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その10

 しばらくして信号で車が止まり、丹波さんがこちらを向いた。


「彩さん」


「はい」


「『タンバ』ではなく、僕の事を好きになってもらえる可能性はあるでしょうか?」


  この人の言動、ストレート過ぎるよ。「あいつ、いい肩してるのに駆け引きが下手で、肝心の場面じゃ直球しか投げねえんだよな」高校時代、兄が嘆いてたのを思い出した。


 いやいや、お兄ちゃん、凄い直球投げてくるよ。下手したら打ち取られそう。


「そんなのわかりません。あなたのこと知らないし」


  顔が赤くなっていないことを祈りながら私は答えた。


「そうですよね。それじゃ、質問してください。どんなことにも答えますから」  


「それで好きになれるかどうかなんてわからないと思いますけど」  


「でも、僕を知るきっかけにはなるでしょう? お見合いだって最初は質問から始めるものですからね」

  お見合いを例に出すあたり、口説く気満々なんだけど……。でも、気になってることはあったから、遠慮なく聞いてしまうことにした。


「丹波さん、どんなお仕事してるの?」


「アパレル業界にいるんです。今は気の合う仲間と一緒に服飾のデザインの仕事をしています」


「へえ、そうだったんだ」


  私は素直に驚いた。あまりに掃除の手際がいいので、てっきり清掃関係に違いないと思い込んでいたのだ。


「若手のデザイナー集団といえば聞こえはいいですが、やっていくのは大変ですね。先輩に何人か有名な人がいるので、それで食っていけています」


「あ、もしかしてこの車、職場で借りた?」


「ええ、そうですが」


「見覚えのあるロゴがついてると思った。その会社なら知ってるよ」


「ほんとですか?」


「うん、雑誌で時々紹介されてるでしょ? 私、同じ号に記事を書いたことあるから」


「そうだったんですか。僕の場合、会社のイメージアップだとか言って、現場の写真には入れてもらえるんですが、肝心の作品の方はなかなか紹介してもらえなくて寂しいんですよ」


  イケメンにはイケメンの悩みがあるらしい。それにしてもデザイナーさんだったとは。道理でセンスがいいわけだ。


「今日は丹波さんに教えてもらった通りにコーディネイトしてみたんだけど」


  動きやすそうな綿のカジュアルパンツと薄手のジャケットの組み合わせ。春らしい色合いも気に入ったので彼のアドバイス通りに着てきたのだ。


「ええ、気付いてました。彩さんにとても似合ってますよ。思った通りです」


  信号が青になり、彼は道路に注意を向けた。再び車が走り出す。賛辞まで直球過ぎて、今度こそ顔が赤くなるのを感じた。駄目だよ、惑わされちゃ。本当の彼が見えなくなってしまう。


「他に知りたいことはありますか?」


 前を向いたまま彼が尋ねた。


「え、ええと、趣味は?」


「掃除でしょうか」


「……他にはないの?」


「読書や映画鑑賞が好きですね。スポーツならやっぱり野球ですが、最近は観戦だけです。週末にはよくテニスをしに行きますよ」


『タンバ』がラケットを残しておけと言ったのはこういうことか。


「彩さんはもう絵を描くのはやめたのですか?」


  唐突に丹波さんが尋ねた。


「今度は私が答える番なの?」


「いいえ、でも気になっていたんです。どれも日付が古いものばかりでしたから」


「やめたつもりはないんだけど、時間があるとついほかの事をやっちゃうんだ。情熱がなくなったんだと思うよ」


「小説もですか?」


「うん。仕事で文章書くようになったら、急に書けなくなっちゃった。おかしいでしょ」


「あの書きかけの小説、終わらせるつもりはないんですか?」


「丹波さん、あの話、気に入ったの?」


「ええ、普段恋愛小説を読むことなんてないんですが、ドキドキしましたね」


  無表情で読んでたくせにドキドキしてたのか。『タンバ』も丹波さんも、何を考えてるかさっぱり分らないあたりは同じだな。


「それなら、丹波さんのご希望通りハッピーエンドで終わらせようかな」


「彩さんが納得できる終わり方でいいんですよ。たとえ別れることになってもそれぞれが次のステップへ進むことができるのですから、悪いことではないと思います」


 次のステップと聞いて心の奥がちくりとした。私はもう一年も同じ場所から動けずにいる。こんな私にあの二人を進ませることが出来るんだろうか。


「あの、おかしなお願いをしてすみません。彩さんも忙しいですよね」


 私が黙っていたので、丹波さんがこちらに視線を向けた。相変わらず感情の読めない顔だけど、なんとなく眉が寄っている気もする。心配してる時の表情なのかな?


