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狙撃(スナイプ)

 シール市を分断するヴァンクール通りから離れた路地裏の一角――。

 街灯すらもないその道を、二人の駐屯兵が懐中電灯を片手に歩いていた。


「いつもこの辺りにいるホームレスも、流石に今日は見当たりませんね」

「ゴザの上で寝る奴らも、今日は外出禁止令が出ているのくらいは知ってるんだろうな。いくらここが王女殿下のいる病院から遠くても、好き好んで一人ここで寝る奴もいないだろ」


 三十路に達しようかというくらいの青年に、先輩と思しき男が答える。

 二人はこの辺りのパトロールを命じられたのだが、病院とはほぼ反対側に位置するこの区画でトラブルが起こるとは考えづらく、病院付近を巡回している同僚たちと比べると、比較的落ち着いていた。


「それにしても、今日襲撃は本当にあるんですかね? もし起こったら歴史に残る大事件ですよ」

「これだけの厳戒態勢だからな。『狩人』も恐ろしい手練れだが、この戦力差はいくら何でも無謀すぎる。仮に仲間がいたとしても、レートAの手配者が二、三人はいないと話にならんだろう」


 二人が歩く路地裏は、自身が持つ懐中電灯以外ほとんど光がないが、いつもこの区画を巡回している二人からすれば庭のようだった。

 だからこそ、さほど緊張せずにいられたし、その異変にもすぐ気づくことが出来た。


「あ、先輩。あそこ、何か落ちてませんか?」

「――ん?」


 青年が懐中電灯を向けた方を見ると、確かにそこには何か落ちていた。

 近づいていって拾ってみると、それは掌サイズの石だった。小石などそこらへんにも落ちているが、拾ったそれは周りの小石と比べると大きかった。青年はこれを異物として認識したのだろう。


「ただの石のようだな。別に報告するものでもないな」

「でも先輩、その石、裏に何か書かれてません?」


 言われてひっくり返してみると、そこには細かい字でびっしりと何かが書かれていた。

 細かい文字は綺麗に円を描きながら連なっており、円の中央には周りの石とは少し違う、紫色の石の破片が埋め込まれていた。

 何だこれは。

 男がそう言おうとした瞬間、石に書かれていた文字列と中央の紫の石が輝きだした。


「うぉ!」

「な、なんですか!?」


 反射的に男が石を投げ捨て、青年と共に後ずさる。

 二人が見つめる中、輝きだした石は、突然、その体積を二倍に膨らませた。

 いや、二倍どころではない。ズン、ズンと異音を発しながら、石はまるで風船のようにその体積をどんどん増やしていく。

 見下ろしていた石が、やがて見上げるほどに巨大になってきたところで、男はようやく、その石の正体に気づき、後ろにいる青年に叫んだ。


「これは……ゴーレムだ! すぐに本部に連絡を入れろ!」


 今回は非常時ということで、普段は一部の上官にしか渡されない通信用の魔道具が駐屯兵全員に支給されている。

 既に四肢が生え、完全にゴーレムの形を成した眼前の異形を前に、男は援軍が来るまで少しでも足止めをしようと自らの杖を取り出した時だ。


「づっ!」


 後ろから鈍い衝撃。突然蹴り飛ばされた男は踏ん張ることも出来ず、顔をモロに地面に打ち付ける。

 男は激痛に悶える中、何が起きたのかと後ろを振り返ると、今にも男の顔めがけて足を振り抜こうとする青年が見えた。


「やめぽごっ!?」


 制止の声を上げる途中で男の口の中に青年のつま先がめり込み、喉に男の短くない人生の中で感じたことのないような激痛が弾ける。

 無様に転がった男は、口を抑え、あまりの痛みに蹲る。だが、それが男の運の尽きだった。


「はっ!?」


 己の周りに月明りを遮るように影が出来た時、ようやく男は顔を上げる。

 影の正体は、岩石の拳を振り上げる巨大なゴーレムだった。


「ゆるしっ」


 何に謝るのかも分からないまま、男が反射的に言葉を紡ごうとしたとき、頭蓋の頂点に強力な圧力を感じ、次の瞬間には、男の意識は無くなっていた。






 少しだけ開いた窓から、初夏の涼しい風が室内に入り込んでくる。


「状況は?」

「どうやら、街の至る所で突如魔導ゴーレムが暴れ出したようですね」


 カレンが眠る病室の一角に置いてあった椅子に座ったレインに、先ほど入ってきた青髪をサイドテールに纏めた女性は頷いた。上着の右袖に付いている紋章から、どうやら駐屯兵団の人間のようだ。


