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HAPPY CLOVER  作者: 北館由麻
ないしょの関係
23/43

23

 ――た、大変なことになっちゃったな……、じゃなくて!


 その話を聞き終わった私の心の叫びを聞いてください。




「勝手になんてこと、言っちゃったんですか!」




 いや、もう心の叫びどころか、気がつけばほぼ絶叫していた。今までこんなに大声を出したことがあるか、と自分でも驚くような声量だった。


 勿論、隣にいた清水くんはビクリと肩を震わせて、私から一歩横にずれる。反対側の隣を歩いている英理子さんも大きい目を更に見開いて私を凝視した。


「舞ちゃんが怒るのも無理ないよ」


 英理子さんがため息混じりに言った。私に肩入れしてくれるのは嬉しくて心強い。


「俺だって最初はそういうつもりじゃなかったし、嫌だって断ったんだ。だけど……」


 清水くんの声は尻すぼみになり、最後は口の中で何かぶつぶつと呟いていた。


「で、どうする?」


 面倒な議論をすっ飛ばして、英理子さんは私に結論を要求してくる。


 でも、いきなり「どうする?」と聞かれても返事が出来ない。正直なところ、私自身がこの展開に追いついていなかったのだ。






 午後の体育の時間が終わった後、隣の席の清水くんの様子があからさまにおかしくなっていた。さすがに気になって小声で何かあったのかと訊ねてみた。


「帰りに話したいことがある」


 何だか怖い顔でそう言うので、嫌な予感が胸の中いっぱいに広がった。


 ――話したいことって何だろう? もしかして……わ、別れ話?


 不安な気持ちのときはどう足掻いても思考がマイナスの方向へと突進していってしまう。それを自分自身で止める手段がないのだから、どうしようもない。


 隣の席からは常にピリピリしたオーラが感じられ、私の不安な心はますます暗く救いのない小道へと迷い込んでいった。


 長く深いため息をつく。


 楽しみだったはずの放課後が来ても私は暗い気持ちのままで、昨日とは打って変わって重い足を引き摺るように玄関を出た。そこで英理子さんが私に声を掛けてきたのだ。


 清水くんとの待ち合わせの場所へ到着すると、まず英理子さんが清水くんを問いただした。


「えーと、二人は付き合っているんだよね?」


「うん」


「なのに、なんで二人ともそんな暗い顔してるのよ。今が一番ラブラブハッピーな時期じゃない?」


「ラブラブハッピーってなんだよ?」


 いかにも面倒そうに清水くんは言った。私の心に何か鋭利なものがグサリと刺さり、密かに息を呑む。


 英理子さんは首を傾げて清水くんを睨んだ。


「はるくん、なんかしたでしょ?」


「俺はまだ何もしていませんが?」


 ため息混じりの彼の返事に、私の胸は更にズキズキと痛む。


 こういう蛇の生殺しのような状態はとても辛い。喉元まで圧迫されるような苦しい気持ちに苛まれるのは初めてのことだった。


 これが恋だというなら、恋はあまり身体にいいものではない気がする。


 こんな気持ちで何日も過ごしたらきっと死んでしまう。大げさだと他人は笑うかもしれないが、今の私は真剣にそう考えていた。


 ――ピリオドを打つならさっさと打ってくれ!


 思わずそう叫びたくなるが、結局ふうっと息を吐き出すだけしかできない。その言葉にならない声を聞いたのか、清水くんが私を見て突然言った。




「舞、ごめん!」




 ショックで一瞬目の前が真っ白になった。




 ――やっぱり……。


 ――そうだよね、やっぱり私が清水くんの彼女なんて、釣り合ってないもの。




 こういうときは笑ったほうがいいのだろうか。どういう顔をしようかと迷っていると頬がピクピクと引き攣る。


 私の様子を心配した英理子さんが「ちょっと!」と声を上げた。


 それを制するように彼は次の言葉を発したのだ。




「今度、菅原たちと遊ぶときに、俺の彼女を連れて行くって言っちゃった」




 ――な、な、な……なんですとーーー!!




