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終戦見聞録  作者: 鱗田陽
海へ
22/23

21

 どれほどの時間が経っただろうか。疲れ切ったドゥーチが膝をつき、息をせき切らしながら地面に倒れ伏した。ラウルは一つ大きく息を吐き、今度は残っていた荒くれ者を睨み据えた。彼らは皆、すぐに武器を捨て、ラウルに赦しを乞うた。

「お前さんら、どこの連中だ?」

「フュンヘン領です」

 そんな応答をして、ラウルが低い唸り声を上げる。その殺気だった様子に荒くれ者達が完全に腰を抜かし、泣きそうな顔をした。

「故郷に帰れ、いいな?」

 一方、ラウルの傍らでは、ドゥーチが再び闘志を奮い立たせていた。剣を地面に突き刺し、杖にして立ち上がる。まだ息を切らしているが、戦う意思だけは失っていない。

 肩を激しく上下させながら、乾坤一擲の一撃を見舞った。

 気合一閃、大上段から拝み打ちにした。その流麗な動作は、傍観者であるミュンヒオールの目を強くひきつけた。千、万と繰り返し鍛錬した動作なのだろう。 それだけは神速の域に足を踏み入れている。現にラウルでさえ冷や汗をかくほどの速度であった。彼は一瞬遅れて思わず剣で攻撃を防ごうとし、舌打ちをした。

 刀身が衝突する。鉄同士がぶつかる鈍い音が辺りに広がり、それから僅かに遅れて、ラウルの剣が半ばから粉々に砕けた。

 ドゥーチが笑い声を上げた。それはどこか悲鳴のようにも感じられるが、彼は歯をむき出しにして、丸腰になったラウルに勝ち誇った。

 再び剣を振りかぶる。必殺の大上段は、彼にとって何よりの自信であった。それだけは、どのような戦士にも負けない。その自負がにじみ出ていて、ミュンヒオールは不安げにラウルを見た。

 けれども不倒不屈の将軍は、老いたりといえども〝不敗の軍神〟である。その力量は、まさしく海内無双であった。現し世において比類する者はなく、それは神速に足を踏み入れたドゥーチの剣ですら同様であった。それと分かっていれば、ラウルに通用するものではない。

 ラウルは一息でドゥーチに肉薄した。折れた鉄剣を握り締めたまま、かつての部下の懐に潜り込んだ。

 大上段に構えたままのドゥーチは、瞬刻、身を強張らせた。そして無防備のまま、手を下げる間も与えられず、ラウルの鉄拳を顎先に食らう羽目になった。

 拳が一つ直撃し、ドゥーチの大きな体が揺らいだ。

 二つ食らい、剣を取り落として膝をついた。

 そして三連撃を浴びるに至って、傷だらけの軍人は血みどろのまま地面に倒れ伏した。肩を怒らせたラウルが、真っ赤に染まった手でドゥーチの顔を鷲掴みにする。怒れる将軍が、かつての部下に最期の忠告を放った。

「ドゥーチ、……ドゥーチよ。よく聞くがいい」

 その声には、人生のどこかに置き忘れた、往年の力がこもっているようであった。意識をもうろうとさせていたドゥーチが目を見開き、恐れおののくようにラウルの手の中でもがいた。

「俺は今一度、お前に命じておく」

 ドゥーチの放つ慄然とした空気が、ミュンヒオールや荒くれ者にまで感染する。腹の底が冷えるような、殺気と迫力に満ちた声であった。大地を揺るがすように低く響き、途切れそうなドゥーチの意識を掴んで、現実から離そうとはしない。

「お前は言った。共和国は力を欲している、と。そしてお前は勘違いしている。共和国がこの俺と共あった、と」

 その低く唸るような声は、どこか哀愁を誘う。ラウルが歩んできた人生を、一歩ずつ確認しているようである。もう戻れない道を振りかえっているようだ。

「大きな間違いだ。共和国は人々と共にあったのだ。それはこの俺も、お前も、ミュンフも、そういうものを全部含めていたはずだ。何故なら、皆が皆、同じ権力を持っているのだから。同じ質量の力を持って物事を定めるのだ。その理の中の俺は、ちっぽけな人間でしかない。すなわち共和国と共にあったのだ。寄り添っていたのだ。それがいつからか、どちらが主で、どちらが従か分からなくなっていった。それこそが過ちだ。分からなくなっていったものを、人々はそのままにした。それゆえ最も簡単な方法を、安易に選択するようになった」 

 結果はどうか? ラウルが問うた。ミュンヒオールは悪態をつき、ドゥーチは戦慄しながら辛うじて言葉を吐いた。

「それでも、共和国には将軍が必要なのです。平和の象徴がおらねば、彼らは真の安寧を知らないままです。あなたが戦場に出ないという一点によって、彼らは真の安寧の意味を知るのです。どうか、お帰りくださりますよう。臣民をお救いくださりますよう」

