月夜の中で
「なんだかこうして会うのも久しぶりな気がしますね」
楓をベッドにそっと移し、僕と聖天剋は部屋を後にした。
面が割れている聖天剋を人目に付く屋外に晒すのは危険かとも思ったが、彼が体型や骨格、そして人相まで自由に体をコントロールできることを思い出したので杞憂に終わった。
「お前、感覚が鈍くなったか?」
月を見ながら薄暗い夜道を歩いていると、聖天剋はそう切り出した。
「そうですか?」
「俺がずっと部屋にいたのに気付かなかっただろう」
「え、あそこに? 入るときに玄関から部屋を一通り見回したんですけど」
まあ本気で身を潜めた彼をその程度で見つけられないか。
「俺は玄関の天井に“立っていた”。お前の位置からは天井は見上げないと見つからない」
「立っていた? どうやってまた」
「天井の隅なら天井と壁にそれぞれ足を開けば立てるだろう」
やっぱりおかしいよこの人。重力というものを彼は知らないのだろうか。
「はあ……まあ、『シャロン』さんをイリスに返した分、純粋な戦闘能力の低下は否めないでしょうね」
「ならば、いつぞやの借りもここでは容易に返せるということか」
「そんなアンフェアな勝負に勝ったところで満足する聖天剋さんじゃありませんよ。それに、ここは僕のいわばホームとなる世界です。たとえシャロンさんがいなくても、僕には頼もしい仲間がいますから」
「……ふん。確かに、お前の師と言うあの女は多少腕は立ったな」
聖天剋が右腕に触れながら言う。さてはセシリアに多少なりともダメージを受けたか。
「それで、今日はまたどうしてこんなところに、しかもあんな絶妙なタイミングで現れたんですか? 楓は今、そちら側の人間でしょう」
「別に俺はあいつらの仲間になった覚えはない。利害関係の一致で一時的に行動を共にしているだけだ。俺は誰の下にもつかんし、群れるつもりもない」
「相変わらずですね。でも、先ほどの楓の行動は僕の母の指示でしょう。それを邪魔したとなれば彼女は黙っていないと思いますが」
「ああ、いるのかいないのかも判然としないアレか」
アレって……。
「その口ぶりだと会っていないんですか?」
「俺が会ったのは気色の悪い老人とお前の元生徒だとかいう小娘、それに先ほどのガキだな」
「小娘って……」
老人とはイェーマ、小娘とはエトのことか。というか、エトはすでに二十歳を超えているのだが……。
「あれはな、体が大きくなっただけの、中身はただの小娘だよ」
僕の心を読んだかのように聖天剋は言った。僕は数秒間、誰の話をしているのか分からなかった。まさかこの男が、エトのことに触れるなんて思いもしなかったからだ。
「下らん戦いに巻き込まれ、術者の都合によって蘇生され、身に余る力を手に入れた子供だ。少女から女に変わる過渡期を異常な環境下で過ごし、歪で矛盾した願いを抱え、俺ですら反吐が出る連中に弱みに付け込まれ、搾取される。それが今のお前の教え子の実態だ。クーチェルバッハで六道の連中と少し戯れが過ぎたな」
「……あの怪物たち相手に、僕如きにしてはよくやったと思いますけど」
「否定はしない。あれほどの短期間で六道を半分も堕とすのは流石に俺一人では無理だった」
聖天剋は何を言いたいんだろう。珍しく饒舌な彼に、僕は真意を測りかねていると、聖天剋は立ち止まり、それから空を見上げて言った。
「あの小娘を――エトをあそこから奪い返せ」
「……聖天剋さんからそんな言葉が出るなんて、正直耳を疑いますね」
「ああ、俺自身、他人の心配をすることなどあるとは思わなかった。だが、あいつらは、『宵闇』の連中は大司教とは違う意味で狂人なうえ、大司教以上に醜悪で趣味が悪い」
特にあのラーマの弟だがな、と聖天剋は付け足した。相当あの老人が気に食わないらしい。
「ていうか……考えたら大丈夫なんですか! イェーマはラーマさんと同じ『碧翠の眼』をもっています! 聖天剋さんが自分たちに離反する意志を持っているのがバレたらまずいんじゃ……」
