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その9

 日曜日の朝、丹波さんは予告した時間に現れた。わざわざ借りて来たらしい大きなバンに荷物を詰め込み、二人で緑地公園へ向かう。


 お掃除ロボットだったときには気楽に話せたのに、今は何を言えばいいのかわからない。私は運転している彼の横顔をちらちらと見た。やっぱりロボットだと言われても不思議はないほど、きれいな顔をしている。そして相変わらず必要最小限の感情しか見せない。今日は作業服ではなく、浅葱色のパーカに着古したジーンズというシンプルないでたちだが、そのままファッション雑誌に載せてもおかしくないほどの格好よさだ。


「どうしました?」


 視線に気づいた丹波さんが尋ねた。


「二日間のレンタルだって言ってたのに、日曜日にまで来てもらってよかったのかな?」


 皮肉たっぷりに私は答えた。あんなことされて怒ってるのを忘れてもらっちゃ困る。彼は道路から目を離さずに答えた。


「ええ、特別に延長することにしました。だって彩さん、とても残念そうでしたから」


 うわ、しっかり見られてたんだ。


「丹波さん、この際だからはっきり言っておきます。私が好きになったのは掃除機の『タンバ』です。丹波さんじゃありませんから誤解しないでくださいね」


「『好き』というと、恋愛感情を抱いたみたいに聞こえますね」


「……そういう意味で言ったんですけど」


「……彩さん、『タンバ』のこと、好きだったんですか?」


「そうだけど……わからなかったの?」


「はい、製品として気に入ってくれたのだと思っていました」


 いくら気に入ったからって掃除機に抱きついてキスするほどの奇人じゃありません。この人、ほんとに気付いてなかったの? もしかして……相当にぶい?


「あの……すごく嬉しいです」


 丹波さんは私をちらりと見て言った。頬が赤みを帯びている。ああ、もう……


「ちっとも分かってないじゃないの。私はあなたの演じてた『彼』のことが好きだったの。でも彼はもういないんだから、馴れ馴れしくされても困るんです」


 ドラマの登場人物とそれを演じる役者とは全くの別人。そこを履き違えられては堪らない。


「ですが、僕と『タンバ』とはそれほど違わないと思いますよ」


「そんなはずないでしょ? あんな人間がどこにいるっていうのよ?」


「信じられないのだったら、試しに僕と付き合ってくれませんか?」


「私なんか口説かなくても丹波さんってもてるんでしょう?」


「そうですね。もてるほうだとは思います」


 格好いいし、しっかりしてるし、こんな人がどうして私みたいなだらしない女を好きになるんだろう? 兄にも尋ねたが、本人に聞けといわれただけだった。


「それなのに彼女はいないの?」


「彼女がいたらあなたに告白なんてしませんよ」


 気を悪くしたふうでもなく、彼は答える。でも、また少しだけ赤くなった。


「ロボットの真似をしろって言い出したのはお兄ちゃんでしょ?」


「ええ、そうです。たまたま先輩に会ったら、今、彩さんがフリーだって言われて」


「もう、どうしてそんなこと教えるんだろ?」


「僕が彩さんの事を好きなのを知ってたからじゃないですか?」


「はあ?」


「高校の頃から彩さんに夢中でしたから。遊びに行くたびに部屋がめちゃくちゃなのを見て、あれを片付けたいなあってうずうずしてたんです」


 やっぱり変態じゃないか。


「当時の僕には告白する勇気なんてありませんでした。そしたら綾さんに彼氏ができちゃって。だから僕も諦めて、大学で出会った女の子と付き合い始めたんです。続きませんでしたけどね。何人付き合っても同じでした」


「どうして?」


「僕はおかしな奴なんだそうです。女の人は僕の見かけに惹かれて声をかけてきます。でもすぐにふられちゃうんです。つい物を棚にもどしたり、掃除を始めたりするので、鬱陶しいのでしょうね。自分が悪いのは分かっているのですが、なかなか止められなくて」


 確かにまともな女子力の持ち主なら、彼の行動は嫌味にしか思えないだろう。変人と思われても不思議はない。どう答えようかと悩んでいると彼が言った。


「気にしないでください。彼女たちといてもそれほど楽しいとは思えなかったから……無理に合わせようとしても空回りするばかりで……でも、彩さんと過ごした二日間は楽しかったです」


 私も楽しかった。でもそれは相手が『タンバ』だったからだ。


「先輩には普通に告白しても警戒されるだけだって言われたんです。ましてや掃除なんてさせてくれるはずがないって」


「だからってロボットの真似なんてするかな?」


「そんな手が通じるとは思えませんでしたけど、先輩は本気っぽかったし、他に方法もなさそうなので……」


 確かに彼に告白されても逃げ出していただろう。こんなイケメンに突然好きだと言われて信じられるはずがない。それこそ兄のいたずらだと思ったはずだ。


「下手に演技などせずに、地のままで通せといわれました。ただし正体だけは絶対に明かさないこと。そうすれば彩はお前を好きになる、って言って、シナリオも全部書いてくれたんです」


 彼は運転席の脇の紙袋からファイルを引っ張り出すと、私に手渡した。表紙を開いて驚いた。清掃支援ロボット『タンバ』の仕様だけでなく、製作した会社や研究所、派遣会社の詳細までびっしりと書き込まれている。ページをめくっていくと、私が思いつくであろうあらゆる質問を想定した問答集までついていた。お兄ちゃん、まさかこれ、仕事中に作ったんじゃないでしょうね?


「先輩は彩さんのこと、よく分かってるんですね。掃除をしただけで気に入ってもらえただなんて」


「だから、私が好きになったのは『タンバ』なの。あなたじゃないの」


「そうでしたね。すみません」


 彼は前を向いて黙り込んだ。


 本当の事を言えば、あれからずっと彼の事が頭から離れなかった。『タンバ』が実在しなかったことはショックだったが、それと同時に、私の前に突如現れた丹波という人物にも興味を惹かれていた。

 彼は二日間あの部屋で私と過ごし、それでもまだ好意を持ってくれている。こんな奇特な人間は滅多にいないのだから、せめて一日ぐらいは一緒に過ごしてみてくれと兄に頼まれた。私も今日は彼の本当の人柄を見極めるつもりでいたのだ。


 けれども、時間が経つにつれ、彼に騙されていたという事実が私を押し潰し始めた。彼の事を考えれば考えるほど、過去の真っ黒い記憶が蘇り、私の心を満たしていく。せっかくの晴れ渡った春の空も、灰色がかって見えてしまうほどに。

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