「勝手になんてこと、言っちゃったんですか!」


 気がつけば叫んでいた。


 どうしてそういうことになるのか、全く理解できない。


 朝、私が聞いた限りでは、親友を助けるためにちょっとした嘘をつくと約束しただけで、菅原くんたちとは遊ばないと清水くんは明言していた。


 確かにあの田中くんの発言は酷く切羽詰っていて、笑いを噛み殺しながらも同情を禁じえなかった。だから清水くんが協力すると言ってよかったな、と思ったのだ。


 それがいつの間にか全く正反対の事態になっている。


 わけがわからない。


 憤慨しているところに冷静な英理子さんの「で、どうする?」という声が聞こえてきたのだった。


 別れ話じゃなくてよかったと胸を撫で下ろしている暇もない。


 清水くんは私の顔を覗きこむように背を丸めた。


「昨日も言ったけど、どうせ遅かれ早かれバレるんだから、この際堂々とみんなに宣言しない?」


「……遅ければ遅いほどいいので、絶対に嫌です」


 隣で英理子さんが吹き出す。


「舞ちゃん、案外はっきりしてるね」


「なんでそんなに嫌なのか、俺には全然わかんない。俺と付き合ってるのがバレると何か困ることでもあるの?」


 清水くんは不満そうに言った。昨日もそれで怒っていたのだ。


 唇を噛んでうつむくと、英理子さんが私の腕をそっと触る。


「はるくんにはわかんないだろうな。乙女心をもっと研究しなさい」


「なんだよ、それ」


 ますます不満そうに彼は言う。私にかける言葉より、英理子さんへ投げつける言葉は乱暴だ。私のイトコはみんな歳が離れているので、同い年のイトコを少し羨ましく思う。


 でも清水くんとはイトコじゃなくてよかったと思うんだけどね。


 黙って物思いに耽る私を挟んで、清水くんと英理子さんは会話を続けていた。 


「はるくんの彼女を志願してくる女の子と、舞ちゃんを一緒にしちゃダメだってことよ」


「そんなことわかってる。だけど、舞が卑屈になることないだろ」


 うっ、と私は思わず声を上げてしまった。それを指摘されると立場が急に弱くなる。


「だって、私なんかが彼女だとみんなが知ったら……」


「なに、その『私なんか』って? 舞はすっごくかわいいよ」


 途端にボッと頬が紅くなった。隣に英理子さんもいるのに、よくそんなことを平気で言うな、と恥ずかしくなる。


「舞ちゃん、イメチェンしてみたら?」


 顔を上げると英理子さんはキラキラと目を輝かせて私を見つめてきた。


「イメチェン……?」


「そうよ。コンタクトにしてみるとか、髪型を変えてみるとか」


 私の視線は徐々に下降していく。私も一応は女性だ。全く興味がないわけではない。確かにこの眼鏡をやめたら違う自分になれそうな気もする。


 ――でも……。




「できません」




 英理子さんの表情が悲しそうに翳った。


 それを見て私の胸もズキッと痛むが、これだけはどうしても譲れない。


 自分を変えたいと思う気持ちもあるが、それよりも変えてしまったら自分が自分でなくなりそうで、それが怖いのだ。


 ――だって、これが私だから。


 イメチェンしたところで、結局私は私なのだと思う。こんなふうにちょっと冴えなくて、人間付き合いが下手くそで、勉強だって頑張ってるけど中の上か上の下くらいで、なんかもう全てが微妙。


 こうして自分のことを考えていると、思考はどんどん悪い方向に流れていく。私の両隣に、人が羨むものを全て持ち合わせているような男女が存在しているから尚更だった。


「じゃ、いいよ。俺、一人で行くから」


 気まずく張り詰めた空気を追い払ったのは、清水くんの一言だった。明るい口調で更に続ける。


「朝と話が違うって舞が怒るのは当然だよね。大丈夫、『彼女いるっていうのは嘘』って言えばいいだけだし」


 それを聞いた私は胸の辺りがもやもやとして目をしばたたかせた。


 なんだ、この変な感じ。


 こういう感覚はあまり身に覚えがなく、私は心の声を聞こうと自分自身に耳を澄ませてみた。




 ――だって清水くん、絶対行かないって言ってたよね? ……なのに行くの? 結局他の女の子と遊びたいんじゃないの?


 ――それに「彼女いるっていうのは嘘」って……じゃあ私はなんなの!?




