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終戦見聞録  作者: 鱗田陽
フュンヘン動乱
15/23

14

 ラウルが進言してから三日が経った。

 この日も、アザーラが夜明けと共に起こしに来た。ラウルは、その程よく引き締まった若い体を見ながら夢想する。ミュンヒオールは上手くやっているだろうか、と。彼がここで地位を築いたなら、このまま置いていっても良いとさえ思っていた。

「今日は、随分と寝起きがお悪いのですね」

 アザーラの動作は清楚とはほど遠い。どこか荒々しく、しかしそれが洗練されているように思われる。澱みのない動きをするからだろうか。おおざっぱな世界で生きてきた身からすれば、その剛毅な後ろ姿も魅力の一つと言うことになる。

「まあ、のう。ちょっと思うところがあって、寝つけんかったんよ」

「兄のこと、ではなさそうですね」

「残念ながらのう。わしの孫みたいなもんだね」

「確か、ミュンフ殿」

 ラウルは、頷きながら身を起こした。ベッドが軋み、一晩の乱れが露呈する。アザーラは、それをさっと直しながら、ぼんやりと顔を洗っているラウルに問いを重ねた。

「そのお方が、何か?」

「……、死なないでほしいのう」

 ささやかに呟いたつもりだが、アザーラからすれば轟雷にも似た響きを伴っていたようだ。弾けるように振り返り、ラウルの顔をまじまじと覗きこんできた。

「まあ! まさか、その子、戦いに参加する気なのですか?」

「そうだろうね。ロガシの方に士気を保っている兵はおらんだろうし」

 そういう会話をしている最中、慎重に、されども力強く入口の扉がノックされた。ラウルが動くよりも速く、アザーラが扉に手をかける。まだ凍てつく、澄んだ朝の空気が部屋に沁みわたった。その寒さに思わず身震いしながら、ラウルは早朝の客人を見やった。

 ダノだった。彼は血の気を失った顔で部屋の中を見渡して、ラウルを確認すると無遠慮に入りこんできた。アザーラが不機嫌そうに小言を言ったが、この多少浅慮な青年は、まったく意に介することなくラウルの前で跪いた。

「将軍、ぜひとも私についてきてくれないだろうか」

 そのやや波打った茶色の髪の毛を見下ろしながら、ラウルは唸るような声を上げた。

「もう、抑えられんのだな?」

 ダノが蒼白の顔を上げた。その瞳には普段のような力強さが無い。血気盛んな部下達に突き上げられ、憔悴しきっているようにさえ見える。そのさまに、アザーラですら言葉を失っていた。

「そうだ。俺の命令が無くとも動くと言っている。ついていかないわけにはいかない。どうか、将軍。俺と共に来てはくれまいか?」

 この魂からの懇願にラウルは頷いた。しかし無条件というわけではない。彼はアザーラの分の馬も用意させた。

「アザーラも連れていくのか?」

 ラウルを傍らに従えると、ダノの方にも幾分か血の気が戻ってくる。その緊張を帯びた面差しを向けられて、ラウルはアザーラを抱き寄せた。当然である。フュンヘン家の一大事に、一人だけ留守番をさせるわけにもいかない。

 ひと時、三人の間に沈黙が垂れこめる。

 ラウルは喋る気にならなかった。戦いが近付き、もしかするとミュンヒオールを斬るかもしれない。その覚悟があるだろうか、と瞬時に己の胸の内に問い、やや不明瞭に、是、といういらえを受けたのだった。

 しかし、それが完全な答えかといえば、たぶん違うだろう。確実ではない。彼はダノから質の良い武器を与えられているが、それをミュンヒオールに向けられるかどうかは、戦場の空気に触れねば分からなかった。軍人失格だとは思うが、けれども忠臣の息子を斬れるかどうか、判然としない部分はあってしかるべきだ。

 三人は足早に城を出た。まだ東の空が白む頃であるのだが、そこには千人ばかりの兵士が集まっている。皆、槍と鎧を抱えている。薄い帷子とズボンを身につけただけで、戦闘準備は出来ていない。それは共和国や帝国の軍隊では見られない行動であった。

