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終戦見聞録  作者: 鱗田陽
フュンヘン動乱
13/23

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 レボシ村へと向かったミュンヒオールは、その村の影が近付くに従って増す、絶望感に身を押しつぶされそうになっていた。

 振りかえると、そこにはベクダール山脈の蒼然とした情景と、もしくはこれまで歩んできた平坦な道のりが横たわっている。もう祖父の姿はない。ミュンヒオールは一人、己の正義感が本物であることを証明するためにレボシ村の前に立った。

 入口では二人の衛兵が警戒している。ロガシはすでに大半の土地を失っているらしく、このレボシ村とその周辺部のみが、彼の勢力下にあるだけのようだった。亡き王の長男としては物寂しい。もはや敗北は免れえず、あとは弟のダノに攻め立てられるのを待つばかりという状態であった。

 村に近づいたミュンヒオールは、悄然とした衛兵二人に声をかけ、ロガシに謁見を願い出た。彼らはそれぞれ怪訝な顔をして、絶望に包まれたこの地にやってきた、あどけない少年を問い正した。

「お前、ここはレボシ村だぞ」

「分かっていますよ、どう見ても城なんか無いじゃありませんか」

「ロガシ様と会って、何をする気だ?」

「春を売るように見えます?」

 いや、外見だけで言えば、春を売って暮らすことも出来ただろうが、けれどもミュンヒオールにその意思はない。彼は腰に帯びた鉄剣をちらつかせ、己の目的を示した。

 しかし、この行為は衛兵達を落胆させた。もはや負けが分かりきっているところに、自殺志願者の少年が迷い込んできただけだ。彼らは持っていた棒きれを振りまわし、ミュンヒオールを威嚇した。

「お前、来る場所を間違えているよ。ここはロガシ様の根城、レボシ村だ」

「だから、分かっていますってば」

「いいや、分かっていない。もう、死刑宣告を出されたあとだ。あの忌まわしきダノが兵を差し向ければ、こんなちっぽけな村、ぶち壊されて終わりだよ」

 どうやら、もはや戦うだけの士気を保ってはいないらしい。村の中では活力を失った人達が、精一杯平静を装って農作業をしていた。

 だが、ミュンヒオールも引き下がるわけにはいかない。戦果も上げぬままラウルの元に帰ったら、何を言われるのか分かったものではないからだ。

「とにかく、ロガシに会わせてください」

 そんな押し問答を続けるうちに、覇気が無かった衛兵達にも血の気が戻ってくる。顔を紅潮させながら、執拗に粘るミュンヒオールを怒鳴りつけた。

「駄目だ、駄目だ。どこの馬の骨とも分からん奴と、会わせられるわけがないだろう」

「僕の名前は、ミュンヒオール・デルフリートです」

「何者だ。先の大戦にも出ていない、子供のくせに」

 二人の衛兵とミュンヒオールは激しく睨みあった。

その猛々しい衝突に割って入ったのは、隆々とした筋肉を誇る若い男だった。その二の腕は大木のように太く、胴回りに至ってはミュンヒオールの二倍はあろうか、という体積を誇っている。彼の眼前に出された手は節くれだっていて、まるでラウルの手のひらのように、いくつもの豆の跡がうかがえた。

 はっと顔を上げてみると、首から下の雄々しい相貌とは違って、どこか頼りない蒼白の顔とかち合う。

 年は二十代の半ばだろう。腐った鳥の巣のような茶けた巻き髪が陽光に晒され、はしばみ色の小さな瞳が怯えた様子でミュンヒオールを窺っている。面上は青白く、血の気を失っている。ミュンヒオールが腰に帯びた鉄剣を見下ろして、泣きそうに顔を歪めていた。

 その男は絶望に包まれた、無情な沈黙に支配されている。彼こそが死刑宣告を突きつけられたロガシ・フュンヘンであると分かったのは、二人の衛兵が居住まいを正したからであった。

「怪我人もいるんだ。騒ぐんじゃない」

 ほんの微量だが語尾に威厳が残っている。それを感じ取ってか、二人の衛兵が飛び上がって恐縮した。二人は顔を見合わせて、それぞれがミュンヒオールを指差し、彼こそが元凶だと主張する。

「しかし、この小僧がロガシ様に会わせろと……」

「恐れ多いことを言ってきたのです」

 その言葉を聞いて、覇気のない若い男が目をすがめた。その鋭い視線が己を射抜いて、ミュンヒオールは背筋を伸ばした。心臓が早鐘のように鳴る。この男がロガシ・フュンヘンその人であることを明確に理解すると、心の中の落胆が、さらに深まった。この男が上にいたならば、勝てる戦も勝てなくなる。その直感がミュンヒオールの胸を貫いた。

 なにしろ自信というものが欠片一つたりともないのだから。

 ミュンヒオールは眉をひそめた。ラウルはもとより、これまで出会ったどの男も女も、戦火を生き残ったという自信がみなぎっていた。例え絶望の淵にあったとしても、混迷の時代を生き抜く覚悟だけはしていたはずだ。

 だが、目の前にいる男はどうだろうか。上から下まで眺めてみる。首から下は、いかにも精悍な、戦士を思わせる姿形をしている。鎧に身を包めば、この部分だけは雄偉な外見になることだろう。しかし肝心の顔は血の気を失い、弟に散々やられたという恥辱のみが支配している。

