弱者の幸せ
この試練は箱庭の中の戯れに過ぎないことは分かってる。
所詮遊びだ、例え食べられたとしても命の保証がされてる世界。
そんな物、実際の自然界と比べれば雲泥の差だというのは分かる。
私が今までくぐり抜けてきた、あの気の休まることが一瞬たりとも無い
あの地獄の様な日々とは全くもって違う。
これはただの試練、試練は所詮物試しに過ぎないのだから。
それでも私は本気で皆を守ろうとする、頭領としてと言うのが強いかな。
ふっふっふ、いや、意外とこう言う場面でしか得意げになれないからかもね。
茜たちに指示を出せるのは、この瞬間、この間だけだからと言う理由かもしれない。
だとすると、随分と自分勝手な理由だね…でも、少しくらいは得意げになりたい。
こう言う場面で位、私は茜たちの役に立ちたいと思うんだから。
昔と違って、大体の事は自分1人で出来るようになった茜の世話を焼けるのは
こう言う場面だけだからね、ふっふっふ、茜たちと1番長い付き合いをしているのは
私だと言う事を、ここで証明してみせるよ~
「茜様、あれが獲物です、これをどうぞ」
「え? や、槍…?」
「はい、流石に素手での拘束は不可能でしょうから、槍を。
木を削って作りました、切れ味は悪いですけど、刺すことは出来ます」
キャンちゃん達が槍を作れたのは意外だと感じた。
あの子達が物を作る姿って言うのは想像出来ないからね。
「う、うん、やってみるよ」
茜が少し強ばった表情になりながらその槍を掴んだ。
茜はあの槍を上手く扱って、獲物を狩れるかな?
結構難しいと思う、槍だからね、弓矢ならまだ分からないけど
茜に渡されたのは槍、近付いて突く事は出来ないはず。
いや、出来るかもしれないけど、その場合は足音を立てないように進まないといけない。
他にも方法はある、あの槍を投げること…だけど、それは困難だと思う。
茜が普段使ってるのは刀で、投げるという行為を殆どしてはいないから。
「……」
茜が最初にやろうとした行動は近付いて刺す行動だった。
これは選択としては正しいと思う、投げるのはかなりの賭けになる。
獲物が止まってる今でも、槍を投げて当てるのは難しいだろうからね。
でも、足音を立てずに近付くのも難易度は高いと思うけど。
足下に障害物がない状態でも困難だというのに、ここは森の中。
足下には枯れ葉がいくつも落ちているし、木の枝も落ちてる。
それを踏まずに、足音を立てずに近付くのは人には難しいはず。
「あ」
案の定、茜は足下にあった木の枝に気付けずに踏んでしまった。
その音に気付いた兎はすぐに茜に気付き、逃げ始める。
「あぁ! ま、待って! え……うぅ、えい!」
槍を投げるとき、茜が一瞬躊躇い、兎の距離が離れ、当てる事が出来なかった。
狙いは凄く正確だったけど、その一瞬の躊躇いのせいで茜の槍は当らない。
躊躇った理由は分かった、それは茜が茜だからだと思う。
今までは反撃すらしなかった茜が、逃げていく兎を相手に躊躇わない筈が無い。
戦う気力も無い、生きるために逃げる事しかしていない兎を
一方的に殺せるほど、茜は非情にはなれないから。
でもそれは、幸せを当たり前と感じている人間だという証拠でしか無いけどね。
「ふん!」
「あ…」
逃げた兎は逃走経路を予想していたキキによって狩られた。
キキは兎を狩るときに、一瞬の躊躇いさえ抱かなかった。
容赦なく、的確に確実に兎の急所を一撃で仕留めた。
その鋭利な爪で、一撃で心臓を貫いたと言う事。
その様を見た茜は、一瞬呆然としていた。
目の前で1つの命が潰えた、小さな兎は僅かな血を流し死んだ。
「茜殿、狩りに情など無意味です、ひと思いに非情に殺さねばなりませぬ」
「…でも」
「可哀想などとは思わないことです、正直言うと、恐怖のまま殺される方が良い。
信頼した相手に裏切られて、死よりも深い絶望を味わうよりは断然ね」
「……」
あの言葉は家畜を指してそう告げたというのは想像に難くは無かった。
私はその経験をした事は無いけど、私で例えるなら
ある程度育ったからと、圭介達に兎鍋にされるような物なんだと思う。
身近な物で例えると、何とも想像しやすいことか。
そして、何とも恐ろしい事か…ちょっとした想像で、すぐに分かった。
「…それは、そうかもね」
茜にもすぐに言葉の意図が分かったように思えた。
茜は周りの考えている事をすぐに理解できるほどに理解力が高い。
あの言葉を聞いて、理解できないような子じゃ無い。
「何かよく分かんないや、どう言うこと? 信頼した相手? 死よりも深い絶望?
