独りでも生きていける子
それほど昔ではないちょっと過去、ある所に一人の娘が居たとな。
娘はそれはそれはしっかり者でたくましく、
周りの友人達がそれぞれ家族や恋人に依存するのを見ては
「皆とは違う!私は独りでも生きていける!」
そう自分に言い聞かせながら世を生きておりました。
ところで皆様方、“一人”と“独り”の違いとは何と思われますかな
このしゃがれ声の老婆の考えとしましては
心が離れているか、身体が離れているか、の違いだと思うわけでしてな。
さてはて、何故私がそんな下らないことを皆様方に拝聴願ったかと言いますと
このしっかり者の娘、自他共に認める「独りで生きていける人間」なのですが
いかんせん、「一人では生きていけない人間」なのでありますよ。
は?それはどういう意味だ、と。それはもう少し話を聞いてからにしてくだされ。
それでは本筋に戻るとしましょうかの。
さてその娘、その性格故にいつも孤独でありました。
しかし心配はご無用。彼女は「独りでも生きていける子」なのです。
周りのものもそれは十分承知の上、彼女の尊厳を配慮して彼女を避けておりました。
たとい避けられていても、さすがたくましさは大の男にも勝る娘
その豪胆さで厄介ごとも困りごとも何もかも解決していきました。
ある日、そんな娘に痛い目に遭わされた愚か者ども3人ばかり
腹いせとばかり娘に無体をはたらいた。
娘は耳が聞こえなくなってしまわれ、心に深い傷をおいました。
並みの女ならばそれだけで怯え隠れ何もできなくなるものですが
それでも娘は、独りでその狼藉者どもを探し当て、
彼奴らが泣いて許しを乞いても尚、制裁の手を休めませんでした。
その後、そやつらの親戚友人裏の道の保護者など
危なげな人物がよってたかって娘を嬲りましたが
娘はそれら全てにたった独りで見事復讐を果たし、
晴れやかな笑顔で帰ってまいりました。
さぁ怯えてしまったのは村の者。
娘を療養と称して町の大きな精神病院に押し込んでしまわれました。
娘の部屋は白く狭い一人部屋。
今時流行りの白黒テレビも、古臭い新聞も、話をする相手も、
彼女に情報を与える存在は何も無い部屋でした
それでも娘も最初の方は普段どおり
検診にやってくる看護士、診察をする医者等
様々な人間に一人あいさつや世間話をしました。
しかし娘は耳が聞こえません。それに加えて病院には元々人が少なく
娘は段々と元気が無くなって参りました。
ある日、流石に悪いと思った両親が娘の部屋を訪ねると
そこにはいつもどおりの、しっかり者でたくましいままの娘がおりました。
初めは両親も娘も、久しぶりの会話に高揚し
お互い楽しく話しておりましたが
しばらくすると、段々娘の言葉数が減り、同じ話を繰り返すようになりました。
これは何かの病気なのではないだろうか、
あの狼藉者共のせいなのではないだろうか、
心配した両親がその病院の医者に相談したところ
医者は、何だそんなことか、といった顔をして呆れました。
「お父さんお母さん、あなた方は何年あの子と一緒に居るんですか。」
これは酷い侮辱です。私達はただ娘を心配しているだけなのにその言い草!
母親が眉を上げ抗議すると、医者はやれやれと言った風情で
ある一枚の紙を差し出しました。
「娘さんの、会話した内容に多く含まれている言葉の一覧です。」
その紙には、ごく普通の少女が使うような
『そういうことじゃないのよ』『分かったわ』『大丈夫』
ちょっと気の強く、しかししっかりした娘の性格がよく現れた言葉が並ぶなか
最後のほうに、赤くしるしの付けられた言葉たちがありました。
『だって~~さんが言っていたのに』『って~~さんが言ってたのよ』
『昔そう聞いたの』『そう新聞に書いてあったわ』
そこには小さく赤色のペンで丸のなかに「必」の字が書き込まれていました。
医者によると、その言葉達は
娘の話に必ず出てくる言葉
とのことでした。
両親は驚き、そして思い出しました。
確かに娘はいつも誰かの言葉を頼りにしていた、と。
医者は、娘のカルテの注意事項という欄に一言
「一人で生きていくことができない」と書き記しておりました。
自分の意思ははっきりしてるし、大衆の中の孤独でも生きていけるけど
本当に一人になったときに、娘はどうなったか?
情報を得ることが出来ず、だんまりを決め込んでしまった。
意思があるからと言って、意見を持っているとは限らない。
娘のような者はたくさん居る。
自分で考えることが出来ない者。自分で創りあげることが出来ない者。
娘のような者はたくさん居る。