7
ミュールは実に用心深い男であるようだ。遠き過去に打ち捨てられた要塞を改修し、そこを根城としていた。濠こそないものの、堅牢な石垣と城壁、それに物見櫓は健在である。
明け方、空が白んだ頃に、その小高い丘の上に建つ要塞にたどり着いた二人は、たちまち見張りの兵士に見つかった。
「止まれ!」
朝の静謐の中に、その声はよく響いた。続いて鐘の音が響き渡り、不審者がやってきたことを仲間に告げる。おっかなびっくり現れた連中は無様に見える。しかし身につけた装備で、彼らが元騎士であることが歴然とした。腰には鉄剣を帯び、短弓や槍を携えている。
さすがに最初に飛び出してきた連中は寝間着やそれに準ずる格好であるが、やや遅れて現れた連中は、小札を重ねた鱗のような鎧を装着していた。
その物々しい光景を目の当たりにして、ミュンヒオールは尻ごんだ。ファーマに勇ましいことを請け負ったものの、それを実行できるほど、実力も、胆力も伴ってはいない。ましてや武器を持ってもいない。
情けない話ではあるが、頼みの綱はラウルだけである。ミュンヒオールは、恐る恐る唯一の親族を見やった。彼が憶病でないことは重々承知しているが、しかし大勢の敵に囲まれて劣勢に打ちひしがれているかもしれぬ。そうなったら二人はお終いだ。
格好いいことを言って、路傍の肥料となるだけであった。
「何の用だ?」
騎士達の先頭に立った男が、朗々とよく透る声で叫んだ。その外見は雄偉である。精悍な顔立ちも、もしくは骨格からして頑強であると分かる肉体も、騎士と呼ばれるにふさわしい。しかも朝の清涼な風に吹かれた髪の毛は、やや波打ち、ともすれば獅子のたてがみのようにさえ見える。威風堂々という言葉がお似合いだった。歳は三十くらいだろう。歴戦の兵らしく、堂々とした外見から放たれる威圧感は、決してこけおどしではないようだ。
これに対してラウルは、柔和な笑みを浮かべたまま、剛毅なことを言ってのけた。
「わしは、ラウル・ヒルコンである。ここにいるミュール殿に決闘を申し込みに来た」
獅子のような男が、ラウルの名を聞いて嘲り笑った。途端に周りにいる騎士達も哄笑する。どうやら老いぼれと若造が、のこのことやってきたと思われたようだ。
「その名を語るには、ちと覇気が足らんな」
獅子のような男――ミュールが言った。その声の端々に、やはり侮るような色が秘められている。ミュンヒオールは深々と溜息をつき、足元に転がっている石ころを一つ、ラウルに手渡した。それだけで証明は充分である。
ラウルは、その石ころの重みを確認するように何度か宙に投げて弄んだ。その慣れたさまにミュンヒオールは安堵した。あとの騎士達は、無様な老人の醜態を期待して、囃し立てるばかりである。
半瞬ののち、その声はしんと静まり返った。
朝早くから起きていた鳥の、飛び立つ音が静寂を切り裂くように響き渡った。傍らにいるミュンヒオールですら顔が引きつっているのだから、目の当たりにした騎士達はもっと恐ろしいだろう。
ラウルが放擲した石ころは、そのまま放物線を描いて騎士の一人に直撃した。不幸な騎士はもんどりうって倒れ、そのままピクリとも動かなくなった。今や三人ばかりの仲間達が担ぎ上げ、哀れな被害者を要塞に運び入れている。
「どうした」
ラウルの穏やかな声が響き渡った。これから乱戦になることを予想して、剣まで抜いているというのに、騎士達は一向にやってはこない。その一件に苛立ちつつ、彼はなおも言葉を重ねた。
「ミュール殿、人はそなたを不義理というだろうな」
呼ばれたミュールが顔を強張らせた。〝不敗の軍神〟ラウル・ヒルコンに言われたくない言葉だろう。彼は確かに帝国の敵ではあったが、その清廉さは亡き皇帝ですら認めるほどであった。
色を失くしたミュールが馬を呼び寄せた。馬具一つ付けていない裸の馬だ。彼は器用に飛び乗って、軽やかに馬腹を蹴った。
近付いてくる厳めしい顔が、憧憬と興奮で赤く染まっている。どうやら見た目よりはずっと、とっつきやすい人物のようである。近くまで寄ってくると素早く馬から飛び降りた。ラウルに帝国式の敬礼をし、背筋を伸ばした。
「御無礼を致しました」
一切の申し開きもないさまに、ラウルは満足したらしい。彼はまた将軍然とした勇敢な仮面を張りつけた。
「うん、まあ。金ぴかの鎧を着けていなければ、わしなんか分かりはしないよ」
ミュールは興奮している。どうやら戦場でひと度剣を交えたことがあるらしく、それが人生で唯一の誇りなのだ、と彼は語った。助平爺とやりあったことが自慢なんて、とミュンヒオールなどは思うが、しかし戦士にとっては誉に他ならない。刀の錆にされても困るので、懸命にも口をつぐんでいた。