 私のもやもやした気持ちは次第にムカムカとした怒りに変化していった。


「そうだよ。悪いのははるくんなんだから自分で何とかしなさいよ」


 英理子さんが彼を責めるように言うと、私の中でいきなり何かがプツッと切れた。




「ちょっと待った。それ、なんか違う!」




 両脇の二人がハッとして同時に私を見た。


 私は軽い興奮状態にあり、今なら何でも言えそうな気分だった。そうだ、この際思い切って言ってやる。




「ちょっとモテるからって、何でも自分の思い通りになると思っていたら大間違いですからね!」




 言いながらブルブルと身体が震えた。これが武者震いというヤツか。


 しかも言ってることがバカバカしくて、言いながらまた自己嫌悪に陥りそうになる。だが、勢いが勝った。




「私、行かないなんて言ってませんから」




「……え?」


「舞ちゃん!?」


 まずは清水くんをじろっと睨み、次に反対側の英理子さんに真剣な顔を見せる。


「ってことは、舞も来てくれるんだ?」


 なぜか嬉しそうな声を出す清水くんに冷たい視線を送った。


「誰ですか、『絶対行かない』って言ってたのは」


「……ごめん」


 突然、横からフッフッフッと低い不気味な笑い声がした。


「舞ちゃんってさ、なにげに負けず嫌いなんだね」


 言いながら英理子さんが私の背中をビシッと叩いた。飛び上がるほど痛い。というか、実際あまりの痛さにのけぞって飛び上がってしまいました。


 いつも思うけど、英理子さん、少しは手加減とかできないんでしょうか。


「へぇ、それはいい性格だよね」


 清水くんの顔を見ると私の背中の痛みのことなど念頭にないのか、顔全体が蕩けそうなニコニコ顔になっていて、その笑顔を見た私も頭が一瞬ぼうっとなった。この人の笑顔には魅力じゃなくて、何か悪い魔力がこもっているに違いない。


 コホン、と英理子さんがわざとらしい咳払いをした。


「……私、お邪魔虫だったわね。ごめんなさい。ああ、熱い熱い!」


 手で喉元をせわしなく扇ぎながら、英理子さんは急ぎ足で私たちの前に出る。


「ま、待って!」


 慌てて呼び止めた。


 だって、その菅原くんたちと遊ぶのに同行すると言ったのはいいけど、私、どうしたらいいんですか!?


 縋るような気持ちで、振り返った英理子さんの視線をとらえる。


「あ、あの……イメチェンってどうすればいい?」


 途端に英理子さんの目に妖しい光が輝いた。


「女の子だもん、そう来なくっちゃね!」


 いきなり私の腕を掴むと英理子さんは自分の腕を巻きつけてきた。この気軽さが私にはないものだな、と思う。きっとこうやって英理子さんはいつでも私の心にすうっと入ってきてくれるのだ。


 英理子さんが私に寄っ掛かってきた。彼女のぬくもりが嬉しい。……いや、勿論私はそっちの方向の趣味はありませんよ?


 苦笑いして清水くんを見ると、これ以上ないくらい優しい目をした彼がほんの少し首を傾げて私に微笑んでくれた。






 しかし、容赦なくその日はやって来た。一学期の期末考査だ。


 このテストは、実は結構大切なテストなのではないかと思う。担任も「進路に影響するので頑張れ」などと、ぼそぼそとした声で言っていた気がする。


 だというのに、私の頭の中は半分がその菅原くんたちとの遊ぶ約束のことで占められていた。


 清水くんからの情報によると、男子はサッカー部の菅原くんと清水くんの親友田中くんと、追加でクラスメイトの沖野くんがメンバーで、女子は西こずえさんと藤谷ふじやさんと山辺やまべさんの三人らしい。


 テスト期間中は出席番号順に着席しているので、密かにメンバーの名前と顔を覚えた。


 クラスメイトの顔と名前が一致していないなんて、恥ずかしいことだなと今更ながら思う。さすがに女子はほぼわかるのだけど、それも名字に限る。


 藤谷さんの名前が悠香だというのは初めて知ったが、読み方がわからない。「ゆうか」、それとも「はるか」?


 読み方がわからない場合、あだ名でわかることもあるけど、残念なことに藤谷さんは「ふじやん」と呼ばれていた。「ふじやん」ってちょっとかわいいあだ名で羨ましいな、なんて思ってしまう。


 もう一人の女子、山辺さんは小柄な西さんと藤谷さんに比べるとかなり大柄な人だ。バレー部の主力メンバーで、この三人の中で唯一私が会話を交わしたことのある人だった。


 というのも、山辺さんは私と同じく電車通学をしている。途中で乗ってくる人だけど、地方出身者は仲間意識なのかお互い何となく通じるものがあるし、無言でいたわりあうような部分がある気がしていた。


