表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/21

第7話 頑固です


「あの子は頑固よ」

 

 ロキエルの言葉が、静まり返ったウィルヘルムの執務室に小さく反響した。


 そこは、煌びやかな装飾で彩られた『ミラージュ・エルドラド』の一角にあるとは思えないほど、殺風景な空間だった。必要最低限の家具だけが置かれた部屋で、唯一存在感を放っているのは、この部屋の主である、ウィルヘルムの机を埋め尽くした書状の山だ。各地の権力者や商会から届いたそれらには、「緋龍」討伐の祝辞に紛れ、その希少素材を掠め取ろうとする強欲な下心が、インクの跡から隠しようもなく、透けて見えるようだった。


 「あの子は、こと料理に関して、一度言い出したら最後よ。絶対に曲げないわ」ロキエルは、質素ながらも座り心地の良さそうな椅子に深く背を預け、大きなため息をついた。


「……それで。あいつは緋龍の素材はいらないと言うのか?」ウィルヘルムは、眉間に深い皺を刻んだまま、羽根ペンを置いた。


 あいつ――マリの並外れた実力は認めているが、その浮世離れした価値観には、智謀を謳われたウィルヘルムでさえ翻弄され続けている。


「ええ。解体に時間がかかりすぎたのもあって、私たちがご馳走になった頬肉以上の価値のあるものは、あの子の中にはなかったみたい。肝臓の傷んでいないところだけを器用に切り取って、『レバーペースト、美味しいかな?』なんて言い残して、鼻歌まじりに帰っていったわ」


「おい、あいつを一人で放り出したのか!」ウィルヘルムが泡を食って、ロキエルを睨みつける。

「リーチェが付いてるわよ。そもそもウィルが、私を呼びつけたんじゃない」

「……なら、いい」

「チェッ」と、ロキエルがウィルヘルムの言葉に、唇を尖らせ小さく舌を鳴らす。リーチェの実力は誰よりも認めている。たとえ何が起ころうと、リーチェならばマリに指一本触れさせないだろう。だからこそ、ウィルヘルムにまで『彼女なら安心だ』という顔をされると、なんだか面白くない。複雑な心境が漏れ出た舌打ちだった。


 ロキエルの報告を聞いたウィルヘルムは、力なく天を仰いだ。、


「レバーペーストだと……。あいつは、あの貴重な緋龍を、鱗一枚で家が建つほどの価値があることを理解せずに、単なる『珍味』としか見ていないのか? 料理人に限らず、たとえ腐りかけていようとも、頭の先から尻尾まで血眼になって欲しがるはずだというのに」


「それがマリなのよ。希少価値なんて、あの子には無意味。目の前にある最高の素材から『今作りたい味』を引き出すこと。あの子にとっては、それがすべて。『緋龍の肉は、美味しくない』って、断定しちゃったみたい。あの子は何も言わないけれど、試食会でのリーチェの言葉も引っ掛かっているんじゃないかな」


「では、残されたあの大量の肉はどうするつもりだ。総料理長からは、肉に粉砕された骨片が食い込み、除去のために細かく切り刻まざるを得なかったらしい。断面が増えた分、傷みが早まるのは避けられないそうだ。塩漬けにしても干し肉にしても、吐き気を催すほどの獣臭がし始めたと報告を受けている。放置すれば街じゅう腐敗臭で悩まされることになるぞ」現実的な処理の問題に頭を抱えるウィルヘルム。


 すると、部屋の隅で書類の束を抱えて目を通していたハンスが、腹を鳴らしながら割り込んできた。


「え~、あの肉もう食べられないのかよ。あんなに美味かったのに、もったいねぇなあ!」


「馬鹿を言わない。普通、精肉したら冷暗所で五日間ほど保管して熟成させるけれど、あの緋龍の肉は、血が肉に回っているせいもあって、もの凄く劣化が早いのよ。今、この瞬間も、鮮度は落ち続けているわ」


「俺達が食べたみたいな燻製にすれば、少しは保つんじゃないか?」食い意地の張ったハンスの提案に、ロキエルは冷ややかではあるが、どこか誇らしそうな笑みを浮かべた。


「あの特殊な肉質を処理できるのは、マリの技術と、私の…‥そう、私の手助けがあってこそよ!」あえて言わせてもらえれば、ロキエルは決して嘘は言っていない……真実とは言い難いが。

「万が一にも食中毒なんて起こしてみなさい。その瞬間に『ミラージュ・エルドラド』が築き上げた名声は、地の底まで墜ちるわ」


 再び訪れた沈黙の中で、ウィルヘルムは机の上の書状に目を落とした。そこには「緋龍の肉を一口でもいいから献上してほしい」という、欲にまみれた王族からの親書が混ざっている。


「食卓外交の切り札にと、思っていたが」

「燻製肉は、もう無いし。レバーペーストは、私のお楽しみだから、譲ってあげないわよ」

「図々しい。なぜそれが自分のものになると思っているんだ。そもそもレバーペーストは好みが分かれるから、外交の席に出すのは、難しいな。……俺は大好きだがな」

「私も!すごく楽しみなの」

「……なんか、お前ら、微妙に論点がズレていないか?」ハンスが呆れて、突っ込んだ。


 ウィルヘルムは、深い溜息をつくと、重い腰を上げ、腹立ち紛れに親書をズタズタに破り裂くと、誰に向かって言うでもなく、独りごちる。


「世界が喉から手が出るほど欲しがる究極の素材を、一顧だにしないで放り投げた……料理人か」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