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遭遇

 信じるとか信じないとか、そんなくだらない言葉がどれほど無意味なものかを、今私は理解した。眼前に広がる壮絶な光景、異様な臭気、それら全てが圧倒的な事実として私に襲いかかり、呼吸すら忘れ去るほどの麻痺が私の身体を支配する。蛇ににらまれた蛙だとかいうたとえが、これほどまでにしっくりときたことはない。いわば本能からくる恐怖。野生動物が天敵に抱くであろう感覚は、きっと、この絶望に他ならない。

 ジャーナリストという職業柄、凄惨な光景も見慣れてきたはずだった。だがこれは違う。今までのどんな経験をもしのぐ未知との遭遇であり、虚構の世界にでも迷い込んだかのような、悪夢の中にでもいるような不気味な現実であった。逃れられぬ恐怖に縛られつつも、そもそも何が起きたのかを必死に整理してみる。それは、いわば現実逃避の一種なのかもしれない。もしくは、少しでもこの悪夢から我が身を遠ざけようとする防衛機能であるともいえるのか。とにかく、意識を記憶の中に沈めるために目を閉じる。目を閉じていれば、何もかも消え去っていくと信じる幼子のように。




 だいたい3カ月ほど前から、明らかに殺人や行方不明事件が増加していた。被害者らに共通点といえるものは見つからず、強いて言えるとすれば、人気のない場所にいたらしいという情報があったことぐらいだ。犯人の目星はまったくついていない。遺体の損壊状況からすると、野生動物に襲われたようにみえるのだが、それにしては被害件数が多すぎるし、被害範囲が広すぎるのだ。まるで正体のわからない犯人、もしくは犯行グループに、警察は全くのお手上げとなってしまった。謎の猟奇的事件に世間は一目散に飛びつき、いつかの口裂け女や、人面犬などといったくだらない噂話が跋扈することとなった。そういった流行の例にもれず、すぐさまこの噂も消えるだろうと思われているが、今回は本当に被害が出続けているため、幾分かは長く続きそうである。

 「つまり、まだまだこのブームは続くってわけだ。このネタでしばらくは記事に困らないな」

 と、編集長が満足そうに言った。このところの雑誌の売れ行きの向上と、いまだ終わらない凶行から考え、間違いなく妥当な結論であり、今後の戦略会議としては申し分のない結果だといえる。雑誌の方向性はこれにてしばらくは決定した。だが、私はあまり気乗りがしなかった。変に正義ぶるわけではないのだが、実際に恐ろしい事件が起きている中で、いもしないような怪異の情報を集めて記事にして、それを売っていくという姿勢が受け入れがたいのだ。会議が終わり、楽しく談笑を始める周りの空気に馴染めずに、すぐに自分のデスクへと戻ることにした。

 デスクに戻り、仕上がってない記事原稿に取り掛かる。謎の連続事件の真相と題してはいるが、内容のないゴシップに過ぎない記事だった。

 「こんな記事を書きたいんじゃない。」

 そういった強い想いが沸き起こって来るが、そもそも私に本格的な取材の腕があるのなら、今頃ここに勤めてはいないだろう、とこれまたすぐに諦めの気持ちが沸き起こる。いわゆる二流、三流といえる出版社であり、発行する雑誌はスキャンダルやゴシップといった、くだらない情報を詰め合わせた大衆向け娯楽誌だ。情報の精度が高ければ高いにこしたことはないのだが、最も重要なことはまず売れることである。二束三文の記事も、集まればどれか一つは読者の目を引く。それを狙っているのだ。だから今回の連続事件なんかはまさに格好のネタであるし、実際に売り上げは今までにないくらいの好調ぶりを記録している。粗だらけの文章でも問題なく記事なり、それが読まれるため、記者としては悲しむ必要は一切ないのだ。皆が望むものを供給しているし、皆に喜ばれている。そのはずなのに、どこか腑に落ちないのだ。

そんなことをぼんやりと考えていたら、記事を書く手が止まっていた。良い記事も悪い記事もないようなものかもしれないが、このままでは納得のいく仕上げを行うことができない。そう判断した私は、今日は仕事を切り上げて帰ることにした。時間は夕方の6時になったかならないかといったところで、空の主役を月へと交代すべく、太陽が沈み始めた頃であった。

