始業式 2
僕の懸念とは裏腹に、初めてのホームルームは順調な滑り出しだった。
「新入生の皆さん、セルベス魔法学校にようこそ! 僕は、これから一年間、君たちの担任をやらせてもらうタイガ・カナキと言います。本来は養護教諭なので、専門は医療魔術です」
魔術、と言った瞬間、生徒の視線に若干の失望が交じるのが分かる。
この世界では、魔術は魔法の下位互換として認識されている。最下級魔法とも言われる魔術は、習得が簡単で、比較的誰にでも扱えることができるからだ。
この学校にやってくる生徒の大半は、いずれは魔法師を目指している者ばかり。その途中経過である『魔術師』の僕には興味がないのだ。
「――とは言っても、僕も教師である以上、三級魔法師の免許は必修であるため、勿論魔法も使えます。支援魔法、特に医療魔法に興味がある人がいたら、是非先生の所まで来てください」
だが勿論、それは織り込み済み。
最後の一言で、数名の生徒が、俺に好奇の視線を送ってきた。
掴みとしては悪くない。人心掌握術はそこそこ自信があったのだが、クラスという集団の中においても、それは有効に発揮できたようだ。内心ほっと息を吐いてから、事務連絡の後、軽い自己紹介を生徒にやらせる。
「じゃあ、右側の手前の席から順番にやってもらおうか。最初に……フィーナ・トリニティ君にお願いしようか」
「はい」
そう言って、教壇に立ったのは、今朝オルテシアと一緒にいた従者のような少女だった。
艶のある黒髪を肩口で切り揃え、人形のような顔の造りはまるで東洋人のようだ。
「フィーナ・トリニティです。三級魔法師の資格は有しています。師匠はカレン・オルテシアです――」
どよめきが広がった。
僕もぱっくりと、口を半開きにして固まった。
そもそも魔法師とは、魔力を己の内で生成、コントロールできるようになるのが絶対条件であるが、普通の人間には魔力を生成することは出来ない。本来、人間が魔力を生成するための器官というのが普通は眠っているのだ。それらは、命の危険などの時、突発的に開くことはあるが、現在ではその器官を人為的に呼び覚ます魔法――『魔力稼働』によって魔力を使えるようにするのが主流だ。
そのため、現代の魔法使いになる者は、師匠となる魔法使いを必要とし、フィーナにとっては、その師匠がオルテシアにあたるというわけだが……。
「あ、あの! それじゃあ、オルテシア王女殿下は何級魔法師なのですか!」
そこで出た質問は、本来ならフィーナの自己紹介とは関係のないものであり、いつもなら窘めるところだが、実際に僕も気になったため、その男子の質問を、僕はスルーした。
すると、フィーナはオルテシアを一瞥した後、少し得意げな顔で言った。
「カレン様は準一級魔法師です」
「じゅ……」
先ほどより大きな衝撃が、クラスの全員を襲った。
魔法師の資格の基準は厳しい。この学園を卒業する者には三級魔法師の資格が与えられるが、そもそも卒業するのでさえ何年もかかる生徒は多い。逆に言えば、三級魔法師の資格があるフィーナは既に四年次に卒業できるというわけだが、言うほど簡単なことではない。十五歳の時点で三級魔法師だというフィーナは、十分「秀才」と呼べるだろう。
だが、準一級魔法師となると……。僕は生唾を呑み込む。そもそも二十四歳の僕で、現在三級魔法師だ。そりゃ、僕は特に魔法の才能も無い凡人だが、それでもこれまで勉強はしてきた。世間一般で僕の評価はまあまあと言ったところだろう。
だが、十五歳で準一級魔法師なんて聞いたことがない。天才、の中でも飛びぬけた才能だろう。彼女なら将来、魔法師を越えた存在――魔法使いになるのも夢ではないだろう。
ざわめく教室を見渡し、フィーナは満足そうに笑うと、一言二言喋って座席へ戻った。その後も、順番に生徒が壇上へ上がったが、最初のフィーナの衝撃は大きく、ほとんど記憶に残らなかった。
そして、ついにオルテシアの番になり、優雅な所作で彼女は壇上に立つ。
肩にかかった髪を払い、オルテシアは毅然とした態度で言う。
「――カレン・オルテシアです。皆さんもご存知の通り、このオルテシア王国の第一王女ですが、皆さんとは同じ学校に通う学友として、これから過ごしていけたらと思います」
今朝の僕への薔薇のようなトゲトゲしさを感じさせない優しい声音だ。どうやら、誰に対してもああいう態度で接するわけではないらしい。
「この国のこれからの繁栄のためにも、魔法師の育成は急務となっています。先ほどフィーナが言った通り、私は幸いにも準一級魔法師の資格を有しておりますので、皆さんも何かありましたら、微力ながら私も相談に乗りますので、どうぞよろしくお願いします」
最後に、僕のお株を全て奪っていく発言を残し、オルテシアは踵を返した。
直後に、これまでで一番大きな拍手が教室に鳴り響いた。
「――全く、やられましたよ、ほんと」
中身を飲み干したグラスをテーブルに置くと、からんと中の氷が音を立てた。
「マスター、もう一つロックで」
「はい」
近くにいたマスターにウイスキーを注文すると、隣に座っていたセニアがからからと笑った。
「それは大変だったわね。あの歳で準一級かぁ……。確かにそれはやりづらいわね」
