13
一方ラウルの方は、すんなりとガロール城に招き入れられた。今の彼の肩書は、戦術指南役である。
ラウル・ヒルコンの名は辺境の〝未開〟の地にすら轟いているらしく、無礼な兵士を二、三人撫でたところで、城の主ダノ・フュンヘンに認められた。ロガシとダノの妹、アザーラ・フュンヘンを与えられるという最高の栄誉を以って迎え入れられた。
今や玉座に並ぶ立場を獲得しており、その隆々とした腕の中には勇ましい王女の姿があるのであった。
「して、将軍よ――」
ガロール城下の御用商人達のおべっかを聞いたあと、その口直しをするかの如く、ダノは勇猛果敢な〝不敗の軍神〟を仰ぎ見た。ラウルの風貌は他の兵士をして、比類なき、と称されるほど意気に満ちていて、振りかえったダノも、その殺気の満ちた姿に顔を引きつらせる有様だった。
はっきりといえば、ラウルはミュンヒオールを殺す気でかかっていた。相手が唯一の親族だからといって、戦場で手を抜く真似はしない。ロガシと一緒に叩きつぶす腹づもりであったのだ。
それ故に、彼は速攻戦術を好んだ。兵をすぐさま集め、レボシ村を一気呵成に叩くよう進言したのである。
それをダノに却下された直後のことである。彼らはダノの私室で、色とりどりの工芸品や貴金属に囲まれていた。〝未開〟というのは帝国の中心から見てのことであって、このフュンヘン領からすれば最大限の屈辱に他ならない。ここでは長らく、帝国とは違う文化が育まれているのだから。
「――俺はあの兄が嫌いだ」
「ほお」
「どれくらい嫌いか、分かるか?」
「そうですなあ、美人がわし以外の男といちゃついているのを見るくらい?」
ダノが力なく笑った。その姿は、とても勝者のそれには見えない。対外的には兄弟同士、いがみ合っているように見えるのかもしれないが、実際は違ったようだ。
ダノは苦しんでいた。あと一歩前に出てしまえば、あの気弱な兄の首を取らねばならない事実に。覚悟を決められずにいたのだ。
「そうか、そうだな。貴殿は、あまり躊躇ったことがなさそうだな」
「いやいや。美人が化粧を落とす瞬間など、かなり躊躇いますな。あれが紛い物だったらどうしようか、と固唾を飲むもんですわ」
今度は声を上げて笑った。ラウルの腕に抱かれているアザーラとて、肩を震わせている。それを見てラウルはほっとした。やはり女は笑顔がいい。蒼白の顔で落ち込んでいるさまなど、見るものではない。
しかし勝利を目前にして、いつまでも二の足を踏んでいるわけにはいかなかった。ダノの心は部下に理解されていないのだ。血気盛んな彼の部下は、主が本物の憎しみを抱いて、兄ロガシを攻めている、と思い込んでいる。まったく甘ったるい話だが、ダノはそれを否定できずに苦悩しているのだ。
「貴殿は、この状況を打破する方法を知っておるか?」
それは、勝利を目前にした者の言ではない。兄を救いたい、弟の言葉である。無い、といえばそれまでだろうが、ラウルの方も悩まざるを得なかった。
「そうですなあ。相手が降伏するように持っていくのが、一番でしょうな」
「……、降伏勧告を出せ、と?」
「いやいや、それでは弱腰が露見する。例えば搦め手……まだロガシについている連中を攻めるなど、武威を誇示しつつ降伏に導く方策はあるもんですわ」
ダノは口を閉ざし、静かに思考を回転させた。たしかに、それはありかもしれない。ダノの元についた連中を満足させつつ、ロガシを軍門に下らせる。十分実現可能な策だ。だが、懸念もある。
「もし、ロガシが打って出た場合はどうする?」
この点はラウルにとっても気がかりだった。ミュンヒオールがどの程度動いてくるのか、それを計りかねていたからだ。
彼は思案しながら、そっとダノを窺った。あの行商人がいうほどの悪人ではない。強引な面は目につくが、フュンヘン領の繁栄を最も望んでいる一人だろう。彼の部下達も、過程は違えど同じ目標を有している。
やはり伝聞は当てにならないものだ。ラウルは身を持って知っていたくせに、その本質を理解してはいなかったことを恥じた。
ロガシも、ダノも、このフュンヘン領を善き国にする術を求めている。その手法が違うだけだ。少なくとも、亡き父の残した負の遺産を消化しようともがいている。故人を悪く言いたくはないが、行商人が口にしたダノの悪評は、そのまま彼らの父に当てはまる。彼らの亡き父の方が、よほど好き勝手に土地を分け与えていた。ダノはそれを取り戻し、正当な人間に分割しただけなのだ。
再び意識を現実に戻す。沈黙を恐れながら、ダノがラウルの顔を覗き込んでいた。老将軍はひと時沈思し、方策がある、と告げた。
「おお、どのような?」
「……兄弟で手を組め」
ダノが首をかしげた。一瞬、何を言っているのか理解出来なかったようだ。代わりに腕の中におさまっていたアザーラが声を上げた。
