摺りつぶす 1
アリスが操っていた頭上の怪物、イェーマ・コンツェルンが静香に落とされたことで戦況は再び皇国側に傾いた。
そして同じく、閻魔の大規模攻撃により一つの転換点であった戦場の戦いもついに決着しようとしていた。
「ぐ……」
「まーくん!?」
閻魔の作り出した石柱の先端がマサトの背中を貫き、腹から突き出ていた。
慌てて駆け寄るツバキに対し、マサトは信じられないものでも見るかのように自分を貫いた岩の尖った先端を見ていた。
「ようやくか……」
その光景を確認したガデスは警戒を怠らないままだったが、僅かに息を吐いた。術者であるマサトは銃の扱いや格闘技術こそ光るものがあったが、身体能力自体は並の兵士と同様か少し上程度であり、精鋭部隊である『イグニッション』の面々が後れを取るなどありえないことだったが、それでもツバキの援護があったとはいえ、ここまで倒しきれなかったのも事実だ。
ガデスの部隊は残り五人、対してマサトは重傷を負い、ツバキの準備ももう少し時間が掛かる。そんな絶望的な状況だったが、マサトはそんな中でも口元に笑みを浮かべた。
「痛い……痛い……これが死の感覚……俺が今まで人に与えた感覚か……!」
「その傷でまだ諦めないか!」
マサトが戦闘を継続する姿勢を見せると、ガデスも遂に『イグニス』の紅剣を抜き放ち、その場でブンッと一閃する。
すると、瞬時に紅剣から斬撃が熱波を伴ってマサトへと押し寄せる。動けないマサトに対してツバキもろとも呑み込むダメ押しの一撃だった。
「――それを待っていた!」
「『八咫鏡』」
「なにっ!?」
ツバキの前に出現した巨大な鏡を見た瞬間、ガデスは直感に従い地を蹴った。
そして、彼がその場を離れた直後、反射して返された『イグニス』の熱波が他の部隊員達を呑み込んだ。
「――が、かっ……」
巻き込まれた隊員は三人。残撃を受け、さらには熱波を受けた彼らは、精霊装の恩恵により即死は免れたが、重度の火傷を全身に受けた彼らが戦闘を続行するなど不可能だった。歯噛みするガデスに対し、マサトはここぞとばかりに追撃を仕掛ける。
「呪え、『マーガレット』」
「――ウィルク、ガデス隊長」
「……ッ!?」「え……?」
青年、少女の声帯を使い分けて呼ばれた二人、ガデスは必死に感情を殺して無視したが、ここにいるはずのない家族の声を聞いた隊員の一人はその声に反応してしまった。
「づっ!?」
その若い精霊騎士が止まった。徐々に首が左に曲がり始め、最後には首が捻りきれる。マサトが最後まで取っておいた『守護者』であるマーガレットは自身の呼びかけに反応を示した者の動きを強制的に止め、ゆっくりと首を捻り切る能力をもつ。ただし、『マーガレット』自身に戦闘能力は無く、ガデスに呪いを防がれればもうマサト自身が止めるしかない。
「くそ……!」
悪態を吐いたマサトはナイフを構えるが、未だ石柱が突き刺さり、碌に動くこともできない状態では戦闘にすらならないことはマサト自身がよく理解していた。
「――『禍ツノ雨』」
「っ……これは!?」
一気にケリを付けようとしていたガデスが急に静止し、逆に地を蹴り大きく後退した。そしてその直後、マサトの周囲を取り囲むようにしてぽつりぽつりと雨が降り始めた。
「……酸の雨か」
紅剣により『マーガレット』を始末しつつ、目線は常にマサトから離さなかったガデスがやがてその雨の正体を突き止めた。恐ろしいほど強烈な酸性を有した雨だ。雨が降る範囲内にあった兵士の体は瞬く間に溶けて形が崩れていく。まだ生きていた者はその雨に打たれた瞬間覚醒し絶叫を上げるが、それもものの十数秒で途切れ事切れる。
「ほんと、その身体でよくここまで粘ったわね……『万寿ノ百足』」
そして雨の中心では赤い和傘を差したツバキが膝を着いたボロボロのマサトを見て溜息を吐いていたが、その表情には安堵の色が浮かんでいた。それから彼女の足元から、和服の裾から這い出るようにして無数の百足が現れ、マサトの体を這いまわる。一見すると眉を顰めるような光景だったが、マサトの体の傷がみるみる間に塞がっていくのを見るとそれが治療行為だとガデスも気付いた。
「治癒能力までもっているとは……」
ガデスもファンタゴズマに来てから多くの魔法師と戦ったが、ここまで多彩な能力をもつ『守護者』は初めてだった。ここまでくると最早魔法師だなと思いながら、ガデスは反転して後退した。あの雨が降っている以上一度退くべきだと判断したからだ。あの酸の雨、ただ降らせるだけの能力なら近づかなければ良いだけだが、それ以上の何かがあったとき、自分一人では対応できないと判断したからだった。