 会社を出て駐車場へと向かうところで、夏の終わりに特有な湿った空気に包まれた。暑さの盛りではなく、かといって決して過ごしやすいというわけではない、一言でいえば、ただただ不快な、中途半端な気温。夏の終わりに対するイラつきと不愉快さを体現しているかのような、むわっとするべたつく空気から逃げるように、すぐに愛車へと乗り込み、冷房をきかせた。エコがどうとかいろいろ言われているが、一度この快適さを体験してしまえば我慢することは難しい。だいたい、この暑さで使わないというのなら、冷房という存在はなんのためにあるというのだろうか。文明の利器を一人類の自分が享受することに問題があるはずがない。そもそも、文明の利器というのは、いわば人類の夢の跡地だ。こうであればいいのに、といった想いを結晶させ、創り上げ、そして次へと夢想する。それが文明の発展だと考える。そうやって研鑽された知恵の結晶が、冷房という形となって現れているのだ。冷房に敬意こそはらえど、睨みをきかすのはおかしな話だ。

 そんなとりとめのない考えをぼんやりと考えているうちに、車内が適度に冷えてきた。車を駐車場から発進させ、外に出たところでまだ日が落ち切っていないことに気が付く。

 (そういえば、いつもよりも早い時間に会社を出たんだった。)

 このところは仕事の都合で遅い時間まで社内に残らざるを得なかったので、なにか物珍しいような気がした。そのまま、まっずぐ帰宅するのも味気がない、とふと思った。たしかこの近くに、名前は知らないがわりと大きめの河が流れていたはずだ。きっとこの時間なら、水面に夕焼けの光が反射していい気分転換になるだろう。そう考え、家とは違う方向にハンドルを切ることにした。




 川に架かる橋に着いた頃には、赤い夕焼け模様が空を覆っていた。空にいくつも浮かぶ雲がいい味を出しており、どことなく物憂げな情景を浮かび上がらせる。水面では光が乱反射し、もう一つ空があるかのような輝きを見せている。川辺には釣り糸を垂れている人影がちらほらと見え、それも含めて一枚の大きな絵を構成していた。嫌な暑さを感じる暇もないほどに圧倒される自然界の奇跡、その幻想的な時間は、いわゆる原風景といえるものではないだろうか。万人に共感できるであろう素晴らしさは、自分の悩みの矮小さを物語るようで、ただただ見とれるしかなかった。

 マジックアワーも終わりをつげ、夜の静けさが訪れようとしていた。そろそろ家に帰ろうと考え、車に戻ろうとしたとき、悲鳴が聞こえた。その絶叫は明らかに尋常ではない事態を告げており、ジャーナリストとしての使命感と、人としての正義感に突き動かされ、気が付いた時には、カメラを片手に走り出していた。悲鳴は一度きりであり、それ以降なにも聞こえてこなかった。戻りつつある静寂が、ただただ不気味に感じた。

 川辺に降り、悲鳴の主を探そうと辺りを見回すも誰も見つからない。

 「誰か!誰かいませんか!!」

 大声で返事を求めるも返ってくる声はない。川が静かに流れる音以外は何もなかった。まるで、何事もなかったかのような静けさだけが存在している。しかし確かにどこか違和感を感じる。

 (おかしい。絶対に聞き間違えなんかじゃなかったはず。あれは確かに人の・・・。)

 どうしようもなく途方に暮れて必死に辺りに目を凝らすものの、やはり何もおかしなものはない。誰もいない景色が視界いっぱいに映る。

 (やっぱり、誰もいないのかな・・・。え、誰もいない?)

 そこで唐突に違和感の正体に思い当たる。誰もいないはずがないのだ。確かに10分ほど前には釣り人がいたはずだ。橋の上から見えた限りでは3,4人はいたはずなのに、その姿を1人も発見できないはずがない。

 (でも、消えたとしてどこに消えたって言うの?)

 人が隠れるような背が高い植物が生えているわけではない。ここにはただただ流れ続ける川と、そこを渡している橋しかないのだ。川辺から川に視線をふと移したところで、何かが流れているのが見えた。それは、釣竿だった。

 (まさか、転落事故!?)

