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終戦見聞録  作者: 鱗田陽
フュンヘン動乱
17/23

16

「よし、作戦通り」

 ミュンヒオールの策が、また一つ動き出した。夕方近くになって、ダノは兵を振り分け、近くの村に向かわせた。早晩、ロガシと繋がっていることが露見するだろう。そうなった時、各方面でも戦いが起こる。

 レボシ村の籠城は、近隣村落の協力によって成り立っている。なにしろこの場所には、もう食料が無いのだ。度重なる戦闘で消費し、そして補充も出来ないままだ。三百人を養うためには、周囲の助けが必要だった。

 そして、それを断ち切れば、この籠城が容易に終わることも理解されるだろう。それが決戦のしどころである。締結した協定の通りに事態が進めば、近隣村落の兵士がダノ軍を追い払いつつ、レボシ村に馳せ参じることになっている。そうして両軍の準備が整った時、初めて戦いの火ぶたが切って落とされる。

 隣に目を移すと、ロガシが血の気を失っていた。この一日で二人が死んだ。彼の脆弱な心には、かなりの衝撃だったらしい。勇ましく散っていった二人は、すぐさまフュンヘン家の軍旗に包まれ、教会の墓地に埋葬された。

「もう沢山だ」

 そんなことばかりを口走っている。ミュンヒオールよりもずっと年上だというのに、彼には覚悟というものが無い。誰かに重責を押しつけることだけを、人生の拠り所としているのである。

 いい加減、その態度に苛立っていた。寝ても冷めても泣き言ばかりを聞かされて、ミュンヒオールの気長な心も、そろそろ限界である。突然怒り狂って剣を抜くわけにもいかないから、各方面からの報告を聞きながら、彼は冷淡な声を上げた。

「じゃあ、降伏してもいいですよ」

 この言葉に、ロガシだけでなく、周りにいた兵士達も取り乱した。戦いを始めておいて何を言い出すのか、と。けれどもミュンヒオールは、その厳然たる面差しをロガシのみに向けた。

「あなただけ、逃げればいい。この場は僕でもどうにかなりそうですから。弟の前で無様に赦しを乞えばいいじゃないですか」

「いや、そういう意味じゃなくて」

 あからさまに取り乱すロガシを睨み、なおも言葉を続けた。

「その態度、やる気を絞るんですよ。こっちは命がけで戦っているのに、泣き言喚いて、逃げ回って。さっさと死んでくれれば諦めもつくのに、それも出来ない。だから泥沼になるんでしょう」

「……」

 ロガシは俯いた。何かを言う状態ではない。ミュンヒオールは明らかに苛立っていたし、周囲の部下達も同感だったようだ。ロガシが生きているからこそ、戦いが続いている。その事実を目の前に突きつけられて彼はうろたえた。

「そんなつもりじゃない、って顔をしていますがね、それならダノの意見に反対しなければよかったんですよ。腐った持論を振りまわして、子供みたいに押しつけなければいい。鬱屈された精神を抱えたまま、自分の部屋で朽ちていけばよかったんです。皆、それで平和でした」

 ミュンヒオールの言葉は冷厳さを帯びている。誰も口を挟めず、そして挟む気もなかった。まったくその通りであった。戦いを始めたくせに覚悟もない主に、部下達も嫌気が差していた。まあ、それはミュンヒオールを目の当たりにするまで、気付かなかった感情ではあるのだが。

 ロガシは目に涙を浮かべたまま、その場から逃げ出した。どこかで泣いてくるのだろう。その後ろ姿に落胆する部下達に、ミュンヒオールは穏やかな笑みを浮かべた。

「戻ってこなかったら諦めてください。今はちょっと、気持ちに整理をつけているだけですよ」

 短期間で信頼を勝ち取った少年に反論する術を、誰も持たなかった。

 事態が急変したのは翌日のことだった。

 分割されたはずのダノ軍が、突如として本隊に戻ってきたのだ。ロガシ軍に協力してくれるはずの近隣村落の人々の姿はない。天に突きだされた、おびただしい数の槍と軍旗を目の当たりにして、ミュンヒオールは動揺した。