「おかげで僕の影の薄さに拍車がかかりましたよ。ホームルームが終わった後も、みんなオルテシア君の方に行っちゃったし……」
「あらあら。カナキ君は生徒を取られて悔しかったのね? よしよし」
セニアは学校以外では僕の事を君付けで呼び、敬語もタメ口に変わる。オンオフのスイッチをしっかりするタイプのようだ。すべすべした彼女の指が、僕の頭を優しく撫でる。
「……ウイスキーのロックです」
「ありがとう」
目の前に置かれたウイスキーに早速口を付ける。この世界のウイスキーはスコッチ系統が主流だ。鼻腔に広がる独特の香りと、喉を焼くような感覚に満足を覚える。
「――じゃあ、今回はその娘にするの?」
「……んー」
グラスを置くタイミングで掛けられた、囁くような声に、僕は首をかしげる。
「いや、それはちょっとどうだろう。確かに、オルテシア君でも良い気はするけど、紅髪はあまり好みじゃないんですよね。それで言うならどちらかというと、黒髪の方が断然好みなんですよねぇ」
「――故郷の国のことを思いだすから?」
「……まあ、そんなところです」
目を細めたセニアに、僕は視線を合わせず答える。
「……まあいいわ。それじゃ、どっちかに決まったら教えてちょうだい。私はいつでも手を貸すから。それに、もしもブロンドの方だったら、久しぶりに私も楽しめそうだしね」
「頼もしいです。そのときはお願いします」
グラスを持ち上げて、そこで中身が空になっていたことに気づいた。
「マスター、同じのをもう一つ」
「……分かりました」
一瞬、マスターは何か言いたげな視線を送ったが、呑み込んだらしい。
おそらくは大丈夫なのか、と問いたかったのだろう。ウイスキーだけで次で六杯目だ。だが、マスターも僕が頭のおかしいくらい酒に強いことは知っている。
「カナキ君は本当にお酒に強いわね~」
対照的に、横でずっとジュースみたいな酒をちびちび飲んでいたセニアは、既に目が据わり始めている。この人の絡み酒は凄まじい。次で潮時かと、心の中で決意する。
「ところで、今日もこれから行くの?」
「ええ。今が一番楽しい時ですからね。今日も、それが理由で睡眠不足でしたから」
「入れ込んでるわね~。ちょっと妬けちゃうわ。今度、私の相手もして頂戴よ」
セニアが、その豊満な胸を強調するように腕で持ち上げる。
確かに、魅力的な提案ではあるが……。
「止めときますよ。次の日には錬金術の触媒になっていそうだ」
「失礼ね~。そんな事しないわよー!」
予想通り、呂律も怪しくなってきたセニアに乾いた笑みを返し、やってきたウイスキーをきっちり飲み干した後、僕は店を後にした。
「ただいまー」
無人の保健室に、僕の弾んだ声が虚しく響く。
月明りだけが照らす薄暗い保健室で、そのベッドの一角だけは、カーテンが閉め切られている。
「どうだい調子は?」
「~~~~~!!」
カーテンを開けると、涙に光った瞳が、こちらを射抜いた。
「待たせてしまってすまないね。セニア先生に付き合っていたらこんな時間になってしまった。薬の方は……うん、問題なく効いているようだね」
ベッドに括りつけられた彼女は衣服を着ていない。惜しげもなく晒された発達途上のその身体は、真っ赤に腫れ上がっていた。
少女が口をパクパクと動かす。おそらく、今日一日中、彼女は今まで感じたことのない強烈な掻痒感を感じていたことだろう。なんとか身体を掻きむしろうとベッドで暴れた形跡が残っていた。
僕は、彼女の腫れ上がった二の腕を軽く突いた。それだけで、彼女は絶頂したかのようにのけ反る。
「君の身体をこんなにしている昨日の薬はね、僕が独自で調合したんだ。投与した人の免疫反応を暴走させる、まあ意図的にアレルギー反応を起こさせる薬さ。君のカルテはもらっていたからね。調合するのはそう難しいことじゃなかったよ」
学校の生徒である彼女の健康診断書を見れば、何がアレルギー反応を起こすのかなど一目瞭然だ。医者の真似事など向こうにいた時は全く無縁だったが、こっちでは魔法さえ使えれば、大体のことはなんとかなってしまう。以前は出来なかった実験なども出来るし、僕は今の環境が気に入っていた。
「――魔法って本当に素晴らしいよね。これさえあれば、人を生きたまま、極限の苦痛を与え続けたりとかもできるし、何より、こうして君で遊んでいても、捕まえられずに逃げきることが出来る。本当、この魔法の素晴らしさは、これからも生徒達にしっかり教えていきたいよ」
少女が何か言いたげに口から息を吐いた。騒がれると面倒だから、真っ先に声帯を切除したが失敗だったかな。
何より、これから彼女の悲鳴を聞けなくなるというのも口惜しい。
「うんうん、分かってるよ。全身痒くて仕方がないんだろう?」
僕は、自分のデスクから、五寸釘と金槌を取り出した。
腫れぼったい彼女の顔が、明らかに強張ったのが分かった。
「君だって虫に刺されたことくらいあるよね。そのときも、酷い痒みに襲われただろうね。そのとき君はどうしてた? 僕はね、痒い所は掻くんじゃなくて、抓った方が良いと思うんだよね――」
そう言って、震える彼女の腕に釘を立てると、思い切り金槌を振り下ろした。
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