その11
フリーマーケットは盛況だった。丹波さんの値段設定がいいのか、これは売れないだろうと思った物まで引き取り手を見つけた。
あまりの忙しさに彼とのわだかまりを気にしている余裕なんてなかった。掃除をしていた時のように私たちは自然に会話を交わし、並んで働いた。
丹波さんは爽やかなイケメンだったので、若い女の子からおばちゃんまで集まってくるようだった。そして彼が接客すると面白いほどに売れた。セールストークがうまいわけではないのだけど、誠実な接客態度が『買ってあげなきゃ』という気持ちにさせるらしい。
値札や文房具なども彼がすべて準備してくれていたので、なにもかもがスムーズに進んだ。やっぱりロボットじゃないかと疑うぐらい、彼のやることには無駄がない。接客に追われるとうっかり『タンバ』と呼んでしまいそうになって焦った。
『タンバ』は地で演じていたと言ってたけど、まんざら嘘ではないらしい。この人、たしかに普通ではない。変人、いや、私の醜態を二日間見続けて、その上でまだ付き合いたいだなんて立派な変態だ。ロボットの真似をさせたのは丹波のためだと兄が言った意味がわかってきた。最初からこの変人ぶりを見せ付けられては、私の方からお断りしていた可能性が高い。
一緒に働いたお陰で彼とはまた緊張せずに話せるようになった。でも彼はロボットではなく、自分の生活を持った一人の人間で、そのことを考えると私はなぜか落ち着かなくなった。
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丹波さんは『タンバ』と同じように気が利いた。喉がかわいたと感じるタイミングで水やジュースのボトルを手渡してくれたし、お昼には手作りのお弁当まで現れた。
「気を使わせてごめんね。お昼はここで買えばいいと思ってたんだけど」
「いえ、この時間帯は屋台も混みますからね。彩さんのお口に合いますか?」
大きな漆塗りの弁当箱の中には私の好きなものばかり並んでいる。
「どうしてわかったの?」
「彩さんの仕様書に書いてありましたから」
「やだ、お兄ちゃん、そんなことまで書いてたの?」
げ、塩鮭の皮だけカリカリに焼いたのまで入ってるよ。確かに好物だけどさ、恥ずかしいったらありゃしない。
「丹波さん、料理もうまいんだね」
「ありがとうございます。友人がシェフをしていて、休みの日に時々教えてもらうんです」
「へえ、羨ましいなあ」
「時々口説かれるのが困り物ですけどね」
「女性シェフなんだ。格好いいね」
とは言ったものの、休日に仲良く並んで料理している様子を想像すると、なんとなく面白くない。別に妬いてるわけじゃないけどさ。
「いえ、友人は男性ですよ」
「そうなの? 丹波さん、男にもモテるんだ」
「いい人なんですよ。でも彼にはそういう感情を持てなくて……友達でいたいタイプですね」
真剣に交際を考えたような口ぶりなんだけど。
「……丹波さん、もしかしてバイセクシャルなの?」
「違うと思いますよ。女性としか関係を持ったことはありませんし」
「ふうん」
そりゃ、恋人はたくさんいたんだもんね。丹波さんに告白するなんて自信に溢れたきれいな人ばかりなんだろうな。さっきよりも面白くなくなってきた。だからって、妬いてるわけじゃないけどさ。
「ですが、僕が今までに好きになったのは綾さんだけなので、それだけで性的指向を判断するのは難しいですね」
真面目な顔で丹波さんが付け足したので、私は卵焼きもろとも箸を取り落とした。その時の私の顔は、弁当箱の中のタコさんソーセージぐらい赤くなっていたと思う。しばらく顔をあげられず、味のしなくなった焼きおにぎりを黙々と噛みしめていた。