 一体何が起きたのか。それが分からず、整然とした陣を組むダノ軍に力なく視線を落とした。

 冷静に推測すれば、分割されたダノ軍は周辺村落には到達しなかった、と結論付けられる。それどころか、道中で引き返してきたのだろう。ラウルが策を看破した可能性はあるが、どうもそれだけではないようだ。

 悔いるのを後回しにして、ミュンヒオールも戦いの準備を進めた。

 明け方のレボシ村には、若干の諦観と、もしくは絶望感が渦巻いた。敵は約千人。対してこちらは三百人だ。食料も乏しく、なおかつ槍や弓というような物資も少ない。長期戦でも、短期戦でも、不利であることに変わりはない。

 まだロガシは戻ってこなかった。昨晩遅くに部屋に戻り、閉じこもったまま出てきてはいない。仕方なくミュンヒオールが矢面に立って、陣頭指揮を執った。


 一方、ダノ軍の本陣では、少々けたたましい混迷が渦巻いていた。そのさなかで、ラウルの指示を元に美しい陣形が組まれた。しかし、整然とした空気をつんざくように、ラウルとダノの後方では激しい言い争いが繰り広げられているのであった。

 その主はアザーラと、ドゥーチである。一方は美しい茶髪を振り乱しながら、突然訪れた無粋な男をなじっている。もう一方は鍛え上げた体を震わせながら、無礼な女を怒鳴りつけている。その騒々しい二重奏を間近で聞きながら、傍観者の二人が視線を交わした。

「どうにかならんのか?」

 とダノが問うと、ラウルは肩をすくめた。

「諦めるしかないのう」

 二人は力なく前方に視線を戻した。ダノ軍の本陣とレボシ村との間には、広大な平原と村の周囲を覆う罠の数々があるのみである。小細工の心配はなく、その点、戦いに向いていた。

 昨晩遅くになって――部隊を三つに分けた直後だ――ベクダール山脈を降りて周辺を探索していたドゥーチらが、ダノ軍の本陣にやって来たのであった。彼の素性を聞き、その目的を知って、ダノは部隊を引き返させた。

 もちろん戻す必要はなかったのだが、このドゥーチとかいう男が、ダノに喚き散らすのであった。

「旧帝国領は、十二の諸国家と共和国領に分割されている。すなわち、十二の諸国家に属さぬ以上、このフュンヘン領は共和国領である。貴公らは共和国民であるから、無益な争いは控えるように」

 この傍若無人な命令は、ダノの心証をいささか害した。いや、それ以外の者もだ。何人かの血気盛んな部下がいきり立ったが、ダノに制されてかろうじて正気を保っていた。

 ダノは胡散臭げにドゥーチを見やり、形だけは彼に従った。しかし、ロガシとの決戦は取りやめなかった。ドゥーチの隙を突いて、ラウルが耳打ちをしてきたのだ。

「わしとあんたと、どうやら利害が一致しそうだ」

「どういう意味だ?」

「あいつを使えば、上手くまとめられるかも知れん」

「……策は?」

「いずれ思いつくわい」

 ダノは嘆息した。それが問題なのである。互いが協力関係にあることは、最初から分かりきっている。妙案が脳裏をよぎらない、この一点が頭を悩ませるのだ。このまま放っておけば、ロガシとの決戦よりも、ドゥーチへの制裁に傾注しかねない。その危うい部下達の心情を慮り、ダノは口を閉ざした。

 腐敗したシチューのような意識の中、夜明けを迎えた。

 二人が沈黙した結果、ドゥーチは増長して喚き続けていた。

 どこまでも頭の固い奴である。その様子をラウルは陰険な顔で見ていた。頭に響く金切り声に耐えられなくなり、熱を帯びる罵倒合戦に水を差す気でいたのだが、ふと足を止める。激しい閃きが彼の脳天から足先までを突き抜けたのだ。

