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才能

作者: 永青紅葉

君と一緒だから、また、夢を見れた。


「本日、○○県の民家で、遺体が発見されました。この遺体も、目立った外傷などがなく、脳死の様子から、近年流行しているアンノウン病であるとみられています。これにより、国内での死者は……」

今日もニュースは原因不明の病気による死者の話題で持ちきりだ。

東京で初の死者を出した原因不明の病――通称アンノウン病――は、1年を経ても治まる気配を見せず、むしろ死者を急増させている。

この病気の特徴は、全身に強い倦怠感を感じるということくらいだが、気を失ったり、進行すると脳が死に至るという恐ろしい病である。

発症者は若者に多く、なんとか博士の発見によると、発病者は共通して脳の働きの一部が微妙に変化しているらしい。しかし、いまだに対抗策は見つかっていない。

俺も、この病気で妹を亡くしている。

とても兄思いのかわいい妹だった。俺と同じく、いや、俺なんかよりももっと音楽の『才能』があったのに。

才能。『才能』が脳を見ることで分かるようになって早15年が経つ。これにより教育という概念が見直され、学校というシステムも大きく変わった。

今までは母国語、数学、外国語、科学、歴史、体育、音楽、美術など多くの教科を万遍なく教えていた学校のシステムは一変し、自分の『才能』に合わせた授業に特化した学校教育が行われるようになった。

これにより、それぞれの分野においてのすごい発展を遂げることになった。

また、適材適所という言葉通り、人々は決められた通りの道を――しかし自由に――通り、雇用状況は大幅に改善された。

とはいえども、全員がそのようにうまくいくわけではなかった。

例えば俺みたいに、一時期はなかなかに名の売れたシンガーソングライターをやっていたが、歌うことができなくなり『世間のレールからはじき出される』人も少なからずいるのだ。

俺は絵を描くことや設計図を描く『才能』は全くないと診断されたが、それ以外は全般的に無難にできるらしかった。音楽の『才能』が秀でていたため昔から音楽の専門教育を受けていたため、今から他のことをしろと言われても何をすればいいかわからないのだ。


そんな何をするわけでもない生活をただただ送っていた報いだろうか。それはちょうど妹が死んでから半年後のことであった。俺は街中で突然気を失い倒れ、病院に搬送された。


「残念ながら……」

医者は言葉を濁しつつ、家族に俺がアンノウン病であると告げたのだった。

今では感染症ではないことははっきりしていたため、隔離さえされなかったがしばらくはそのまま入院することになった。

このまま俺はここで死ぬのだろうか。と幾度となく考えた。

何かやり残したことはないか。やるべきだったことはないか。と考えたが、これといって浮かぶものはなかった。俺の人生って、こんなものだったのか。

そんな俺の前に、一人の少女が現れたとき、俺のおもしろくもつまらない、平凡で刺激的な物語は幕を開けるのであった。



入院中、規定時間内なら病院内をうろつくのは許可されていた。とはいえ、いつ倒れるかわからないということから担当の看護師がつくことにはなっていたが。

俺は昔から縛られるのが大嫌いだった。好きなことを、自分で決めてやりたかった。それは俺の昔の曲風にも出ていたらしい。この時代とのギャップがあったためか、俺のファンの中にはかなりコアなファンも多かった。

まぁそんな昔話はどうでもいい。過去をあまり多く語る男はモテないらしいしな。

そういうわけで俺は時々無断で病室を抜け出し、こってり怒られてはそれを繰り返していた。

今日も例にもれず病室を抜け出し、どこに行くわけでもなくうろついていた。

そのときである。どこからか歌声が聞こえてきた。

そこまで取り立ててうまいというわけではないが、どこか懐かしい、可能性を感じさせるような歌だった。

俺は気づくとその声のする方に足が向かっていた。『ひとめぼれ』、という言葉が世間にはあるが、それになぞらえていうなら俺は『ひとみみぼれ』してしまったようだった。


たどり着いたのは中庭だった。看護師と一緒にベンチに座り目をつむって楽しそうに歌を歌っている彼女を、俺は離れた死角から見て、いや、聞いていた。

彼女は歌い終わると、看護師に連れられて、松葉杖をつきながら建物の中に戻っていった。


それからというものの、俺は頻繁に彼女の歌を聴きに行った。

ある日、俺は彼女の前に顔を出した。最初は驚いて恥ずかしがっていたが、色々と話をするうちに俺と彼女は仲良くなっていった。

彼女とは自己紹介から、将来の夢までいろいろな話をした。

彼女の名前は戸津波香織、県内の高校に通う学生であった。彼女の夢は歌手になることらしかった。音楽の『才能』は取り立ててあるわけではないらしいが、それでも夢を諦められず独学で歌の練習をしているそうだ。今は交通事故で足を骨折して入院しているのだそうだ。

