ラーマ・コンツェルン
長く空いてしまいました。申し訳ありません。
破壊された噴水の中で、聖天剋はゆっくりと身を起こした。
肩で大きく息をし、酷使された五体には疲労が蓄積し、最早立つのすら億劫なほどだ。
「なんで……どうして……!?」
しかし、劣勢に立たされているのは相対する空離だった。
「あと八体か」
最初は数百はいたであろう空離を模した使い魔。さらにその使い魔一人一人には『リッパ―』最凶の能力である当たれば即死の能力を有する鎌を持たせており、身体能力だって申し分ない。その使い魔が今となっては両手で数えるくらいの数まで減っているのだ。最初は余裕を見せていた空離も、最早動揺を隠す余裕もなかった。
聖天剋が構える。かなり消耗しているにも関わらず全くそれを感じさせない隙のない構え。殺気は皆無であり、最早存在すらも霞のように朧げだ。
「お前と遊ぶのにも飽きた。まとめて来い」
「ッ……私を、下に見るなァ!!」
八つの影が一斉に動く。それらは聖天剋を包囲するように駆けるが、それを許す聖天剋ではない。一番近い使い魔の前に一瞬で移動し、振るわれた大鎌の一撃を冷静に躱し、貫き手で胸を穿つ。それを好機と見た使い魔の二体が挟み込むように両側から首と腿を狙った横薙ぎを放つが、直後に身をかがめるようにして跳躍した聖天剋の手刀、足刀で頭蓋を砕かれ、四散する。
「……ほう」
着地と同時に今度は背後から一体。特段慌てもせずカウンターで仕留めようと考えた聖天剋が僅かに驚嘆の声を上げた。反撃をキャンセルし、全力で地を蹴って距離を稼ぐ。
「ぬうっ!」
直後に鎌鼬のような鋭い斬撃が空を切る。先ほどまで難なく屠っていた使い魔とは違う、より洗練され、研ぎ澄まされた死神の一振り。狙いも首や胸といった急所ではなく、致命傷にはなりにくい代わりに避けるのも難しい箇所だ。
「ようやく本体のおでましか」
「調子に乗るなあ!」
髪を振り乱し、空離は大鎌で思い切り地面に破壊する。土煙で視界が閉ざされ、大量の石礫が聖天剋に殺到する。
『リッパ―』の能力はあくまで自身によって傷を負った者を即死させる能力。であれば、隙を見せてまで躱す必要もない。聖天剋は高速で飛翔する礫を身じろぎ一つせず受けきる。あの女、予想以上に膂力があったようで小石は弾丸のように身体に食い込み、仮面に幾つもの亀裂が走る。
「――そこだな」
代わりに、土煙の中を駆ける足音を捉え、的確に急所に貫き手を差し込む。聖天剋から襲撃を受けるとは思っていなかったようで、一秒にも満たない間に、本体以外の使い魔を楽に消すことができた。
しかし、使い魔を消されることは空離にとって想定内だった。
「……ほう」
背後を取られた。
それまでの激しい殺意が嘘のように消え、更に聖天剋の耳でさえ捉えられなかった足音。先ほどまでの激昂した様子も全てこのときのための布石だったのだとしたら大した役者だ。
完全な死角を突いた空離の一撃。コンパクトな横薙ぎの攻撃は大した威力にはならないが、予備動作も必要がないうえに速い。当てれば勝ちであるリッパ―の能力を最大限活かした攻撃。流石の聖天剋も躱すことは不可能な必殺の一撃。
「――――破極」
「ウッッッ!?」
リッパ―が聖天剋の身体に触れ、刃が皮膚に食い込む直前でリッパ―に流し込まれていた神聖力が反転した。
神聖力は流し込まれた元へと逆流し、空離の身体を内から破壊する。
「全力の一撃だったら死んでいたな」
幸い、碌に神聖力を込めずに放った速度重視の一撃だったため、致命傷を逃れた空離。そこに仮面の下部が壊れ、口元のみ見えた聖天剋が邪悪な笑みを見せた。「まあ、数秒延命しただけだが」
神速の手刀。それが空離の首を刎ねる――――そのときだった。
ズゥウ―――――――ンン
「……なんだ?」
大地が何かを恐れるかのように震え、これまで聞いたことのないような重低音が聖天剋の鼓膜を震わせた。
そしてその刹那の隙を逃さず、空離が跳躍。必殺の手刀から逃れると、全力で逃走する。六道を殺す絶好の機会を逃したことに忸怩たる思いの聖天剋だったが、今はただ上空を染め上げる赤い波動に目を奪われるしかなかった。
Side カナキ
その轟音と莫大な魔力を感じたとき、カナキは思わず足を止めた。エイラとアッシュも足を止め、茫然と空を眺めている。
上空は血の海のごとき深紅に染まり、波打つように時折うねりを見せる。幻想的な光景であるが、“ソレ”の出所がちょうどラーマが逃走した先だと分かった瞬間、僕は体を反転させていた。
「なっ……」
「チッ!」
それまで逃げ一辺倒だった僕が急にエイラ達に向かったことで二人は動揺しながらも形ばかりの迎撃態勢を取る。だが、今はそれの相手をしている暇すら惜しい。魔晶石を砕いた僕は一気に加速する。
「どきたまえ」
『ッ!?』
『か、カナキ隊長!?』
インカムからはティリアの驚いた声が聞こえてきたが、今は応えている余裕はない。使ったのは中級魔法の『念動』、魔力を介して対象を動かす魔法だが、魔晶石を使えば人二人を突き飛ばすくらいは難しくない。
