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終戦見聞録  作者: 鱗田陽
フュンヘン動乱
18/23

17

 両軍は対峙した。緊張が不可視の紫電となって、ロガシ軍の面々を撃ち貫く。

 彼らは刻一刻と冷静さを失い、ミュンヒオールの発汗は加速度的に増した。もはや戦いは避けられないのだが、何故だかダノが攻めてこない。ロガシ軍がレボシ村から出るという選択肢はないから、自然と場は硬直していた。

「ロガシは?」

 もう何度目になるだろうか。物見櫓に登ったミュンヒオールが、傍らにいる若い兵士を見やる。彼は取り乱しながら、嘆かわしげに首を振った。

「残念ながら。泣き疲れて眠ってしまったようです」

「子供ですか、彼は」

「しかし現実です。どうするのです?」

 その言葉は切実さを帯びている。なにしろ村内の倉庫には二日分の食料しかない。予定が合えば、他の村から荷物が運び込まれるはずであった。それが無いと、必然的に兵士達は飢餓という問題にも直面しなければならない。

 急がず、されども短時間で。相反する二つの事象を抱えて、ミュンヒオールは苦悩した。

 その時、騒ぎが起こった。

 ロガシ軍の面々がざわめき、何人かの弓兵が矢を構える。それを冷静な者達が必死に止めていた。ミュンヒオールは必死に目を凝らし、戦場の真っただ中に飛び出してきた痴れ者を見定めようとした。

 その男達は馬に乗っていた。フュンヘン領にいるどの馬よりも頑強で、大型の種である。一見してベクダール山脈の南に生息する品種であることが分かる。そして、馬上の人をしっかりと確認すると、ミュンヒオールは勝ち誇ったように大声を上げた。

「ロガシを」

「は?」

「ロガシをここに引きずってきてください。泣いても喚いても、ここに連れてくるように」

 その鋭い命令に若い兵士は不承不承応じた。急いで物見櫓を降り、何人かの仲間を連れてロガシの寝床に向かう。

 その様子を見届けたミュンヒオールは、傍らに残った号令係を一瞥した。

「威嚇射撃を」

 こちらは心得たもので、すぐさま太鼓で命令が下される。静寂を打ち破るように野太い音が平原に響き渡る。それから精鋭の弓兵が矢をつがえ、弦を引き絞った。

「待て待て! 俺は共和国第一騎兵団長のドゥーチである。貴公ら、武器を収めろ」

 この悲痛な命令に対して、ミュンヒオールはあくまでも冷厳に答えた。

「撃て。共和国の人間がここにいるわけがないでしょう。ここはフュンヘン領。れっきとした一国家なのです」

 矢が放たれた。ドゥーチは慌てて手綱を引き、馬がけたたましく嘶いて前足を上げた。彼と彼の部下達は、正確に狙いすまされた攻撃に色を失くした。

「責任者は誰だ!」

「僕です。ミュンヒオール・デルフリートです」

 ミュンヒオールがうなり声を上げる。後ろではロガシが泣きじゃくりながら、若者達に引っ立てられている。その情けない姿を横目に見つつ、彼は言葉を続けた。

「あなたが誰かは知らないが、なんの権利があって、このフュンヘン領の騒動に首を突っ込むのです?」

 ドゥーチが嵐のような声を上げた。

「ここは共和国領だ。諸君らは共和国民で、我々の命に従わねばならぬ」

 この言葉がフュンヘン領の人々の逆鱗に触れた。

何人かの兵士が、その屈辱に打ち震えながら罵倒する。負けじとドゥーチ達も言い返すが、火に油を注ぐようなものであった。人々の怒りが徐々に極まっていく。その思考の変化をきちんと見定めたうえで、ミュンヒオールは傍らにいるロガシを見やった。

「僕は、この戦いを終わらせたいと思っています」

 真摯な瞳でロガシを見つめる。そこに立つ無責任な青年は、吹き抜けた冷たい風に身震いした。

「だが、人を殺す権利も、死に追いやる権利も、私にはない」

「必要なのは覚悟です。彼らは皆、あなたに身を捧げていますから」

 ロガシは、まだ状況を把握していない。彼はダノと戦う運命にあると思っている。しかし、それでいい、とミュンヒオールは思う。彼に必要なのは決断だけだ。それさえ出来れば、彼ほど思慮深い統治者は他にいない。兄弟が手を取れば、それだけ高潔な指導者となりえるのだ。