 にわかに事故の姿が見えてきて、スマートフォンに手を伸ばす。そして、今まさにボタンをプッシュしようとしたとき、それは水面から現れた。それは、半漁人のようなみためをしていて、少なくとも自分が知っているどの生物にも姿が当てはまらなかった。それは当然のように二足歩行をし、近づいてくる。まったく身動きの取れない私に近付くそれは、決して逃げられることのない獲物にゆっくりと迫る蜘蛛のようだった。

 刻々と迫りつつあるそれに脳が混乱をきたしているのか、悲鳴をあげることも、逃げ出すこともできずに、ただただそれを見つめることしかできない。いつか見たことがある特撮ヒーローのショーの着ぐるみのような、自然界ではありえない造形をしており、緑色の身体は、くまなく鱗でおおわれている。こちらに伸ばされた手には水かきが生えており、爪は長く鋭い。爪先からは滴がぽたぽたとたれ落ちており、もう距離がなくなりつつあることを理解させる。口には爪同様鋭そうな牙が並んでおり・・・牙の隙間から衣服の切れ端が姿を見せていた。よく見れば爪も牙も赤く染まっており、それは全ての答えを物語っていた。

 (噂は本当だったの・・・?)

 脳裏によぎるのは、バカバカしいと思っていた都市伝説のような噂話である。実在するはずがない怪物が目の前に現れ、自分を今にも食い殺そうとしているなど到底理解できない話だ。手からはいつの間にかスマートフォンがなくなっており、気が付けば腰を抜かして座り込んでいた。恐怖が随分と遅れて脳に到達したらしく、いまさら後ずさりを始める。少しでも生き延びようとする生命の本能が働いているのかもしれない。

 みじめにあとずさるなかで、首から何かを下げていることに気が付いた。すっかり忘れていたカメラである。そして、自分はジャーナリストであることを思い出した。

 (逃げられない。でも、この怪物の存在を知らせなければ。)

 恐怖で震える手では、ぶれている写真しか撮れないが、それでも何度も繰り返し撮影していく。戦場カメラマンはレンズを覗いていると、自分はまるで別の世界にいるように感じるというがこの感覚が近いのかもしれない。もっとも、自分の場合は少しでも恐怖から逃れようとしているだけなのだが。

怪物の爪先がカメラのレンズに触れようとしたそのとき、急に怪物は立ち止まった。そして、低いうなり声をあげて身体の向きを変えると、何処かを見つめて立ち尽くした。

 「・・・ジャマヲスルナ」

 驚くべきことに、この怪物は二足歩行の他に言語までも習得していたようだ。確かに邪魔をするなといったように聞こえる。その言葉につられるように目線を移していくと、もう一体のなにかがそこに立ち尽くしていた。

 そのなにかは、全身がむき出しの人体標本のような姿をしていた。理科室に置いてある人体模型のむき身の部分だけが全身といったような出で立ちであった。さらに特徴的なのは、異常に発達した筋肉と巨躯であり、身長は2メートルを超えていそうであった。

 「早く逃げろ!」

 そのなにかもまた人間の言語を発した。聞いた限りでは、この巨躯の怪物のほうが半漁人の怪物よりも流暢に言葉を発したようだ。そして、その言葉を合図としたかのように、半漁人のような怪物が凄まじいスピードで巨躯の怪物へと距離を詰めていく。

 「コンドコソコマギレダ!」

 「もう逃がさん」

 半漁人の鋭い爪の連撃を、巨躯の怪物は手で次々にさばいていく。圧倒的なリーチ差があるにもかかわらず、巨躯の怪物はかすり傷一つ追わない。どの攻撃も叩き落とすことで防御している。

 「チイィ、コシャクナ!」

 痺れを切らしたかのように、半漁人の怪物は飛び上がって大きく手を振り下ろした。それを、巨躯の怪物は前転でかわすと、素早い動作で半漁人の手を掴んだ。そして、渾身の力を込めて思い切り握りつぶした。