 フュンヘン領では金属の質が悪い分、厚く重い武具が採用されているようだった。故に従軍の際、着こむことが出来ない。また、兵士は権威を持たない下層の人間であるから、従者を侍らせるようなこともない。荷物は全て自分達の手で運ばねばならず、それは指揮官とて同じだった。軍隊の階級の差を示すのは、馬の有無と鎧の色だけであった。

 ひときわ大きな栗毛の馬にまたがり、真鍮加飾がなされた鎧を抱えるダノでさえも同様だ。彼とて一人の従者も持たず、自分の荷は自分で持っている。唯一の例外はラウルとアザーラ、それに兵站を担う兵士だけであった。彼らだけは荷車に乗せられる。

 僅か三日分の食料を携えて、隊は出発した。ラウルとアザーラには奇異の目が向けられたものの、二人はまったく意に介さなかった。周囲の風景に目を細め、鳥のさえずりに耳を傾けた。ダノだけがやきもきとしていて、落ち着きなく馬上で身じろぎをした。

 レボシ村へは僅か三時間ばかりの道程である。相手にも、ダノ達の動きは知られているはずであるから、きっと慌てて準備をしていることだろう。

 ラウルは泰然と馬に揺られた。この懐かしい感覚に身を委ねていると、昔のことが思い起こされる。もはや将軍として働く気はなかいが、自分に出来る精々のことをするつもりではあった。

 隣を見ると、アザーラが微かな笑みを浮かべている。どうやらこちらは、静穏を保っているようだった。



 明け方、ダノが出陣したという報を聞いて、ロガシは激しく取り乱した。髪の毛をかきむしり、それから人一倍大きな体を震わせた。いかに準備をしようとも、彼にすりこまれた敗北の感覚は容易に抜けるものではなかった。

「ロガシ、もっと堂々としていてください」

 隣に立つミュンヒオールが冷たく言い放った。ひとしきり呻き声を上げたロガシが顔を上げると、そこには一個の武人の姿がある。まだ顔を見たことはないが、ラウル・ヒルコン将軍とは、こういう血も涙もない仮面をかぶっているのではないだろうか。

 そう思うと、またしても胸の奥から言い知れぬ絶望感がせり上がってくる。それが吐き気となり、ロガシは激しく何度もえずいた。しかし中身は出てこない。 なにしろここ数日、ろくに飯が喉を通らないのだから。吐きだす物など何もなかった。

「しかし」

 と言い澱むミュンヒオールの表情がさらに研ぎ澄まされた。今度こそ視線で人を殺せるような冷厳さを露わにする。

 ロガシは冷や汗をかいていた。この少年の表情が、どことなく恐怖心を煽りたてる。第一印象に対して、今のミュンヒオールはどこから見ても指導者たる人間にふさわしい。ロガシよりも。

 ミュンヒオールの方はというと、無責任なロガシに腹を立てていた。彼は、いつでも責任から逃げようとする。その結果行きついたのが民主主義だというのだから、どこか滑稽でもある。しかし、それは口に出さなかった。今、ロガシに喪心されると面倒だからだ。好くと好かざるとに関わらず、彼には兵を奮い立たせてもらわねばならない。

「さあ、立ちあがってください。敵が来る前に、演説くらいは終わらせておかないと」

 半ば無理やりロガシを起こし、外に引きずる。どこか生気を失った顔をしているが、時は待ってくれない。彼はレボシ村の敷地の、ちょうど真ん中にある広場に引きずり出され、まだ従ってくれる部下達の目に晒された。

 曙光が差し込んでいる。まだ薄暗いため、松明が灯されていた。東からやってくる白い光をかき消すように、橙色の鮮やかな光が辺りを優しく包み込んだ。

 事ここに至って、腹を抑えてうずくまるわけにもいかず、ロガシはその気弱な顔を怖々と部下達に向けた。

 恐怖に支配された彼の思考は、なかなか難しい言葉をひねり出せず、かえってそれが功を奏したようだった。徐々に水を打つような静寂が広がる中、ロガシがゆっくりと言葉を紡いだ。