しばらく言葉を交わしたのち、ミュールが急に真剣な顔をした。
「ヒルコン将軍は、私をどう思いますか?」
その唐突な問いは、実に不安げな顔から放たれた。世界中の誰が非難しても〝不敗の軍神〟が評価してくれるのであれば、それ以上の栄誉は無いのだろう。ミュールはそう考えているようだ。
それを理解してか、ラウルも否定したりはしなかった。
「わしは事情をよく知らんからね。ただ、思っているよりは清らかで良かったよ」
ミュールが少年のような笑みを浮かべた。その顔の厳めしさで年上に見えるが、しかし笑みを浮かべた顔は存外若い。齢二十代前半、というくらいだろう。
「しかし閣下は、我々を悪逆非道の徒だと評しました」
ミュールが苦しげに俯いた。
戦争が終わり、帝国が崩壊した余波は、それほど迅速には現れなかった。人々は変わらず日々を過ごし、新たな秩序の制定を望むくらいなものであった。
たぶん、伯爵は拍子抜けしただろう。敗北した帝国軍人が、もしくは勝利の勢いに乗る共和国軍人が列をなして略奪してくると思ったに違いない。しかし、それは現実にはならなかった。
代わりに、伯爵は一つの問題に頭を悩ませることになった。それは増えすぎた軍費である。戦いが続くことを前提として騎士を雇い、兵を養ってきたのだ。では、戦いが終わったらどうなるのか。
「騎士など無用の長物。これからの世は商人と共にあり、と」
帝国通貨が凋落しゆく中、交通の要所とした栄えるボクストールとて、手をこまねいていられるわけではない。手始めに、無用になった軍費を削るのだ。そうなった時、騎士達はどこへ行けばよいのだろうか。高度な訓練を受け、戦闘の専門家として戦い続けた彼らに行き場はあるのだろうか。
つまりミュールは、それまでの常識が崩壊しつつある中で、騎士達の地位の維持を求めたのだ。それに対して、伯爵は難色を示した。
騎士達にとっては屈辱だろう。伯爵に命をかけて付き従ってきたのだ。それを、たった一つの大事で翻してしまおうなどというのだから。
しかしながら伯爵の心もまた、真を表している。戦いが遠ざかる中で、騎士は数を減らさねばならない。彼らを抱えていられるほど荒々しい時代ではなくなった。
残念だが、両者は相いれない。争う気があるのならば、決着をつけるまで戦いが続くことになる。
それを理解した上で、伯爵は挑発した。騎士達が暴発するその瞬間を望んで。両者は激しく反目しあった。どちらが勝つのか、要求が受諾されるのかも分からないまま。ともかく新しい道を切り開くために。馬鹿げた権謀術数に打ち込んでいる。
ミュールの言を受けて、ラウルは実に事務的な行動を選択した。彼の誘いには乗らず、あくまで傍観者たらんとしたのである。確かに、これからの世は交易が主となるであろう。とはいえ、明日から変えろと言われて出来るものではない。皆、抱え切れぬほどの物を持ち、戦っているのだ。
それを奪い合う決戦というものに干渉する気はなかった。
「殺し合ったとして、勝ち目はあるんだろうね?」
ラウルが問うと、ミュールは激しくかぶりを振った。
「武具も人員も、相手の方が上です」
「じゃあ、騎馬は?」
「辛うじてこちらが上でしょう」
それを受けて、ラウルの答えは明白だった、
「略奪をさせろ」
激しく取り乱したミュールが反論した。
「それでは人心を失います」
「民から奪うのではない。伯爵の穀物庫を狙え」
「それは……」
「戦いは非情なものよ。物資が足らなくなれば、伯爵は人々に供出を求めるだろう。そうなれば飢餓人が出るはず。お前はそれを味方につけろ」
ラウルの案は簡単だった。元騎士達が犯した非を利用して、帝政に則った制度が崩壊していることを現実にさらけ出させ、その上で、どちらに義があるのかを人々に示す必要があるのだと述べているのだ。
はっきりといえば、無茶な話である。ラウルはこの反乱の継続を支持したのだから。まだ見ぬボクストール伯は、きっと蒼白の顔面を壁にでも打ちつけることだろう。
ミュールは、黙然とラウルを見つめていた。彼とて共和国との戦いに、出なかったわけではない。ただひと度でもラウルと打ち合い、そしてその強さに感服した。
だが、いま目の前にいる男はどうだろうか。将軍の座から降りたラウルは随分と穏やかな顔をしている。戦場で出会ったときは、悪鬼羅刹の類かと思っていたが、どうやら本当はただの好々爺だったようだ。
