過去Ⅰ
一年前、俺は拠点であるレンバノンから離れたイグシアス国へ魔獣討伐の為に派遣された。魔獣にも機構が定めたランクが存在し、イグシアスに出現した魔獣は第ニ等級だった。この第ニ等級魔獣は一国の軍隊が崩壊する魔獣を指し、国際魔獣対策機構はイグシアスの要請で所属派遣戦闘員でも高ランクの所属員を数百人派遣するという大規模討伐であった。
俺が所属員として腕を振るい出してから初めて遭遇する第ニ等級魔獣は、なるほど悪夢のような大きさと強さだった。
到着したイグシアスは既に戦禍にのまれていた。王都まで数日という距離で衝突した第ニ等級魔獣イーフリーテスは俺と同等ランクの所属員を簡単に踏み潰し、所属魔術師の魔砲弾を跳ね返し、絶望を撒き散らす炎の咆哮を上げる。
俺は相棒である大剣を握りイーフリーテスを前に最大の力を込め斬撃を繰り出したが、奴の目を切り裂いた後炎で焼かれまぁパクリと一飲みされ死んだ。
そう、死んだのだ。所属員ならば常に隣合わせる死に飲み込まれたはずだった。
ところがどっこい、俺はアフォだった。このイーフリーテス討伐作戦よりかなり前に、レンバノン考古学研究所の要請で近郊の古代遺跡に住み着く魔獣討伐依頼を完遂した時、報酬として考古学研究所から貰ったフェニックスの尾羽根という――なんでも一回だけ死から助けてくれるという伝説の眉唾ものアイテム――を、アクセサリーにして身に付けていたのである。
考古学研究所のジジイさえ偽物だろうと俺に寄越したその尾羽根……びっくりどっきり本物だったのである。えぇ、これがすべての元凶だった。
戻れるならば、その尾羽根をアクセサリーにして持ち歩こうとした時の俺を、俺はぶん殴って止めただろう。いいから素直に死んでおけ、と。
復活の呪文やらアイテムなんてのは今は無き古代魔法にあったか、やっぱりないかな……なんて言われてる伝説のもので、実在するなんて現代の誰も考えない訳よ。
そんでもって普通さ、復活アイテムならそのまんま丸ごと全部俺を復活させると思うだろ?
気が付いた時、俺は燃え盛る村の外れでぶっ倒れていた。全身に痛みが走り所々火傷をし、おそらく肋がちょっと何本かいっていたが、なんとか起き上がって這いずるように燃え盛る村から出た。
遠くでイーフリーテスの雄叫びが上がり頭が大混乱したまま炎から逃げ、俺は力尽き、再び目が覚めたのは国際魔獣対策機構派遣医師団の医療テントの中だった。
助かったと、素直に喜べなかったね。ばっちりイーフリーテスに喰われた記憶が残っていたから。
『あら、目覚めたのねボク。どこか痛い所はない?』
『……ぼく?』
首を捻る俺に話かけてきたのは顔見知りの救護員の女だった。なかなか美しい乳を持つ彼女にはよく手当てをしてもらったので、彼女も俺を知っているはずだ。俺は彼女の言動にさらに首を捻る。
彼女は俺を名で呼んでいたし、扱いはいつもわりかしてきとうだった。治療中に腰を抱き寄せたら消毒液をぶっかけられた事もあった。
その彼女が、慈愛をもって俺の頭を撫で幼児に語り掛けるような口調で俺と話すのである。
その違和感たるや……これから今までのセクハラを理由に殺されるんだろうかと疑いたくなるほどで。
『もう怖い魔獣は居ないから安心していいのよ』
『イーフリーテスは討伐されたのかっ』
『えぇ、レーヴァテインさんが討伐したからもう大丈夫よ』
しかしその時、俺はその違和感よりイーフリーテスの末路に気を取られていた。
レーヴァテイン。その女の名を知らぬ所属員は居ないだろう。国際魔獣対策機構の切り札である特Sランクを持つ魔術師である彼女は、俺があっさりと喰われたイーフリーテスを倒したのだ。
『レーヴァテインはまだ近くにいるのか』
『えぇ。今頃はどこかのテントで手当てを……ちょっとぼく? どこ行くのっ』
俺は痛む身体を起こしテントを飛び出した。肋は痛いし全身痣だらけだしなんか視界が低くていつものように走れず何度か転んだが、この時俺はまだその違和感を無視していた。