「鳩でも飛ばしておけばいいのに」

 ドゥーチの無責任な発言に、ミュンヒオールは憤慨した。思わず言葉が口をついて出て、馬鹿げた軍人に睨まれた。

 ともかく話し合いは平行線だった。どうにかして決着をつけねばならない。それ故に、ラウルはもっとも単純で、最も確実な方法を取った。

「決闘だ」

 ラウルが宣言した。それは過去との決別である。桎梏を断ち切るために、ラウルは戦いを欲した。でなければ、ドゥーチはいつまでも、どこまでも追いかけてくる。この場で全てを終わらせなければ、共和国は蛇のように二人に絡みつく。屍になっても離してはくれないだろう。

 ドゥーチが落ち着く間を置いて、荒くれ者とミュンヒオールが証人となり、決闘が執り行われることとなった。

 それは、古くから戦士が自己の思想の正当性を勝ちとるために行なわれる、腕自慢の競技であった。戦う者は、己の仕える主と、その忠義を捧げた神々に祈りを捧げる。それから正々堂々と剣を交えるのである。どちらかが戦意を失うまで続けられるのだ、という。

 戦士の地位にいるのであれば、一度は経験するような、そんな行事である。

 八人の証人が見守る中、ラウルとドゥーチは向かい合って、それぞれの主と神とに誓いを述べた。

 ラウルは、ボミルカル公に。そして戦神に。

 ドゥーチは、全ての共和国民に。そして家神に。

 それぞれ祈りを捧げた。戦いに形式などない。すぐさま二人は距離を取る。

戦いが開始され、そして刹那に終わった。

 折れた鉄剣を振り上げたラウルが、それを力強く振り下ろした。ドゥーチは己の愛刀で防ぐのだが、刀身の真ん中に微かな亀裂が入る。そのかつての主の怪力に恐れつつも、素早く距離を離した。冷静であるならば、ドゥーチにもラウルと戦う力量くらいはある。

 ラウルが軽やかな足取りで舞った。そのたびに赤銅色の砂が舞い上がる。不規則な、苛烈な攻撃をドゥーチに加えた。

 その律動がさらに熱を帯びる頃、ドゥーチも必殺の最上段の構えを採った。動と静、かつての師弟が選んだ最後の一撃は、くっきりと分かれた。

 刀身が放つ閃耀がぶつかり合う。一方は折れた剣を、もう一方は使い古された愛刀を持っていたはずであった。

 しかし立っていたのはラウルである。

 彼は神速の斬撃を半分喪失した剣でいなし、反動でくるりと回転しながらドゥーチの腹に叩きつけた。それから一発、強烈な蹴りを見舞った。

 対してドゥーチは距離をとって再び強引に拝み打ちを狙ったが、その安直な攻撃を、ラウルは赦してくれなかった。

 必殺の一撃を、ラウルは完璧に剣で受け止めた。その影響で刀身が完全に砕ける。

 武器を失ったラウルは、先ほどと同じく素手のまま、敵の懐に飛び込んだ。歯を使わなかったのは慈悲である。ものの見事にドゥーチを投げ飛ばし、馬乗りにして、強かに殴りつけた。

 瞬く間にドゥーチが血みどろのボロ雑巾になった。路傍に打ち捨てられたハンカチのようだ。そのぐったりとした無様なさまを見下ろして、ラウルは冷厳な声で命じた。

「今後一切、近寄ってくるな。わしはわしの使命を果たした。両公爵の名誉回復を成した。それ以外は罷り知らぬことである。どこぞの誰かが、わしの知らんところで勝手に喚き合えばいい。わしは思うまま、したいことをする。お前達が邪魔をするなら、わしはその自由を勝ちとるために、戦いに赴く」

 これは一番の脅し文句であった。ラウルが共和国の敵になる。たったそれだけで国が一つ壊れてしまいそうだ。

 なおかつ、ドゥーチ達が目を逸らしてきた部分に嫌でも目がいった。

 ラウルは老い、早晩死んでしまうだろうということだ。

 では、そうなった時、誰がラウルの代わりを果たすのだろう。ドゥーチの胸に、ふつふつと疑問がわき上がった。ミュンヒオールか? それとも別の人間か? どちらにせよ、ラウルの庇護が無い以上、物事が円滑に進むことはないだろう。それは今と同じ状況だ。ラウルがいないことを嘆き、議論を進めようとしない議員達の現状と。

「ドゥーチよ」

 老いた体でラウルは言う。殴りつけられて視界がぼやけていることが、ドゥーチにとっては心苦しい。偉大なる主が、どのような顔をしているのかが見えないのだから。しかし声色は随分と穏やかなようだ。

「お前も、共和国も、一人立ちすべき時だ。敵を倒した以上、もう少年ではない。活力と、そして覇気とが、今や充実しておる。かつて帝国にも同じ時期があった。彼らも多くの時を経て、老いたあとに我らと対峙したはずだ。一人で立て。いつまでも子供のままではおられぬのだ」

「……将軍は、いかがなさるのです?」

「わしのことはいい。どこか人のいないところで死ぬさ」

 疲れと痛みで動けそうにないドゥーチは、渋々頷かざるを得なかった。

 灼熱の中に清々しい風が吹いた。ドゥーチは大の字で寝ころがったまま、声を押し殺して泣いた。己のふがいなさも、もしくはラウルを喪失したことも、とにかく何かに矛先を向けて、一人でしとしとと泣き続けた。荒くれ者達はどうすることも出来ず、悠々と脇を抜ける老人と少年を見送るしかなかった。

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