二大巨頭を打倒せよ 6
「あ、ありえん……ありえんぞこんなことは!」
先程までの余裕を一瞬で崩し、上空へ向けて唾を飛ばすドー。「なぜ王国の王女がそちらの肩をもつ!?」
「……その反吐が出るような妄言を喚く時点で万死に値しますが、あなたは仮にも大勢の門徒をもつメルプル大寺院の高僧。一応命乞いぐらい聞いてあげる……つもりだったのだけれど」
そこでカレンは言葉を止め、視線をドーから外した。今彼女の視線の先にあるのは、血を流し倒れるアルティの姿。「……どうやらその温情を与える必要もなさそうね」
「何故だ! 彼女が王国の民だからか! 彼女はわしを殺そうとした! 抵抗もせず黙って殺されろと!?」
「王国の“善良な”民は私の血肉。一片たりとも他者に侵されることは赦されないわ」
「ッ、つくづく化け物の行動は予測がつかなくて反吐が出る!」
ドーは叫んだ瞬間、再び『幻影炎』を発動させる。彼を中心に再び蒼い炎が広範囲に燃え広がり、すぐにそこから無数の幻影が姿を現す。
――業腹だがここは逃げさせてもらう。目的だったアルティ・リーゼリットを前に敗走は本当に口惜しいが……!
ドーの作り出した幻影は、アルティを担いで逃げることくらいは可能だったが、それをカレンが見逃すはずではないし、彼女の逆鱗に触れる可能性が高い。ならばここは一度退く。最大展開すれば一瞬で数百の幻影を生み出せるのが強みのドーの固有魔法『幻影炎』は制圧以外にも、こういう逃走の時にも大いに役立つ。さしものカレン・オルテシアといえど、これほどの数が蜘蛛の子を散らすように逃げれば必ず討ち漏らしが――
「――『凍結世界』」
「…………は?」
一瞬、ドーは意識が途切れたような感覚の後、唐突に胸部に圧迫感を覚え、下を見た。
そこには、カレンが突き刺した刃の先端が、神々しい輝きをもってドーの胸を突き破り顔を覗かせていた。
導き出された結論は一つ――――ドーの生み出した数百の幻影は一瞬にしてカレン・オルテシアによって駆逐されたのだ。
「あ、あああ……」
「冷静になって質問に答えなさい。そうすればあなたの残り少ない寿命が延びるかもしれない」
パニックになりそうな思考をカレンの言葉がかろうじて抑え込み、ドーははっはっと短く呼吸しながら頷く。
「上空にいるあの忌々しいくらい澄んだ気配、あれは聖イリヤウスね?」
「は、はい……おそらくは……」
するとズンとカレンが剣を押し込んだ。痛みよりも死の恐怖がドーの頭を掠める。
「聞いているのはあなたの考えじゃない。確かな情報なのだけれど」
「わしらにそれほど重大な情報は降りてきません! ただ、閻魔と聖のあのときの様子を見るに間違いないかと!」
ドーは閻魔から勅命を受けた時の状況を思い出し、命からがら叫んだ。そこには最早最初にティリア達に見せた飄々とした態度は微塵もなく、ただただ自分の生を握られている哀れな老人の姿しかなく、ティリアは自分達を圧倒したドーをここまで一方的に追い詰めたカレンの規格外の強さを改めて認識し身震いした。
「……まあそうね。あなたもこの状況で虚言を吐くほど大物ではないでしょうし、信じるとしましょう。でもそうなると……残念ね、もうあなたは情報源としての価値は無くなってしまったみたい」
表情一つ変えずに放ったカレンの一言にドーは激しく狼狽する。
「そ、そんな……どうかもう少々お待ちください! 必ず、わしの持っている情報の中であなた様に有益な情報が……あ、そうだ!」
急にふと思い出したらしく、ドーは早口でまくしたてる。カレンの気が少しでも変われば次の瞬間には殺されるかもしれないので仕方が無かったが、次に入ってきた情報はカレンではなく、ティリアを驚かせる内容だった。
「ここに来る道中、カナキ・タイガの妹が帯同していましたが、途中で行方を眩ませ、現在は付近に潜伏していると思われます! もしわしを生かして頂けるなら、必ずや捕縛してあなた様の下までお届けします!」
「そんな確証もない戯言を私が鵜呑みにするとでも? しかも、今のあなたの残っている魔力量で彼女を捕まえられるとは思えないのだけれど。特殊な能力ももっているのでしょう?」
「そ、それは何とか致します! いくばくかの猶予を頂ければ魔力も回復しますし、策を講じれば必ずや……」
「ふん、話にならないわね」
「ま、待ってください!」
話は終わりとばかりに短く告げたカレンに対し、ティリアはようやく声を振り絞り会話に割って入った。
「――何かしら」
「ッ……!?」
カレンが視線を向けただけでティリアその威圧に思わず出そうになった悲鳴を必死に堪えた。そうだ、カレンは何もティリア達の仲間になったわけではない。あくまでカレンの最も憎む人物はカナキ・タイガのままであり、それに与する自分もその憎悪の対象となりかねない……。ティリアは唾を呑み込むと、慎重に言葉を選びながら言った。
「……そのカナキの妹という女、私の“レンズ”でも町中で確認しています。一概にその男の言うことを虚言と捉えるには尚早かと愚行します」
「……へえ、それは本当に愚行ね。そもそもあなたの言うことだって本当かどうかすら分からないうえに、第一あの男の妹がなんだっていうの? あくまで私が直接この手で殺したいのはあの男一人。妹だろうと私にとってはどうでもいいわ」
「しかし、その妹のせいで、もしもあなたの望みが叶わなくなるとしたら話は変わりますよね?」
「……」
空気が変わった。
