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その7

 『タンバ』がお茶の支度を始める。私は押し潰されそうな気持ちで青いドッキングステーションの隣に腰を下ろした。


 掃除機に本気になってしまった自分に動揺してる。彼は男性、いや、人間ですらなくって、おまけに残り数時間で私の前から消えてしまうというのに。この後襲ってくるであろう失恋の痛みまで予想できて、ますます辛くなる。男とみれば疑ってかかる私も、お掃除ロボットには油断した。自分の間抜けさに涙が出そう。


 『タンバ』はコーヒーのカップをローテーブルの上に置いた。だが、ドッキングステーションには戻らず、そのまま私の真正面にしゃがみこむ。彼の顔が私の顔のまん前に来た。な、なんなの? 彼の目を直視できなくて、私は慌ててカップに手を伸ばした。


「充電しないの?」


 私の問いには答えず、彼が尋ねた。


「私が原因ですね?」


「え?」


「さきほどから彩さんの態度がおかしいです。その理由を教えていただけませんか?」


「それもリサーチ?」


「はい。改善するべきところがあれば指摘してください」


「あなたのせいじゃないから気にしないで」


「ですが、私以外に原因があるとは思えません。私のどのような行動を不快に感じられましたか?」


「不快になんて思ってないよ。『タンバ』は凄いよ。あれだけ汚かった部屋をこんなにきれいにしてもらってほんとに感謝してるの」


「そうなのですか?」


「うん、不満なんて一つもない。だから、上の人にもそう伝えておいてね」


「はい、わかりました。高い評価をいただき嬉しいです」


 『タンバ』は立ち上がり、私の隣に腰を下ろした。カップを持ち上げて、黙ってコーヒーを飲んでいる。私も黙ったままコーヒーをすすった。これで納得したのかな? ちらりと上を見上げてどきっとした。 彼がまっすぐ私を見下ろしていたのだ。


「ど、どうしたの?」


「よい評価をいただいても、彩さんが掃除を楽しんでいないのでしたら意味がありません」


「そんなことないよ。すごく楽しいよ」


「いいえ、先ほどからため息ばかりついておられます。私は彩さんが心配なのです」


 しつこいよ、『タンバ』。私はもう放っておいて。うがった言い方をすれば、顧客の機嫌を損ねないように作られているんだろうけど、好きな人に優しい言葉をかけられれば、それだけで胸がいっぱいになる。


「あとちょっとだから、終わらせちゃおうよ」


 カップを置いて立ち上がろうとした私の手を『タンバ』が捕まえた。


「私だけで大丈夫です。彩さんはもう少し休んでいてください」


「で、でも、もう疲れも取れたから……」


「駄目です。座ってください」


 今までにない強い口調に、私はソファへ座りなおした。


「顔色がよくありませんよ。作業中のお客様の健康管理も私の責任です」


「大丈夫って言ってるでしょ?」


 お客様と言われて心が凹む。どうせあなたにはお客の一人に過ぎないんだろうけどさ。


「じゃ、ここに座ってる。それでいいんでしょ?」


「よくありません」


「はあ? じゃあ、どうしろっていうの? 座ってろって言ったの、『タンバ』だよ?」


「わかりません」


「……わからないの?」


「はい。何かがおかしいのです。でも私にはどうすればよいのかわかりません。彩さんが教えてくれませんか?」


 私にもわからないよ。わかってればこんなに悲しい思いはしていない。この状況を解決できるのは魔法使いのおばあさんぐらいでしょ。魔法使いにだって無理かもね。シンデレラの恋の相手は掃除機なんかじゃなかったし。


 『タンバ』は私の返事を待っている。困ってるんだ。さすがの万能掃除機も、今回ばかりは対処の仕方がわからないんだろう。二日間も真面目に働いてきたのに、お客が突然不機嫌になったら悩むに決まってる。急に彼がかわいそうになった。


「ごめんね」


「どうして彩さんが謝るのですか?」


「正直に言うよ。『タンバ』と別れるのが寂しくなって落ち込んでたの」


 これだと真実の半分しか述べてはいないが、少なくとも嘘はついていない。


「寂しくなったのですか?」


「この二日間が楽しすぎて、それが終わると思うと急に寂しくなっちゃった。だから『タンバ』は何も悪くないよ。悩ませちゃってごめんね」


「つまり清掃サービスの終了が惜しまれるほどに、当製品に満足いただけたということでしょうか?」


「その通りです」


「わかりました」


 今度こそ納得してくれたかな?


「この場合、解決策はありませんね」


 あっさりそう言うと『タンバ』は立ち上がった。えええ? 今度は納得しすぎでしょう?