 ロガシが唸った。また涙を流しながら、その優しい心を罪の意識で苛んだ。膝をつき、嗚咽混じりに懇願する。どうか許してほしい、と。けれども誰も声は出さない。ミュンヒオールですら、ロガシの後頭部と背中とを見ながら、じっと待っている。時折、近付こうとするドゥーチに矢が射かけられた。彼はまだ戦場の中央で、右往左往している。

「ロガシ、故郷を守るためですよ」

 酷薄に、ミュンヒオールが呟いた。ロガシが顔を上げる。その泣きじゃくった無様な面差しが、苦痛と恥辱に揺れた。目の前には覚悟を決めた、ただの少年が立っている。青天を背景にして、部下を従えて、戦う準備を整えている。

「まあ、死ぬなら勝手にどうぞ。あとのことはダノに任せて、何も言わずに逝ってください」

 腰に帯びた鉄剣をミュンヒオールが抜き払った。

 それをロガシの前に突き立てて、冷淡な声で決断を迫った。もはや猶予はない。ロガシは生か死か、即座に選ばねばならない。

 ロガシが息を吐いた。彼を包む心情が、恐怖から錯乱へと塗り替えられる。

 その極限状態が、ロガシの闘志に火を付けたらしい。いや、感情を振り切らせたようだ。彼は何もかもを打ち捨てたような絶望に苛まれた顔をして、大きく一つ頷いた。それでもミュンヒオールが動かなかったから、今度は声を上げた。

「分かった。やってくれ。私に力を貸してくれ」

 ミュンヒオールが手を上げた。途端にレボシ村の入口が明け放たれる。中から出てきたのは、棍棒や農具を持った猛き戦士である。彼らはきちんと状況を把握している。人を殺せる武器は持たず、ドゥーチらに目がけて突撃した。

 遅れてダノ軍からも兵が差し向けられる。こちらは素手だった。大声を上げながら、共和国の使者と自称するドゥーチに襲いかかった。

 しばらく怒号が響き渡る。ドゥーチは散々叫び声を上げたが、やがてはボロ雑巾のようになった。フュンヘン領の人々によって殴り飛ばされ、もみくちゃにされ、縄を放たれ、そのまま戦場の中央に引き立てられる。

 その様子を、ロガシもダノも見ていた。彼らはそれぞれ唖然とした表情や、もしくは決然とした表情を浮かべながら、その光景を見届けた。両軍の男達が捕らえたドゥーチらを地面に転がすに至って、二人の兄弟もそれぞれの場所から飛び出した。

 道中で、ミュンヒオールが説明を加える。顔を涙で濡らしたロガシは、早足で大きな歩幅だ。対してミュンヒオールは駆け足である。

「――つまり、共和国を敵に仕立て上げようってことです」

「だが、わだかまりが残らないだろうか?」

「そこは外交のしようってもんでしょう。腕の見せ所です。フュンヘン領は独立した土地だと言い張りましょう。どうせ、お偉方が勝手に決めただけですから。抗議文の一つでも送れば、こんなちっぽけな場所、引き渡してくれますよ」

 その言い草にロガシが半眼を向けたが、しかしそれ以上は何も言わなかった。小さく頷き、前方を見据える。そこにはもう、馬に乗ったダノが控えていた。彼は冷然とドゥーチ達を睨み下ろしながら、そして傍らにいるラウルはにやにやと笑いながら、ロガシ達を待っている。アザーラだけが無表情で、レボシ村に目をすがめていた。

 顔を突き合わせたのは、ロガシとダノ、アザーラ、ラウル、ミュンヒオールである。彼らは騒動の勃発以後、初めてまともに互いを見合った。



 辺りを暮色が深める。西から影が伸び、平原や遠くの森林が茜色に染まる。ロガシとダノは、まったく一言も言葉を交わさなかったが、しかし互いの背中を一度だけ叩き、双方の意見を理解し合った。

 兄弟の会談はそれで終わった。むしろ時間を食ったのは、ドゥーチに対する尋問であった。彼と五人の部下達は、千三百人にもなるフュンヘン領の兵士達に囲まれている。なおかつ、純粋な理性と暴力の象徴のような兄弟と聡明な妹に凄まれていた。