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お昼を過ぎると客足もまばらになった。気合の入ったフリーマーケット目当ての客は減り、散歩途中の夫婦や、スポーツウェアを着た若い人が立ち寄ってくれるぐらいだ。じわじわと気温も上がってきたので、丹波さんは上着を脱いでTシャツ一枚になった。暑さはちゃんと感じるらしい。
「あれ?」
彼の二の腕に大きな紫色の打ち身があるのに気付き、私は声をあげた。
「それ、どうしたの? 痛そうだね」
彼は自分の腕に目をやり、それから無表情で私を見た。無表情すぎるほどの無表情。あれ、『タンバ』も時々こういう反応をしたっけ。私が急に質問をすると、いつも一瞬動きを止めてこんな風に私を見た。まるで頭の中で答えを整理してるみたいに。
そうか……丹波さん、答えたくないんだ。 と、言うことは……
「あの時ね? あの時に怪我したのね?」
棚から崩れ落ちた不用品から私をかばってくれた時だ。あの状況で何も当らなかったはずがないのに、なんで気付かなかったんだろう。ポーカーフェイスにすっかり騙されていた。
「痛かったでしょ? すぐに言ってくれれば手当てできたのに」
「たいしたことありませんよ。それにあそこで正体をバラしてしまっては先輩に殺されてましたからね」
よく見れば腕の打ち身はTシャツの袖の中にまで続いている。あれ、もしかして……
「ちょっと見せて」
彼の答えを待たずに後ろからシャツのすそをめくった。肩甲骨の辺りにも大きなあざが広がっている。何かの角が当ったみたいに一箇所ひどく内出血していた。
「うわ、ひどい……」
「大丈夫ですよ」
「で、でも……」
「おやおや、痛そうだねえ」
突然に食器の物色をしていたおばあちゃんが声をあげた。
「兄ちゃん、そりゃあ、でえぶいかい?」
でえぶい? DVのこと? もしかして加害者は私ですか?
「お母さん、いけませんよ」
隣の中年女性が慌ててたしなめる。少しぼけてるのかな。
「違いますよ、おばあちゃん。ちょっとぶつけちゃっただけなんです」
丹波さんが真面目な顔で説明した。
「そうかい。兄ちゃん、いい体してんね」
「ありがとうございます」
彼のシャツをめくり上げたままだったことに気付き、あわてて引っ張り下ろした。
「ご、ごめんなさい。あの時の事もごめんなさい。こんなひどい怪我をさせちゃって……」
「いえ、彩さんが無事でよかったです。もしあなたに怪我をさせていたらと思うと、後から怖くて震えが止まらなくなりました」
「え、丹波さんが?」
「はい。何かおかしいですか?」
「だって、いつも冷静沈着なイメージがあるから」
「そんなことありませんよ。彩さんのそばにいて冷静だったことなんて一度もありません」
うわ、無表情でいうセリフじゃないでしょう? また彼の顔が見られなくなって慌てて下を向いた。まいったなあ、普通に考えればこれって口説き文句だよね。彼の視線を感じるよ。なんて答えればいいんだろ?
「と、とにかく打ち身は冷やしたほうがいいんだって。炎症が収まるまでは湿布を貼ったほうがいいんじゃないかな」
ああ、もう、私、何言ってる。これじゃ話題をそらしたのが丸分りだよ。
「そうですね。家に帰ったら貼っておきます」
それっきり丹波さんは横を向いてしまった。さすがに気に障ったのかな。 もどかしくてイライラしているのかもしれない。いくら私に想いをぶつけても、何も戻ってこないんだから。
丹波さんは変だ。すごく変だ。それなのに、知れば知るほど惹かれていく。でも、私の過去もそれが残した心の傷のことも、彼は知らない。いくら馬鹿な兄でも、あんなことまで話していないだろう。
彼ならすべて受け止めてくれそうな気がする。でも、私が彼の望む通りの『彩さん』じゃないと気付けば離れて行ってしまうかも。そうなったら私はどうしたらいい?
