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第4話 人はそれを嫉妬と呼ぶ

『ジーズ』を沈黙が支配していた。

 

 誰一人口を開かず、ただ、食器と酒器が触れ合う硬質な音だけが、淡々と時を刻んでいく。


「ねぇ、ロキ。ドラゴン、おいしい?」その静寂を鋭く切り裂いたのは、マリの唐突な一言だった。美食と美酒の共演に没頭していた者たちの意識が、一瞬で彼女の口元に集まる。


「ああ、済まない。つい夢中になってしまったな。マリへ称賛の言葉を送るのを忘れるほどにな」ウイルヘルムが気取って言えば、ハンスも追随した。

「マリ、最高だぜ!俺はこんなに美味い肉食ったの、初めてだ」

総料理長は、感極まったように、ただ黙って深く頷いた。


 だが、ロキエルは、その問いの中に混じった微妙な音色に敏感に反応していた。それは単純な疑問などではない。隠しきれない――不満だ。


「ドラゴンが、おいしい?……か」ロキエルにとって、マリの瞳の奥に潜む陰りの要因を探るまでもなかった。マリが不満を抱くのは、いつだって料理の完成度に対してのみだ。マリの調理技法や工程に不備があったとは、到底思えない。それはロキエルの実体験が確信させている。


 となれば、原因は素材だ。『ドラゴンの肉が美味である』などという世俗の幻想に、マリの厳格な舌は微塵も揺るがされない。緋龍という虚飾に彩られた名声は、マリを欺く材料にはなり得なかった。


 ロキエルは手元の『黄金の雫』を緩やかに揺らした。グラスの中で踊る黄金色が、幾重もの層をなす芳香を立ち昇らせる。ロキエルはあえて香気を愉しむふりをして間を置き、静かに思考を研ぎ澄ませた。

(そうだ、マリ。お前の理想を妨げるすべての障害を、一つ残らず打ち砕いていくのが、私の役目なのだからな)

マリの不満の正体を確信したロキエルが、満足げに目を細め、その唇を震わせた――まさに、その瞬間だった。


 リーチェが椅子を蹴立てて立ち上がった。

「ええ、マリちゃん。ドラゴンの肉が美味しいかと問われれば、決してそのようなことはありません! マリちゃんの『お料理』が最高なだけであって、素材そのものが最高に美味しいわけではないのです!」


 さらにリーチェは、空のグラスになみなみと『黄金の雫』を注ぎ足すと、一息にあおった。空になったグラスをテーブルに叩きつけるように置くと、リーチェはロキエルの隣に立つ、マリの鼻先に、その指を突き出した。


「あえてマリちゃんに問いましょう。この『黄金の雫』をどう思いますか!」


 救いを求めるようにロキエルの腕を掴んだマリに対し、ロキエルはその小さな手を優しく解いた。そのまま流れるような動作でマリの腰を抱き寄せ、自らの膝の上へと乗せる。


「リーチェ、無茶を言わないで。マリはお酒を飲まないわ、いいえ、私が飲ませないわ」

「ロキは分かっていないようだけど、マリちゃんなら、飲まずとも理解できるはずよ」


 事実、マリは酒を飲まない。けれどマリにとって、グラスから立ち上がる芳香を一たび嗅覚で捉えれば、それが舌の上でどう広がり、いかなる余韻を残すのかが、手に取るように分かってしまう。熟練のブレンダーが香りだけで原酒の品質を見極めるように、マリもまた、その一嗅ぎで酒の真髄をすべて受け止めていた。


マリは改めて、ロキエルが持つグラスに鼻先を近づける。


「……かおり、はなやかすぎ」


 その呟きに、リーチェは「我が意を得たり」とばかりに身を乗り出した。

「そう、その通りです! 『黄金の雫』は完成されすぎている。マリちゃんの料理が世界最高峰なのは疑いようもありませんが、今のままでは、この酒と反発し合ってしまう。私はマリちゃんに、この傲慢な芳香すらねじ伏せ、従わせてしまうような……そんな一皿を望んでいるのです!」


「……わかったー!」マリが目を輝かせて答えると、ロキエルは小首を傾げて問い掛ける。

「ちょっと、マリ。そんなに安請け合いして大丈夫?」

「だいじょーぶ!」勝利宣言するかのような、即答だった。


 マリの自信満々な返事を聞きながら、ロキエルは(この子なら何の苦も無く、こなしてしまうだろうな)と確信しつつも、言い知れぬ不安に襲われていた。

(また、とんでもない素材を求められるかもしれないわね……『ドラゴンを生け捕りにしてきて』だなんて言い出しかねないわ)


 ロキエルは、リーチェの手元から『黄金の雫』の瓶を、半ば強引に手繰り寄せた。すると、当てつけのように、空いたグラスになみなみと注いで一息に飲み干す。喉を焼きつかせるような酒精さえ、今のロキエルには酷く冷ややかに感じられた。


(……なんだろう。マリが私を置き去りにして、勝手に何処かに行ってしまうような気がする)


 空になったグラスを置くと、その細く長い指先が、今度は執拗にグラスの縁をなぞり始めた。「キュッ、キュッ」と鳴る神経質な摩擦音が、ロキエルの剥き出しの苛立ちを代弁する。膝の上で、新たな「課題」に目を輝かせるマリ。自分という「正解」がすぐ隣にありながら、リーチェの情熱に当てられ、別の何かを追いかけようとするその姿。自分以外の何かがマリを突き動かす様子が、どうにも我慢ならなかった。


ロキエルは、マリの腰を抱く腕に、無意識のうちに力がこもる。

「……勝手に盛り上がってくれるな」


吐き捨てた独り言は、膝の上の少女にすら届かぬほど低く、黄金の美酒の残り香の中に沈んで、消えていった。


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