それまではどうでもいい存在として捉えていたティリアのことを、カレンは今ははっきり関心を向けるようになっていた。もっともそれは好意的な側面ではなく、自分を謀ろうとする賊に対しての嫌悪に近いものだったが。
「言っておくけれど、根も葉もない妄言でもしも私を利用しようという気なら、この男の後にあなたは同じ末路を辿るわよ?」
「でしょうね。それは承知したうえで喋っています。ですが、あなたが知らないあの人の妹、フウの異能を私達は知っています」
「異能……? ああ、たまに迷い込んだ者が顕現するというアレね……」
怪訝な表情を浮かべたカレンが、その後一人合点したように頷いたのをティリアは疑問に思ったが、すぐにこれは好都合だと前向きに捉え、言葉を止めず話し続ける。
「はい、彼女には自分の言葉を別の人物から発せられように思わせる『信実の言霊』という能力があります。彼女を放置すれば、その力を使って何か皇国の益となることをーー」
「その程度の能力、無視しても何も問題はないわ」
淡いティリアの希望を言葉もろとも断ち切り、カレンは冷淡にティリアを見下ろした。
「彼女については私も最低限情報は知り得ていますし、『信実の言霊』は王国の地下書庫でも文献に目を通しています。厄介な能力であることは認めるけど、どちらかというと裏方、戦闘が始まった後ならばその能力は十分には発揮できません。つまり、あなたの考えは杞憂だし、私を味方に付けようという魂胆も無駄だということ。分かった、ティリア・シューベルトさん?」
「ッ……」
自分を無知と侮るな。
あえてティリアを名前で呼んだことにそのようなメッセージがあると確信し、ティリアは唇を嚙んだ。駄目だ、ティリアの今もつ情報のどれも、カレンの心を動かすには至らず、彼女に今なんと声をかけても自分では駄目だろう。
ティリアが悔しさに拳を握りしめたとき、そこで予想外の方向から声が届いた。
「それなら、私のお願いなら聞いてくれないかな?」
「……まだ意識があったのね」
数秒の間の後、カレンは声の主、アルティに対し感情の読めない瞳を向けた。
「応急処置をしたとはいえ、喋るのも辛い状態でしょうに。無理はしないことをおすすめするわ」
「そういうわけにも、いかないかな……つっ」
痛みに顔を歪ませながらもゆっくりと立ったアルティは、腹部を抑えつつも強い瞳をカレンに向けた。
「カレン・オルテシア王女殿下。どうか、私の願いを聞いてくれませんか?」
「お断りします。今私は一国の王女として行動しているわけではありません。それは私がここにいる時点であなたも分かっているでしょうに」
カレンがそう言うとアルティはふふ、と少しだけ笑った。
「それはおかしいよ。さっきそこのおじいさんには私を王国の国民として助けてくれたのに。殿下が責任感のある優しい人だってことはこの前話したとき改めて分かったし、今更そんな態度とったって私は納得しないよ」
「……」
アルティの言葉に黙するカレン。その反応だけで、ティリアは以前話していたアリスの計画が成功したことを確信した。
――――かつて王国がエト・ヴァスティを逮捕する際の強硬手段により、友をかばって命を落とした少女、アルティ・リーゼリット。もしもカレンが未だその事件を覚えており、且つそれを引け目に感じているのであれば、場合によってはカレンはこちらの戦力となり得る。
時は遡り開戦前のカナキサイドの打ち合わせ。カレンの提案は当初、その場の誰もが驚き、あのカナキさえも唖然とさせるほどだったが、一人神妙に指を顎に添え何事か思考を巡らせたセシリアは「なるほど……」と頷いた。
「確かに、その可能性を考えたことはなかったな。確かにあの王女はカナキに敵意を抱いているし、それに与する我々も同様の感情を抱いている可能性が高いが、ことアルティに関しては別かもしれない」
「でも、どこにいるかさえ分からないんじゃ話に行くこともできないんじゃない?」
「いや、カナキ君を殺したくてうずうずしているんだから、私達の動きをある程度監視できる場所にいるはずよ。アルティちゃんが話がしたいっててきとうな場所で叫んでれば姿も現すでしょうよ」
「なるほど……」
フェルトの質問にぶっきらぼうに答えたアリスの言葉にその場にいた一同が納得の意を示し始める。そうなると当然声を大にしたのは当のアルティだった。
「ちょ、ちょっと待ってよ! いきなり言われても私、説得できるかなんて自信全然ないよ!」
「――アルティは肩肘張らずいつも通りの調子であお願いすればいいんすよ」
アルティにそう声を掛けた人物に一斉に視線が向けられる。
いつもと打ってかわりここまでほとんど喋らなかったテオの言葉にアルティは目を見開いた。「テオちゃん……」
「どのみち、成功する確率は低いんす。なら、取り繕って頭を使うより、いつも通りのアルティの方がよっぽど勝算は高いっす。駄目でもともとくらいの気持ちでいいんすよ。そっすよね?」
「……まあ、そうね。自分から提案しておいて何だけど、失敗する見込みの方が高いわね」
「ほら、アリスさんもこう言ってるっす! だから当たって砕けろの精神でいくっすよ!」
テオの激励にアルティはしばらく目をぱちくりしていたが、やがて周囲を見渡し、カナキ達が微笑を浮かべながら頷くと、やがて決意を秘めた表情に変わった。
「うん、分かった、やってみる!」
そうして時は現在に戻り、状況は再びアルティ次第という事態になった。
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