その4
次に『タンバ』は靴とバッグを選り分けた。玄関の靴箱に入りきらない靴は、すべて『いらない物ボックス』行き。バッグもかなりの場所を占めていたので、クローゼットの中にはずいぶんと余裕が出来た。
ところが彼は収納し直したばかりの洋服をいくつも引っ張り出してベッドの上に並べだしたのだ。それも私のお気に入りばかり。やっぱり捨てるとか言わないよね? はらはらして見守る私を、彼が差し招いた。
「それでは、彩さん。鏡の前に立ってください」
何を始めるつもりなの? 言われたとおり、鏡台の前に立つと、彼はプリント柄のワンピースと黒のカーディガンをベッドの上から拾い上げた。
「彩さんはこの二点を組み合わせることが多いでしょう?」
「うん、そう。よく分かったね」
そのワンピース、花柄がくっきりしすぎて他の服とは合わせにくいのだ。馬鹿の一つ覚えみたいに黒いカーディガンとのセットでしか着た事がない。彼はカーディガンをベッドの上に戻し、代わりに地味な色のジャケットを取り上げた。
「こちらのジャケットでもいけると思いませんか?」
「これ? ちょっとフォーマル過ぎない?」
「試してみてください」
彼は私にジャケットを羽織らせ、ワンピースを胸の前にあてがった。
「では次にこちらを……」
『タンバ』は明るい草色のストールを私の首に巻いて、胸元でふんわりと結んでくれた。屈んだ彼の顔が急接近して、思わず息を呑む。うおお、正面から見るとイケメン度が五割増しだよ。
「どうかされましたか?」
私の顔から二十センチの距離で彼が尋ねた。吐息を頬に感じる。よくよく考えてみればこのシチュエーションってどうなのさ? 寝室で超イケメンに着せ替え人形にされてるなんて、相手が掃除機だと分かっていても恥ずかし過ぎる。顔が熱くなるのを感じて私は焦った。
「あ、あの、『タンバ』って息してるんだね」
「ええ、絶えず空気を取り込んで体内で循環させなくてはオーバーヒートしてしまうのです」
「へ、へえぇ」
オーバーヒートしそうなのは私の方だよ。鏡を覗き込むフリをして、急いで『タンバ』からの距離をとった。
「と、ところでこれ、いい感じだね」
「気に入っていただけましたか?」
実際、驚くほどにいい感じだった。 自己主張が強いワンピースがずいぶんとおとなしくなった。遊び着のつもりで買ったのだけど、これなら取材にだって着ていけそうだ。なんだか得した気分。
「組み合わせを工夫すれば衣類の点数が少なくても様々な着こなしが楽しめます。持っているものを有効に使うことによって、持ち物を減らすことができるのです」
どこかで読んだことのある内容だが、目の前で実演されると、なるほどと思わせられる。 ファッション誌の仕事も請けるくせに、面倒臭がりの私はこれと決めたら同じ組み合わせでしか着ないのだ。記事を書く身としても、これからはもっとワードローブの管理に気を使おうと反省した。
その後も『タンバ』は次々にコーディネイトの実例を見せてくれた。最初は彼が近づくたびにどきどきしたけれど、ここにいるのはただの掃除機なんだと自分に言い聞かせているうちに、気にならなくなってきた。 動揺した自分が馬鹿みたいだ。
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最後の難関は玄関脇の収納スペースだった。二枚の引き戸は、引っ越してきて以来あらゆる不用品を押し込み続けた結果、現在は開かずの扉になっている。 『タンバ』は慎重に引き戸を開くと、無表情で中身を眺めた。
電化製品の空箱や、ビールの空ケース、ゴミの日に出し忘れてそのままになっている古新聞の束。そしてそれらの間に、ゴルフバッグやボディボード、テニスラケットなどのスポーツ用品がぎっちりと詰まっている。これだけ見ればアウトドア派だと思われそうだが、本来私は身体を動かすのが苦手だ。運動不足はもっぱら散歩と市民プールで解消している。
「ようし、全部処分しちゃおう」
「ゴルフ用品はまだ新しいですね。もうプレイされないのですか?」
「うん。昔の彼氏の趣味だったの。新品で買うんじゃなかったな」
「釣りは?」
「それも別の彼氏の趣味。始末しちゃっていいよ」
「現在お付き合いされている方は、どのような趣味をお持ちなのでしょう?」
「今はいないよ。もう一年以上、誰とも付き合ってないの」
「どうしてですか?」
「すっごく嫌なことがあったから。……掃除機なのに立ち入ったことを聞くんだね」
「気に障ったのでしたら申し訳ありません。今後の製品の開発に役立てるため、可能な限り使用者の情報を収集することになっているのです」
「ええ、やめてよ!」
冗談じゃない。まさか私のパンツの好みまで収集されちゃったんじゃないでしょうね。
「契約の際には同意をいただいておりますが」
「でも、お兄ちゃんが勝手に契約したんでしょ?」
「私は試作機なので、通常は一般に貸し出されることはないのです。ですが、今回は彩さんの情報を提供していただくという条件で特別に貸し出しが決まりました」
つまり情報提供しなければ『タンバ』は借りられなかったってことか。それなら仕方がないけど……。
「もちろん情報を外部へ公開することはございませんので御安心ください」
「ぜ、絶対にしないでね」
この醜態を外部にまで晒されてはたまらない。それにしても……
「『タンバ』って試作機だったのね。こんなに完璧なのに」
「ありがとうございます」
「掃除用のロボットなのに、どうしてそんなに格好よくしたの?」
「お客様が好感を持ちやすいデザインを採用したのです。好感度に比例して、支援される側の作業効率も上がることが今までの研究で分かっています」
「ふうん……」
「どうされましたか?」
そりゃあ、いい男の前だと無意識に格好つけようと頑張っちゃうもんね。私も設計者の思惑に乗せられてたってわけか。なんだか虚しいなあ。
「他に質問はございませんか?」
「うん」
「それでは始めましょう。これだけの物を一度に出せるだけのスペースはありませんので、棚ごとに仕分けをし、不要なものは居間へ運びます」
『タンバ』は棚の上の物を床に降ろし始めた。私が一番上の棚に手を伸ばしたとき、何かがはじける音がした。棚板が壁から外れ、積まれていたものが、上から順に崩れ始める。その動きはスローモーションのように感じられるのに、私は一歩も動けず、雪崩が襲い来るのをただじっと見上げていた。