新たな指令
イリスの部屋に来たのは、ウラヌス攻略後の叙勲式以来だろうか。しかし、気分はあのときとは百八十度違うものになっているといっても過言ではない。
「どうしました、今日はあなたを労うために呼んだのですから、そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ?」
「……」
シスキマの関所への侵攻を阻止し、逆にこちらがザギール領に隣接する関所を破ってから三日後、僕はまた中央に召集され、重みのあるバッチと有難いお言葉を受けたわけだが、ここに来るのは当初予定にはなかったことだ。
なんでも大司教様直々に、武勲を上げ続ける僕を労いたかったらしい。
「それで、今回はどんな命令ですか?」
「何か誤解をしているようだけど、私は純粋にあなたの行動を評価したいだけですよ?」
「大司教様にそんな暇がないことぐらい僕にだって分かるよ。外で部下を待たせているんだ。早く要件を言ってくれないかな?」
「……カナキ、私、何かあなたに悪いことをしたかしら? どうもあなたから敵意、とはいかないまでも、不快に近い感情が見られるのだけど」
「君は優秀なのだから、それくらい分かっているのだろう?」
「あなたの感情は分かります。けど、その過程までは分からない。恥ずかしい話だけど、私、あまり他人とこうして対等に近い立場で話すことって少ない、というかあなた以外いないかもしれない」
なるほど、天才であると同時に大司教という立場にいるならば、そのようなことになってもおかしくはないか。六道の存在を知る前なら、それも彼女の魅力として僕に映ったのだけれど、今は彼女にも人間らしいところがあったことに多少安堵を覚える程度だ。
ともかく、彼女が疑問に思っていることに正直に答えるくらいはしても良いだろう。答えないと、いつアレに襲われるかも分からないしね。
「……この前の裳涅による審査の件だよ。誰だって、自分が知らないところで試験を受けさせられていたって分かったら嫌になるよ」
しかも、相手は悪気はないが、こちらを完全に下に見ているのだ。そのうえ実際に彼女の部下にぼこぼこにされたのだから立つ瀬もない。
「ああ、そういうことですね。つまりあなたは、利用しようと思っていた私に逆に下に見られていて、そのうえ激昂して襲い掛かった末に返り討ちにあったために立つ瀬が無い、ということですね?」
「……それも無自覚でやっているって言うなら、君は悪魔だね」
「ごめんなさい。今のは少し意地悪をしたくなっただけよ」
くすくすと小鳥のように笑うイリス。相変わらず非現実的な美しさなのがまた頭にくるね。
「それで、イリス君」
「ああ、ごめんなさい。用件だったわね。はい、あなたの言う通り、実はやってほしいことがあったのでお呼びしました」
別に驚きもしない。問題はその内容だ。
イリスの顔が真剣になり、大司教の威厳を持った。
「あなたには大隊を指揮していただき、先日攻略したザギールの関所から侵攻、三ヶ月のうちにザギールの首都、リンデパウルを陥落させてください」
「おいおい……それはいくらなんでも無茶じゃないかい?」
イリスの無茶ぶりと言っていい内容に、僕も流石に困惑する。
「確かに今回関所を破ったことでザギール領への侵攻の足掛かりには出来る。けど、そこから首都を獲る、つまりこの戦争に勝利するためには少なくともあと一年は必要だ。首都を陥落させても、敵本部が南へ逃れていけば、その分追撃には期間が必要となるし、遠征のための食糧だって必要になる。とても三ヶ月のうちには難しいよ」
僕の抗議を聞いても、イリスは優雅に紅茶を啜るのみで動じない。
「カナキはどうやら勘違いをしていますね。私が命じるのはあくまで首都の陥落、つまり、仮に敵の本部が首都から逃れ戦争が終結しなくてもそれはあなたが気にする事案ではありません。それに、おそらく首都を獲ればその時点で戦争は終結します。ようは相手に首都から撤退する暇さえ与えずに落としてしまえば良いのです」
