戦闘実践演習Ⅰ・Ⅱ(四単位)
翌日から、本格的に僕の担任としての生活が始まったわけだが、実は仕事についてはこれまでとあまり変わらない。
朝と夜のホームルームに行かねばならないという仕事は増えたが、担任だから授業を持たなければいけないというわけでもないので、普段は相変わらず保健室に籠って、休み時間にやってくる生徒の相手をしたり、今年から助手としてやってきたゼスに物を教えたりしているが、時々、他クラスの授業に顔を出したりすることがある。それは、別に僕が好きでやっているわけではない。僕が傍で控えて、いつでも怪我をした生徒を助けられるようにする必要がある、つまり危険な授業があるからだ。
例えば、今目の前で繰り広げられているような授業である。
「ようし、全員集合!」
リヴァル・フォン・ゲインシュトゥルトの見た目同様に逞しい声が響き、生徒達がきびきびと指示に応える。
「今日は、来月の学生騎士大会に向けて模擬戦を行う! この春で貴様らも一つ学年が上がり、上級生になったのだ。後輩に無様な姿を見せないよう気合を入れろ!」
『はいっ!』
返事をする生徒の顔は、幼いながらも若干の精悍さを持ち始めていた。この『戦闘実践演習』はクラスごとではなく、限られた生徒が志願する形で行われる演習だ。学年は関係ない合同授業で、受講資格は五級魔法師の資格を持っていること。とはいっても五級魔法師の資格など、『魔力稼働』で魔力を体内で生成できる者なら誰でも有することが出来る最も楽な資格だ。だが、毎年この演習を受ける者は決して多くない。
「早速今日から一年生が何人か授業に入ってきている。こいつらは入学する前から魔力を扱うことが出来るエリート共だ。上級生は精々歓迎してやれ!」
「歓迎って……絶対する気ないですよね」
リヴァルが振り返る。
「おお、カナキ先生」
「どうも、リヴァル教官」
何故か戦闘演習を行う教諭たちは皆、先生ではなく教官と呼ばれている。この差は一体何なのかといつも口にしながら思う。
「おら! カナキ先生も来てくれたし、これでどんな怪我しても大丈夫だ、思いっきりやっていいぞ!」
「いや、限度はありますからね? 僕の魔力量はそう多い方じゃありませんから」
リヴァルのドラ声に顔を顰める。この人は悪い人ではないのだが、色々とテキトー過ぎるのだ。
その後、リヴァルの指示で生徒が各自体操を始める。こういう光景には懐かしさを感じ、目を細める。
数えると、今の所この演習を取っている生徒は四十三人。全校生徒の十分の一にも満たないが、やがては一年生ももっと増えて、全体の人数ももう少し増えるだろう。まあ、それも一時的なもので、すぐこれくらいの数に戻るだろうが。
見渡してみると、自分のクラスの生徒の顔もあった。オルテシアとフィーナだ。
「やはり気になるか、あの生徒は」
隣にいたリヴァルが、僕の視線の先に気づいた。
「まあ、それは……。なにせこの国の王女殿下で、準一級魔法師で、僕のクラスの生徒ですから」
並べてみると、最後の一つは霞むなぁ、と我ながら呆れる。
「そうさなぁ。俺も教官をやって二十年以上なるが、一年生で準一級魔法師ってのは初めてだ。アルダールが入ってきた当時も驚いたが、肩書きだけならオルテシアの方が断然上だからなぁ」
「レイン・アルダール君ですか。確かに、十八で二級を取った彼も大概ですが、オルテシア君に至っては、まだ十五ですからねえ」
僕は、演習場の端で黙々と体操している生徒を一瞥する。
レイン・アルダール四年生。十八歳。学園の生徒で構成される街の治安維持部隊『カグヤ』の隊長にして、二級魔法師の資格を持つ学園きっての天才魔法師。その高い実力から学生騎士大会にも参加を強く勧められたらしいが、本人は「興味がありません」と一蹴。大会で結果を残したい学園側としては頭の痛い問題らしいが、今年はオルテシアの入学によって、少しはそれも軽減されるだろう。フィーナと同じように、東洋人のような顔つきの青年で、女子生徒からの評価も高い。
やがて、体操を終えた生徒達が続々と集まってくる。学生騎士大会は一対一の決闘方式によって行われる。本来は王国騎士を目指す若者の実戦経験を培う目的の大会であったため、毎年数人の死傷者を出していた大会だったが、流石にそれでは本末転倒だという結論になり、現在では魔導具による防具を着て行われるようになった。
