埒外の結末
本幕もかなり終わりが見えてきました。
「くっ……」
体勢を崩していたことに加え、魔晶石も使えなかったこともあり、力負けして吹き飛ばされる。壁に打ち付けられながらすぐさま魔晶石を取り出そうとするがエトの追撃が早かった。
「その石さえ使わせなければ私の勝ちは揺るぎません」
「つっ……」
壁際のために後退も許されず、僕はそのまま劣勢を強いられる。分かってはいたが、エトの体術の腕は相当なもので、パンチを中心とした高速格闘だ。手数が多く、間隙の隙をついたこちらの針の孔を通すような反撃も肘や手の甲でカットされる。攻防一体のその動きはマティアスの暗殺に特化した一撃必殺の拳とは違うが、超近距離戦ではこちらの方が厄介極まりない。
このままでは嬲り殺しにされると判断した僕は、止む無く『霧幻泡影』を発動する。魔晶石を使わず、自分の魔力だけで発動させたため、膨大な魔力をもっていかれるが、魔法に気付いたエトが攻撃の手を止め、後退したために一時的に距離が生まれる。
その好機を逃すまいと魔晶石を砕こうとしたところで足元に魔法を仕掛けられたことに気付く。大きく跳躍した瞬間、眼下から『岩氷柱』が複数出現する。
「『重力』!」
「くっ……」
足元に迫った岩を蹴り砕きながら、同時にエトに対し中級魔法を発動させる。あの程度ではすぐに無効化されてしまうだろうが、今まさにこちらに飛びかからんとしていたエトへの牽制の役割は十分に果たすことができる。足元に注意が向いているうちにこちらに接近し、再び超近距離戦に持ち込もうとしていたのだろう。まさに読み合いの勝負だな。
『岩氷柱』を蹴散らし、着地した僕だが、今度は無闇に魔晶石を取り出す愚は冒さない。同じく『重力』を無効化したエトと再び対峙し、出方を窺う。
「してやられたね。魔晶石を使わせない……シンプルだけど、僕に対してこうも有効な戦術を取ったのはエト君が初めてだよ」
「私は誰よりも先生のことを見ていました。先生がいなくなった後もそう。色々調べたり、話を聞いたりしたことが、まさかこんな形で活用されるとは思いもしませんでしたけど」
そもそも魔晶石の存在自体が、僕と戦う相手にとっては埒外なものだ。そのうえ、万が一その存在を知っていたとしても、一秒とかからず砕くことができる魔晶石を封じるなど、普通の魔法師であればできるはずもない。そう、普通であれば。
僕は大きく息を吐いた。こういうとき、『シャロン』があればいくらでもやりようがあったのだが、今無い物ねだりをしてもどうしようもない。足を肩幅より少し広く開き、重心を落とし、拳を前に突き出す。オーソドックスな空手の構え。
「もう魔晶石を使うのは諦めたんですか?」
「うん。それにエト君に使ってしまえば、無用な傷を負わせてしまうかもしれないからね」
「………………流石先生。優しいんですね」
エトの周囲が数℃ほど気温が低くなったように感じる。僕の軽口が気に障ったのだろう。冷たく怒るエトの姿も見たかったのだが、生憎霧に包まれてよく見えないし、第一そんな余裕もなさそうだ。
それも僕は余裕の表情を崩さず、微笑を浮かべた。元教え子の前なのだ。情けない姿を見せたくないというのは教師として当然の考えだろう。
「来なさい、エト君。君の体術は素晴らしい。そこで、もう一歩先の体術を僕が教えてあげるよ」
「へえ、それは楽しみ、です!」
エトの姿が掻き消えた。その直後、横合いから仕掛けてきたエトの攻撃を“すり抜ける”。
「え……ぐっ!」
何が起こったのか分からないというエトに掌底を入れると、苦悶の表情を浮かべながら後退する。ダメージはほとんどないだろうが、僕の狙いは別にあった。
「ッ、『天衣霧縫』が……」
「君に直接触れたうえで『看破』を使えば、僕でもそれは剝がせるよ」
エトを覆っていた魔法が霧散し、正体を露わにしたエトに僕は笑顔を浮かべる。「君はそんな美貌をもっているんだ。隠していたら勿体ないよ?」
「ッ、馬鹿にして……」
エトと僕は同時に地を蹴る。交錯する瞬間、エトが再び拳を繰り出すが、それも僕の身体をすり抜けるようにして当たらない。
「どうして!」
「『霞の歩法』という特殊な技術でね。基本は気配を殺した状態で移動することに特化しているのだけれど、使い方によってはこうして間合いを崩し、攻撃をすり抜けることができる」
つまり、気配を消すことができるならば、逆に気配を強めたり弱めたりすることで相手の間合いを狂わせることができるということだ。まあそのためには相手の攻撃してくるタイミングを測らなければいけないし、僕の軽口で冷静さを欠いている今のエトでなければまず成功しない技なのだが。