いつしか、俺は彼女となら、もう一度音楽の道を歩めるような気がしていた。

俺の病気は、奇跡的に回復に向かっていたのだった。



このアンノウン病は、例は少ないが、まれに完治する人が出てくるようだった。

医者も初めてだったらしく、色々な検査をして、1週間ほど様子を見たのち、無事退院の運びとなった。


俺の退院の見送りには、彼女も来てくれた。

手を振ると、嬉しそうに手を振りかえしてくれた。

俺は彼女に、メールアドレスを書いた紙を渡した。

家に帰ると俺は、早速埃をかぶったギターケースに手を伸ばした。

朝日が出るころには、彼女のための歌を1曲作り上げていた。

彼が一気に曲を書き上げられたのは、彼の考え方と彼女の生き方が似ていたからなのかもしれない。



彼女は俺が退院した1週間後に退院した。

そのあいだに俺は4度見舞いに行った。

1度目の見舞いの時俺は歌を書き上げたその足で彼女に会いに行った。

3日後に会いに行くとき、俺はギターを持っていった。


「ま、まぁまぁですね」

歌いきった後彼女は俺にそう言った。

気付けば中庭にできていた小さな人だかりは誰からともなく拍手を始めた。窓から聞いている聴衆も何人もいた。

最初恥ずかしそうにしていた彼女も、拍手を聞くと照れくさそうに「ありがとうございます」と言った。

翌日も同じ時間にギターを持って病院へ行った。

今日の人だかりは昨日よりだいぶ大きかった。


その翌日は雨だった。

彼女はちょっぴり残念そうにしていた。

彼女は覚えてしまったのだ。拍手の味を。自分の歌を聴いてもらう喜びを。

そしてこの病院の中庭が、彼女の最初の、そして最後のコンサート会場となったのだった。



彼女が退院した次の日、彼女からメールがあった。

病院の近くの公園で会う約束をした。

公園といっても住宅街の合間にある小さな公園で、ブランコとシーソーくらいしか遊具なんておいていない。

俺たちはベンチに座ってこれからについて話をした。

俺は思い切って彼女に胸の内を打ち明けてみた。君ともう一度、音楽の世界を歩きたい。と。

彼女は困惑しながらも、顔はみるみる明るくなった。

「私なんかに……できるのでしょうか」

「歌手になるのが夢なんじゃないのか。いいか、この世界で生きていくのなら謙虚に、だが図々しいくらい自分に自信を持て」

「は、はいっ」


俺と彼女は毎日のように会うようになった。練習するときや曲を作ったときはもちろん、休日には一緒に遊んだりもした。

一緒に映画を見に行ったり、図書館で本を読んだり。かと思えば子供のように公園で遊びまわったりした。経験というものは自分たちの視野を広げる。結果感受性を育てると思う。作詞するときでも俺は机でウンウンうなるのではなく、外に飛び出していろんな詞の欠片をあつめて作る。

彼女もいつからか

「今日は練習終わったらどこ行きましょうか。公園でもどうです」

と積極的に誘ってくれるようになった。

いざ練習となると彼女は本気だった。練習をする時の彼女の眼はいつもキラキラ輝いていた。その成果か彼女の歌の腕はみるみる上達していくのだった。


そして半年がたったある日、俺は彼女にひとつの提案をした。

オーディションを受けてみないか、というものだ。

彼女の歌は、正直半年前とは見違える、いや聞き違えるほど上達していた。

オーディションは1週間後にきまった。

それからの1週間は、飛ぶように過ぎていった。


オーディションの結果は、散々だった。

審査委員は書類を一瞥して一言。

「んー、歌は悪くないんだけど君、音楽の才能ないでしょ。こっちも遊びじゃないんでね」

悔しかった。俺なんかでもこれだけ悔しいんだから、彼女の悔しさは計り知れないだろう。しかし、彼女は帰りのファミレスで俺には笑って「次はうまくいくはずですから」と、スパゲティーをほおばっていた。