 私の印象では、山辺さんは体型とは裏腹にとても女性らしい優しく繊細な性格の人だった。だからなのか、男女問わず人気がある人だ。


 高梨さんも男女問わず人気者という点では似ているが、山辺さんとは違ってどこか相手の心の中まで見透かしてしまうような鋭さがある。それが時折恐ろしく感じるけれども、山辺さんはもっとおおらかな視線の持ち主だと思う。


 一方、男子のほうは本当にやっと名前を覚えたところだったりする。


 菅原くんは我がクラスの中でも清水くんに続いて有名人だ。サッカー部で女子に人気があるのは噂に疎い私でも知っていた。


 清水くんが言うには、菅原くんは藤谷さんのことが好きらしい。確かに彼女は男子の庇護心を煽るような可憐な笑顔を振りまいていた。私なんかとは違ってかわいげのある人だから、菅原くんが彼女のことを好きだというのも素直に頷けた。


 そして沖野くんも名前は知っていた。だって、彼は授業中でも積極的に喋る人だから。しかも笑い声がサルのような高いキャッキャッという音なので、いくらクラス内のことに無関心の私でもその笑い声は耳につくというものだ。


 かなりの揚げ足取りなので発言には十分気をつけるように、と清水くんから忠告を受けた。更に、もし何か言われても気にしなくていいとも言ってくれた。


「サルが日本語を覚えたのか、やるじゃん! ……くらいに寛大な気持ちで接してやるといいよ」


 さすが、清水くん。上から目線も半端じゃなく高みから見下ろしてるらしい。でも彼にそう言われたら本当に誰も言い返せなくなる。だからこの人は悪魔だと思うんだけどね。


 そして、清水くんの親友田中くん。


 彼の後ろ姿を見て、思わずこみ上げてくる笑いを唇を噛んでこらえた。


 田中くんの一番のポイントはお人よしということだ。更に彼の至って真面目な言動はどこか滑稽で可笑しい。ウケを狙っていないのにウケる人なのだ。


 テスト前日、気難しい数学の先生がやってくる前に彼は教壇の上に自らの水筒を準備していた。これには数学の先生も驚いたようで顔をほころばせて言った。


「長い教員生活の中でも授業の前にお茶が用意されていたのは初めてだよ」


 すかさず田中くんは言う。


「先生、ちゃんと蓋は洗っておいたから、心置きなく一杯どうぞ」


 そして、社交辞令的にお茶に口をつけた先生に、少し甘えた声で言ったのだ。


「ねぇ先生。一つだけでいいからテストに出るところ、教えて!」


 クラスメイトの期待を一身に集めた先生は渋々といった感じで、それでもいつもより幾分丁寧にテストに出そうな部分に関する説明に時間を割いてくれたのだった。


 こうしてクラスメイトの動向にも目を向けると、授業は生きているということに気がつく。もし田中くんが先生にお茶を出さなければ、あの先生のことだから淡々とテスト範囲より先の部分へ授業を勧めていたに違いない。


 そう考えると、田中くんはただ何となく思いついて実行したことなのかもしれないが、何の関係もない私も同じクラスに存在しているだけで、その恩恵に与ったのだから彼には感謝しなくてはならない。


 それに先生にお茶を出すなんて、私には逆立ちしても真似できそうにないことだ。本当に世の中にはいろんな人がいるな、と思う。


 そんな田中くんだが、本人も認めるようにかわいそうなくらいモテないらしい。


 菅原くんと同じサッカー部だが、練習もそれほど真面目に出ていないようだし、顔も目が細く顎がしゃくれ気味で、髪も剛毛の天然パーマなのか、短いのにくるくると地肌にしがみつくようにカールしていた。


「アイツ、根はいいヤツなんだけど、女の子への接し方が下手くそなんだよね。あと、人に流されやすい。他人の話を真に受けやすいんだ。疑うということをしないらしい」


 というのが、清水くんの評価だ。親友という割にはあっさりとした口ぶりで、男子同士の友達付き合いというのは女子のそれよりかなりドライなのだな、と私は思う。


 それなのに田中くんの清水くんへの傾倒っぷりは忠犬のような性質で、見ていると可笑しくて仕方がない。


 更に主人ならぬ清水くんも心得たもので、冷たくあしらったかと思うと後できちんとフォローしていたりする。二人のやり取りを隣の席で聞いていると本を開いていても全然進まないが、本の内容より面白くて、田中くんが清水くんの席にやってくるとつい耳をダンボにしてしまう私がいた。