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丹波さんがこっちを向いた。
「彩さん」
「は、はい」
「マーケットが終わってからにしようと思ってましたが、先に言ってしまいます。無理に誘ったのに来てくださって、今日はありがとうございました」
無感情な声だが怒ってる様子はない。よかった。いつもの丹波さんだ。
「お礼なんていいよ。お世話になってるのはこっちなんだから」
「とてもいい思い出になりました。彩さんは僕とは違います。もっとご自分に自信を持ってくださいね。絶対に素敵な人が現れますから」
え? え? どういうこと? この人、またわけのわからない事、言い出したよ。素敵な人って何なのよ?
「あ、あの、丹波さん、私に付き合って欲しいって言ってませんでしたか?」
「はい。ですが、もう無理でしょう? 彩さんも僕がおかしな奴だって思ってますよね」
確かに思ってるけどね。特に今現在、痛烈に思ってるところです。
「今までにも何度もフラれましたから、顔を見ればわかるんです。彩さん、時々、物凄く困った顔をされますよね。でも僕には何が原因なのかさっぱり見当がつかないんですよ」
「あ、あれは丹波さんが恥ずかしくなるようなことを言うからでしょ?」
「やっぱり不快な思いをされてたんですね」
「え? そ、そういう意味じゃなくて……」
「いいんですよ。彩さんだけには嫌われたくありません。だから会うのは今日で最後にします。つきまとって困らせたりしませんから安心してください」
ちょ、ちょ、ちょっと……。ああ、もう我慢の限界だ。
「丹波さん、黙ってください」
「はい?」
「あなた、おかしいにもほどがありますよ。いい加減にしてください」
「す、すみません」
「人を散々振り回しておいて、今日で最後ってどういう意味ですか?」
「それは……」
「レンタル、延長します」
「はい?」
「レンタル期間を延長するって言ってるんです」
「ぼ、僕のですか?」
「決まってるでしょう? 三日間だけだなんて短すぎると思いませんか? それで何がわかるって言うんですか?」
丹波さんは私の顔をじっと見つめた。相変わらずの無表情、でも、まつげが少し震えている。
「延長の期間は……どれぐらいですか?」
「一週間です。来週の日曜日に会いましょう。問題がないようだったらそのときまた更新します」
「本気なんですね?」
「本気です」
「また……会えるんですね?」
「また会いたいです。……丹波さんと会えなくなるのは嫌です」
彼の表情が和らいだ……ように見えた。せっかくのイケメンなんだから、もうちょっと表情筋を使えばいいのに。
「よかったです。どうして僕は掃除機に生まれなかったんだろうって落ち込んでたんですよ」
「はあ? 何で?」
「それならずっと彩さんのそばにいられるでしょう?」
ま、またやられた。こんな恥ずかしいセリフを顔色も変えずに言っちゃう丹波さん、凄過ぎる。本気で言っているのがわかるだけに効き目も半端ないよ。
赤くなったのを隠そうと横を向いたのに、丹波さんは強引に私の顔を覗き込んだ。彼の顔に浮かぶのは『タンバ』と同じ優しい笑顔。その笑顔は反則だってば。
「彩さん、ありがとうございます」
そう言うなり、彼は私を抱き寄せた。
ちょ、ちょっと、ちょっと、フリーマーケットの会場のど真ん中だよ。お客さんが見てるよ。おばあちゃんも見てる。隣で出店してる女子高生達も見てる。嬉しそうに「きゃー」って言ってるよ。
掃除機だったときには気付かなかった彼の心音が聞こえる。でも私の心臓は彼の二倍の速さでドキドキ言ってる。 どうしてこんなことになってるの? まだ付き合うって言ったわけじゃないでしょう? あれ、それとも言った事になっちゃってる? もう何がなんだかわからない。
「おやおや、仲直りしたのかい? これからは仲良くするんだよ」
おばあちゃんが大声で言った。