 「アアアアアア!!」

 「やはり陸上は得意ではないようだな。今日の動きは随分と見切りやすかった」

 たまらず悲鳴をあげてのけぞる半漁人の怪物に、追い打ちの正拳突きを食らわせる。離れているこちらにまで、骨が折れる嫌な音が聞こえてくるほどの一撃だった。

 「グエェ・・・」

 吹き飛び、もがき続ける姿はまるで釣りあげられた魚のようだった。必死に川の方向へと向かおうとするが、芋虫の前進のように微々たる速度しか出せない。

そこにゆっくりと巨躯の怪物が近づいていく。その手にはもぎ取った怪物の手が握られていた。

 「いい様だな。魚らしくなったじゃないか」

 「グギギグギギギ」

 半漁人のもがく片手を踏みつけながら、巨躯の怪物は嘲るように言葉を発した。

 「こないだはこいつに大分お世話になったからなあ。その痛みお前にも教えてやりたくてな」

 「ヤメロ・・・ヤメテクレ」

 「お前は、一度でもそう言われて見逃したことがあったか?」

 そう言うと、巨躯の怪物は半漁人の爪を深々と半漁人の頭に突き刺した。

 「グアアアア」

 たちまち凄まじい絶叫が発せられ、思わず耳をふさいでしまう。やがてそれが弱まっていき、身体の痙攣も小さくなっていった。それは生命がまさにその身体から解き放たれているであろう瞬間であり、言い知れぬ恐怖を喚起させる光景だった。

 巨躯の怪物は動きの止まった半漁人を確認すると、ゆっくりとこちらに振り向いた。返り血でところどころ赤く濡れたその身体は、見れば見る程に現実離れしている代物だった。シマウマが決してライオンにかなうことがないように、絶対的な生物の序列を感じさせる強靭な身体に、本能的な恐怖を覚える。だいたいが、突如現れた異形の怪物が、これまた謎の化け物に屠られるなんて出来の悪い悪夢のようだ。そう、まるで現実感のない悪夢なのだ。だから、目を閉じた。次に目を開ければすべてが消え去ってくれているように。来たるべき瞬間から逃れるために。




 「・・・ですか?大丈夫ですか!?」

 だれかの呼び声で目を覚ますと、真っ暗になった空が見えた。状況が呑み込めずに辺りを見回すと、何か作業をしている一団の姿が見えた。

 「・・・これは?」

 「ああ、無事でよかった!私たちは警察です。もう何も心配はいりませんよ」

 そういうと、私を介抱してくれていたであろう若い青年が警察手帳を見せてきた。それがあまりに心強くて、涙があふれてきた。ここは確かに現実なんだと、実感ができ喜びがあふれる。

 「あの・・・どうかされましたか?」

 「いや、私多分悪い夢でも見てたんじゃないかって思って思わず・・・。」

 そう笑いながら伝える私に、彼は真剣なまなざしで言葉を発した。

 「いえ、残念ながらあなたは確かに目にしたはずです。異形の存在を」

 (ああ、やっぱり夢じゃなかったんだ)

 その言葉はずしりと胸に響いてきて、そして様々な疑問が溢れてくる。

 「貴方たちはあれを知っていたというの!?あれは一体なんなの!?一体何が・・・」

 「まあ、まずは落ち着いてください。全て話しますから、暖かい紅茶でもどうですか?」

 そう言うと、手際よく水筒からマグカップに紅茶を注ぎだした。こうした事態に慣れているのか、若い警官は落ち着き払っている。

 「どうぞ」

 差し出されたマグカップからは湯気がのぼっており、のどの渇きを思い出した私は、遠慮せずに受け取ることにした。

 「・・・慣れているんですね?」

 「そうですね、生存者がいるとみな同様の反応ですから」

 彼は柔和な表情をしてそう答えた。

 「生存者・・・。つまり私は運が良かったってことなのね」

 「まあ、そうなりますね」

 そう答える彼の目は、どこか悲しげであった。




 ズズズッと熱い液体を口に含むと、幾分かの落着きを取り戻すことができた。何とはなしに作業している集団へと目を移すと、ちょうど、例の半漁人の死体が運び出されるところだった。

 「あれはいったい何なの?」

 その疑問を問いかけようと隣りを見ると、いつの間にか若い警官はいなくなっており、代わりに後ろから低い男の声が聞こえた。

 「あれは一体何なんだろうなあ。正確なことはわからないが、危険な生物だってことだけは言える」

振り向くと、がっしりとした体格の男が立っていた。着ているスーツは、筋肉のせいではち切れそうだった。

 「・・・貴方は?」

 「ああ、申し遅れたな。俺は、例の怪物どもの事件を任されてる特別隊のリーダーみたいなもんで、名前は須藤だ。特別隊の正式名称は・・・何だったかな、忘れちまった。」

 大柄な男は頭をかきながら答える。取り敢えずは最高責任者のようなものなのだろうか。とにかく、彼にはいろいろと聞くことがある。

 「警察はこの事態を隠し通すつもりなんですか?」

 まず、最も大事な質問をぶつけてみる。これほどの事態を引き起こす存在を隠すことが許されるとは到底思えない。救えた命も多々あったはずだ。

 「こんなこと許されません!公表しないせいで命を落とした人だって大勢いるはずです!!」

 思わず気持ちが昂ぶってしまう。実際に体験してわかる恐怖。何ら情報も知らされずに、謎のままに死んでいった人のことを考えるといたたまれない気持ちになってくる。たまたま運よく助かっただけであって、自分が犠牲者となった釣り人の代わりとなっていてもおかしくはなかったのだ。

