等価の先
これにて長かった第一幕終了です。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
「それでは、今回の事件に対する、カグヤへの賞与授与式を執り行う。まず、カグヤ代表レイン・アルダールは前へ」
「はい」
壇上に上がったアルダールは、中央に立つ王国のお偉いさんに一礼すると、表彰状を受け取る。それと同時に、会場からは拍手が鳴り響いた。
「次に、フィーナ・トリニティ」
「――はい」
次に呼ばれたのは、既に見慣れた黒髪の少女だ。アルダールが軍人だとしたら、フィーナの所作は貴族のような優雅さがあった。
「フィーナ・トリニティ。今回の一連の事件において、貴殿は特に、A+レート、『狩人』の単独逮捕や、Sレート、『屍術姫』の逮捕において多大な貢献をしたことを鑑み、ここに賞すると共に、準二級魔法師の資格を与える」
「謹んでお受けいたします」
表彰状を(僕にとってはただの紙切れにしか思えないのだが)受け取ったフィーナに対して、急遽会場になった学園の体育館が大きな拍手に包まれる。いつもなら全校生徒を集めても余裕で収容できる体育館も、今は街や王都からのお偉いさんが勢ぞろいで若干の息苦しさを覚えるほどだ。
「では次に、カレン・オルテシア王女殿下よりお言葉がある。全員、脱帽起立したうえで、拝聴せよ」
わぁ、と感嘆のような声が上がった。
舞台袖より現れたカレンは、いつもの学生服やカグヤの制服ではなく、真紅のドレスを身に纏った、王族としての身なりで登場したからだ――。
「――えー、私も見たかったなぁ、そのカレンちゃん」
今日行われた授与式の話を聞かせると、アルティは不満顔で僕に非難の視線を送ってきた。
「しょうがないだろう。君に掛けている魔法が、まだ完璧に効力を発揮していないんだ。学園と親御さんには、僕の方から上手く言ってあるんだし、ずる休みは君だって嫌いじゃないだろう? これをチャンスだと思って、ゆっくりずる休みを満喫すればいいさ」
「休みって言ったって、こんなの、軟禁みたいなもんだよ! 外にでーたーいー!」
「お隣さんに迷惑だから静かにしてくれたまえよ」
駄々をこねるアルティに宥めながら、僕はコーヒーが落ちたのを確認して、ポットからカップにコーヒーを注ぐ。お世辞にも間取りが良いとはいえない一日中じめじめした感じの室内に、コーヒーの匂いが充満するというのは、言い様もない幸福感を僕に与えてくれる。
「あっ、コーヒー? 私も――」
「はい、どうぞ」
ここ数日アルティと一緒に過ごして、彼女もコーヒーが好きだということは既に把握している。先んじてコーヒーをアルティに渡せば、彼女は出鼻を挫かれたようなきょとんとした顔を作った後、笑顔で僕にお礼を言った。
「流石、できる男は違いますね! ありがとうございます!」
「はいはい、いいから早く飲みなさい」
「でも結婚できないのはどうしてなんでしょう」
「早く飲みなさい」
僕は手早く自分のカップにもコーヒーを注ぐと、テーブルを挟んでアルティの対面に腰を下ろした。うちに椅子はないため、二人ともどっかり床に腰を下ろしているが、アルティは自然に胡坐をかいてコーヒーを啜るので、後は新聞でも広げていればおやじそのものだ。まぁ、正座する習慣のない人からすれば、あれは苦行でしかないのは分かるんだけどね。
お互い、コーヒーを飲んでいるときはあまり喋らない。畳七畳分くらいの広さしかない部屋は、時折カップを置く音以外、心地よい静寂に包まれている。いつも火の玉のように元気なアルティが僕の家にいるようになってからは、かなり貴重な時間だ。だが、その生活もおそらく明日で最後だろう。
マティアス邸をアリスが襲ったあの日、やむを得なかったとはいえ、アルティの前で秘密にしていた禁忌魔法を行使してしまった。幸か不幸か、そのときアルティは極度のショック状態だったため、ほとんど覚えていないとは言うが、勿論そんな言葉で安心する僕ではない。正直、アルティを始末することも視野に入れていた――むしろ、九割九分そのつもりでいたが、何故か結局、彼女を殺すことはなかった。
代わりに僕が取った処置は、僕が実は王都直属の特務官であり、カレンの危機を事前に察知し、秘密裏にそれを防ぐことが任務であるという嘘を信じ込ませ、そのうえでアルティに守秘義務の関係上必要だということで、僕の秘密を喋れないようにする暗示魔法を掛けるということだ。幸い、僕の眼から見てもアルティは僕の嘘を完全に信じているようだし、この暗示魔法も簡単に解けるようなものではない。それでも、全くの不安が無いと言えば嘘になるが、結果としてアルティをまだ殺さないというのが僕の決定だった。だが、それこそつい先日、自分の欲望を優先しすぎたがために、僕とマティアスさんに敗れた女性を見たばかりだ。それは僕とて例外ではなく、いつかはアルティを殺さねばならない状況に迫られるかもしれない。正直、僕が誰かを殺すことに大きな抵抗を感じることはないと思うが……。
――まぁせいぜい、それまでにこの娘に少しでも好感を持ってもらうとしようか。
「――それじゃ、アルティ君。これを飲んだらそろそろ出かける準備をするよ。時間的にもそろそろ彼女が来るはずだから」
「……うん」
先ほどまで上機嫌だったのがアルティが目に見えて落ち込む。まあ、それはそうだろう。勿論、今回の結末を一番喜んだのはアルティだが、彼女自身が犯してしまった事を考えると、どんな風に接すればいいのか分からないだろう。
「……アルティ君。向こうはいつも通り接してほしいって言ってるんだから」
「それは分かってるけど……」
