ザギール併合 下
長かった13章もこれで終わりです。
「あなたは、私にあなたを人畜無害だと刷り込ませようとしているようだけど、それは無理なことよ。他の六道は別にしても、私はあなたを簡単に御せる相手ではないと思っているし、状況によっては、あなたは私に反旗を翻す可能性が高いと考えているわ。または、もう水面下で動いているとか、ね」
「…………ずいぶんと、君の中の僕は大それだことを考えるようだね」
「最初の任務で国の聖地を破壊するような人よ? 当たり前じゃない」
やれやれ、参ったね。
僕はもう、何か言葉を口にする度にイリスに真意が読み取られそうに思えてきた。最後の台詞は恐らくハッタリだが、彼女ならば僕と聖天剋が裏で繋がっている可能性まで考えているかもしれないな。僕と彼の格の違いを考えたら有りえないってことはすぐに分かると思うのだけれど、イリスに普通を求めてはいけないことは既に十分に理解している。何を言っても無駄かな、という意志を込めてとりあえず肩を竦めてみた。
「――不敬が過ぎるぞ」
閻魔が呟いた直後、音もなく巨体が眼前に迫っていた。
次の瞬間、大木のような拳が振るわれた。
岩さえも砕いて当然と思われるような速度、頬を撫でる風圧。しかし、それだけだ。
閻魔が肩眉を吊り上げた。自分の拳が空を切ったことに驚いたらしい。
そうさ、そういう顔が見たかったんだ。これで少しは聖天剋という化け物と死闘を演じたかいが
あったってもんだよ。
「案外、表情は豊かなんだね」
「……」
ここぞとばかりに軽口を吐くと、閻魔からのプレッシャーが跳ね上がる。これまで相対した相手と比べても五指には入る重圧だが、それでも僕はひるまない。
「やめなさい閻魔。この城を瓦礫に変えるつもり?」
「……申し訳ございません」
予想通り、イリスがそれを咎め、閻魔は戦意を霧散させる。自分の考えた通りの結果とはいえ、内心ほっとした。思えば、イリスが思い通りの行動をしてくれたことなんて今回が初めてかもしれない。
「カナキ、これだけは分かってほしいのだけれど」
居住まいを正して(そもそも最初から正されていたが)改まった口調でイリスがそう切り出した。自然と僕も背筋を伸ばし、唇を引き結ぶ。
「私はあなたを多少なりとも好ましく思っているわ。私にこうもフランクに接してくれるのはあなたしかいないし、それでいて愚かではない。私の会話レベルについてこれる人ってそうはいないの」
「いやいや、全然ついていけてないけど」
君の真意を汲み取るのなんて恐らく誰だって無理だ。
するとイリスはくすくすと面白そうに笑った。
「勘違いしているわよ、カナキ。別に私の心の中の全て、考えを全て読む必要なんてないの。だって、“普通の会話”ってそういうものなのでしょう? あなたは私の考えを読むことはできないし、私もあなたの考えの“全ては”読むことができない。だからこそ会話し、交流することでお互いを少しずつ分かり合う。人と接するうえでこんなに楽しいこと、私は知らないわ」
「……なるほどね」
つまり、僕にとって命がけ、そして持っている頭脳をフル回転させてやっと成立させている会話は、彼女にとっては本当にただの“おしゃべり”なのだ。レベルが違いすぎる。全く、嫌になるね、本当に。
とはいえ、ここで謙遜しようが彼女の決定事項は狂わない。僕は諦めて息をゆっくりと吐いてから言った。
「それで、次の任務はなんなんだい?」
「ちょっとカナキ。私をまるで人使いが荒いみたいにしないで。これだけの大仕事をしたのだもの。しばらくは首都のエーテルで待機よ。ザギールとの和平交渉もあるしね」
「植民地化の話し合いではなくて?」
「まさか。エーテル教は他宗教の信者にも寛容に接するの。まあ、同じ人類として神への信仰を格を下げた首脳陣は一掃するけど」
「まあそれは当然だろうね」
地球の歴史を見ても、敗戦国の首脳陣が断罪されることは珍しくない。しかし、この返答はイリスにとっては意外だったようだ。
「あら、てっきりまた『血も涙もないね、君は』とか悪態を吐かれると思ったのに、意外に理解があるのね」
「言っておくけど、僕が君にそんなことを言ったことは一度もないからね?」
閻魔の方から殺気が漏れるので慌てて付け足す。
しかし、殺気が漏れる敵は本当にやりやすい――――
「……まあいいわ。話は終わりよ」
真紅の瞳が僕から外され、彼女は窓の外に景色に視線を向けた。その動きからも、僕と話すことはもうなくなったのは本当らしい。
「……それじゃあ、失礼するよ」
急な態度の変化に僕は釈然としない気持ちになりながら部屋を後にした。
そのまま廊下を歩きながら、僕は何か彼女を不快にさせる行動を取ったのだろうか、と自分の行いを振り返ったが、結局答えが出ることはなかった。
「閻魔。あなたが六道の中でも長けているものってなんでしたっけ」
カナキがいなくなった後の部屋。窓の外に目を向けたまま発せられた問いに閻魔は答えた。
「二つ――一つは近接戦、それも剣ではなく拳の間合いでの戦闘、もう一つはあなた様を守護することです」
「あなたが私の側近である理由、それはあなた自身の堅牢さと殺意や敵意といった気配を読む力に長けているからでしたね」
「はっ」
「……先ほどの会話の最中、カナキから私に敵意が向けられたことはあった?」
閻魔は記憶を一度反芻させ、首を振った。
「……いえ、一度もありませんでした」
「では、あなたが彼に敵意を向けたことは?」
主の言葉に閻魔の額に汗が浮かんだ。
「……恐れながら、一度だけ、奴のあまりに不遜な態度に拳を振るったあのときだけは、漏れていたかもしれません」
「ふうん、なるほどね」
数秒の沈黙。その後、主はポツリと呟いた。
「一度だけ、ね……」
「は」
「安心して。そのことであなたを責める気はないわ。それより、ザギール併合の打ち合わせの資料を持ってきてください。そろそろ会議室に向かいます」
「はっ」
音もなく巨漢が視界の端から消えたことを確認したイリスは、窓の外の景色を眺める。
既に残暑も鳴りを潜め、聖アーノルド皇国にも秋が訪れようとしていた。
少し伸びた窓からの光を見つめながら、イリスはポツリと呟いた。
「約束、まだ憶えているかしら」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
第13章「神曰く」編はここまでとなります。
この章だけで1年半というとんでもない時間がかかってしまいました。全ては自分の責任であり、いつも読んでくださっている皆さまには反省の念を抱いております。
前の世界の続きがみたい、という御言葉も沢山いただいておりますが、もう少しだけこの世界のカナキを応援していただければと思います。彼の目的は前の世界への帰還、そして彼女と会うことです。到達できるかは彼次第ですが、どんな結末であれ最後までお付き合いしていただければと思います。
御意見御感想等あれば、よろしくお願いいたします。