無理! あたいにはさっぱり分からない!」
でも、水希ちゃんには理解できなかったみたいだった、でも、私が思うに
水希ちゃんがあの事を理解したところで、さらっと返しそうだけどね。
そんなの、弱い奴が悪いだけじゃん、ってね。
「あれは家畜の事を言ってたのよ、豚、牛、鶏などの肉ね」
「良くわかんないけど、不意打ちで殺せば良いんじゃないの?
そうすれば、絶望とかしないよ? 不意に遠くから殺せば言い。
それなら、裏切られたという感覚にはならないと思う」
…よ、予想の斜め上からの発言だった、確かにそれなら家畜たちは
裏切られたという深い絶望を感じなくてもすむんだけどね…
「よくは分からないけど、つまりあたい達が生き残るには
あたい達が出来る、最も安定した行動を取れば良いんでしょ?
家畜を育てて、最終的に殺して食べる。
それは、あたい達が見いだした、最も簡単で安全な方法。
肉食獣が相手を食らうときに躊躇わないのと同じ様に
あたい達が獲物を獲物とみて育てて殺して食べてるだけ。
裏切りでも何でも無いよ、それは勝手な思い込みでしか無いわけだし。
それに気付けないのが悪い、気付いても逃げようとしないのが悪い。
それに、一定まで成長出来るのと、子供の時にすぐに死ぬの。
どっちが幸せかって言うのもあるからね。
家畜は外敵から怯える必要が無い幸せの対価が平穏な死であるか
野生は怯えながら生きるという不幸の対価が生、その対価すら曖昧でしかない。
その違いでしか無いんじゃ無いの? どっちが幸せかはあたいには分からないけど。
一生怯えてまで生きたいのか。
平穏に過ごし、どんな場面でも避けようが無い死を受入れるのか」
「場合によっては、小さい間に殺されちゃうよ?」
「自然に生きてる方がその可能性が高い気がするんだけどなぁ」
本当、水希ちゃんはたまにああ言う、難しい哲学的な事を言うなぁ。
実際、どっちが幸せなんだろうか、囚われの幸せと自由である不幸。
恐怖に怯えて生きるのか、外敵にある程度まで命の保証がされてて生きるのか。
こればっかりは、今の私には分からないや。
だって、今の私は命の心配も無い立場、限り無く人間に近い立場なのだから。
この箱庭の中でもそう、死ぬ事は無い。
死の恐怖に隣り合わせである筈の空間なのに、私達には命の保証がある。
こうなると、私でも分からないや、どっちが幸せなのか。
でも、今の立場になった私から言わせて貰えば…後者の方が幸せだよ。
ある程度まで命の保証がされている世界の方が、私は幸せだと感じたはず。
あの地獄の様な毎日を過ごしていた私から言わせて貰えばね。
ま、それは隣の芝生は青い、みたいな感じで、自分の境遇以外が幸せに見える
ただそれだけの理由なのかもしれないんだけどね。