「その――」

 緊張で声がかすれていた。彼は一つ咳払いをして、再び口を開いた。

「――諸君には大変な苦労を強いた。気力が減退し、もはや敗北を待つばかりとなった私に、まだ手を差し伸べ、そして身を寄せてくれる」

 混雑する思考をまとめるように、ロガシは広場を慎ましやかに動きまわる。時折民衆を見、また話を続ける。人々は口をつぐんだまま、気弱な主の言葉に聞き入っている。

 その様子をじっと見ながら、ミュンヒオールは想像していた。戦術指南役となった祖父ラウルが、一体どのような手を取ってくるだろうか、と。まさか身を投げうって、この兄弟を結び付けるとも思えないが、しかしそのありえないことをやってきたからこそ、彼は生きているのだ。

 ミュンヒオールは、ますます厳格な表情を深めた。素人の浅知恵で、どこまでやれるだろうか。いざという時の身の振り方まで、どう考えを巡らせるか。短い時間で思案しなければならなかった。

 そうこうしている内に、ロガシが演説を締めくくった。万雷の拍手で彼は人々に受け入れられる。それから、兵士達が持ち場へと散っていく。もはや彼らが一堂に会して、ああだ、こうだ、と言っている時は終わった。戦いは間近に迫っていて、このレボシ村に敵を誘い出さねばならないのだから。

 この数日、ダノが勢いに任せた攻撃を行なわず、ロガシ達は随分と救われた。おかげで、このレボシ村に簡易な罠を張ることが出来た。

 村の周辺は、それこそ傾斜もないほど平坦で、見通しが良すぎる。待ち伏せて奇襲をするには茂みが足らず、完全に防衛するには設備が不足している。

 そういうわけで、村の周囲を巡るように、三つの濠を造った。

 掘って出てきた土を濠の間に積んで、濠の深さを水増ししてある。それによって、見かけよりは攻め難い拠点が出来上がった。

 また櫓を改修し、そこで哨戒を行なうことによって、素早く指示を出せるようにした。

 これらは、村を守るという観点から備えられた防衛設備だ。守るということを主眼に置いており、果敢なミュンヒオールの戦術志向とは若干の齟齬がある。そのため彼は、さらに二つの策を展開した。

 一つは、防御陣に工夫を施した。三つの濠を貫くように橋を一本通し、その道中だけは土塁を取っ払っておく、ということである。

 そうすることで、外界と村との間に、一直線の平坦な道のりが出来上がる。これが馬と人の通り道である。わざと通りやすい道を作っておくことで、敵の行動をある程度制限するのだ。その橋の周囲に弓を扱える者を重点的に配置した。

 また、レボシ村の内部でも、家々をいくつか壊しておき、大きな空間を作る。万が一敵に乱入された際、速やかに殲滅できる体制を取っておく。

 そして今一つは、周囲の村落との連携の強化である。ロガシが戦う意思を固めたことを告げ、レボシ村の周辺で強固な同盟を復活させた。百人程度しかいないレボシ村に、周辺の村から二百人ばかりの増援を送ってもらった。もちろん、それ以外にも戦力は必要である。いずれは他村と連携して、ダノを挟撃する腹づもりであった。

 数日がかりで準備が終わり、ロガシ軍は、地平線の彼方に現れるであろうダノ軍を待っていた。

 日が南中に上がった頃だろうか。早めの昼食をとり、兵士を一休みさせている頃、偵察兵が村に駆けこんできた。村で最も足の速い彼が、ダノ軍を捉えたのであった。次いで物見櫓からも報告が上がり、ほんの十分もしないうちに、地平線から砂煙が上がった。

 最初の報告からダノ軍が見えるようになるまでの間は、ミュンヒオールにとって随分と長い時間だった。心臓が壊れんばかりに上下し、そして手が震え、足がすくんだ。

 戦いが間近に迫っているのだ。あのラウル・ヒルコンと対峙する時が。死ぬかもしれない、と思うと、自然と悪態が口をついて出る。縋りついていたロガシを振り払い、前線に押し出すように彼の尻を蹴っ飛ばした。

「ロガシ、前に出てください」

「だが、一番危険なところだぞ?」

「だから言っているんでしょうが。こっちには出し惜しみするような予備兵はいないんですから。最初から全力でかからないと」

 レボシ村の兵士は約三百人。対するダノ軍は千人近くの兵士を揃えている。ミュンヒオールが飛ばした二つ目の策謀――周辺農村との連携――の矢が、どれほど機能するか。それはレボシ村での攻防にかかっているのだ。

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