楽しむ類の人間ではない。まあ厳密に言うと、僕も殺戮自体に興味はないのだが。
セニアは趣味で、僕は好奇心で、マティアスは仕事で、人を殺す。
僕らは違うように見えて、結果だけ言えば全く同じことをしている。
僕達みたいな人間は、生きづらい世の中だ。僕達が出会った時、誰が先に言いだすまでもなく、今の関係が始まった。
つまり僕達は、殺人鬼で、協力者で、友達なのだ――。
少し急ぎ足になってしまいました。
誤字などあったら報告お願いします。