「いいか、新入生に一応説明しておくが、今渡しているタクティカルベストは、魔力を宿した繊維で作られた特別性だ。そのベストを着ていれば、たとえ魔法を喰らっても一定量のダメージなら吸収してくれる優れものだ」
リヴァルの説明に、一年生の何人かが明らかに安堵した表情を見せた。
「――今内心ほっとした奴がいたら、今すぐ抜けろ。これはあくまで将来最前線で闘う奴らに向けた戦闘訓練、授業じゃねえんだ。生半可な覚悟で挑んで、一生障害を持つような怪我を負った生徒を、俺は今まで何人も見てきた。騎士を目指してない奴は、大人しく抜けな」
リヴァルの脅迫に、一年生は明らかに狼狽えていた。中には、キョロキョロと辺りを見回す者まで出始めたが、やがてリヴァルの前に歩いてくる生徒がいた。
「――一年四組のカレン・オルテシアです。不躾ではありますが、リヴァル教官にお願いがあります」
また君か……。
穏やかな雰囲気ではないオルテシアに、僕は目頭を押さえ、リヴァルは片方の眉を吊り上げた。
「なんだ。言っておくが、いくら貴様がこの国の王女だからといって、ここでは贔屓するつもりはないぞ」
「当たり前です。一流の魔法師となるべくこの学園に入学した私にとっても、それは不本意です」
「……フン、それは失礼した。で、用件とはなんだ?」
「私は若輩ではありますが、ここにいる誰よりも強いと確信しております。ですので、恐れながら、リヴァル教官直々に御指導して頂きたいのです」
空気がひりひりと頬を叩く。
オルテシアが言葉を発した瞬間、上級生の方から、殺気に近い気配がここまで届いた。当然だ。この演習を受けている時点で、彼らは紛れもないエリートなのだ。幼少時から上流貴族として英才教育を受けてきたのであろう彼らの自尊心が強くないはずがない。
「――お言葉ですがオルテシア王女殿下。いくら殿下でも、その言葉は聞き捨てなりません」
ほらきた。
三年生らしい男子生徒が、皆の気持ちを代表するように前に出た。
輝くような銀髪は、綺麗にセットされており、一目で身分の高い者だと分かる。
「私は、三年のルーク・ストレイド、三級魔法師です。よろしければ、まず私が、殿下のお相手を務めさせていただき――」
「――謹んでお断りします」
「……は?」
即答の返事に、ストレイドと名乗った生徒は、瞼を数度瞬かせた。
リヴァルが堪え切られないと言った様子で笑いだした。
「くっふふははははは!! ストレイド、諦めろ。お前じゃオルテシアには敵わん」
「……ッ! リヴァル教官、是非とも、私に一度、殿下のお相手を……!」
「オルテシアは準一級魔法師だ。これを聞いて何も分からないほどお前は馬鹿ではあるまい」
「準一級!?」
昨日、教室にいた生徒達と同じ反応をする生徒達。ただ、フィーナだけは澄ました顔で立っている。
オルテシアは、最早ストレイドに目もくれない。
聞いたことがある。なんでも、王女様は貴族がお嫌いらしい。汚職と怠慢にまみれた現在の貴族制度を、将来オルテシアは撤廃しようと目論んでいるらしい。そのせいで、彼女自身が危機に晒されたことも一度や二度ではない筈だが、この様子を見る限り、それでも彼女の意思は揺るがないようだ。
「いえ、それでも戦闘経験は私たちの方が上のはずです。やらせてください!」
しかし、これが逆にストレイドの心に火を点けたようだ。
気合を漲らせるストレイドをオルテシアは醒めた目で見つめ、リヴァルは面白そうに笑った。
「フン、そうか。よし、それじゃあ最初はストレイドとオルテシア、お前ら二人でやれ!」
「はい!」
「……わかりました」
対照的な態度で頷いた二人は、やがて中央の長方形の白線で囲まれたエリアの中に入る。
「一応確認するが、障害を残すような危険な魔法、攻撃は禁止。それ以外は相手を戦闘不能にするか、場外に出せば勝利だ。俺がやめと言ったやめる。これも良いな?」
「はい」
「よろしい。それじゃあ、始め!」
リヴァルの掛け声の瞬間、ストレイドが指先をオルテシアに向ける。
彼の人差し指に付けた指輪型の魔導具が、送り込まれた魔力に反応して、淡く光った。
「『電撃』!」
細く、しかし光の如く雷光が、オルテシアに一直線に掛け抜ける。開始早々の奇襲にしては、なかなか良い攻撃だ。
