異変
ホームルーム終了後、各々が各教室に移動していく中、ネロが僕の元にやってきた。相変わらず口元には淡い笑みを浮かべており、瞳から感情は読み取れない。
「あの様子ですと、テオさんの件、上手く行ったようですね」
開口一番、ネロは何の気なしにそう言った。僕は教室を一瞥し、残ったのが僕とネロだけであることを確認した後、笑みを浮かべた。
「ああ、この前の転移させてくれた件だね。君のおかげで大幅に時間を短縮して竜の島まで行くことができたよ。改めて礼を言わせてくれ。おかげでテオ君の父親である龍王と話をすることができたし、おかげでテオ君も意欲的に講義やホームルームに出る気になってくれたみたいだ」
「ふふ……いえいえ、ロラン先生の行った偉業に比べれば大したことはしていません」
ネロはさもおかしそうに笑みを浮かべ、それから僕の顔を見て、
「本当に見ていて飽きない御方ですね」
と言った。
「……君も、そろそろ教室へ向かいたまえ」
僕はそれには答えず、ただ教師としての言葉を掛けるにとどめた。ネロは竜の島へ迎えに来てくれたときに僕が担いでいた“お土産”を目にしている。どちらにせよ、この話題をあまりこんな場所でするわけにはいかなかった。
「ええ、分かりました。また何か力になれることがあったら言って下さい」
立ち去るネロの背中を見送りながら、僕自身、未だにネロを信用していいものかどうか判断できていないことを自覚する。彼はモルディと同じで僕の正体を知っているし、そのうえで今は協力的だが、今後どうなるかまでは分からない。彼の魔法は貴重だし、是非このまま友好的な関係を維持できればいいのだが油断はできない。いつどこで手のひらを返しても大丈夫なように動くとしよう。
ホームルームが終わった後、僕には講義が入っておらず、時間もあったので、今朝話したことをホームルームに出ていなかった二人、ソフィーとスイランに伝えに行くことにした。
ソフィーはいつも通り、弓道場のような屋外演習場で自己鍛錬に励んでいたためすぐに見つけることができた。
「そうですか……王国がバリアハールを……」
特別クラスで唯一校外演習への同行を拒否したソフィーは、王国が再びバリアハールを奪還したことを受けて複雑な表情を浮かべた。本音としては王国が領土を奪還したことに喜びたいのだろうが、クラスの一員としてそれを手放しで喜んでいいのだろうか困ったのだろう。
「ソフィー君、この学校の生徒は一人一人が生まれも育ちも違うし、それぞれに事情があることは僕たち教員も理解しているんだから、ここは素直に喜んでいいところだよ」
「……はい、お気遣い痛み入ります」
そう言って困った笑みを浮かべるソフィー。まったく、自分の立場を理解できる頭脳は考えものだね。
「それでもう一つの件なんだけど……」
「はい。ポートレイルの方は私にできることがありましたらなんでもおっしゃってください。以前の校外演習では私の我儘から不参加でしたし、その分街や学校に恩返しさせていただかないと」
「いや、そんな重く受け止めなくてもいいんだけど……」
「そういうわけには参りません。聖アレクシス王国第一王女として、是非私にお力添えをさせてください」
ずいっと前のめりにソフィーに僕は苦笑して手を振った。
「わ、分かったよ。人手が必要になったら真っ先に声を掛けるからよろしく頼むよ」
「はい。こちらこそよろしくお願いいたします」
ソフィーとはそうして別れたが、その後もう一人の生徒であるスイランは校内をぐるっと回っても見つけることはできなかった。朝の時点で『魂魄結界』を発動させたときには校内にいたのだが、今は校内にすらいないようだ。結界の範囲を広げることもできたが、それほど火急の用事でもないし、これ以上結界の範囲を広げて消費魔力を増やせば誰かに勘付かれる可能性もある。モルディやネロならともかく、他の生徒や教員に気付かれるのは避けたかった。
まあ今度、顔を見せたときでいいか。
そう考えてその日は捜索を打ち切った。だが僕のこの甘い見立ては失敗に終わる。
その日からスイランは学校に姿を見せず、行方をくらましたのだ――
「遂にポートレイルの市長から正式に依頼が届きました」
数日後、僕たちのいる職員室に珍しくマスター・モルディが姿を現した。いつもは他の管理職を通じて連絡などをしているため、こうして学長自ら僕たち一般教員の前に姿を見せることは極めて稀な事だった。
だからこそ全員が悟る。モルディが直々に伝える必要があることが起こったのだと。
「ここ数日、ポートレイルに外部から来た手配者の数が増え、魔法犯罪が多発していることは皆さんもご存知と思います。現在、街の憲兵団も総力を挙げて事態の収拾に努めていますが、憲兵団の多くが王国との戦争に駆り出されているうえに、国からの増援もありません。そこで我がラムダス魔法学校から増援を求む旨の依頼が私宛てに届きました」
やはりか、と思うのと同時に、周りの教員もひそひそと囁き合う。以前、ポートレイルが同じようにラムダスに増援を依頼したとき、事件解決後に多大な見返りをモルディが求めたことから、それ以降ラムダスに依頼を出すことはぷつんと途切れてしまっていたらしい。つまり、そういう見返りを求められることを承知で今回増援を求めたというわけだ。それだけ街も逼迫した状態であるということだろう。
「今回の依頼は私の権限をもって既に承諾済みです。募集定員は特に制限を設けず、生徒及び教員、どちらも志願者であれば承諾することにしますが、原則三級魔法師以上とします。報酬などについては検討しますが、決して悪くない条件を提示する予定です。まあ五体満足で生きて帰れば、ですが」
最後の一言に職員室が静まり返る。現在目撃されている手配者たちの顔ぶれは精々レートCからA-程度なので、三級魔法師なら正面きっての戦闘であれば死ぬようなことはないと思うが、万が一は常に存在する。教員にもそれを自覚させるのと同時に、子供たちに伝えるときにもこの可能性を十分に示唆するようにというモルディなりの“教育”なのだろう。
「募集期日は本日より二日後。生徒にも同様に伝えるようにしてください。それでは、解散――」
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