であるが故に、ミュールは内心を表に出した。彼は味方にもならぬが、敵にもならぬ。そういう人に打ち明けられることは、いくらでもある。
「私に、その器があるでしょうか」
その声は不安に満ちている。万が一、ミュールが伯爵を打倒したならば、彼はその地位に腰を下ろさねばならない。不満を持つ騎士ではなく、一都市の――もしくは所領を持つ――領主として。その大任が果たせるだろうか、と問うているのである。
ラウルは首を振った。それこそ罷り知らぬことだ。いや、そこまでの確証はない、ということである。ラウルは戦いに身を捧げ、政略とは無縁であった。その点からすればミュールに具申する権利など無い。
「後ろ、見てみい」
だから、ラウルは端的な言葉だけで済ますことにした。釣られてミュールが振り返る。そこにはざっと五十人ばかりの騎士達が立っていた。皆が不安げだ。なにしろ名目上は、決闘をするためにラウルとミュールが相対しているのだから。
「連中を信ずるかどうか、だ」
しばらく沈黙が支配した。誰も身じろぎせず、時間だけが過ぎていく。
だが、やがてミュールが肩を怒らせた。背中しか見えないが、しかし彼の体を闘志がまとった。
隆々とした肉体に力がみなぎる。これから迫る荒波に対して、障壁たらんことを決意したようだ。例えそのさなかに命を落とすことがあろうとも、ミュールとその仲間達は戦いを続けるだろう。
その正当性は、後世が判断するに違いない。
ラウルは踵を返した。もうやることはやったと思っているのだろう。しかしミュンヒオールは、ファーマとの約束をうやむやにする気はなかった。
「あの……」
「何だ?」
ミュールに声をかけたところで、ミュンヒオールは固まった。そういえば、ファーマから恋人の名を告げられていない。その初歩的なミスに赤面しつつ、しかしミュールに用件だけは伝えようと思った。彼は怪訝な顔をしている勇猛な元騎士に視線をぶつけた。
「その、ファーマという女を御存知でしょうか?」
口にした途端、ミュールの眉間にしわが寄った。その機微に気付いてはいたが、真意は不明だった。
「その女が、どうかしたのか?」
「いえ、彼女の恋人に伝えてほしいことがあると……」
「何だ?」
「立場に縛られているのならば、共に逃げよう、と」
ミュールの眼光が微かに和らいだ。しかし、それを認識するよりも早く、彼は背を向け直してしまった。
「分かった。その恋人に伝えておく。達者でいろと伝えておいてくれ」
ミュールは馬にまたがり、颯爽と離れていく。その偉大なる背中を見送り、ミュンヒオールは一つ息を吐いた。
先を行くラウルに追いつく。息を弾ませたミュンヒオールは、遠くに見えるトーラの輪郭を険しい顔で睨みつけた。
「怖い顔するのお」
「ファーマのこと、忘れていたでしょう」
ミュンヒオールが一瞥すると、ラウルは軽く肩をすくめた。
「いや、あの男についていくのなら、安心と思ったんよ」
それ以上は言葉を重ねなかった。確かに、ミュンヒオールも同感だったからだ。ミュールであれば、どちらに転んでも悪いようにはされないだろう。それに、彼が反逆を強制するとは思えない。
それが分かっているから、彼は不満を口にした。
「……僕は賢人じゃありませんし、政治家でもありませんが、でも伯爵はいけ好かないです」
「そうかね?」
「だってそうでしょう。乱暴なやり方で厄介払いをしようとする。こうして騒動を起こすことが、上に立つ人間のやり方ですか?」
憤然とするミュンヒオールの頬を撫で、ラウルは満足げな顔をした。どうやらまっすぐ育っているらしい。自然と相好が崩れる。昔と違って、それを勇ましさの凝固剤を用いて、将軍然とした表情に戻さなくてもよいのだと思うと、ますます笑みは深まる。ミュンヒオールが陰険な顔をした。
「おじいさんも、おじいさんですよ」
「ん? 何が?」
「騎士に略奪をさせるなんて、何を考えているんですか」
「そんなにおかしいかの?」
「普通の騎士なら、そんな不義理なことはしませんよ」
「でも、わしの知っている騎士は、領民から物を略奪しとったよ?」
ミュンヒオールが嘆かわしげに首を振る。その様子はどことなく、若き日の彼の父親と重なって、ラウルの心は自然と躍った。
「普通じゃない騎士しかいなかったんでしょう」
ぴしゃりと言い放ち、そのまま憮然とした様子でそっぽを向く。そのむくれた少年の頭を撫で、ラウルはなお一層大きな歩幅で歩みを進めた。
二人は陽光に包まれた、ボクストール一の都市トーラへと戻っていった。