 素早くダノの傍らに移動する。まだ若い二人が喚き散らしている。ドゥーチが気付かぬ内に、そっと口を寄せた。

「思いついたぞい」

 ダノがちらりと視線を向けた。すぐに無表情になり、じっと戦場を見据える。 その横顔は朝焼けの色に晒されて、どこか疲れているように見える。決戦の時は近い。それを悟り、彼は緊張していた。

「どういう案だ?」

「やはり、ドゥーチを利用する」

 落胆した様子でダノが眉間を撫で、それからラウルを流し見た。用意された椅子の上で身じろぎし、一層表情を険しくする。

「人質にでもするおつもりか?」

「ああ、そうだ」

 今度こそ、ダノは体ごと向きを変えた。ラウルは慌てて前を向くよう手振りで示し、さながら世間話にでも興じているかのような態度で話を続けた。

「厳密に言えば、お前さんに人質になってもらいたい」

 ダノは怪訝に顔をしかめたが、すぐに続きを促した。若い男女の絶叫を背景音にして、ラウルはさらに話を進めた。

「ドゥーチの言葉は、対外的に言えば真実だ。お前さんらの罷り知らんところで話し合いが行なわれて、旧帝国領の分割が決まった。その結果、この地は共和国領ということになっている」

 レボシ村を睨み据えながら、ダノが眉間にしわを寄せる。不機嫌さがその厳つい面上に留まった。故郷が勝手に切り貼りされる事実を快く思ってはいないようだ。また、帝国領であった頃は、限りなく独立国家に近い自治が認められていた。帝国が自発的に内政干渉をしてくることはなかった。だが、共和国はどうか?

 つまり、ダノが共和国に抱く嫌悪感は、そのままフュンヘン領の感情と捉えることが出来るということだ。

 かつて彼らは帝国に自由を認められていた。しかし今、それは彼らが関知しないところで身勝手に剥奪された。フュンヘン領で暮らす人々からすれば屈辱であろう。彼らは一人前から、半人前に叩き落とされたのだから。

 そして、この不満は兄弟間の些細な対立をも飲み込んで、世論となるに違いない。大事の前には、小事など無視されてしかるものなのである。

 ともかく、二人の兄弟を中心に領内をまとめ上げ、共和国に抗議する。これを大目標に講和を結ぶことが出来るだろう。あとはロガシとダノで話し合えば済む問題だ。

 彼らに必要なのは槍と剣ではなく、宵闇と旨い酒なのである。

 今の二人ならば、争うことの愚を知り、そして周囲にも説くことが出来るだろう。そして彼らの部下達も、僅かばかりの自重を覚えるに違いない。でなければ、故郷が完全に消えて無くなるだろうから。ことを全て済ませたあとに、今度こそフュンヘン領の繁栄を議論すればよいのである。

 顔を真っ赤にして抗議するドゥーチを見て、ダノが吐き捨てた。

「……いけ好かないな」

「うん。だからドゥーチを利用するんよ。あいつを共和国の使者とかに祭り上げて、この争いは共和国によって引き起こされたってうそぶいとけば良い」

「だが、それでは共和国とわだかまりが出来ないか?」

「まあ、そこは外交のしどころだね。幸い、あいつはここが共和国領だと言った。しかし、お前さんらはそれを知らなかった。共和国の怠慢によって、領内が二つに引き裂かれたとでも言っておけばよいわい」

 ダノが微かに口元を上げた。それは子供も騙せないような、出来の悪い嘘である。しかし厄介なのは、真実も混じっているということだ。若き武辺者は逡巡した。

 確かに、その手を使えばロガシを殺さずに済む。ドゥーチを逮捕して、共和国に悪態をつけば良いだけだ。適当に糾弾して、その支配下から抜け出せばいい。なにしろフュンヘン領は共和国と離れすぎている。

「しかし、それをどうロガシに伝えるか……」

「それは大丈夫よ。なにしろ以心伝心の弟子がおるから」

 老骨の将軍が満面の笑みを浮かべた。そう、大丈夫なのだ。ミュンヒオールは、必ず気付く。ラウルとドゥーチが共にいれば、これが何を意味するのか、きちんと心得ている。問題は打たれ弱いと評されるロガシが、戦場に出てくるかどうかだけであった。

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