 まったく厄介な話で、人の表情は、その内面を雄弁に語るのである。たぶん首から下が枯れ枝のように貧相であったとしても、ラウルの首がくっついていれば、それだけで人は安心感を覚えるものだろう。しかし、いかに鍛え上げられた肉体を持っていたとしても、目の前にいるロガシの首がついていたなら、誰しもが頼りなく感じる。

 茶けた巻き髪をかきむしり、髭を綺麗に剃った顎を撫でて大きな体を縮こめる。この男が上にいたとして、一体どれほどの利になるだろうか。

 ミュンヒオールは後悔した。己の正義感は、どうやら間違ったことに熱中したらしい。このロガシは、もう諦観の念に駆られている。彼に戦う意思は無い。弟のダノが軍旗をはためかせて現れたなら、即座に降伏するだろう。

「それで、お名前は?」

 お名前は、ときたもんだ。ミュンヒオールは、心の中で悪態をついた。それが見ず知らずの少年に対する態度か。怒鳴りつけられるのも嫌だが、下手に出られるのも困る。ややこしい心を抱えながら、ミュンヒオールは大きく息を吸った。でなければ、目の前にいる男を怒鳴りつけそうだ。

「ミュンヒオール・デルフリートと申します」

「ほう……。して、どこの子供だろうか。聞かない名前だが」

「ラウル・ヒルコンと共に旅をしております。その道中で、ここに寄ったのです」

 このミュンヒオールの言葉は勇気を与えたらしい。力なく俯いていたロガシでさえ、その双眸に少しばかりの希望を帯びている。けれどもそれらは、すぐに曇った。

「あの糞爺は、ダノ殿の元へと向かいましたが」

 ロガシが肩を落とした。改めてミュンヒオールを見つめて、かの高名なラウル・ヒルコン将軍の代わりにはならぬことを嘆いた。

「そうか。あのヒルコン将軍も弟の元へ……」

 はらはらと泣きだしたロガシの元に衛兵達が駆け寄る。その大きな体を半ば抱きかかえるようにして、村の中へと引きずり戻した。しばしミュンヒオールは、レボシ村の入り口で待たされる。所在ない手で鉄剣の柄に触れ、高鳴る心臓をなだめすかす。ここに来たのは、何も馬鹿げた敗者をなじるためではない。幾ばくか力になろうと思ったのだ。

 そう再認識すると、萎えかけていた戦意が僅かばかり戻る。

平原のど真ん中に築かれた村をざっと見渡し、この平坦な場所は戦いに向いていない、と独りごちた。平時であれば豊かな村も、戦時であれば防衛に不適格な地となる。平和な時に来れば、川のせせらぎとたわわに実る麦穂の波とで目を和ませるのだろう。

 ロガシは、太平の世であれば心優しい王となるに違いない。そう思えるほど純粋で、人の痛みに敏感だった。

 ほどなくして、二人の衛兵が戻ってくる。彼らはまだ疑わしい顔をしていた。しかしミュンヒオールが帯びている鋼鉄の剣を見て、彼がただの少年ではないことを認識したらしい。やや砕けた様子で、先ほどの問答を詫びてきた。

「ロガシ様はよお、優しすぎるんだ」

 態度を軟化させた彼らは、まるで井戸端会議でもするかのように、のんびりと声を上げた。あまり悲壮感はないようだ。信じた主と共に逝けるなら、それも本望だと思っているのかもしれない。

「誰かが怪我するたんびに逃げ回って、結局ここまで来ちまった」

 もう一人がさらに重ねる。敗因は、ロガシの戦術眼の無さではなく、覚悟の問題なのだろう。下々が戦意を高めているにもかかわらず、それを指揮する人間が弱腰では如何ともしがたい。

 ミュンヒオールは首を振った。

「なら、もう一度立ち上がるべきですよ」

「お前、さっきのあれを見ていなかったのか?」

「ロガシ様はもう駄目だ。戦おうにも精神が参っちまっている」

 二人の衛兵が首を振る。どうやら村の中では、ロガシの様子を心配して人々が集まってきているようだった。誰もが屈強な戦士のようだったが、覇気が無い。ロガシの弱気な部分が伝染してしまったかのようである。

「じゃあ、ロガシと話しをさせてくれませんか?」

「……、話してどうする?」

「ぶん殴りますよ。また戦場に引きずっていきます」

 二人の衛兵が、顔を引きつらせながら互いに視線を交わした。どこか不安げで、希望に満ちた表情だ。

 彼らにとってみれば、ミュンヒオールはベクダール山脈の遥か南からやってきた清涼な風に他ならない。減退し続ける士気を上向かせ、再び戦いに身を投じさせる、活気あるきっかけなのかもしれない。

「いや、ああ見えてロガシ様は気が弱いから……」

「ああ見なくとも分かりますよ」

「殴るのはちょっと……」

「平手でもいいですよ」

「それがなあ……」

「ともかく、一か八か打って出ましょう。それで敗れたなら、諦めもつくでしょうから」

 というミュンヒオールの主張は、レボシ村の大勢に受け入れられた。鋼鉄の剣を持った容貌魁偉な少年は、その威風を示しつつ村の中に足を踏み入れた。

 そこには敗北が満ちていたが、けれども頑強な反骨の魂が芽吹く場所でもあった。

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