「俺を誰だと思っている。ラーマと同じ能力ならば心を閉じれば表層意識は読まれても
その先を遮断することは可能だ。あの男には精々、俺が奴のことを気にくわんと思っている程度しかわかっていないだろうよ」
「まじですか……」
さらりととんでもないことを言う聖天剋に絶句する僕。心を閉じるってどういうこと。僕も教えてほしいんですけど。
「……イェーマは好かんが実力は確かだ。魔法、というこの世界の力を緻密に操る能力に長け、そのうえであの老人、とんでもないものを手にしている」
「とんでもないもの?」
「ああ。あれを持った奴は下手をすれば六道の頂点――聖にも匹敵する力かもしれん」
「そんな、まさか……」
聖。イリスの有する怪物集団の六道において、頂きに立つ女神の如き美女。彼女に匹敵する力をイェーマが有していると言っているのか? あのとんでもない力を目の当たりにしている僕からすれば俄かには信じがたいが……。
「この俺が言っているのだ。信用しない方がおかしいだろう。それほどまでに強力だということだ。奴の魔力操作と――『賢者の石』というものは」
「賢者の、石……まさか!」
その言葉は一瞬のうちに駆け巡り、内側から僕を乱した。
賢者の石。万物を生み出すほどの途方もないエネルギーを有していると言われている奇跡の石。かつて、そのレプリカといわれるものを僕の恩人が使い、自らの命と引き換えにはしたものの、自分の娘を完全に蘇生させたことがある。レプリカでさえその性能だというのに、よりにもよって本物をあのイェーマが有しているというのか。その最悪の状況に、僕は思わず顔を手で覆った。
「その様子だと『賢者の石』がどういうものかをお前は知っているようだな。なら話は早い。奴はその石を使い、本来必要であるはずの魔力を全て石が有する膨大な魔力によって補い行使することができる。お前を襲った際の途方もない力をもつ魔法も、アレの力を借りたからこそ行使できたというわけだ」
「つまりあの人は、石さえ使えば、特級魔法でさえも容易に行使できると……」
「容易かどうかは分からんがな。特級といわれる魔法はたとえ神聖力で補ったとしても途方もない力を必要とするものだ。いくら奇跡の石といえど、そうも何度も奇跡は起こせないと思うがな……とにかくだ」
聖天剋がこちらを向き、仮面の奥からまっすぐに僕を見据えた。
「俺はあいつらのしていることはどうでもいいし、利用できるものは利用するが、あの小娘に幻想を抱かせ、使い潰そうとしているのだけは好かん。実現できる夢をもち、そのために奔走するというのなら死のうが苦しもうが一向にかまわんが、あれは空想の理想に踊らされ、何年もの期間、力だけを追い求めた果ての道化に過ぎん。そもそも、あれが歪んだ原因の一部がお前にあるし、お前とてあの娘を救いたいのだろう? ならばかつてお前が俺を退けたときに見せた力、いやそれ以上の力を、あの娘のために発揮しろ」
「……まるで父親みたいなことをいいま――」
言い終わる前に聖天剋の貫き手が僕の首を貫いていた。待って。超痛いんだけど。
「……驕るなよ気狂いが。俺をからかうなど自殺志願も同然の行為だ……まあ、話は以上だ。また何か分かれば伝える」
自らの手を僕の首から抜くと、聖天剋は身を翻し、ゆっくりとした足取りで去っていく。
最後に、再生した首をさする僕に向けて、
「ああ、それと。近々、お前の学校の学長から遠征の話が持ち上がる。それにお前は必ず賛同しろ。道中、お前の仲間とやらに会えることだろう」
そう言い残し、月の光を背に去っていった。
今更なのですが、現在カレン・オルテシアについて『皇女』を『王女』表記に変更する作業を進めております。(王国なのに皇女呼びはおかしいため)
なので、もし皇女表記見つけましたらお手数ですが誤字報告していただけると助かります。