「魔導ゴーレムってことは、何か魔法が付加されているんですか?」

「現在確認されている七体のゴーレムは、全て『強化(リィンフォース)』の魔術が付加されているようです」

「となると、魔力を持たない一般の兵士では相手になりませんね……」


 四年の男子生徒が唸りながら腕を組む。

強化(リィンフォース)』の魔術は、魔術の中でもかなり基礎の部類に入るものだが、その効果は、対象の身体能力を引き上げるという至ってシンプルなものだ。

通常は魔法師が近接戦闘に持ち込む際などに使われるが、当然のようにゴーレムに使用すれば、特に防御の面において、かなりの厄介さを持つ。


「それともう一つ、これは身内の恥を明かすようで恥ずかしい限りなのですが、どうやら駐屯兵団において敵側に寝返っている者が複数出ているようです」

「なんですって!」

「……きな臭くなってきたな」


 魔力を使って聴覚を研ぎ澄まし、ずっと耳を澄ませていたフィーナは、その女子生徒の小さな悲鳴に眉を顰める。今のフィーナには少しの大きな音でも、ちょっとした爆発音のように聞こえてしまうのだ。

 しかし、それはともかくとして、今の話には違和感がある。確かに、駐屯兵団とて善良な人間だけではない。中には手配者と交流を持ち、兵団内部の情報などを外に高値で提供しているような連中も確かにいる。だが、そのような人間というのは総じて自己保身については人一倍敏感なのが特徴だ。まさか、こんな最前線でゴーレムが仲間にいるとはいえ自分の正体をおめおめと晒すとは考えづらい。

 カレンのベッドの傍に立ち、窓から外の様子を眺めていたフィーナは、先ほどから押し黙っているレインに対し水を向けた。


「それで、アルダール先輩。私たちはどうするんですか」

「……聞くところによると、ゴーレムの出現位置はバラバラで、中には病院(ここ)からかなり距離が離れている所も多い。おそらく陽動だろうな」


 静かに答えたレインに、扉付近で佇んでいた駐屯兵団の女性も頷く。


「ええ。シヴァ団長もそのように考えていますが、放置するわけにもいきません。そこで駐屯兵団は、必要最低限だけ増援を送り、足りない戦力は他の所から回すようにとのことです」

「他の所――つまり俺たちから出せってことか」


 男子生徒が溜息を吐く。フィーナも心中穏やかではなかったが、シヴァ団長とやらの考えも理解できた。確かに、この状況で他に人員を割き、肝心のカレンを護れなければ本末転倒だろう。

 カグヤと違い、駐屯兵団は歴とした兵士で構成されている組織であり、この任務での重圧は相当なものなのだろう。


「シヴァ団長からは、仮にアルダール殿が直接ゴーレムを叩きに行って下さるのなら、オルテシア王女殿下の護衛は必ずや全うするとの言伝も受けていますが」

「――いえ、その必要はありません」


 遠回しにレインたちをお役御免にしようという言伝を、レインははっきりと断る。


「カレン・オルテシアはセルベス学園の生徒。ならば、可能な限り俺たちの力で護りきるのが道理でしょう。ゴーレムの方は要請通りこちらからも人員を回します。うちの部下は優秀なので、送った人員だけで事足りるでしょう」

「……承知いたしました。そのように団長にはお伝えしておきます」


 自信たっぷりにそう言い切るレインに、駐屯兵団の女性は柔らかい表情を作った。


「……何かおかしいことでも?」

「いいえ、ごめんなさい。うちの後輩も、随分頼もしい子がいるなと思いまして」

「するとあなたは……」

「シャロン・ローズ。第六十一期卒業生です。駐屯兵団からカグヤへの連絡は基本私を通して伝達されますのでこれからよろしくお願い致します」


 恭しく頭を下げる女性、シャロンだったが、頭を上げた時の彼女の表情は悪戯っぽい笑みを形作っていた。泣き黒子が特徴の、理知的な雰囲気を纏った女性だ――。




 ヒュッ。




「――ッ!」


 一瞬、室内の空気が弛緩しかけた時だった。

 僅かに開かれた窓、その先から聞こえた本当に小さな風を切る音が聞こえた時、フィーナの身体は反射的に動いていた。


「『魔力障壁(マナウォール)』!」


 指輪型の魔道具に刻まれていた『魔力障壁(マナウォール)』の魔法をフィーナは持てる最大の速さと強度で展開。直後に窓ガラスが盛大に砕け散り、障壁に鋭い衝撃が走った。

 予想通りのタイミングで来た不可視の矢だったが、それは予想以上の威力を持っていた。


「ッ……はぁ!」


 しかし、ここで負けてたまるものか。

 フィーナは、障壁に更に魔力を叩き込み、障壁の強度を底上げする。

 すると、確かな手ごたえと共に、ガツンと言う鉄同士がぶつかり合うような音。

 無事だった窓ガラスがまた砕け、フィーナの視界の端で、昨日見た鉄製の矢が下に落ちていくのが見えた。

 やった……!

 『狩人』の不可視の奇襲を防いだという喜びと共に、フィーナは次に取るべき行動を理解していた。

 傍に置いていた自分の魔法剣を掴むと、フィーナはまだ呆然としている一同に向けて一言だけ言った。


「それでは、後はお願いします!」


 返事も待たず、フィーナは外枠だけになった窓に足を駆けると、『疾風(ゲイル)』の魔術を発動させ、爆ぜるように外へと飛び出す。

 未だ呆然とするレインを除いた一同の中で、シャロンが一言だけ呟いた。


「本当に……頼もしい後輩ね」


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