「いや、簡単に言うけど、それが一番難しいんじゃないか。別に、この戦争は既に皇国の優勢だ。あとはじっくり腰を据えてじわじわ侵攻していけば勝てる戦いだ。何をそんなに焦っているんだい?」
そこで、イリスは初めて表情を硬くした。伏し目がちになった瞳からは憂いの色がうかがえる。
「……隣国のガルガンチュア王国が、他国と同盟を結ぶ動きを見せています。タイミングから見て、こちらを牽制するのが目的のようです。そして先日、イスカン帝国の方も動きがありました。なんでも、ザギール侵攻が目的と思われる大部隊を編成しているようです」
「……なるほど。餌の奪い合いだね」
イリスが頷く。つまりは皇国とザギールの戦争が、皇国勝利で終わりそうな空気になったので、皇国がザギールを吸収する前に、自分たちが先にザギールを奪ってしまおうということなのだろう。
ザギールにとっては目も当てられない状況だが、皇国にとってもこれはあまり喜ばしい展開ではないだろう。勝ち戦に時間を掛ければ、その分周辺国家に先に奪われる確率が高まる。いや、最悪こちらがザギールにかまけているうちに逆に皇国を狙ってくる可能性だってあり得る。一方的な宣戦布告は地球の近代においてはマナー違反であり、好ましい顔をされてなかったが、こちらの世界ではどうなのか僕にはわからない。ならば、とイリスが焦るのも頷ける、が。
「だが、そうだとしても、今のイリス君の指令は無謀すぎる。僕を買い被っているようだけど、そんなの他の六道を総動員でもしない限りむずかしい」
あの化け物集団の力を借りれば、先ほどの話も無理ではないと思うが。
「我が国にとって六道とは最終兵器。それが公になることは極力避けねばなりません。突出した芽は早々に摘まれてしまう。六道の存在が知れれば、他国は一斉に皇国へと押し寄せてくるでしょう」
「まあ、そうだね」
だが逆に言えば、今イリスは六道を“国家バランスを変えてしまう”と明言したということだ。それほどまでに、六道の強さは異次元らしい。よかった、こちらの世界ではあのレベルの人間がゴロゴロいるのかと不安になっていたからね。
ていうか、待てよ。
「あの、僕って一応六道になったんだよね? 名言していないといえ、六道である僕が最前線に立っちゃうなんてまずいんじゃないの?」
「安心して。あなたはこれから皇国の“表向き”には最高戦力として扱います。カナキ程度のレベルならパワーバランスが崩れることもないし、逆に無視するには大きすぎる戦力。本当の六道を隠すのにあなたほどの適役はいないわ」
「な、なるほどね……」
つまりこの女、最初からそれが目的で僕に功績を上げさせていたな。本当に賢しい少女だ。
「でも、それならなおのこと、僕の程度は分かっているだろう? この指令はやはり荷が重いよ」
「分かっています。だから私から強力な駒を譲ってあげる。この任務中はあなたの部下として自由に使っていいから、必ず任務を成功させなさい」
「あ、ちょっと!」
話は以上だ、と言わんばかりに腰を上げたイリスに、僕は詰め寄る。
だが、直後に何もなかった空間が歪み、岩のような大男が姿を現わした。
確かこいつは六道の一人。地獄道と名乗っていた男だ。ずっとイリスの傍に控えていたのか。
「話は終わりだ、去れ」
「明らかに説明不足でしょう、これは」
地獄道が立ちふさがる間にも、イリスは扉へと向かっていく。僕が地獄道を無視して通り抜けようとすると、僕の胸に大きな掌が静かに置かれた。
「――ッ!?」
次の瞬間、僕は壁際まで吹き飛ばされていた。
一瞬呼吸が止まり、身体が軋む。
神聖力の類は感じられなかった。一体どうやって僕は飛ばされた?
「指令は追ってイリス様から頂ける。それまでに大隊の編成を行っておけ」
地獄道はそれだけ言うと、イリスと共に姿を消した。
残った僕は部屋でただ唇を噛むしかなかった。
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