 「じゃあ逆に聞くが、あいつらの存在を公言してどうなる?知恵を持った凶暴な化け物がそこらじゅうを闊歩している、なんて言った日にゃパニック状態は必至だわな。少なくとも、何ら対抗策もないままに国民を不安に陥れるのはまずいと思うんだが」

 「それはそうかもしれませんけど!・・・でも」

 確かに正論だとも思った。実際に、あんな存在を知ったところで自衛できるとも思えない。怪物どうしの戦いを思い出すに、銃火器でもない限りは普通の人間ではどうしようもないだろう。素早さも凶暴さも、その脅威も、全てが野生動物の比ではなかった。

 「まあ、俺だって気持ちはわかるんだ。だが、もう少し待ってくれ。もう少しで、秘密兵器が完成するんだ。そうすりゃ、もうこれ以上は・・・。」

 その言葉は独り言のようにも聞こえた。

 「秘密兵器?」

 「ああ、そうだ。だが、すまないがこれは一般人には教えられない。それよりも、だ。お嬢さん、そのカメラで何か撮らなかったかい?」

 そう言うと、顎でカメラを指し示す。

 「あの怪物たちの写真なら何枚か撮ってますよ。ぶれてていい写真はないかもしれませんが・・・。」

 「怪物たち・・・だって?」

 写真をチェックしようとカメラを起動させ、何枚も遡り、そこから見て行く。須藤がやたらと身を乗り出して画面を食い入るように見つめている。

 「ええ、怪物たちですよ。ここはまだ半漁人が私に迫っているところですね。そして・・・あ、ここだ。後ろ振り向いているでしょ?ここでもう一体別の怪物が出てきたんですよ」

 巨躯の怪物。黒くてグロテスクな外見をしたそれは、いともたやすく半漁人を倒していた。とにかく純粋な力で圧倒し、外見に違わぬ野蛮な戦い方だった。

 「ほら、なんか人体模型みたいな感じの・・・。この怪物が半漁人を倒してくれたおかげで助かったんですが・・・。」

 「こいつが半漁人を倒したのか」

 と、ここでにわかに疑問がわいてくる。

 「あれ、そういえば貴方たちはどうしてここに来れたんですか?」

 「・・・通報があったのさ。善良な市民からな」

 にわかに違和感を覚える言い草だった。表情は、まるで苦虫をかみつぶしたかのようなしかめつらだった。

 「なるほどな。すまないがこのデータは我々の方で預からせてもらえないか?」

 「・・・断るって選択肢はないんですよね?」

 「まあ、残念ながらな」

 仕方なくデータの入ったSDカードを抜き出して須藤の手に渡す。

 「それにしても、立派なカメラだがお嬢さんの趣味かい?」

 「いえ、私はジャーナリストです。なので仕事の道具ですね」

 そう言って名刺を差し出した。

 「ジャーナリスト・・・か。ならもう一つお願いがある。」

 「記事にはするなってことですか?それはさすがに確約できませんが・・・。」

 「いや、そうじゃない。お嬢さんが勤めているとこが出版しているのは、週刊TRUEだったよな?」

 「よくご存知ですね。それがなにか?」

 「ああ、一連の事件の噂を扱ってるってことだから特に詳しいのさ。そこの記者さんとこうして知り合えたのは幸運だった」

 「幸運・・・ですか?」

 「そうだ。さっきも言った通り、事実をそのまま国民に流すと大混乱に陥るのは必至だろう?だが、薄めた情報なら害はない。むしろ、無意識的にそういった存在を警戒する働きをもたらすかもしれん。つまり、だ。」

 「・・・意図的に改竄した情報を記事にしろといいたいのですか?」

 「察しがいいな。その通りだ。知りうる限り、教えられる限りの情報はこれから俺が流していく。そして、お嬢さんはそれをできる限り薄めて記事にしてくれ。あくまでも今流布している噂話のようにな。奴らの存在を公表できるようになるまで、その役目を引き受けてくれ」