 峻厳な顔で観察するラウルとミュンヒオールは、軽く拳を打ち合わせた。

「よく、理解してくれたのう」

「僕もドゥーチに追われながら旅をするのは嫌いですから」

 二人はくつくつと笑った。その様子にドゥーチが悪態をついたが、冷酷な顔をしたダノが彼の横面に一撃を見舞った。頬に血を滲ませたドゥーチが底冷えのするような声で抗議した。

「くそ、この野蛮人共め。共和国軍人にこのような乱暴狼藉をするとは……。覚悟は出来ているんだろうな?」

 これに対しダノは、存外驚いた顔をした。

「いや、失礼。ここは〝未開〟でな。無礼な客は殴って躾けろと教わったのだ。帝国の使者は思慮深かったので、なにぶん勝手が分からぬ」

 そう言って、もう一発食らわせる。もはやドゥーチの顔は血まみれで、唾を吐くたびに赤い物が混じっている有様である。ダノは血が付いた拳を撫でながら、それでも感情を押し殺した口調で続けた。

「それで、諸君が共和国の軍人だと仮定して、だ。この共和国領に何の用かな?」

「簡単だ。そこにおわす、ラウル・ヒルコン将軍とその親族を議会に引き戻すためだ」

 ドゥーチが叫ぶように言った。ラウルとミュンヒオールは苦々しげに口元を歪めたが、彼らが何かを言うよりも早く、ダノが冷静に告げた。

「そんな人間はいない」

「いるではないか! 貴様の――」

 ダノの鉄拳がドゥーチを捉える。馬鹿げたドゥーチが黙りこむと、彼はさらに続けた。

「口の利き方に気をつけろ。俺はダノ・フュンヘンだ。この偉大なるフュンヘン領の共同統治者だ。軍人ごときと同列であると思うなよ」

 ドゥーチが泣きそうな顔をする。ラウルに哀願の視線を向けるが、散々煮え湯を飲まされた老将軍は、口をへの字に曲げたままそっぽを向いた。次いでミュンヒオールに視線が向けられるが、こちらも口笛を吹いたままドゥーチと視線を交わそうとはしなかった。

「いいか、自称軍人殿。ここにラウル何某という男はいない。ここにいるのは我が兄弟の恩人のみだ。探し人は別の場所にいるのではないかな?」

 度重なる折檻ののち、そう結論付けて、ダノはドゥーチらを牢に繋いでおくよう命じた。そうして闖入者を追い出してから、武骨な弟は改めて気弱な兄を見た。

「これが俺の手法だ」

 恥じるでも、誇るでもなく、淡々と言い放った。東から夜の帳が下ろされて、ダノの表情は上手く読み取れない。ただ、どのような表情をしていたにせよ、彼の声は威厳に満ちていた。

 それ以上に、ロガシも凛とした声を放った。彼はもうやけくそになっていた。荒事は弟に任すとしても、それ以外の部分は、兄であるロガシ自身が担当せねばならない。先刻のように泣いている暇はなかった。

「分かった。後始末は私がやる。お前は面倒を考えずに、やりたいことをしてくれ」

 ともかく、どうなるかは分からないが、二人は手を取り合った。それぞれの兵士に事情を話し、肩を並べてガロール城に引き上げていく。そこが、偉大なるフュンヘン領の住まいなのだから。

 全ての兵士が城に戻ってきたのは、日付が変わる間近であった。すでに夜の静謐が辺りに満ちている。兵士達も、もしくはロガシやダノ、アザーラの兄弟も、残った仕事は明日に回して部屋に戻っていった。

 彼らの中に、まだわだかまりはある。それは決して春を迎えた雪のように、すぐには解けないだろう。もっと長い時間をかけて、互いの圭角をぶつかりあわせながら、ゆっくりと丸みを形成するのだ。

 二つの勢力の間には意見の相違もあろうが、しかし大きな障害ではない。彼らにとっての問題は、その争いで人々を惑わせることである。領内を分裂させることこそが大罪なのである。

 ロガシか、ダノか。どちらが統治を主導するのか、もしくは均等に支配するのか。それはまだ分からない。しかしその決定が、人々の争いの火種になってはならぬのである。

 彼らはそれを理解しているはずである。まだ歩きだしたばかりだが、フュンヘン領は確かに一人前への道を進んでいるのだ。

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