 そうしてテスト期間はあっという間に終わってしまった。


 これは、かつてないほど悲惨な状況だ……。


 今回のテストも私なりに頑張ったが、最後の答案用紙を提出した途端、早くも惨憺たる結果を想像して両手で顔を覆った。


 頑張っているつもりだったが、気持ちが別のところにあるせいか、テスト勉強に全く身が入らなかったのだ。


 しかしある意味、これが私の真の実力なのかもしれない。


 憂鬱な気持ちを引き摺ったまま、私は期末テストの打ち上げと称したグループデートの日を迎えることとなった。






 前の晩から何を着て行こうかと悩みに悩みまくったが、私の持っている服の中から選ぶとなるとパターンは限られる。実は悩むまでもないことだった。


 自分のクローゼットを目の前にして、その現実に肩を落とす。


 まさか、いきなりこんなことになるとは思いも寄らないわけで、私は仕方なく唯一のよそ行き(それも姉のお下がり)に袖を通し、母からクリスマスプレゼントでもらった鞄を持ち、何か言いたげな母を一睨みして出かけた。


 通学するのと同じように電車に乗り、駅で停車するたびにT市が近づいていることを実感し、お尻のあたりがむずむずとして黙って座っているのが辛い気分になる。このままだと当然のことだが、もうすぐ到着してしまう。


 ドキドキと不安で胸が爆発しそうだった。


 自分の格好をもう一度上から下まで確認する。


 レモンイエローのTシャツの上に、切り替えの入ったオフホワイトのワンピース。胸を覆う部分にはギャザーが入っていて、飾りボタンが三つついている。丈は長めで膝が十分に隠れる長さだ。それにシンプルな茶色の鞄。靴は通学にも履いているいつもの靴。


 ――び、微妙?


 そう思っても他にないのだからどうしようもない。後は英理子さん頼みなのだ。


 駅に着いた後、約束の時間まで三十分ほど余裕があるので、その間に英理子さんがイメチェンの手伝いをしてくれることになっている。


 ところが、T市まで残り二駅のところで車両の中に見覚えのある顔を発見した。


 ――山辺さん!


 考えてみれば当然のことだ。この路線は2時間に1本しか走っていないのだから、同じ路線を利用する山辺さんがこの電車に乗らないはずがない。


 しかも妙なことに電車通学の掟なのか、学年ごとに乗る車両が決まっていた。だから彼女が同じ車両に乗ってくるのは必然的なことだった。


 私は咄嗟に顔を伏せる。山辺さんが空席を探してキョロキョロしていた。


 ――こうなりゃ、寝たフリしかない!


 見つからなければいい、と祈るように思いながら目を閉じた。


 しばらくしてそっと目を薄く開けてみると、山辺さんはかなり離れたところに座っていた。ホッとしてまた目を閉じる。


 終点のアナウンスが車内に流れた。


 また一瞬だけスッと目を開けてみると、山辺さんは早々と立ち上がり、私の席からは離れた出口へと向かっている。私は「上手くいった」と内心ほくそ笑んだ。


 電車が停車して、彼女が降りたのを確認してから私もゆっくりと立ち上がった。電車の中からこそこそしている時点で何だか惨めだったが、改札口では英理子さんが待っていてくれるはずだ。くよくよしている暇はない。


 ホームに降り立ち、人影がまばらになったところで大きく深呼吸をした。


 ――よしっ!


 ここまで来たら後には引けない。行くしかないんだ。


 そうは思うものの、どうして私がこんな目に遭わなければならないんだろう、と改札口へ向かう階段をのぼりながら心の中で盛大にぼやいていた。


 でもこうなったのは、半分は清水くんのせいだけど、残り半分は私のつまらない意地のせいだという自覚はある。何だかよくわからないけど、清水くんが「一人で行く」と言い出した途端に「それだけは絶対許せない」と思ってしまったのだ。


 そのくせここまで来てもやはり、付き合っていることがみんなにバレるのは嫌だと思う。


 ――なんかもう、頭の中がごちゃごちゃ!


 今まで経験したことのない数多の感情が私の中に渦巻いて、奇妙なマーブル模様を描き出していた。


 階段をのぼりきって目を上げると、不安な表情で待つ英理子さんの姿があった。


 私を見るなり英理子さんの頬にパーッと明るい色が差す。それを見た瞬間、はち切れそうな胸の奥の不安な気持ちは大きな吐息とともに辺りへ霧散していった。

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