18
ラウルとミュンヒオールは、夜中の内にフュンヘン領を出ることにした。事態の収拾を図ろうという時に、客人を招いて時間を割くこともない。礼を言われる筋合いも、もしくはフュンヘン領に肩入れする気もない。ミュンヒオールがその気であるのなら、ここに残して行こうとも思ったのだが、彼はきっぱりとかぶりを振った。
「どうも柔らかい椅子は僕に合わないようです」
そんなことを言いながら、旅支度を済ませた。ラウルの方はとやかく言わず、この成長を始めた少年を尊重することにした。
そういうわけで、二人は戦いが終息したその日のうちに、またしても窓から逃げることにした。荷物を抱え、月夜に飛び出した。割り当てられた部屋は三階だったが、窓のひさしを使えば、簡単に地面に降りられた。
二人は言葉も交わさずに、さっさと城から離れる。もはや未練はない。仕官する気が無い以上、留まる必要もない。何より、ドゥーチが地下牢にいるのである。面倒からは逃れなければならない。
獣も鳴かぬ夜のさなかで、二人の旅は再開された。またしても男の二人旅である。
ラウルが城から持ち出した酒を開けると、荷物を抱えたミュンヒオールが半眼を向ける。ガロール城の周辺は月光に晒されていて、白銀の色に染まっている。 その夜は月が大きく、空に浮かぶ欄干さえも遮ってしまうほどであった。
城から十分距離を取って、二人はほっと一つ息を吐いた。体にまとわりついていた緊張の鎖を振りほどき、肩をぐるりと回した。
そんな拍子に、城の方から馬の嘶きが聞こえてくる。月夜の静穏が切り裂かれ、二人は同時に振りかえった。誰かが近付いてきている。平原を馬が駆けている。
アザーラだった。
茶けた髪の毛を振り乱し、官能的な寝間着姿で二人の元に駆け寄った。手綱を引き、馬を止めると、どこか不機嫌そうな寝ぼけた声を上げた。
「もう発つのですか?」
ラウルに向けられた視線は、どこか冷たく、そしてどこか熱を帯びている。息を切らし、肩を上下させるたびに、彼女の豊かな髪の毛が揺れた。
ラウルがじっと見上げているのに気付いてか、アザーラは馬から飛び降りた。それから老将軍の元に歩み寄り、その穏やかな顔を覗きこむ。むくれた表情にミュンヒオールの心が高鳴った。
「うん、まあ。これから忙しいだろうから、わしら邪魔だろうしね」
「そんなことは……! このフュンヘン領に、あなた方を追い出す不届き者はおりません」
「そりゃ、そうだろうがね。わしらに構っている暇があったら、民草のために費やしてやらねばならんよ。それが良い領主というもんだ」
アザーラが絶句した。まじまじとラウルを見やり、怒りで顔を紅潮させた。一歩分だけラウルににじり寄り、それから彼の分厚い胸板を拳で軽く叩いた。
「でも、あたくしは蚊帳の外ですわ」
「それも今後次第だ。君には二人の兄を助ける力も、権利もある。影で咲く月見草ってのも、美しいもんだろう?」
あっけらかんと笑うラウルの顔に、アザーラは躊躇いながら指先を這わせた。肩口に額を預け、息を吐く。ひと時心を預けて、ゆっくりと身を離した。それから、傍らに立つミュンヒオールの頬に口づけをして、二人からは完全に距離を取った。
「旅のご無事くらいは、お祈りしてもよろしいのでしょう?」
「うん、また様子を見に来るわい」
後腐れも、未練もなく三人は別れた。ミュンヒオールは頬に残った柔らかい感触を反芻し、あの柔らかなリンゴの香りに鼻を鳴らす。どうやらラウルと思考が似ているのを、きちんと認めなければならないようだ。
最後に一度、振り返ると、アザーラがまだ深々と頭を下げていた。それは二人が地平線の彼方に消えるまで、ずっと続いた。
月だけが三人の邂逅を見ていた。星はその光に惑わされて、見てはいないだろう。
フュンヘン領の平原に清明な風が吹いた。