「つまり、ロガシとダノが手を組んで、どうなさるのです?」
「わしを追い出せ」
今度こそアザーラもきょとんとした。彼らは兄妹らしく、さっと視線を交わし、それから同じタイミングでラウルに視線を戻した。茶色い二組の双眸に見つめられて、ラウルはアザーラを柔らかく抱きしめた。
「簡単だ。共和国に脅されたことにせい。まあ、わだかまりが気になるのなら、別のことを考えるがよい」
ダノが眉間を撫でた。確かに丸く収められる希望はある。共通の敵を作り、それを打倒する。これが最も団結する方法だ。一度分裂したフュンヘン家を再興するのに、これほど格好な手もあるまい。しかも、突然ラウル・ヒルコン将軍が戦術指南役に就任したことを、快く思わない者も僅かばかりいる。
「しかし、将軍はそれでよろしいのか?」
「うん? わしは、まあ。寂しいことを言うようだけれど、どうせもう二度と来ないだろうしね」
哀愁を漂わせたダノが、疲れ切った顔で頷いた。やはり勝利者の姿ではない。兄を追い詰めるその苦悩が、どことなく見受けられる。
ダノは執務室から足早に立ち去った。もちろん、その意味は分かっている。ラウルの進言を成就させるために、手を打ちにいったのだ。おそらく腹心と、あとはラウルを好ましく思っていない連中とに、共和国の悪行を吹きこみに行ったのだろう。
それを理解してか、アザーラが身じろぎして離れた。彼女はまだ二十になったばかりだという。にもかかわらず、豊かな茶髪をかきあげる仕草は、どことなく色気を帯びている。
ラウルは喉を鳴らした。先ほどまで彼女を抱いていたのは、何もフュンヘン領の人々の憎悪を集めようとしたからだけではない。彼女の柔らかな肉体と、漂うリンゴの香りに惹かれて、どうにも手放し難かったのだ。
「でも、ヒルコン将軍はそれでよろしいのですか?」
アザーラが長兄であったなら、きっとフュンヘン家は争いもなくまとまったことだろう。彼女は思慮深く、聡明だ。たぶん経世済民の髄を感覚的に理解している。二人の兄とは比類できないほどに。共和国でも、帝国でも、女だてらに出世する者はいた。そういう女傑の類であった。
しかし世は非情なものである。彼女は末子で、そして女だった。また、このフュンヘン領では、女性が表舞台で腕を振るうことはない。彼女が持つ知的な部分は家庭の中でしか発揮され得ず、賢い女性という〝未開〟では最も忌み嫌われる存在に甘んじるしかない。
それが惜しいとラウルは思う。帝国や共和国であったなら、その手腕を如何様にも発揮できる環境がある。しかし、ここにはない。歯がゆい思いをしながら、どこか足りない兄達の戦いを見つめるしかないのだ。
「言った通り、わしはもう二度と現れんからね」
アザーラが溜息をついた。男とか、女とか、そういうものとは関係なく、どこか人間的な魅力に満ちている。どの所作をとっても、威厳が身を包んでいるようだ。顎を撫で、眉をひそめ、そして足を踏み鳴らす。どれを見ても風格が漂っており、内から滲む才覚の影は分不相応であった。もっと無能であれば、彼女も悩まずに済んだかもしれない。
ラウルがそっと手を伸ばすと、むくれた顔のアザーラがそれをきっぱりと拒んだ。
「それは残念ですわ。あたくし、ヒルコン将軍ともっとお話ししたいのに」
「それはいつでも歓迎だわい。なんならベッドの中でも――」
「でも、ヒルコン将軍は、もう二度と来ないのでしょう? あたくし、一夜の女になりたくはありませんの。商売にするならばともかく。お金を取らないなんて、何だか夜鷹を冒涜していると思いません?」
ラウルは顔をしかめた。どうやら難攻不落なのは、このガロール城だけではないようだ。アザーラは、そう簡単に落ちたりはしない。生涯未婚を貫くラウルとしては、身持ちの堅い女が不得手である。
ともかく色恋は脇に置き、ラウルは脱力しながら椅子に腰かけた。七十年も目を逸らしてきた政治の世界に疲れ切って、灰色の天井を見上げた。
まあ、逃げるわけにもいかない。時が経つのを待ってラウルの方も動き出した。
当然のことながら、アザーラを伴っての行動である。まるで二人の仲を見せびらかすように城内で活動した。一見すると老人介護のようにも見えるが、かくしゃくとしたラウルの動きを見れば、すぐに気を改めるだろう。
二人は、互いの距離が埋まらないことを十分に自覚していながら、共に鍛錬に励み、馬に乗り、そして食事をした。これほど惹かれて床を共にしなかったのは、二度目の体験である。ラウルの心臓は早鐘のように高鳴っていた。過去に一度だけ、これと同じ気分に浸ったことがあるが、それは亡きボミルカル公爵の妻に対してだった。その淡い初恋まで夢に見て、ラウルの意気は段々と高揚していった。