「ッ、なら……!」
エトが両の拳を引き絞る。あの動きは知っている。一つの呼吸のうちに八つの拳を打ち込むマティアスの絶技、八機手だ。手数を増やすことで霞の歩法の突破を狙っているのだろう。確かにアレは躱せない。身体能力に大きな隔たりがある今の僕とエトでは同じ技を使っても間違いなく負ける。ならば出させないまでだ。
「なっ……」
エトが硬直した。技を出そうと一歩足を踏み出した瞬間に僕が殺していた気配を全開にし、あらんかぎりの殺気をエトにぶつけたからだ。
『天地』と呼ばれる一種の遠当てのような技術。マティアスや僕のように常時気配を殺している者が使えば一時的に相手の動きを止めることができる。
「雷手(カンク―)――」
その隙を見逃さず、雷の如き速度の突きをエトに叩き込む。これは流石に防御されるが、再び距離が開き、悉く自分の攻撃が潰されたことでエトは警戒し、こちら窺う。いくら強く、技術をもっていようと彼女はまだ二十一、僕とは場数を踏んだ経験が違う。会話による挑発や未知の技術と邂逅したり劣勢に陥った時の判断能力では僕に軍配が上がったようだね。
「しまった!」
僕が魔晶石を取り出した瞬間、エトはようやく自分の失策を理解した。僕の魔晶石封じは常にエトが攻勢を仕掛けなければ成立しない戦術だ。だが彼女は、見たことのない数々の技と一時的に(本当に一時的に、だ)劣勢に陥ったことで警戒し、受けに回ってしまった。まさに僕が思い描いた通りに。
「王手、だね」
魔晶石を砕いた瞬間、膨大な魔力が流れ込む。全身を満たす万能感。その力を右手に集中させ、僕は『霧幻泡影』を発動させる。「負けを認めてくれないかい? 君を傷つけたくないのは本当なんだ」
「なにを……まだ何も終わっていません!」
意を決したように叫んだエトが同じく右手に『霧幻泡影』を発動させる。ここに来るまでにスイランとも戦闘しているはずだし、彼女もかなり消耗しているはずだ。残りの魔力を総動員させてここで勝負を決めるつもりか。
「エト君、どうしてそこまでする。君は十分頑張った。今は僕もいる。アルティ君もいる。それでいいじゃないか。どうして王国を瓦解させることにそこまで固執する」
「あなたが……あなたがそれを言いますか! アルティちゃんが死んで、あなたまでいなくなって……私がどんな思いでこの五年間を過ごしてきたと――――大好きだった二人がいなくなって、私がどれだけ悲しんだのかも知らないくせに!」
「君こそ僕がどれだけ君を心配したか分からないだろう!」
初めて僕が怒声を上げたことにエトは驚き目を見開いた。考えてみれば、僕がここまで彼女を怒ったことなどこれまで一度もない。だが、これだけは言っておかねばならなかった。
「僕が異世界に飛ばされ、一年間こちらに帰ってくることを画策している間、あの後エト君がどうなったかをどれだけ考えたか、君こそ分かっているのか!? そしてこの前、両の足で立つ大人に成長した君を見て、驚いたけどどれだけ僕が嬉しかったことか……」
「先生……」
呆けたように口を開けるエト。大人になったエトは背も伸び、大人の女性としての色香を纏わせている。だが、僕にとってエトはエトのままで、友人の一人娘であり、かけがえのない大事な生徒のままだった。
「もう、失いたくないんだ。何も。君のことも、アルティ君のことも全て僕が何とかする。だからもう、僕にこれ以上大切なものを失わせないでくれ……」
最後はもう嘆願だった。あらゆる絶技を存分に出し合い、お互いの両手には必殺の魔法を纏わせているこの状況では考えられない願い。だが、この極限下だからこそ、僕たちの言葉は本心として言葉に現れたのだと思う。
「私は……私、は……」
「エト君……」
混乱したように左手で頭を掻くエト。呼びかけるとエトはこちらを見た。僕は笑みを作るでも何もなく、ただ彼女を見つめる。これが一番彼女の気持ちに届くと思ったから。
「……先生」
ふと、エトが笑った。それは記憶の彼方、五年前のあのラグーンドームで、エトが両足を失い、無数の火炎が僕たちに迫った時、彼女が浮かべたのと同じ類の笑みだった。
しょうがないなあ。
「エト君……」
エトが両手を下ろし、首を傾けた。そこにあった戦意は最早なく、僕も思わず安堵の息が漏れた。エトがこちらに一歩足を踏み出す。
「――――――――――――あ」
「あ?」
聞き間違いかと思った。だが、如実な変化があった。
エトの瞳から光が消えた。
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