二人が尻もちをついた隙に僕は一気に跳躍。眼下では物凄い勢いでエイラとアッシュが小さくなっていくが、そこでベルグの姿がないことに気づく。どこへ行ったのかは分からないが今はかまっている余裕がない。
膨大な魔力の衝突を確認し、その爆心地に着くまでは三十秒とかからなかったと思う。魔力の衝突が上空だったために、街への被害は少なかったが、それでも背の高い建物などは天井が吹き飛ばされており、どれだけの破壊力を秘めた力がぶつかりあったのかが分かる。そして、一番被害が大きい焼け野原となった場所にラーマは血まみれになって倒れていた。
「ラーマさ――」
僕の背後から振るわれた一撃に反応できたのは、心の中の冷静な自分が待ち伏せの可能性を予期していたからだ。
前につんのめるような態勢になった僕は、頭上を掠めた刃を見た瞬間、反射的に後ろ回し蹴りを放っていた。
「……本当に別人のような動きだな」
僕の蹴りを刀の腹で受け止めた翠連は驚愕の瞳を注ぎながらそう言った。蹴り足をひいた僕に追撃の一太刀を放ち、僕がそれを後退して躱したことで、二人の間に距離が生まれる。
「翠連、さん……」
「お前に名を呼ばれるなど虫唾が走る……と、前までなら言っていたが、特別に許す。お前は私と闘える強者だ。強者には私も一定の敬意を払おう」
翠連は無表情にそう言うと、視線をラーマに向けた。それで僕は、ラーマが戦った相手がやはり翠連だったという確信を得た。
「あの老人、ラーマ・コンツェルンも強者だった。だが、あの男は最後に判断を誤った。街を護るために勝利の可能性を捨てるなど、戦っている者に対する侮辱に他ならない」
これまで、ただ嫌悪されてること以外何もわからなかった翠連だが、今こうして話すことで彼女の人となりが少しだけ分かってきた気がした。つまり、彼女は闘争を求めているのだ。より強く、自分を高めてくれる相手を。
「修羅道の専門は『闘争』だ。人間道であった裳涅が対話によって相手を審判したように、私は闘いによって審判する。そうして認められた者だけが六道となり、最後には天道になる」
「つまりは六道にも序列がある、ということですか?」
「当たり前だ。六道はまず畜生道に始まり、餓鬼道、人間道、地獄道、修羅道と続き、最後に六道の最高位にあたる天道が来る。そこに突如、無道という秩序を乱す存在も現れたがな」
「それは別に僕が望んでなったものではないのですけど……」
話しながら、どこか隙を見てラーマを連れて逃げようと機会をうかがっているが、当然のように翠連には隙が全くない。早くしなければ、ラーマの手当が間に合わない可能性がある。
「……それで、次はその邪魔な六道である僕を殺すんですか?」
「お前と手合わせしたいのは山々だが、流石に私も消耗している。万全の状態で戦いたいのが本音だが、全ては聖イリヤウス様の決定に従うのみ」
「けどそのイリスは今はここにいない。となると、君はどうするつもりだい?」
「何を言っている――――先ほどからずっとそこにいるだろう」
「え――――ッ」
翠連の視線の先を見て凍り付いた。
認知した途端、空気が変わった。一度見たら絶対に忘れない妖精のような風貌であるイリスは、今は木々が茂る森の中にいるのだから、本当に人間ではない別の生き物に見える。
だが問題はそこではない。なぜ僕はこれほどの存在感を放つ彼女を翠連に言われるまで認知できなかったのか――――
そしてそのとき、イリスの背後に影が差した。
下半分が壊れ、口元のみが露わになった聖天剋が一瞬のうちにイリスの背後を取り、今まさに殺さんとしていた。
「詰みだ」
「させるか下郎」
そして完璧に思えた聖天剋の暗殺を阻んだのが翠連だ。先ほどまで目の前にいたのに、気づけばイリスと聖天剋の間に割って入り、手刀を刀で受け止めた。聖天剋も別段驚かず、刀を悠々と素手で合わせている。
そして、その機を僕は逃さなかった。地を蹴った僕は瞬時にラーマの元までたどり着き、この場を離れようと彼の身体を掴む。
「ラーマさ……」
そして、彼の身体が異常に軽いことに気づいたとき、もう助かる見込みがないことを確信した。
ひゅーという隙間風のような音で呼吸をしているラーマが、碧眼の瞳を僕に向けると口元をゆっくりと動かした。
め を
眼を。
それが彼が言おうとした言葉であり、それだけで彼が、ラーマという男が僕のことを全て――過去も含めて――知っていると確信した。そして彼が自分の眼を託すことで、僕に、こんなことをしてきた僕に成し遂げてほしいことがなんであるのかも同時に理解した。
そこまでを瞬時に悟った僕はもう迷わなかった。地面に横たわる彼の右目に指を入れようと僕が腕を上げたとき、
「――やっぱりその眼がカナキの目的だったのね」
「墳ッ」
振り下ろされた大木のような足が目の前でラーマの頭を粉砕した。
果物を踏み潰すようなあっけなさで、ラーマは今度こそ、自分の最後に託したかった物諸共、永遠に葬り去られたのだ。
「お疲れ様、閻魔」
「はっ」
僕の前に立る閻魔が、イリスに向け恭しく礼をする。ラーマと僕の、刹那の間心を通い合わせたことでさえ、目の前のイリスは予期し、そして対策していたと分かったとき、僕は――――飛び出した。
読んでいただきありがとうございます。