 あくまでも今までの記事のように、たわいのないロアを扱うように、今回の惨事を拡散する。それが須藤の頼みごとだった。0のままではなく、国民に少しでも脅威の存在を知らせることを求められた。

 (まさか、こんな仕事を任せられるなんて)

 数時間前までの私には想像もつかなかった。どんなジャーナリストも知らないであろう情報を手に入れて、そして、自分の記事が人の役に立つ。まさに夢にも思わない気持ちだった。もちろん、その舞台裏に謎の怪異が潜んでさえいなければだが。

 「わかりました。では、現状知りうる限りの情報を教えてくれませんか?」

 「助かるよ。犠牲者は少ないに越したことはないからな。じゃあ俺に着いてきてくれ」

 そう言うと、須藤はのしのしと歩き出した。向かう先には大きな車がある。パトカーとは違い、特別チーム専用の車なのだろう。どうやら本当に秘密の組織らしい。まさか、日常の裏にこんな非日常が隠れているなんて思いもしなかった。このままの事実を記事に書いたとしても、与太話として一笑に付されるのではないかと思った。




 目張りされた車内に乗り込むと、須藤は車内に置いてあったアタッシュケースをがさごそと弄り始めた。

 「やつらを初めて確認したのは2カ月ほど前だ。山のふもとで、なにか動物に食い荒らされたような死体が見つかってな。しらみつぶしに山狩りをしていったらなんと初のご対面だったってわけだ・・・。お、これだこれ」

 やっと目標の資料を探し当てたようで、それを私に渡してきた。

 「そいつが俺たちが初めて遭遇した怪物だ。熊ほどの大きさで、狼のような俊敏さと凶暴さを持った化け物だったかな。ニュースでは登山客を襲っていた熊が射殺されたとか言ってたと思うが」

 そのニュースは確かに覚えがある。連続して登山客が襲われるため、凶暴な熊がいるとされて大がかりな山狩りが行われたのだ。

 「その正体がこの化け物だったってわけですか」

 「そうだ。まあ、さっき言った情報のままだったらやたら素早い熊ってことで片づけられた話なんだが・・・こいつは」

 「言葉を話した・・・ですか?」

 その先の言葉を私が続けた。

 「やっぱあの半漁人もそうだったんだな。そう、こいつは世にも珍しい、言葉を話し、さらには理解までしてしまう熊だったってことだ。生け捕りにしとけば色々と情報が聞けたかもしれないのだが・・・何分と手こずらされちまって、射殺した」

 脳裏に焼き付いて離れない、異形の化け物の戦い。やはり、常人では太刀打ちできないようだった。もっとも、その事実に驚きはない。この怪物たちは言葉を理解する知能があるのだ。知能こそが人間が他の生物よりも優れた長所であるというのに、こいつらはそれに付け加えて野生動物と同等かそれ以上の身体能力を兼ね備えているのだ。恐ろしいハイブリッド生物とでも言えばいいのだろうか。自然界のバランスを崩壊させるような生命体の出現といえるだろう。

 「まあ、そう暗い顔をするな。持ち帰ったそいつの死体のおかげで、まったく未知の脅威ではなくなったんだからな。敵を知れば打開策も見えてくるってわけさ。」

 「それが秘密兵器と関わってくるってことですかね?」

 「ああ、その通りだ。完成までにはもう少し時間がいるがな。ところで、そいつの細胞を調べた結果面白いことが分かった。」

 「面白いこと?」

 「同じ細胞との距離が近ければ近いほど特殊な振動を起こすんだ。つまり、やつらは仲間を感じ取る機能を持っているということだ。まあ、それももう一つの特殊な性質の所為なんだろうがな」

 磁石のように、仲間同士では特殊な反応を見せるようだが、一体何故必要なのだろうか。須藤の言葉の続きを目で促す。

 「どうも、その細胞はしばらく接触しているものと同化していくという性質があってな。つまり、刻一刻と奴らは進化していくというわけだ。姿かたちが変わりやすいがゆえに仲間を見分ける必要があるようだ」