しかし、ストレイドの放った電撃は、オルテシアの直前で掻き消される。『魔力障壁』の壁にぶつかり阻まれたのだ。
オルテシアほどの実力なら、今の攻撃を防いだこと自体に特に驚きはないが……。
「今の、魔導具って使ってました?」
「オルテシアは使ってないな。『電撃』は最速の下級魔法だが、威力も低いし、点の攻撃だ。別に『魔力障壁』で防ぐの自体に驚きはないが、まさか魔導具を使いもしないとはな」
リヴァルが唸ったように、現代の魔法師にとって、魔導具は必需品だ。
そもそも、魔導具とは、あらかじめいくつかの魔法術式が込められており、術者が魔力を送り込むだけで魔法が発動するという、要は魔法発動時間を大幅に短縮できるアイテムである。ストレイドが放った『電撃』を例に挙げれば、多種魔法タイプの魔導具ならおよそ一秒、一極魔法タイプならコンマ五秒、魔導具なしなら二・五秒というのが大体の目安といったところだ。
つまり、それだけの差があるにも関わらず、オルテシアは魔導具を使うことなく『電撃』を防いだ。それだけで、彼我の差が明らかであることを、周りにいた誰もが感じずにはいられなかった。
「……それなら!」
それは勿論、ストレイドも分かっていることだろう。しかし、彼は闘志を絶やさずに、次の魔法を仕掛ける。
ストレイドの魔導具が輝き、彼の周囲に八つの炎の刃が顕現する。
「『焔刃』!」
ストレイドの叫びに呼応し、炎の刃は群がるようにしてオルテシアへと飛んでいく。
それらは正確無比、とまではいかないまでも、それなりの正確さを以て、オルテシアへと殺到した。
『魔力障壁』の防御範囲が狭い特徴を突いた、教科書の手本のような攻撃だが……。
「――『魔力障壁』」
「なっ!?」
それらも、全て先ほどと同じように阻まれる。これには僕も驚かされた。今のを『魔力障壁』で防いだということは、つまり魔導具なしで一度に複数の『魔力障壁』を展開したということだ。
「もうよろしいでしょうか?」
「……ッ! まだだ!」
厳しい表情を浮かべながら、ストレイドは最後の勝負に出る。彼の周囲を漂う魔力が、バチバチと火花を立てる。どうやら相当の魔力を練り込んでいるらしい。
「……『火炎柱』!」
直後、大の大人一人を呑み込むような太さの火柱が、オルテシアの足元に顕現した。
発動の熱波がこちらまで届き、周りで観ていた生徒も一歩二歩と後退する。おそらく、彼の切り札とも言える魔法。
「――駄目だな」
だが、横で見ていたリヴァルはあっさりと、そう結論を告げた。
次の瞬間、強力な火柱はオルテシアによって掻き消される。右手を上げた彼女は、信じられないといった様子で立ち尽くすストレイドに、最下級魔法を放った。
「『赤魔弾』」
悲鳴すら上げる間もなく、赤い魔弾がストレイドを撃ち抜いた。リヴァルが試合終了の合図をする。
ここからは僕の出番だ。急いでストレイドの元へ駆け寄り、状態を確認する。
……ううん、大した怪我はないが、一応保健室で寝かせた方が良いかもしれない。
ストレイドを担ぎ、白線から出ようとしたとき、オルテシアの声が聞こえてきた。
「――これで納得して頂けたでしょうか」
「ああ。お前がそこまで自信過剰になるのも合点がいった。確かに、その強さなら同年代で敵はいないだろうな」
「それでは、これからは先生に直接御指導のほどを……」
「――レイン・アルダール。この天狗になってる一年の相手をしてやれ」
「……了解しました」
「……またですか」
背中越しにそんな会話が聞こえ、僕の好奇心は嫌でも刺激される。なんせ、この学校で不動のトップであるアルダールと、この国の王女にして天才魔法師のオルテシアの決闘だ。胸が騒ぐような好カードであるが、そのためには、今背負っている奴が邪魔だ。さっさと保健室に置いて戻って来よう。
僕は幾分か早足になりながら、体育館を後にした。
僕が運動場へと戻ったときには、割れんばかりの大歓声が鳴り響き、入り口付近でフィーナが呆然自失といった様子で立ち尽くしていた。
どうやらもう決着が着いてしまったらしい。
後でリヴァルに聞いてみると、彼はただ豪快に笑った。
読んでいただきありがとうございます。まだまだ盛り上がりに欠ける展開ですが、長い目でお付き合いして頂けたらと思います。