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HAPPY CLOVER  作者: 北館由麻
涙色の彼女
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 それは忘れられない一瞬の出来事。


 この一年間その場面を何度も脳内で再生したが、記憶というのは時間の経過とともに劣化していくものらしい。


 俺は記憶力という点では他人よりも抜きんでていると思うが、それでも時間は容赦なくその一瞬の映像を古い過去のものへと書き換えていった。




 でも、もう一度その人に出会うことがあれば、きっとわかる。




 俺はずっとそう思っていた……。






 俺がこのT市内で名門校と呼ばれる高校に進学したのには訳がある。本来ならここではなく県内の上位校を受験するつもりだった。両親もそれを当然と思っていたし、俺自身もそのことに何の疑問も持っていなかった。


 事実、一つ下の弟はS市の県内有数の進学校へ入学した。


 だが俺は自転車で通える市内の高校に通っている。自転車で通学したかったわけじゃないが、これはこれで便利だ。弟のように早起きしなくてもいいし、後ろに女の子を乗せることもできるという利点がある。


「はるくん、また新しい彼女になってる!」


 今日は俺の祖母の誕生会で、祖母の家に親戚が集合していた。いとこの神崎英理子が俺の姿を見つけると部屋の隅へ引っ張ってきて、早速尋問を開始した。


「今度はうちのクラスの子じゃない。でもまた本気じゃないんでしょ? そういうの、もうやめなよ。かわいそうじゃない」


 ――かわいそう……か。


「じゃあ最初に断ればよかった?」


「そりゃそうよ! 付き合ってすぐ別れるよりはマシでしょ。そんなふうに他人の心を弄ぶのやめなよ」


「弄んでるつもりはないよ。『私のこと好きじゃなくてもいいから付き合って』って言うから仕方なく付き合ってるわけだし」


「『仕方なく』って、そこがおかしいのよ!」


「でも断る理由がない」


「じゃあどうして本気になれないのよ。はるくんのやってることは結局サヤカさんに対する当て擦りじゃない!」




 ――サヤカさん……ね。




 俺は英理子を軽く睨んだ。さすがに英理子はハッとして失敗した、という表情をした。


「ごめん。言い過ぎた」


「いいんだ。実際そうだしね。あの人はそれでも俺のことなんかどうとも思ってないし」


「そんなことないよ! サヤカさんはね……」


「もうあの人のことは聞きたくない。今更『泣いてる』とか言われても遅いよ」


 英理子が口に手を当てた。


「知って……たんだ」


「そりゃね。だけど仕方ないだろ? どうにもならないんだよ、今更」


「はるくん、もしかしてまだ……」


 俺は首を横に振った。


「ていうか、サヤカさんって誰?」


 わざととぼけて見せた。英理子は俺の腕をバシバシと叩いた。ものすごく痛い。どんな怪力なんだ?


「……きっといいことあるよ!」


 英理子なりに俺を励ましてくれているようだ。心の中で素直に感謝した。




 実際、今更どうにもならないことだ。


 サヤカさんはもういない。


 それにもう一年も前に終わったことなのだ。


 それでも俺は彼女を追いかけてこの学校に入学した。未練がなかったとは言い切れない。遠くからひとめでも彼女を見ることができたらいいと思っていたから。


 でも結局それは叶わなかった。


 なぜなら彼女はウィーンに留学してしまったからだ。






 ――ま、知ってたんだけどね。


 俺はいつもどおりに登校して、玄関から続く廊下の掲示板の前で足を止めた。


 そこにはサヤカさんがとあるピアノコンクールで入賞したニュースの記事が貼ってある。もう半年くらい経つから既に紙は色褪せているし、今更気に留める人もいないだろう。


 ――頑張れよ。


 毎朝こうやって心の中でエールを送る。


 最初は写真を見るのもつらかったが、今ではすっかり形式的なものになって特別な感情というのはない。ただ彼女が元気で頑張っていればいいと思うだけだ。


「よぉ、清水。今日学校の中ずいぶん寒くないか?」


 後ろから同じクラスの田中弘樹たなかひろきが声をかけてきた。振り向くと田中は首を縮めてマフラーの中に顔を埋めている。


「そういえば寒い」


「しかし今年は寒いよなぁ」


「異常気象らしいね」


「温暖化はどうしたんだ? 清水、頭いいんだからどうにかしてくれよ」


「どうにかなるわけないだろ。それより学校の中の暖房をどうにかしてくれって先生に頼んだほうがいい気がする」


 教室に入ったがやはり暖房が入っていないようだ。みんな上着を着たままぶるぶると震えていた。


 俺は自分の席に鞄を置いて何気なく前を見た。


 教室の前のドアから眼鏡をかけた女子が入ってきた。えーと、名前なんだったかな? かなり存在感の薄い人だが、確か成績はいいほうだったと思う。


 普段は視界に入っても意識すらしないのに、なぜか俺の目は彼女の姿を追っていた。




 ――あれ?




 よくわからないが俺は違和感を感じた。


 彼女は俺の斜め前方の席だ。教室に入ってきて眼鏡が白く曇ってよく見えないらしい。困ったようにおどおどしながら自分の席へ向かう。


 ようやく自分の席にたどり着いた彼女は安堵して椅子に座った。俺もホッと胸を撫で下ろす。


 そして彼女はおもむろに眼鏡を外した。




 ――……え?


 ――えーーーーー!?




 俺は眼鏡を拭いてかけ直す三十秒ほどの間、彼女に釘付けになってしまった。




 ――ウソだろ?




 眼鏡をかけ直した彼女は取り立てて特徴のない動作で淡々と授業の準備をする。俺はしばらく呆然とその様子を見ていた。


「おい、清水? 何、突っ立ってんの?」


 田中に声をかけられて、やっと我に返る。


「あ、いや、世の中には不思議なことがあるものだな、と思ってさ」


「何わけわかんねーこと言ってんの? 寒さでおかしくなったか?」




 ――何故だ? 何故みんな気がつかない? あのやたら分厚い眼鏡のせいか?


 ――そうだよな。俺だってさっきまで気がつかなかったんだ!




「ていうか、電灯も点かないらしい」


 田中は俺の動揺などどうでもいいのか、上を指差してそう告げた。今日はあいにく黒っぽい雲が低くたれこめていて、教室の中も朝とは思えぬ暗さだ。


「……つまり停電?」


「かもなー。今時停電なんて珍しいよな」


 ――あ、そうか。


 俺は思い出した。何故今日に限って彼女に目が行ったのか不思議だったが、彼女を初めて見たのが薄暗い会場だったからだ。




 忘れもしない中学三年生の冬。


 それがサヤカさんを見た最後の日だった。




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