しかし、次も、その次も、彼女が認められることはなかった。

何も声をかけることができない己の無力さが憎らしかった。

彼女は、そんな俺のことまで気遣ってくれているのか、

「今日は練習終わったらどこに行きましょうか、久しぶりに体を動かしたいかも。公園で運動しますか」

といつも通りを装っていた。


その日彼女はブランコとシーソーくらいしか遊具がない公園で年甲斐もなくはしゃいで遊んでいた。俺にはそこまで割り切ることはできなかった。彼女は、強い。

「夢っていうのはそんなたいそれたものじゃなくてその辺にあちこち転がっているものだと思うんですよね。たとえば、今日は買い物に行きたいとか晩御飯はカレー作りたいとか。そんな明日には忘れてしまうような夢を人はたくさん持っているはずなんです。

そのたくさんの夢の中で、より叶えたいものだったり、より数が多いほうに一歩一歩進んでいけたら、それは夢を追って歩いているってことで。それは実はとっても幸せなことだってあなたは教えてくれました。オーディションの提案も、嬉しかった。私の夢の背中を押してくれた。……たとえダメだったからって、あなたが気を病むことはないんです。責任を感じることはないんです。音楽をしていくだけじゃなく、あなたと一緒にいることも私の夢なんです。あなたがいなきゃ、私の夢はかなわないんです」

日も暮れてきて、帰途につくときいつもはあまり饒舌ではない彼女が俺に向かって言ってくれた。

俺の中でも、次第に彼女の存在は無視できないものとなっていて。

彼女の夢を追うことが、いつのまにか自分の夢になっていたことに、俺はやっと気づいた。


しかし、現実というものはやはり非情であった。その後も何度もオーディションを受けるもひとつとして受かりはしなかった。彼女の表情も次第に暗くなっていくのがわかった。それでもできるだけそれを俺に見せないようにしているのも見ていてわかった。


彼女がもうひとつ好きだったことは、絵を描くことだった。

彼女の書く絵は、お世辞抜きにすごくうまかった。彼女にはその『才能』があった。俺にはない才能だ。俺は彼女に歌を教え、彼女は俺に絵を教えてくれた。へたくそだが、それなりに上達してきたと思う。

ときどきうまく絵が描けると、彼女は「やるじゃないですか」とほめてくれる。俺は家でも一人合間を縫っては一人絵の練習をするようになっていた。


そんな日常は、やはり長くは続かなかったようだ。


「ほんとに、嬉しかったんです。今まで表面では応援してくれても、こんな本気で信じてくれる人なんていなかったから。親も、兄弟も含めて」

彼女が漏らした、彼女の本音であった。夕日刺す夕方の公園の独特の雰囲気が彼女にしゃべらせたのかもしれない。

彼女はそのまま、こう続けた。

「あなたと会った時も、話をしてても、この人もどうせ無理だと思っているんだろうと思ってました。今までだって、私の夢を聞いた人は遅かれ早かれ去っていきましたし。でも、それでも今度こそって心のどこかで思ってしまう。人間って不思議な生き物ですよね」

彼女はそういうとブランコから立ち上がった。

そして目を閉じ、静かに歌い始めた。


彼女は俺の書いたアップテンポな歌の一小節を静かに歌い上げた。それは、諦めたくない夢を持って日々歩き続ける少女の詩。

「この部分、私とても好きなんです」

彼女は恥ずかしそうに、しかし堂々と言った。

彼女はどこか誇らしげでもあった。

これは俺が最初に書いた詩だった。

彼女の眼には涙が浮かんでいた。

俺はここまで、一言もしゃべれなかった。

そして、彼女は最後に静かに力強い声でこう言った。

「今までありがとう。私を応援してくれてありがとう。さよなら」

「さよならって、どういうことだよ」

「夢は、諦めます。もういいんです、こんなばかなことに付き合ってくれて今までありがとうございました」

「勝手に終わらせるなよ。前言ってくれたよな。俺にとっても、お前といることだって夢なんだ。歌手になる夢を諦めたっていいから、俺といてくれよ」

彼女は静かに泣き出した。

彼女は、アンノウン病だった。


闘病あえなく、そのまま彼女は亡くなった。

俺はその後、必死にがんばってある程度有名な絵描きになった。いつかまた彼女がほめてくれるような気がしていた。しかし彼女はもういないのだ。

とある人はこう言った。

「彼には絵の『才能』があったのだろう」と。


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