「……終わったのか」
「うん、多少回復したとはいえ、まーくんは一度戻った方が良いだろうね。私を出しておける時間もそう長くないでしょう?」
「ああ……」
慎重に体から岩を引き抜き、とめどなく血が流れる患部に百足を這わせて止血を行う。状況の報告を受けたティリアが指示を出し、マサトはシールへ戻るように指示が出る。
「それにしても、段々と酷い有様になってきたわね」
道中、露払いはスイランがしてくれていたが、それでも何回か流れ弾が飛び、危うくマサトに当たりそうになることがあった。それはスイランの落ち度というよりは、単純に相手の攻撃が激しすぎるせいで、本当の意味での数の暴力というものにカナキサイドの陣営が段々と劣勢に追いやられている証明だった。シールの入り口の安全な場所まで着いたときもスイランは一言も声を掛ける暇もなく飛び出していったほどで、誰もが余裕がないのだと改めて実感させられた。
「さて、それじゃあ私も魔力を回復させたいしそろそろ消えるね。ま、その傷じゃ当分休んだ方が良いけど、そろそろ終わりが見えてきたって感じだし」
「終わり……」
「そ。まーくんもあの先生に付いていくと決めた時察してたでしょ? 私達は近い未来破滅する。いくら一人一人が強かったって限界があるでしょ」
「……そうか。じゃあ、急がなくちゃな」
「うん? 何を?」
「マサトく~ん!」
そこで治療用テントから慌てた様子でアルティが出てきた。瀕死だったアリスに続き、クラスメイトであるマサトの容態を聞いたので、急いで駆けつけたのである。それを見てツバキは姿を消し、会話は途中で途切れてしまった。
「? マサト君、何か嬉しそうだよ?」
やってきたアルティはぼろぼろの姿で帰って来た級友の表情を見て首を傾げた。
「ああ……ごめん。いや、ようやく分かったんだ」
笑みを浮かべたまま力無く首を横に振ったマサト。アルティは数秒言葉の続きを待ったが、マサトの方はこれ以上喋る気はないようで、そこでアルティも事態を思い出し、急いでマサトの肩を担ぎ、テントの中へと連れて行った。
マサトを収容してからも戦いは続いた。やがて夕日が山際へと差し掛かる頃、いつもならそこで皇国も水を引くように撤退し、その日の戦闘も終了するのだが、ここで畳みかけるつもりか、皇国軍は何かに駆り立てられるようにして侵攻を止めなかった。
「くっ……どうして退かない……!?」
魔晶石を砕き発動したカナキの『黒淀点』により出現した多数の黒球が閻魔の生成した岩の防壁を貫通し、その先にいた多数の兵士達の体を食い破る。相手もそれをただ黙っているわけではなく、防壁に一定間隔でできた隙間から押し込んだ大砲を使い、絶え間なくカナキに集中砲火を浴びせている。
それに対してもカナキは常に移動して的を絞らせないようにしつつ、空中に泳がせている黒球を操って何十もの砲弾を撃ち落としているが、それにも限界があった。なにせ、カナキが一人に対し、相手は数千もの兵士と数百の大砲によって絶え間なく攻撃を続けて居るからだ。
「うっ!?」
黒球を逃れ、高速で移動するカナキの元へ偶然一発の砲弾が届き、カナキの右腕に着弾する。爆発とともにカナキの体は焼かれ、数十メートル吹き飛ばされる。複数の自己強化魔法により、普通ならバラバラに飛び散るはずの肉体も繋がったままであったが、常人であれば致命傷の一撃だ。すぐさま体は再生を始め、再びカナキも動き始めるが、三時間もの間以上もの間、同じ状況で大軍を押しとどめているカナキであっても、流石に疲労の色は隠せず、被弾する回数は多くなっていた。
『カナキさん、流石に限界です! 応援を……』
「それはダメだ! ただでさえ人手が足りない今、比較的手薄なこの方角くらいは僕一人で止めるしかない! 戦力を投入するなら閻魔さんのいる方だ!」
カナキは聖との誓約がある以上、閻魔には手出しができない。だからこそ、閻魔のいない方角の侵攻だけでも自分一人で止めようとカナキ自身が決めていた。
(魔晶石も流石に残り少ない……ストックも削られてきた……!)
これほどの大軍を相手にするにはどうしても『黒淀点』を常時発動するしかなく、そうなれば必然魔力消費も激しくなる。必要以上とおもえるほど潤沢に用意していた魔晶石も段々と底が見え始めていた。陽が沈むまでと耐えていたが、この様子では夜になっても攻撃の手は緩まないかもしれない。カナキの胸中にある不安が次第に膨らみ始める。
そして、カナキのいる方角とは逆方向、シールの正門の延長戦上にある戦場も、苛烈を極めていた。
ちょっと中途半端なところで区切ってしまいました。
読んで頂きありがとうございます。