そのとき、呼び鈴が来客が来たことを知らせる。噂をすればなんとやらというやつか。アルティなんか、抜き打ちテストを行うとき以上に真っ青だ。
「はーい、開いているよ」
「――――失礼します」
遠慮がちな声と共に姿を現したのは、もう見ることのできないと思っていた少女だった。
あの事件のせいで髪はかなり短くなっているが、切れ目の長いまつげや形の良い耳、仄かに朱に染まった頬など、それ以外は全て元通りになっていた。
「あの、少し遅れてしまいましたか?」
「いや、時間通りだよ。よく来たね――エト君」
僕が名前を呼ぶと、エトは、少し恥ずかしそうにはにかんだ。
「あ、あの、エト、ちゃん」
そして、僕の背中に隠れるように、アルティがたどたどしい口調でアルティを呼ぶ。
だが、何を言ったらいいのか分からないのか、アルティから次の言葉はなかなか発せられない。
すると、エトは少し困ったように笑うと、
「ただいま、アルティちゃん。色々巻き込んだみたいで、ごめんね?」
と、悪戯っぽく微笑んだ。
「――ッ! エトちゃあぁああああん!!」
「ああ、もう泣かないでよー」
いや、そんなこと言われてアルティ君が泣かないわけないでしょ。
腰に縋りつきびーびー泣くアルティと、それをあやすエトを見て、僕は柄にもなく、その光景が眩しい物のように感じてしまった。勿論、だからといって殺せないとかは全くないのだが。
「……エト君。お花の方は……」
「はい、来るときにお花屋さんで買ってきました」
目を逸らしたエトが視線を落とし、伏し目がちになると、床に一滴の雫が零れた。
エトの蘇生。それは勿論奇跡以外の何物でもなく、あのときマティアスさんが賢者の石の模造品を使っていなければ起こしえなかったことだろう。
しかし、賢者の石とて、無条件で奇跡を起こせるわけではなかった。後から調べたところによると、賢者の石には等価交換という絶対原則があるようで、無から有を生み出す創造のような行為は出来ないのだという。それは、その石の模造品であったマティアスの物も例外ではなかった。
だからこそ、マティアスは等価交換の原則に従って、エトを蘇らせた。自分の命、肉体、魂、全てを使って。昔、「天は人の上に人を作らず」という言葉を聞いたことがあったが、なるほど。確かに人は、生まれながらに平等であったようだ。賢者の石は、確かにマティアスの全てを喰らいつくして、エトの全てを造り出した。その、生前の魂までも。
だからこそ、今目の前にいるエトは、厳密に言えば、今までのエトではないのかもしれない。だが、それがなんだ。僕達の前で、彼女が昔のように笑ったり、泣いたりすれば、それはもう僕達にとってエトなのだ。こんな奇跡を目の当たりにしてそんなことで悩む者などこの世に存在するものか。
「……全く、エト君まで泣いてどうするんだい。早くお父さんのお墓参りに行くよ」
「……はい」
賢者の石を使う前、マティアスにはいくつかの『お願いごと』をされた。そのうちの一つには、当たり前のように今後のエトについても触れられていた。
「お前がエトに並々ならない興味を抱いているのは知っているが、娶るまでは、あいつの面倒は見てやってくれ」
こんなときに冗談でも言っているのかと思ったが、案の定、マティアスさんの顔はマジだった。あの人もやはりどこかずれていた。そういえば、結局彼の料理は苦手な分野だというラーメンしか食べられなかった。
「二人とも、今日は帰りにラーメンでも食べに行こうか。アルティ君も、確か好きだったよね?」
「ひっく……うぅ……ずきでしゅぅ!」
「きみ今凄い顔になってるよ……。まぁ、それじゃあ決まりだね。三人で、行こうか」
「びぇええええええん!!」
「いつまで泣くんだい!?」
「カナキ先生、今日は学校を休まれたと聞いて、連絡もせず御宅まで来てしまったのですが、実は折り入ってご相談が――――――先生、真っ昼間から女子生徒二人を家に連れ込んで、一体何をなさっているのでしょう」
「フィーナ君ッ!? いや……そんな、君は今多分すごい誤解をしているよ……」
「先生に何日もこの家に閉じ込められて……!もうお嫁に行けない!」
「アルティ君は急に何を言っているのかなぁ!?」
「……でも、確かにアルティちゃんってあれからずっとこの家にいたんじゃ……!」
「……カナキ先生。あなたには幻滅しました。ここで逮捕……いえ、死んでいただきます」
「エト君も余計な事を! ほら、それじゃあそろそろ行くよ!」
「あ、待ちなさい!」
先ほどまでが嘘のように一気に騒がしくなった部屋を飛び出し、僕は外へと飛び出す。
勿論、こんな普通らしい生活は今日にはなくなって、明日からはまた、僕は最悪の快楽殺人者として、獲物を探して夜の街を鼻唄交じりに歩くことになるだろう。だから、これは今日だけ。明日からはまた異常者に戻るのだから、今くらいは普通の人間としての僕を印象付けるのは悪くない手だろう。
そうしながらも、頭の隅に今晩のラーメンを四人でどこで食べるかを考えている僕自身を自覚して、思わず苦笑が漏れた。
どうやら僕は、自分自身すらも無意識に騙そうとする、根からの理性ある怪物らしい――。
(第一幕 完)
節目ということで、いつも以上に御意見御感想お待ちしております。
また、レビューや評価なども励みになっております。本当に私の場合それらが更新速度を左右するといっても過言ではありませんので、早く読みたい方は是非ともお願いします笑
とにもかくにも、ここまで決して短くないこの作品にここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。