 「そんな・・・」

 あまりの恐怖に言葉が続かなかった。強くなり続ける化け物の存在。これほど恐ろしいものは無い。

 「あと、どれくらいの数の怪物がいるんですか!?早く対処しないととんでもないことに!」

 「そうなんだ。だが焦っていても仕方ねえ。今は出来うる限りのことをするしかないからな。そこで、こいつを君にも渡す」

 そう言うと、須藤は指輪のような物を差し出してきた。

 「これは?」

 「これはさっきの生物の細胞のサンプルを閉じ込めた指輪だ。怪物が近くにいれば震えて教えてくれる」

 「それはありがたいですが・・・これを渡されても私が何かをできるとは思えません」

 「もちろんだ。もしも怪物を発見したらすぐに俺たちに連絡をしてくれ。この指輪の中石の部分は緊急連絡器になっていて、5秒間押し続けると俺たちの元へSOSが発せられる仕組みになっている。発信機もついている。防水機能も破戒耐性も高いからそうそう使えなくなることはない。だからすぐにでも俺たちが駆けつける」

 まるでスパイ映画のヒロインにでもなった気持ちだった。平時なら憧れる部分も多分にあったのだが、現状のように死の危険がどこにでもあるというのは、まったくいただけない。

 「君たち生存者には皆この指輪を渡している。もちろん、俺たちもつけている。つまり、この指輪を付けている者はみなほぼ間違いなく関係者というわけだ。そして、君たち生存者に頼みたい事は、もしも奴らを発見したら、犠牲者を出さないように少しでも多くの人間をそこから避難させることだ。そのまま怪物がいるから逃げろと言っても構わないし、何か嘘をついても構わない。とにかくその場から人を遠ざけて欲しいんだ」

 「なるほど・・・。」

 「君にはもう一つ頼みたいことがある。とは言ってもこれはあまり強くは言えないのだが・・・」

 「・・・もしかして、写真を撮ってほしいって言いたいのですか?」

 非常に言いづらそうにしていた須藤の気持ちを汲んでその先の言葉を自分から口に出した。

 「鋭いお嬢さんだ。その通りだ。何しろ我々には圧倒的に情報が不足している。奴らに関する情報なら何でも欲しい。だから、もちろんそんなことにはならないのが一番良いのだが、もしも奴らと遭遇した際には少しでも多くの情報を残してもらいたいんだ。」

 「わかりました。」

 「本当にいいのかい?」

 須藤は即答した私に驚きを隠せないようで、少しばかり戸惑った顔をしていた。

 「私の情報が人を助けるんですよね?なら、迷うことはありません。一人でも多くの人のためにも精一杯の協力をしましょう」

 迷うことなんか何一つなかった。自分がしたかった仕事はまさにこれだった。人の役に立てるなら、それが本望だった。

 「・・・すまないな。だが、くれぐれも無茶だけはしないようにしてくれよ」

 そう言うと須藤は微笑んだ。

 須藤が残りの資料を探し出し、適当な説明をいくつか付け加えて渡してくる。それらを整理していたところで、須藤に呼び出しがかかった。

 「須藤さん、例の死体の運び出しが完了しました。あとは現場の検証だけです。よろしくお願いします。」

 それは私に紅茶を入れてくれた若い警官だった。

 「おお、すぐに行く」

 アタッシュケースを閉めながら須藤はそう答えた。

 「てなわけで、俺はこれからさっきの場所に戻る。まあお互いに二度と会わない方が幸せなんだが、これからもよろしく頼む」

 そう言って私に手が差し伸べられてきた。その握手はがっしりとした体格どおり、力強いものだった。その固さに信念が込められているようで、安心感が生まれる。だから、私もそれに負けないように、力強く握り返す。自分の決意が伝わるように。




 こうして、激動の1日が終わった。愛車を運転し、自宅を目指しながら想いを巡らせる。見たこともない怪物に、突拍子もない話。死ぬかもしれなかったこと、実際に人が死んだこと。運よく生き延びられただけで、少しでも道が違えば今の私がないということ。そして、自分にできること。

 (二度と会わないことが幸せ・・・か。)

 あんな恐ろしい目に二度と遭わないなら、それは間違いなく幸せだろう。だけど、私はジャーナリストであり、大きな情報を知っている数少ない人間の1人なのだ。私がするべきことは決まっていた。

 「今日は徹夜かなあ」

 誰にともなくつぶやき、記事の構想を練っていく。限りなく真実に近くて、それでいて遠い記事を書くために。


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