開設された救護所にはいくつかテントがあり、俺はその中でも個人用と思われる小さなテントにあたりをつけ中へと入る。
『レーヴァテイン!』
テントの中には、手足に包帯が巻かれ老医師の診察を受ける巨乳の美女がいた。彼女は驚く風もなく俺の方へ視線を向け、目尻の垂れたとろりとした蜂蜜色の瞳を俺に固定すると少しばかり傷のついた頬を薔薇色に染める。
この時俺は、彼女が俺に見とれたのだと思ったね。俺はなかなかどうして筋肉のある色男だったし、美女に見とれられるのは満更じゃないしかなり良い気分だった。あぁ良い気分だったとも。
『お前がレーヴァテインか』
『……そうよ』
彼女の声は蠱惑的に俺の耳に届いた。鼓膜を震わせる声は果実酒のように甘く、柔らかに紡がれる音が心地良く馴染む。
俺は痛む身体に鞭を打ち、首を斜め四十五度に傾けスッと目を細め彼女を見た。今の俺なら止めろと頭を叩いてるだろうが、その時の俺は美女が俺に気があると格好を付けたのだ。
『イーフリーテスをやったのか? あんなデカブツを一体どうやって』
『私は魔術師よ』
婉然と微笑むレーヴァテインは乳こそ目を見張る程大きかったが、やはり女性なのか華奢で巻かれた包帯が痛々しく俺の目に映った。
この女が、あの俺をあっさりと飲み込んだイーフリーテスを倒したのか。
それはつまり、レーヴァテインと俺の実力の差を表す。大剣を操りレンバノンの英雄と言われても、俺はレーヴァテインの足元にも及ばない。
美女に見詰められ良い気分だった気持ちが沈む。レーヴァテインはどう見ても俺より年下だったのだ。まぁ前の俺から見ればという注釈がつくが。
『そうか……貴殿は強く美しいのだな』
俺は彼女を尊敬し、以前酒場で相席した騎士から教わった目上の者にする礼をとった。かなりギクシャクとした礼だろう。普段かしこまるような事はないからな。
彼女は俺を見てさらに頬を染め上げ、何故か小刻みにプルプルと震えだした。同時に彼女の胸にある豊かな双丘も揺れ、俺は怪訝に思いながらも目が自然とその白い夢の塊に吸い寄せられる。
仕方ないよね。しょうがないんだよ。今にもポロリと胸元開きまくりな深紅の魔導着からこぼれそうなんだよ! 彼女の診察をしていた老医師もおっぱいがん見だったもんよ!
『……レーヴァテイン殿?』
しかし、何かを堪えるように顔を真っ赤にして震える彼女を何時までもほっとく訳にもいかず、俺はいまだにおっぱいばかり見ているエロジジイの医者がまったく役に立ちそうにないので、彼女に声をかけた。
レーヴァテインはがばりと顔を上げる。
『……まん……でき……』
『あ?』
『もう無理ィ! なんなのこの可愛い少年はぁぁああ!』
『はっ』
なんの事だと、俺が声を上げようとした瞬間には既に目前に迫る白い渓谷が、桃のような香りをまとい存在した。
『!?』
まふりした柔らかな肉に顔を挟まれる。暖かい肌は柔らかく、俺は彼女にすっぽりと包まれた。そう、すっぽりと、だ。
そこで俺はようやく今まで感じた違和感と向き合った。遅すぎると言うな、色々混乱していたんだ。
まず、レーヴァテインが大き過ぎる思った。彼女は中腰で俺を抱き締め、その状態で立っている俺の顔が彼女の胸に挟まれるのだ。おかしい。だいたい俺は結構な筋肉があり、細身でもない。女の腕にすっぽりと収まる筈がない。
『可愛いわーッ敬礼なんかしてぎこちないのも可愛ければ、斜めに構えた乱暴な口調すら愛らしいわっ』
すりすりと、尻を撫でられ、顔に胸を押し付けられ、この女はなんてはしたないのかと少しばかり……いや、かなり引いてしまったが問題はそこではない。
俺は彼女の胸から顔を出し、己の腕を持ち上げて眺めた。土と血液で汚れ火傷をおった小さな手。丸くふくふくとした幼児のような、手……。
『な、なんじゃあこりゃああああっ』
うんまぁ、びっくりするよね。仕方ないよね。だって俺、筋肉もりもりな厳つい色男だったもん。それがいきなりなまっちろいチビッコになってみろ。泡吹いて倒れたくもなるさ。