「ううん、あれから私も気になってたんだ。考えてみるね」


「もう一つ聞いてもいいですか?」


「なに?」


「ラーメン屋巡りは最近も続けているんですか?」


「ちょっと待って、何でそこまで知ってるの?」


 話題のラーメン屋を訪問するのが私の密かな趣味なのだけど、彼に話した覚えはない。


「そうか、お兄ちゃんに聞いたのね?」


「はい。先輩から『タンバ』のマニュアルと一緒に彩さんの仕様書も渡されたんです」


「ええ! 何が書いてあったの? 見せてよ」


「処分してしまいました。全部暗記してシュレッダーにかけるって先輩に誓わされましたから」


  私の手に渡してはならない内容だったんだ。想像するのも恐ろしい。くそ兄貴め、今度あったらドッキングステーションで殴るぐらいじゃ許さないんだから。


「どうせ、めちゃくちゃなこと書いてあったんでしょ? 丹波さん、よく私に愛想を尽かさないね」


「どうしてですか? 先輩は昔からよく彩さんの話をしてましたよ。必ず『うちの馬鹿妹がさあ』で始まるんですけどね。それで僕も彩さんを意識するようになったんです」


「はあ? だってろくな話じゃなかったでしょう?」


「ええ、ほとんどが失敗談でしたね」


  ますます分らない。どうしてそれで惚れるかな?


「先輩、彩さんがかわいくて仕方ないんですね。僕みたいな男をよく応援する気になったと思います」


「それ、違うと思うな。お兄ちゃんが気に入ってたのはタンコブのほうだったんじゃないの?」


「え?」


「自分が卒業してからも、あいつは控えの投手じゃもったいないって、ぶつぶつ言ってたよ」


「先輩がですか?」


「お兄ちゃん、本当は弟が欲しかったんだと思うんだ。で、私を利用して丹波さんを本物の弟にしちゃおうって魂胆なのよ」


  いかにも兄の考えつきそうなことだ。政略結婚でも企んでる気分なんでしょ。


「僕にも姉しかいませんでしたからね。先輩が構ってくれて嬉しかったんです。先輩の弟になら喜んでなりますよ」  


  丹波さんは丹波さんで全く意味がわかってないみたいだし。


「先輩なら子供たちのいい叔父さんになってくれるでしょうね。でもいたずらばかり教えそうで心配です」


 いや、わかり過ぎるほどわかってた。勝手に家族計画立てないでよ。



          ************************



  突っ込むに突っ込めず黙っていると前方の信号が赤になり、再び車が止まった。


「そうだ。これ、開けてみてください」


 丹波さんは紙袋から今度は小さな袋を取り出し、私に手渡した。光沢のあるワイン色の袋を開けると、さらに透明のパッケージに収められた上下お揃いの下着が出てきた。


「よく似たのを探して来ました。それならサイズが合うと思うんです」


 暖かなクリーム色のレース生地に小さな黒いリボンのついたデザインのようだ。私のお気に入りを捨てたので、その代わりということらしい。確かにすごくかわいいんだけど、恋人でもない女に下着をプレゼントだなんてどういう神経してるんだろ? 家族計画立ててるぐらいだし、もう捕まえた気でいるんだろうか?


 黙っていると丹波さんがこちらを見た。ここははっきり言ったほうがよさそうだ。


「ええと、よほど親しい関係でもない限り、男性が女性に下着を贈ったりはしませんよね」


「そうなんですか?」


「そう思いますけど……」


 口調が改まるのは、真剣に聞いてもらいたい時に出る私の癖だ。


「……あの、気を悪くされたのでしたらすみません。着用して見せて欲しいとか、そういう下心があるわけじゃないんですよ」


「はあ」


「もちろん着用している彩さんを思い浮かべはしましたが、ほら、サイズが合わないと困りますから……」


「あの、ご自分が何を言ってるのかわかってますか?」


「え?」


  丹波さんは口をつぐみ、少し困ったような顔で前を向いた。初めて見せる表情だ。


「……すみません。無神経だとか、空気が読めないとか、よく言われるんですが……最初から失敗しちゃったみたいですね」


「いえ、いいんです。私の寝室であなたがした事に比べれば、たいしたことじゃありませんから」


  今更ながら下着を見られたことへの怒りも蘇ってきたので、つい嫌味を言ってしまった。身分を偽ってブラやパンツに触りまくるなんて犯罪行為でしかないでしょう? そこはしっかり反省してもらわないとね。


「ああ、あの時はたくさん捨ててしまってすみませんでした。女性が身体に合わない下着を着けていると気になってしかたないんです。良いことなんて一つもありませんからね」


 反省するべきポイントが違うでしょ? 嫌味が全く通じてないよ。罪の意識はなかったんだろうか?  

「丹波さんって女の人の下着を見て、興奮したりしないんですか?」


「しませんね。以前は下着メーカーにいたので慣れたのだと思います」


 なんと、下着のプロだったとは。思わず突っ込んだ質問をしてしまったが、これで彼の下着へのこだわりに説明がついた。


「あの、心配しなくても彩さんが身に着けているのを見れば興奮すると思いますよ」


「いえ、それを心配してるわけじゃないです」


 噛み合わない会話に、怒る気力も急速に失われていく。


「丹波さん」


「はい」


「これ、とても気に入りました。ありがとう」


 私はあきらめて礼を言った。腹を立てるだけ無駄らしい。


 それにしても、この人、想像以上の変人ぶりだ。まさか、ほんとにロボットだってオチじゃないでしょうね? 

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