          ************************



 彼はもう掃除を始めたのかな? ソファから重い腰をあげて、キッチンの流しにカップを持って行った。窓から差し込む日差しは柔らかい。もう午後も遅いのだ。状況はちっとも変わっていない。私は彼が好きで、その彼はもうすぐいなくなる。ため息をついて振り返ると、そこに『タンバ』が立っていた。


「どうしたの?」


「試してみたいことがあるのですが、いいですか?」


 何だろう? いまさらながらキッチンの模様替えでもするつもり?


「全部『タンバ』にまかせるけど……」


「分りました」


 いい終わらないうちに彼は私に向かって大きく踏み出し、次の瞬間、私は彼の二本の腕に絡め取られていた。


 「ななな、なんなのよ?」


 心臓が止まっちゃうじゃないの!


「彩さんの書かれた小説では、『寂しい時には抱きしめてあげなさい』と駅長さんが言っていました」


 私をしっかりと抱きしめたまま、冷静な声でタンバが答えた。


 そ、そんなこと書いたっけ? 駅長さんってだれなのー? 混乱する頭で必死に考える。彼が読んだのは未完成の恋愛小説。上京した若い二人が紆余曲折の末、相思相愛になるところまで漕ぎ着けるのだが、さらなる苦境に邪魔されて、というありがちなストーリーだったのだけど……細かいところまでは覚えていない。


「先ほど思い出したので試してみたのですが、いかがでしょうか?」


「い、いいみたい」


 効き目ありすぎです。ドキドキしすぎて寂しいなんて言ってられません。


「よかったです。ハグによってストレスが軽減するという研究結果もありますから、効果があっても不思議はありませんね」


 冷静に分析されると寂しいものがあるけど、それなら堂々と抱きついちゃっても許されるかな? 思い切って彼の身体に両腕を回した。


 私ってば、これはよい口実とばかりに掃除機に抱きついてる。こんなところ、人に見られたら大笑いされちゃうよ。でも彼から離れたくなかった。あとちょっとしかないんだから、ずっと彼とくっついていたい。


「彩さん」


 頭上で『タンバ』が言った。


「何?」


「寂しい思いをさせたのは申し訳ないのですが、彩さんにこれほどまでに満足いただけて私は嬉しいのです。ここに派遣されて良かったと思います」


「うん、私も『タンバ』に会えてよかった。お兄ちゃんもたまには役に立つことするんだね」


「彩さんの書かれた小説では、主人公の二人がこのように抱き合っていましたね」


「うん、それは覚えてる」


「あの二人が幸せになればいいと思います」


 ああ、ほんとだね。ちょっとは捻らなきゃと思ったら、考えすぎて最後の場面で行き詰っちゃった。素直にハッピーエンドにすればよかったんだ。


 私は『タンバ』を見上げた。


「『タンバ』のアドバイスって凄いよ。どれもこれも全部凄い」


「ありがとうございます」


「ねえ、今日が終わっても私のこと、忘れないでくれる?」


「お客様のデータはすべて保管する決まりとなっています」


「そっか。ならいいんだ」


 彼らしい返事に笑ってしまう。そうだよ、この人は人じゃない。私にだって分かってる。彼は掃除機なんだから、この部屋みたいにすっきりきれいな気持ちで別れよう。ハッピーエンドで終わらせなくちゃ。


「彩さん、やっと笑いましたね」


 そう言った彼の顔も笑ってる。もう一度見たかったあの笑顔。やっぱり素敵だ。あなたが好き。大好き。彼と目を合わせて笑い合う。私の目、涙が浮かんでるけど、これは嬉し涙だからね。


 彼の顔が近い。私はのびあがって彼にキスをした。唇が触れたのはほんの一瞬。でもそのとたん、『タンバ』が凍りついた。数秒間、動きを止めた後、彼はゆっくりと私から離れた。表情のない目で私を見つめている。


 しまった。目の前にあったからつい思わず……。でも、さすがにこれはまずいよね。掃除機相手でもセクハラになるんだろうか。


「ごめん。あの……」


 さっきまでの幸せな気持ちは一瞬で吹き飛んでしまった。なんて言おう。キスした言い訳なんて思いつかないよ。


 その時、玄関のチャイムが鳴った。


「私が出ましょうか?」


 『タンバ』が尋ねる。その声からは彼が何を思っているのかは読み取れない。


「ううん、私が出るよ」


 今度ばかりはチャイムに救われた。今のうちにキスの理由を考え出さなくちゃ。自分の馬鹿さ加減にうんざりしながら私は玄関に向かった。



 今回、覗き穴の向こうにいたのは兄だった。

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